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痛武器勇者~最強武器らしいけど、観賞用にして推しを布教します~  作者: 桝田キゲン
8 王都への道と、譲れない美学

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雨が降った時に推しが泣いてるように見えるのは、それはお前の洗車が足りないからだ

 ラザリスの朝は早い。


 カフェ『KIRABOSHI』の裏庭に、キュッ、キュッ、とスポンジが濡れた表面を擦る音と、水音が小気味よく響いていた。


「……ふぅ。これで仕上げだな」


 オタクミは額の汗を腕で拭い、満足げに目の前の巨体を見上げる。


 そこに鎮座しているのは、かつて工房の職人たちと共に作り上げたものの、その奇抜さと物語の展開の速さに完全に置いていかれ、一度も出番のなかった幻の機体。


 ――痛馬車(いたばしゃ)『ミスティア・ルミナス号』である。


「いやー、結局一度も乗ってねえな、これ。もったいないから洗ってるけど」


 オタクミはホースで水をかけた。


 すると、車体は驚くほどの撥水性を見せ、水滴が丸い玉となって転がり落ちていく。


「おお、すげえ。相変わらずいい仕事してんな、職人さんたち」


 水滴の落ちた跡には、曇り一つないミスティアの笑顔が輝いていた。


 オタクミは満足げに頷く。


「やっぱり痛車……いや、痛馬車は綺麗にしてなんぼだよな。雨の日なんか、特に大事だ」


「ほう。雨の日こそ、か?」


 反対側から声をかけたのはアーグだった。


 彼は真剣な眼差しで布を動かし、車体の装飾を磨き上げている。


 その手つきは、まるで聖剣の手入れでもしているかのように厳粛だった。


「そうそう。雨が降るとさ、汚れた車体に水が筋になって流れるだろ?」


「うむ」


「それがちょうど、推しの顔の上を通ったりするわけよ」


「……む?」


「すると、どうなる?」


 オタクミは車体に描かれたミスティアの目元を指さした。


「推しが泣いてるように見えるんだよ!」


「なっ……!?」


 アーグの手が止まった。


「ミ、ミスティア様が……涙を……!?」


「そう! そこで普通の奴なら『雨だから仕方ない』って思うかもしれねえ」


「……うむ」


「だが、違う!」


 オタクミはスポンジを握りしめた。


「雨が降った時に推しが泣いてるように見えるのは、それはお前の洗車が足りないからだ!」


「な、なんと……!」


 アーグは雷に打たれたように目を見開いた。


「つまり……ミスティア様の涙は、我らの怠慢が生み出すものだと……!?」


「いや、そこまで大げさに言ったつもりはねえけど!」


「不覚……! 騎士たるもの、守るべき御方の涙を見過ごすなど……!」


「だから水滴の話だって!」


 だが、アーグはすでに布を握り直していた。


「見ていろ、オタクミ! このアーグ、二度とミスティア様に涙を流させはせぬ!」


「お、おう。頑張れ」


 オタクミは苦笑しながら、再び車体へ水をかけた。


 透明な水滴が表面を滑り落ちていく。


 ミスリル銀のコーティング加工は伊達ではない。


 その表面は鏡のように周囲の景色を映し返し、朝日を浴びた車体は、やたらと神々しく輝いていた。


「何を言うか、オタクミ。愛馬……いや、愛馬車を磨くのは騎士の嗜みだろう」


 アーグは胸を張った。


「見てみろ、この輝きを。ミスティア様の御尊顔にかかった泥汚れは、私がすべて拭い去った。今の彼女の笑顔は、ラザリスの太陽よりも眩しい……!」


 彼がうっとりと見つめる先。


 馬車の前面装甲いっぱいに描かれたミスティア・ルミナスは、満面の笑みを浮かべていた。


「まあ、確かに技術力の無駄遣い……いや、結晶だな!」


 オタクミも腕を組んだ。


「しかし、せっかく作ったのに一度も使ってねえのは、やっぱりもったいねえよな」


「うむ。その時が来れば、私が御者台に立ち、風となろう!」


「馬車なんだから、馬より速く走ろうとすんなよ?」


「無論だ。馬と共に風になるのだ!」


「それならいいけど」


 二人は顔を見合わせ、磨き上げられた痛馬車を眺めた。


 朝日を浴びる車体。


 光り輝くミスティア。


 男二人の、奇妙な達成感。


 それはそれで、実に平和な光景だった。


 ――その時までは。


◇


 パパパパパンッ!!


