第62話 宇宙の法則を破る者は時の洗礼を受ける
迎賓室の空気は、不自然に澄んでいた。二人を蝕む猛毒の正体とは、高濃度
酸素である。ジンは黒体空間を解除し、急いで倒れている二人に駆け寄った。
横たわる二人は、苦悶の表情を浮かべていた。床や天井の至る所に、ロニが
放った氷結魔法である鋭い氷柱が突き刺さり、戦闘の激しさを物語っていた。
すぐジンは魔法生成AIのアミにプロンプトし、活性酸素を分解する抗酸化
酵素に変換する魔法を生成するように頼んだ。ジンは、魔法名を叫んだ。
「物体変異ッ!!」
物体錬成——それは因果律を書き換え、原子の配置を強引に再定義する
量子操作だった。酸素だけで酵素を作るのは、広大な銀河で地球人と
同じ姿形をした地球外生命体を見つけるような『奇跡の御業』だった。
ジンの物体錬成魔法により、ゼンとロニは酸素中毒から回復した。
「マジでごめんな、二人とも。必ず手当払うからなッ!!」
その後ジンはアミに『魔法辞書』というデータベースから二人を治療する
回復魔法の検索を頼んだ。弱った二人を助け、更に回復魔法の知識を得た。
ジンが二人を助けている一方、第四甲板では『ある男』が暗躍していた。
海上都市国家『ロズノア』 第四甲板 格納庫
ロズノフは魔法『世界自我』を発動した。かつて「触れた」ことのある
「商品」と己の座標を置換し、第三甲板から第四甲板へと、瞬間移動した。
商品である整備用ロボット1体と、自分という存在を強引に『上書き』する。
そうすることで、ロズノフは『多元宇宙』から突然姿を現すことができた。
先刻、ジンの眼前から瞬時に姿を消したのも、事前に接触していた「ヘリに
置いた弾薬」と入れ替わったためである。多元宇宙という『倉庫』がある限り、
売り物であれば物質すらも入れ替えて、自在に顕現できる。そんな無敵にも
見える彼には致命的な弱点が存在した。量子を操れる魔法使いの存在である。
ロズノフは、ただ一つの可能性を恐れていた。多元宇宙を渡り歩く自分の
上書きが完了する前に、量子操作によって彼をこの世界に『固定』される。
観測を固定されたら、別宇宙の自分との『入れ替え』は封じられ、彼は
無敵の鎧を失うことになる。ジンはロズノフを倒せる唯一の存在だった。
「・・・なるほど。どうやら、私の予想を超える戦闘があったようだな。」
ロズノフは壁に開いた、直径四十メートルもの大穴に気づいて呟いた。
その向こうには、太陽と海が見える。浸水こそ免れているが、船体強度は
限界に近い。格納庫には黒煙が立ち込め、巨大戦車の残骸が火花を散らす。
その惨状の中、ロズノフの足元には一人の赤い髪の女が横たわっていた。
「侵入者かね。ずいぶん派手にやったな。・・・ザッキーは、死んだか。」
ロズノフは、亜麻色の髪の女、ザッキー・セルウィンを思い出した。
彼女とは長い間、誰よりも近い距離で過ごしたはずだった。だが、彼の
評価はどこまでも冷淡であった。ロズノフは、虚空に向かって言った。
「なぜだ。なぜ愛してくれた女の死に、私は何も感じない・・・。
あいつは、私にとって最初から、『無価値』な女なのか。ッ!!」
「フフ・・・フハハハハハッ!! ああ、神よ。なんということだァ!!
愚かで弱い女だと思っていた存在こそが、私に『真実』を与えた!!
価値などないのが、真理だッ!! 彼女は神の正しさを証明した!!
私は彼女の死に価値を感じない!! 即ち神が実在する証だッ!!」
ザッキーの死を、『無価値』と認識した瞬間、ロズノフの哲学は完成した。
無価値な者の死は無価値であるという確信が、彼に神の実在を突きつけ、
歓喜させた。それは価値をつけられない存在を神だと信じるロズノフの
思想を強化した。人として最低限の感情すら、ロズノフは不要なものと
感じた。彼の真理は、ただ一点――価値という概念は存在しないである。
「うっ・・・。」
ロズノフの声に反応したのか、床に倒れていたジュリアはうめき声を上げた。
「・・・生きていたのか。無価値な者は無価値で死ぬべきだ。
それこそ、正しい最後なのだ。・・・代わりに私が与えよう。」
そう言うと、ロズノフは懐から銀色の拳銃を取り出し、ジュリアに向けた。
「罰を、な。貴様には神に吸収される『慈悲』は受けさせん。」
ロズノフにとって、観測可能な肉体を持つ者は無価値だった。本来なら、
神にその身を捧げ、神と一つになる『福音』を告げるのが目的だった。
だがロズノフは情けを捨てた。救済という名の秩序から彼女を外し、
無価値なまま、命を奪い取る。そんな彼自身の絶対的な『妄想』に
基づいた身勝手な『断罪』のために、彼は銃の引き金を絞った。
──銀色の拳銃が火を噴いた。発射された弾はロズノフの力で上書きされ、
それは『100%命中した世界線』の弾丸に入れ替えられた。もはや彼女は
確実に死亡する。その刹那。不可解なことに、ジュリアの姿は消失した。
「!! どういうことかね? ・・・むっ。」
ロズノフは、背中に刺さるような視線を感じ、反射的に振り返った。そこには、
鮮血を連想させる軍服を着た女が、ジュリアを抱えて立っていた。真っ赤な
軍帽の隙間から流れる金髪と、凍てつくような碧眼。ロズノフは思い出した。
ナジュリ――『時の魔女』の異名を持つ女が、彼の前に立ち塞がった。
時空操作は、揺るぎない『法則』が存在する。発動者に触れた対象は、
共に『静止時間』を移動できる。ナジュリは、ジュリアに触れた瞬間、
そのルールを適用し、二人は『時』を動けた。更にナジュリは動いた。
「因子加速ッ!!」
『時空の因子』と呼ばれる素粒子を操作した。ナジュリとジュリアの『時』を
極限まで加速させた。ロズノフの放った弾丸は因果に導かれ『必中の座標』を
撃ち抜く。だが、ナジュリの加速は約束された『ジュリアの死』を否定した。
因果が結実した瞬間、ロズノフが放った弾丸が床を貫いた。多元宇宙魔法が
もたらす『結果』を、時空操作という『加速の上書き』が無効化にした。
「フッ。まさか量子操作以外に、私の脅威になる者がいるとはな。だがァ!!」
ロズノフは不敵に笑い飛ばす。
「私は多元宇宙の『自分』を並列させ、演算することができる!! 貴様が
この世界の『時』を操ろうが、私の宇宙からは逃れられないのだよ!!
