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痛武器勇者~最強武器らしいけど、観賞用にして推しを布教します~  作者: 桝田キゲン
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偽りの勇者が生まれた夜

 雨脚が、次第に強まってきた。


 東京ドーム近くのコインパーキング。


 ケイスケは、借りていたワンボックスカーの運転席で、スマホの画面を見つめていた。


 表示されているのは、先ほど届いた取引通知。


 予定より高い値段で売れた商品が、また一つ増えた。


「……悪くない」


 後部座席には、会場限定グッズを詰めた段ボール箱が積み上がっている。


 ミスティアのアクリルスタンド。

 限定パーカー。

 ラバーバンド。


 以前なら、自分のために欲しがった品々だった。


 だが今は、そのすべてに仕入れ値と販売予定価格がついている。


 ケイスケは腕時計を見た。


 ライブが終わるまで、まだ時間がある。


「……少し寝るか」


 シートを倒し、目を閉じる。


 雨が車の屋根を叩いていた。


 遠くから、ドームの歓声が聞こえる。


 その音に混じって、先ほど見かけたタクミの笑い声が蘇った。


『これ見たら、絶対喜ぶと思うんだよな』


「…………」


 ケイスケは眉をひそめた。


 今さら、何を喜べというのだろう。


 自分はもう、以前の自分ではない。


 好きなものを好きだと言うだけでは、生きていけないことを知った。


 金額なら、裏切らない。


 売れたという事実だけは、誰の気分でも変わらない。


「……俺のほうが、うまくやってる」


 自分へ言い聞かせるように呟いた。


 だが、タクミの笑顔は、なかなか頭から離れなかった。


 雨音を聞いているうちに、ようやく意識が遠のいていった。


◇


「……ん」


 ケイスケが目を覚ましたのは、駐車場の外から聞こえる人々の声によってだった。


 時計を見る。


 二十一時を少し過ぎている。


「……終わったか」


 窓の外には、ライブを終えた観客たちが歩いていた。


 色とりどりのサイリウム。

 雨具の下から覗く法被。

 大切そうに抱えられたグッズ。


 誰もが興奮した様子で、今夜の公演について語り合っている。


 ケイスケはシートを起こした。


「さて……帰って仕事だな」


 出品する商品は、まだいくつもある。


 写真を撮り、説明文を書き、発送の準備もしなければならない。


 まずは眠気を覚まそうと、近くの自動販売機までコーヒーを買いに行くことにした。


 傘を差して車を降りる。


 冷たい夜気が頬に触れた。


 駐車場を出ると、雨に濡れた道路が街灯を反射している。


 自動販売機で缶コーヒーを買い、スマホを取り出した。


 画面に、新しい通知が表示されていた。


『【速報】輝星のルミナス、ツアーファイナル終了! 続編映画の新情報を発表!』


「……映画、か」


 ケイスケは通知を開いた。


 以前から話題になっていた劇場版について、新たな情報が発表されたらしい。


 公開に向けて盛り上がれば、関連商品の相場にも影響するかもしれない。


「……まだ上がるな」


 思わず口元が緩んだ。


 限定品を確保しておいてよかった。


 映画の情報が広まれば、今夜のグッズを欲しがる人間も増えるだろう。


 ケイスケはスマホを操作しながら、駐車場へ戻ろうとした。


 交差点に差しかかる。


 雨に濡れたアスファルトに、信号の光が滲んでいた。


 ケイスケは顔を上げた。


 信号は、青に見えた。


「……よし」


 足を踏み出そうとした、そのとき。


『――ええ。あなたは、ツイているわ』


「……え?」


 耳元で、女の声がした。


 甘く、冷たい声。


 ケイスケは反射的に振り返った。


 だが、すぐ後ろには誰もいない。


 あるのは、雨の音と、行き交う車の走行音だけだった。


「……何だ、今の」


 疲れているのだろうか。


 少し長く眠ったせいで、頭がまだはっきりしていないのかもしれない。


 再び前を見る。


 信号は、青だった。


 少なくとも、ケイスケにはそう見えていた。


 彼は缶コーヒーを片手に、車道へ踏み出した。


 傘の柄に、ビジネスバッグの持ち手が触れる。


 そこには、古びたミスティアのストラップが揺れていた。


 青白い星。


 タクミから譲られた、お揃いの小さな飾り。


 ケイスケは、それに気づくこともなく歩き出した。


◇


 エンジン音が聞こえた。


 次の瞬間、タイヤの悲鳴が夜の交差点を切り裂いた。


 キキキキキキッ――!!