「うおっ!?」


 突如、表通りから場違いなほど盛大なファンファーレが鳴り響いた。


 続いて、ズズズズ……と、何か重厚なものを引きずるような音が近づいてくる。


「な、なんだ!?」


「敵襲か!?」


「ファンファーレ鳴らして攻めてくる敵がいてたまるか!」


 オタクミとアーグは、慌てて表へ回った。


 そして。


 二人は、その場で硬直した。


 カフェ『KIRABOSHI』の玄関前。


 そこから大通りを貫き、アストリア王国の方角へ向かって、一直線に真紅の絨毯が敷かれていた。


 しかも、ただの絨毯ではない。


 ふかふか。


 見るからに高級。


 踏みつけるのをためらうほどの、豪華絢爛な代物だった。


「……は?」


 オタクミが間の抜けた声を漏らす。


 さらに、その脇には立て看板まで設置されていた。


『※この道路占有は、ロザリア・ブランドの提供でお送りしています』


「提供って何だよ!?」


 思わずツッコミが飛ぶ。


「道路を使って宣伝すんな! いや、そもそも誰の許可で敷いてんだ、この絨毯!」


「見ろ、オタクミ!」


 アーグが大通りの先を指さした。


 そこから現れたのは、八頭立ての白馬に引かれた黄金の超豪華馬車。


 王家の威信と財力を、これでもかと車体へ盛り込んだようなロイヤル・リムジンだった。


 金色の装飾。


 磨き上げられた車輪。


 天蓋から揺れる豪華な飾り。


 朝日を浴びて、そのすべてが眩しく輝いている。


「ま、まさか……」


 オタクミの嫌な予感を裏付けるように、馬車がカフェの前で停車した。


 ガチャリ。


 装飾過多な扉が開く。


 そこから優雅に降り立ったのは――


 お忍びという概念を完全に放棄した平服、いや、オートクチュール姿の女王。


 ロザリア、その人だった。


「ごきげんよう、皆様」


 扇を広げ、彼女はにこやかに微笑んだ。


「ふふふ。招待状を送ったばかりですが……待ちきれなくて、迎えに来てしまいましたわ!」


「またそっちから来んのかよ!!」


 オタクミの叫びが、反射的に飛び出した。


「一国の女王がフットワーク軽すぎるだろ! 威厳とかないのか、威厳とか!」


「あら、心外ですわね」


 ロザリアは扇で口元を隠した。


「わたくしだって、公務の合間を縫って来たのですわ」


「だったら公務に戻れよ!」


「もちろん、公務も大切です。ですが……」


 彼女は急に深刻そうな顔になった。


 そして、懐から一枚の羊皮紙を取り出す。


「実は、先日購入した『ミスティア(男版)総受けアンソロジー』を含む一万冊の同人誌なのですが……」


「いきなり規模がおかしい!」


「国民への布教用配布計画を立てておりましたら……」


「おりましたら?」


「自分用の『保存用』と『観賞用』、そして『布教用予備』の在庫計算が合わなくなってしまいまして……」


「……は?」


 ロザリアは、ぷるぷると震える手を差し出した。


「昨晩から、供給不足による震えが止まらないのです!」


「いや、もう完全に禁断症状じゃねえか!」


「このままでは国政に支障が出ますわ!」


「もう出てるだろ! 今まさに!」


 だが、女王は止まらなかった。


 羊皮紙を高々と掲げ、堂々と言い放つ。


「よって、直ちに王城へ参内し、リア先生による『生の尊み(リアルタイム・ドローイング)』を献上しなさい!」


 オタクミが目を剥く。


「リアの絵を要求するために、こんな大げさな迎えを寄越したのかよ!」


「これは勅命です!」