世界自我ッ!!」
次の瞬間、ロズノフは格納庫に居るロボットのすべてを「別の宇宙の
自分」と入れ替えた。現れた複数のロズノフが一斉に銃を向ける。
「『我々』の攻撃は別宇宙の理。すなわち、この世界の理は受けない!!
貴様が時を何度止めようとも、それは問題なく貫通するッ!!!」
たとえナジュリが時空操作で時間を止めても、この弾丸は止まらない。
この宇宙の影響を受けない『別宇宙の弾丸』は止まった時間の中を、
何も無いかのように進む。多世界の力が、時の力を凌駕し始めた。
「分が悪いな・・・だが、ようやくお前の魔法が何なのか分かった。
焦っているな? これまでのお前なら、自分で解説しない筈だ!!
ロズノフッ!! お前はもう『時の牢獄』から出られんぞッ!!」
「過去は無価値だよ。私は投資家だ。常に未来の情報を求め、投資する!!
分散投資の果てに『この魔法』を得たように、私は更新するのだ!!
過去に縛られる貴様と違ってなッ!! やれ、多元宇宙の私達ッ!!」
ロズノフ達は一斉射撃を放った。ナジュリは、発砲と同時に魔法名を叫んだ。
「黄金律結界ォオオッ!!!!」
突如として格納庫の一帯に金色の機械仕掛けの歯車が浮かび上がった。
ナジュリは、自身の奥義である時空操作魔法の結界を発生させ、その中に
ロズノフ達を閉じ込めた。結界の中で、複数のロズノフ達が叫び出した。
「ナ、ナニィッ!! 貴様ァアアッ!!!」
彼らの足元には、無数の歯車が複雑に回転する黄金の床が広がっている。
その歯車が時を刻むたび、肉体は急激に老化を始めた。結界内の1秒が
『10年』に相当するほど加速し、ロズノフ達は『老化』に苦しめられた。
「ウゥゥゥ・・・ッ! ア、ア・・・。」
この魔法は一日に一度しか使えず、ナジュリにとっての『最終手段』だった。
本来、特務官の身分である彼女が、被疑者を「裁判なしで私刑に処す」ことは、
断じて許されない。だが、彼女は史上最強の敵ロズノフを前に、覚悟を決めた。
「お前を倒す為ならば、どんな罰も受ける!! 私は、ようやく知った。
悪とは、力ある者が何もしないことだッ!! 私は自分の行動に悔いを
残さないッ!! 未来は『神の采配』で決まらない、私自身なんだ!!」
ミイラとなって死亡したロズノフ達を見届け、ナジュリはジュリアを
抱えて、緊急離脱した。ナジュリは、ロズノフ側についたグッドマンを
救えなかったことに後悔し、更に大勢の仲間を失ったことで鬱になった。
モーテルで、ジンに『未来は行動で決まる』と言われ、ナジュリは沈黙した。
その時の彼女は、誰の声も受け入れなかった。次の日、奇妙なことが起こる。
死んだと思っていたベンジャミン・ベーコンの声が聞こえてきたのである。
「あなたにはガッカリしましたよ★ 挫折したら殻に閉じこもるなんて。
僕はジンにボコられ、オシッコ漏らしました。そんな僕でも、逃げずに
職場に行きましたよ? 過去は変えられない。なら未来で変えていけば
良いじゃないですか。10年経てば皆忘れます。それよりも未来の自分が
満足する行動取るべきじゃないですか? なぁナジュリ長官よォッ!!」
ベンジャミンに煽られた彼女は、我に返った。自分の使命は何なのか。
彼女は特務長官としての自分を取り戻すため、ゆっくりと立ち上がった。
空飛ぶ車『グラビランナー』に乗り込み、海に浮かぶロズノアを目指す。
彼女は、空母ロズノアから放たれた青い閃光を目撃した。大穴から内部に
侵入し、地面に横たわるジュリアを発見した。やがて彼女は思い出した。
「そうだった・・・私は・・・こうやって誰かを守りたいために特務官を
目指したんだ・・・。そのために時間の魔法を極めようと行動したッ!!」
ナジュリはジュリアを抱えたまま、空母からの脱出を試みる。その一方で、
第三甲板の提督室に潜入したクライドは、王の姿を発見した。王は、何発も
銃弾を受けて死んでいた。彼は床に膝をつき、王の死にショックを受けた。
落ち込むクライドの背後から複数の男達が忍び寄っていた。ベルザによる幻覚
魔法で混乱する男達の正体は、苦楽を共にしたクライドの『部下達』であった。
第63話は、来週の火曜日の21時に投稿する予定です。