「……え?」


 ケイスケは顔を上げた。


 視界の端から、強烈なヘッドライトが迫ってくる。


 一台の車。


 雨を弾きながら、交差点へ進入してきた車。


 そのボンネットに描かれていたものを見て、ケイスケは目を見開いた。


「……ミスティア?」


 青白い輝きをまとった少女。


 凛とした姿。


 見間違えるはずのない、ミスティア・ルミナスの絵。


 フルラッピングされた、痛車だった。


 そして。


 フロントガラスの向こうに、運転手の顔が見えた。


 必死にハンドルを握り、驚愕に目を見開いている男。


 ケイスケは、その顔を知っていた。


「……タク、ミ……?」


 かつて、一緒に秋葉原を歩いた。


 同じ作品を見て笑い、カラオケで声を枯らした。


 自分へ、ミスティアのストラップを譲ってくれた。


 その親友が、目の前にいた。


 タクミの口が動いた。


 何かを叫んでいる。


 けれど、雨とブレーキ音にかき消され、ケイスケには聞こえなかった。


 逃げなければ。


 そう思ったときには、もう遅かった。


 ドンッ――!!


 重い衝撃が、全身を貫いた。


 足元が消える。


 傘が手から離れた。


 缶コーヒーが宙へ飛ぶ。


 スマホの画面が、暗い空へ向かって回転していった。


 ケイスケの視界に、ボンネットのミスティアが映る。


 彼女は笑っていた。


 いつもと同じ、優しい笑顔だった。


 なのに、その瞬間だけは。


 自分を見て笑っているように思えた。


(……なん、で)


 地面が迫る。


 衝撃。


 冷たいアスファルト。


 息ができない。


 何が起きたのか、すぐには理解できなかった。


 ただ、痛かった。


 胸も、腕も、どこが痛むのか分からないほどだった。


(……タクミが)


 あの車を運転していた。


 タクミが。


 ケイスケは目を開けようとした。


 雨粒が顔に当たる。


 視界が揺れる。


 遠くで誰かが叫んでいた。


 だが、その声が誰のものなのかは分からなかった。


(……どうして)


 タクミが自分を狙ったのか。


 そんなはずはない。


 あいつが、自分を轢こうとするはずがない。


 頭のどこかでは、そう分かっていた。


 それでも。


 最後に見たのが、タクミの顔だった。


 そして、ミスティアの笑顔だった。


(……俺は)


 ようやく手に入れた。


 誰にも笑われず、自分の判断で金を稼ぐ方法を。


 誰かに認めてもらえなくても、数字だけは残る場所を。


 それなのに。


(……こんな、ところで……)