「私物化がひどすぎるだろ!!」


 ツッコミが、ラザリスの青空に虚しく響いた。


 ロザリアは涼しい顔で扇を揺らす。


「それに、皆様を王城へお招きしたかったのも本当ですわ。せっかくですもの、道中も楽しく過ごしたいではありませんか」


「そのために大通りへ絨毯敷いたのか!?」


「ええ。歓迎の気持ちは、目に見える形にしたほうが伝わりますでしょう?」


「限度ってものがあんだろ!」


「まあ。オタクミ様ったら、照れ屋さんですのね」


「照れてねえ!」


 アーグが横で小さく頷く。


「しかし、女王陛下自らお迎えとは、確かに破格の厚遇だな」


「お前、そこだけまともに受け取んな!」


◇


「ええい、控えよ!」


 怒声が響いた。


 ロザリアの背後から、一人の男が進み出る。


 騎士団長レジナルドだった。


 その顔は真っ赤で、こめかみが引きつっている。


 どう見ても、今朝だけで相当な苦労を重ねてきた顔だった。


「貴様ら、陛下になんという口を利く! だいたい、いつもいつも……!」


「いや、レジナルドさん! まず陛下に言ってくれよ! 道路に絨毯敷くのやめろって!」


「それについては、すでに申し上げた!」


「言ってたのかよ!」


「申し上げたとも! 何度も!」


 レジナルドの声には、妙な悲壮感があった。


「だが、陛下は『民の往来を妨げないよう配慮しましたわ』と仰せになり、護衛の配置から馬車の経路まで、すべて整えてしまわれたのだ!」


「仕事のできる暴走って一番厄介だな!」


「だからこそ、貴様らまで騒ぎを大きくするなと言っておる!」


「俺ら、被害者側なんだけど!?」


 レジナルドは大きく息を吸った。


 言いたいことは、まだ山ほどあるらしい。


 だが。


 その視線が、不意に裏庭の入口で止まった。


「……む?」


 そこには、洗車を終えたばかりの痛馬車が、朝日を受けて燦然と輝いていた。


 ミスリル銀のコーティング。


 鏡面のような光沢。


 そして、巨大な美少女イラスト。


「……あの、陛下?」


 レジナルドの眉がひそめられる。


 彼は一歩、また一歩と痛馬車へ近づいた。


「……これは……絵、か?」


 前面装甲に描かれたミスティアを見上げる。


 次に側面。


 そして、後部装甲へと視線を移していく。


 その表情が、少しずつ硬直した。


「……待て」


 低い声が漏れる。


「なぜ……なぜ、水着なのだ」


「ん?」


 オタクミが振り返った。


「ああ、それ? 夏の限定水着イラストだよ。せっかくなら車体の側面に大きく入れたいだろ?」


「……な、何だと?」


「ほら、ここの配置がいいんだ。走ってると、ちょうど――」


「な、な、な……!」


 レジナルドの顔が、みるみる赤く染まった。


「なんだその不敬極まりない馬車はァァァッ!!」


 怒号が、裏庭に響き渡った。


「うおっ!?」


「高貴なるミスティア様の御尊顔を! あのような車輪の泥除けにするなど!」


 レジナルドは車体を指さした。


「しかも、側面には水着姿! こ、これは『水着回』ではないか!」


「よく分かったな!?」


「分かるに決まっておろう!」


 レジナルドは拳を握りしめた。


「神聖なるお姿を、泥や雨風にさらすとは何事だ! 破廉恥! 断じて許さん! 即刻撤去せよ!」


「はあ!?」


 オタクミが一歩前へ出た。


「アンタには分かんねえのか! これはリスペクトだ!」


「何がリスペクトだ!」


「『常に推しと共に走り、推しに守られる』っていう、オタクの夢を具現化した最強の乗り物だぞ!」


「ならば、なぜ車輪の近くに御尊顔がある!」


「だから、そこには顔は配置してねえって! ちゃんとデザイン考えてんだよ!」


「泥が跳ねれば、いずれ汚れるではないか!」


「そのためのコーティングだろ!」


 オタクミは車体を指さした。


「見ろよ、この撥水加工! 水なんかかけても、つるんって流れ落ちるんだぜ!」


「だからといって、ミスティア様を雨ざらしにする理由にはならん!」


「雨が降ったら洗えばいいだろ!」


「その考えが不敬だと言っておる!」


 互いに一歩も引かない。


 そこへ、アーグが堂々と割って入った。


「レジナルド殿!」


「何だ、アーグ!」


「貴殿は、この仕上がりを見ても何も感じぬのか!」


 アーグは磨き上げられた車体へ手を向けた。


「この完璧な撥水加工を! この鏡面の輝きを! 貴殿のくすんだ鎧より、よほど美しいではないか!」


「なっ……!」


 レジナルドの顔が引きつった。


「わ、私のミスリル鎧を……くすんでいるだと……!?」


「うむ。磨きが足りん!」


「貴様ァァァッ!!」


「あーっ! アーグ! そこは煽るな!」


 オタクミが叫ぶ。


 だが、遅かった。


 レジナルドは怒りに任せて剣の柄へ手をかける。


「ええい、問答無用! そのふざけた思考を持つお前たちは、我が剣の錆にしてくれる!」


 ジャキッ!


 剣が抜かれた。


「おい! ちょっと待て!」


 オタクミが慌てて両手を広げる。


「馬車を傷つけるなよ! それ、原価いくら掛かってると思ってんだ!」


「金額の問題ではない!」


「俺にとっては大問題なんだよ!」


 レジナルドが踏み込んだ。


 勢いよく。


 そして、オタクミも止めようと一歩踏み出した。


 ガッ。


「あ」


 足先が、洗車用のバケツに当たった。


 バケツが傾く。


 中に残っていた強力ワックス入りの洗剤が、石畳へとぶちまけられた。


 ざばぁっ!


「――ぬおっ!?」


 レジナルドの足が、ちょうどその上を踏み抜いた。


 つるっ。


「……え?」


 一瞬、時間が止まった。


 踏み込んだはずの足が、前へ滑る。


 体勢を立て直そうとして、反対の足にも力を入れる。


 だが、そこも滑る。


「ぬ、ぬおおおおっ!?」


 重装備の巨体が、信じがたい姿勢で宙へ浮いた。


「すってんてんっ!?」


「うわあああっ! レジナルドさん!?」


 オタクミが手を伸ばす。


 届かない。


 アーグも動こうとする。


 間に合わない。


 そして。


 レジナルドが飛んでいく先には、痛馬車はなかった。


 その進行方向に停まっていたのは――


 女王ロザリアの、黄金のロイヤル・リムジン。


「あ」


 オタクミ。


「あ」


 アーグ。


「あら」


 ロザリア。


 三人の声が、ほとんど同時に重なった。


 重装備の騎士団長が、砲弾のような勢いで王家の馬車の車軸へ突っ込む。


 バキィィィィィッ!!


 ガッシャァァァン!!


 黄金の車輪が外れた。


 豪華な車体が、大きく傾く。


 天蓋の飾りが揺れ、金色の装飾が朝日を反射した。


 そして。


 ドォォォンッ!!


 王家の威信をこれでもかと詰め込んだロイヤル・リムジンが、盛大な音を立てて地面へ沈んだ。

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