 ケイスケは何かを言おうとした。


 声は出なかった。


 雨の音が遠のいていく。


 視界の端が暗くなる。


 そして、何も分からなくなった。


◇


 ――暗い。


 最初に、そう思った。


 目を開けているのか、閉じているのかも分からない。


 体を動かそうとする。


 指先に、かすかな感覚があった。


「……ここ、は……?」


 声が出た。


 ケイスケは自分の声に驚いた。


 周囲を見渡す。


 そこは、さっきまでの交差点ではなかった。


 雨が降っていない。


 街灯もない。


 車の音も、人々の声も聞こえない。


 足元には、見覚えのない地面が広がっていた。


 ケイスケは自分の体を見下ろした。


 手がある。


 足がある。


 そっと握った拳には、確かな力が入った。


 靴の裏には地面の硬さが伝わり、息を吸えば胸が動く。


 腕を触る。


 自分の腕だ。


 服の布地をつまめば、指先に感触が返ってくる。


 これほどはっきり体を感じられるのに、どうしてここにいるのか分からない。


「……事故は?」


 確かに、車に轢かれた。


 痛みも、衝撃も覚えている。


 タクミの顔だって見た。


 なのに、今は道路ではない場所に立っている。


「……何なんだ、ここ」


 そのとき。


『――お気づきになりました?』


 女の声が響いた。


 交差点で聞いた、あの声だった。


「……誰だ!」


 ケイスケは身構えた。


 闇の向こうから、一人の女が姿を現す。


 美しい女だった。


 だが、その微笑みには、なぜか背筋を冷たくするものがあった。


『初めまして、と申し上げるべきかしら』


 女は、楽しそうに首を傾げた。


『わたくしは、マリス』


「……マリス?」


『ええ。あなたに、お話があるの』


 ケイスケは後ずさった。


「待てよ。俺は……事故に遭ったはずだ」


『そうですわね』


「タクミの車に……轢かれて……」


 言葉にした途端、衝撃が蘇った。


 雨。


 ヘッドライト。


 ボンネットのミスティア。


 タクミの顔。


 そして、地面に叩きつけられたときの感覚。


「……俺、どうなったんだ?」


 マリスは、すぐには答えなかった。


 ただ、微笑んでいる。


 その沈黙が、ケイスケの不安を膨らませた。


「……まさか」


 心臓が嫌な音を立てる。


「俺は……死んだのか?」


 その瞬間。


 目の前に、光景が浮かんだ。


 雨に濡れた交差点。


 倒れている自分。


 誰かが駆け寄ってくる。


 声がする。


 助からなかった、と。


 もう戻れない、と。


「……あれ?」


 ケイスケは眉をひそめた。


 おかしい。


 倒れていた自分を、どうして外側から見ているのだろう。


 あのときは、顔を上げることさえできなかったはずなのに。


 それでも、その光景は妙にはっきりしていた。


 雨の冷たさまで、思い出せる気がする。


 知らないはずの声も、まるで耳元で聞いた言葉のように残っていた。


「……嘘、だろ」


 違和感は、すぐに押し寄せてきた恐怖に呑まれた。


「俺は、まだ……」


 まだ、やりたいことがあった。


 仕事も。


 金も。


 これから、もっと稼げるはずだった。


 あのグッズだって、まだ売り切っていない。


 なのに。


「……終わり、なのかよ」


『お気の毒ですわ』


 マリスが静かに言った。


『あなたは、あの場所へは戻れません』


 ケイスケは顔を上げた。


「……どういう、意味だ」


『言葉どおりですわ』


 女は、それ以上説明しなかった。


 だが、ケイスケには十分だった。


 戻れない。


 事故に遭った。


 そして、自分はもう、あの世界にはいない。


 その事実らしきものが、頭の中で一つにつながってしまった。


「……は、はは」


 乾いた笑いが漏れた。


「何だよ、それ……」


 あれほど金を稼いだのに。


 ようやく、自分にも価値があると思えたのに。


 全部、終わりなのか。


 ケイスケは拳を握りしめた。


 そのとき、別の感情が湧き上がった。


 タクミ。


 ミスティア。


 ライブ会場の歓声。


 楽しそうな笑顔。


(……あいつは)


 あいつは、今日も幸せそうだった。


 自分を気にかけていると言っていた。


 また一緒に楽しみたいと、そう思っていたらしい。


 それなのに、最後に見たのは、あいつの車だった。


「……どうして、タクミなんだよ」


 声が震えた。


 事故だったのかもしれない。


 タクミだって、必死にブレーキを踏んでいた。


 あの顔を見れば分かる。


 それでも、納得できなかった。


「……何で、俺なんだ」


 好きなものを手放そうとして。


 それでも忘れられなくて。


 ようやく、自分なりの生き方を見つけたと思ったのに。


 あの日、同じものを好きだと笑っていた親友の車に、すべてを奪われた。


 ケイスケは唇を噛んだ。


『悔しいですわね』


 マリスが囁いた。


『あなたが築いてきたものには、価値があったのでしょう?』


「……ああ」


『それを、こんな形で失うなんて』


「……ああ」


『もし、その価値を取り戻す方法があるとしたら?』


 ケイスケは顔を上げた。


「……何?」


 マリスは微笑んだ。


『あなたには、まだできることがあります』


「……何を、しろって言うんだ」


『あなた自身の価値を、今度こそ示すのです』


 ケイスケは女を睨んだ。


「そんなこと……できるのかよ」


『できますわ』


 即答だった。


『あなたが失った価値を、この世界で取り戻す。そのための道を、わたくしは示せます』


「……何をすればいい」


『まずは、わたくしとの契約を選ぶことですわ』


「……契約すれば、変われるのか?」


『少なくとも、ここで終わる必要はなくなります』


 ケイスケは、マリスの言葉を繰り返した。


「……ここで、終わらずに済む……」


 知らない女。


 知らない場所。


 何も分からないまま、契約を持ちかけられている。


 本来なら、信じる理由などなかった。


 それでも。


 戻れないのだとしたら。


 何もかも失ったのだとしたら。


 このまま、自分には価値がなかったと思いながら終わるのだけは、耐えられなかった。


「……俺は」


 ケイスケは、ゆっくりと口を開いた。


「ずっと、間違ってたのかもしれない」


 マリスは黙って聞いていた。


「好きなものを好きだって言って……それで笑っていられた頃は、楽しかった」


 秋葉原のネオンが、脳裏に浮かぶ。


 カラオケで笑うタクミ。


 ミスティアの限定版を手に入れた日の興奮。


 お揃いのストラップ。


「でも……そんなものじゃ、誰も俺を認めてくれなかった」


 声が低くなる。


「金があれば、違った。少なくとも、俺の持ってるものに値段はついた」


『ええ』


「だったら……」


 ケイスケは拳を握りしめた。


「今度こそ、誰にも否定されない価値を手に入れてやる」


 その言葉が正しいのか、ケイスケ自身にも分からなかった。


 ただ、他に何を信じればいいのか分からなかった。


 マリスの手が、わずかに近づく。


『それでは、契約してくださいますね?』


 ケイスケはしばらく、その手を見つめていた。


 タクミの笑顔が、一瞬だけ浮かんだ。


 あいつは、自分を心配していた。


 それを知っている。


 知っているのに、今はその笑顔を思い出すことすら苦しかった。


「……ああ」


 ケイスケは手を伸ばした。


「契約する」


 マリスの微笑みが深くなる。


『――承りましたわ』


 触れた指先から、冷たい感覚が広がった。


 見知らぬ景色が揺れる。


 ケイスケは思わず目を閉じた。


 耳元で、マリスの声がした。


『これからのあなたには、新しい名が必要ですわね』


「……名前?」


『ええ。ここで生きていくための名が』


 その言葉のあと、ケイスケの意識に、一つの名が浮かんだ。


「……ケイン」


 その響きが、静けさの中に落ちる。


『ええ。その名で、新しい世界を歩むのです』


 ケイスケは、もう一度その名を口にした。


「……俺は、ケインだ」


 以前の名前を捨てれば、以前の自分も捨てられるのだろうか。


 あの夜の傷も。


 タクミへの感情も。


 ミスティアを好きだった自分も。


 分からなかった。


 ただ、今はそう信じたかった。


 胸の奥には、まだ何かが残っていた。


 怒りなのか。


 悲しみなのか。


 あるいは、もう戻れないと思い込んだ日々への未練なのか。


 彼には、まだ分からなかった。


 マリスは満足そうに微笑んだ。


『ようこそ、新しい世界へ』


 ケインは、ゆっくりと顔を上げた。


 そこに何が待っているのか、まだ知らない。


 ただ一つ、確かめたいことがあった。


 今度こそ、自分には価値があるのだと。


 誰にも否定させないほどの価値が。


 そう信じようとしながら、彼は暗闇の先へ視線を向けた。


 その夜、ケイスケは、ケインという名を受け入れた。


 後に「偽りの勇者」と呼ばれる男の、始まりだった。

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