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沈黙の鞘 その2

白と黒の幾何学模様が無限に広がる、無機質にして絶対的な高次元空間。


盤面――ラザリスを見下ろす邪神マリスの口元には、優雅でありながら、氷のように冷たい笑みが貼り付いていた。


「……『愛』、ですか」


マリスは、わずかに肩を落とし、毒を含んだ溜息を吐き出した。


「ゴルドス。あなたは相変わらず、そのような不確かな幻想を信じているのですね」


彼女の瞳は、盤面の一点――ラザリスの白い光を冷たく見つめている。


「ロザリアが絆されたのも、単なる一時の熱病に過ぎませんわ」


扇を閉じ、指先で軽く叩く。


「……ならば」


声の温度が、静かに下がる。


「あなたの勇者が掲げる『愛』とやらが、いかほどのものか」


「本物の『絶望』の前に、どれほど無力なのか――」


「試してみましょうか」


白魚のような指先が、空中に滑らかな軌道を描く。


彼女が盤上の黒の陣地からつまみ上げたのは、一つのチェス駒。


小さな――黒の騎士。


だが、それはただの駒ではなかった。


ゴルドスの神眼は、その黒い騎士から立ち昇るものをはっきりと捉えていた。


おぞましいほどの怨念。


どす黒く、冷たく、そして――


あまりにも悲痛な、愛の残骸。


かつて。


誰よりも純粋に何かを愛していた青年。


しかし現実の残酷さに打ちのめされ、


最後には――


親友の乗る「推しの痛車」によって、物理的に粉砕された。


その魂の残骸。


行き場のない憎悪の結晶。


――勇者ケイン。


またの名を。


ケイスケ。


「なっ……!」


ゴルドスは神の座から身を乗り出した。


「マリス……貴様、まさか……!」


「次の舞台は」


マリスは、ゴルドスの制止など聞こえていないかのように、優雅に言葉を続けた。


「王都アストリア」


盤面の中心を、軽く指でなぞる。


「女王の膝元であり、わたくしのカルテルにとっても最重要の経済拠点」


「そこに、これ以上あなたたちの『文化ウィルス』を蔓延させるわけにはいきませんからね」


微笑みが、深くなる。


「ええ」


「わたくしの最高傑作を、直接向かわせますわ」


「待て!」


ゴルドスの声が、空間を震わせた。


「まだ早い! オタクミ殿は、彼と対峙する準備ができておらん!」


それは戦闘力の問題ではない。


もっと根源的な問題だった。


オタクミは、まだ知らない。


この異世界で最強の敵として君臨する勇者が――


かつて共に笑い合い、アニメを語り合った親友。


ケイスケであることを。


そして。


ケイスケが今、

「オタクミに裏切られ、推しに殺された」という


マリスによって植え付けられた


歪んだ絶望を抱いていることを。


もし、今。


オタクミがその事実を知れば――


彼の原動力である「好き」という純粋な感情は、


深い自責と後悔によって、


根元から折れてしまうかもしれない。


「あら?」


マリスは小首を傾げた。


その仕草はあまりにも可憐だった。


だが瞳の奥には、残酷な愉悦が渦巻いている。


「なぜ止めるのですか、ゴルドス」


「親友同士の、感動の再会ではありませんか」


唇がゆっくり歪む。


「それとも……」


「あなたの勇者の『好き』という感情は」


「わたくしの勇者が抱く『絶望と憎悪』の前では」


「手も足も出ないと認めるのかしら?」


「詭弁を弄するな!」


ゴルドスの声が鋭く響いた。


「お主が彼の魂に泥を塗り、真実を歪めたのだろうが!」


「歪めた?」


マリスはくすりと笑った。


「いいえ」


「わたくしは『現実』を教えただけ」


黒の騎士の駒が、彼女の指先で回る。


「価値のない愛など」


「己を滅ぼす呪いでしかない」


「――その真実をね」


そして。


マリスは駒を高く持ち上げた。


盤面の中央。


オタクミたちが向かおうとしている場所。


王都アストリア。


「やめろッ!!」


ゴルドスが神力を放つ。


盤面へ干渉しようとした。


だが。


遅い。


ガァァァァンッ!!!


黒の騎士の駒が、王都のマスへ叩きつけられた。


高次元空間に、ガラスが砕けるような音が響く。


盤面に亀裂が走った。


そこから噴き出すのは


漆黒の波動と


純白の光。


二つの力が激しく衝突し、


世界システムの深層へ刻み込まれていく。


無機質な声が響いた。


『――事象確定イベント・ロック


『二つの特異点(勇者)の交差点を』


『王都アストリアに設定します』


運命は確定した。


二人の激突は、もはや覆らない。


「ふふふ……」


マリスの肩が震える。


「あははははっ!」


狂気を孕んだ高笑いが空間を満たした。


「さあ、見物ですわね」


オタクミと」


絶望ケイスケ


「どちらが真に世界を統べる価値観なのか」


「あなたの勇者の心が壊れる瞬間を」


「特等席で見せていただきますわ!」


退路は断たれた。


盤面に刻まれた運命は、


神であるゴルドスですら覆せない。


ゴルドスは拳を握り締めた。


怒りに震えながらも、


やがて静かにマリスを睨み返す。


その瞳には、


烈火の闘志が燃えていた。


「……良いだろう」


声は静かだった。


だが、刃のように鋭い。


「ならば、その目に焼き付けるが良い」


「オタクミ殿の魂の輝きを」


「彼がラザリスで出逢い、育んできた」


「『愛』の力を!」


「お主のちっぽけな悪意など」


「軽く凌駕してみせるとな!」


神々の宣戦布告。


世界を二分する価値観の戦いが、


今まさに始まろうとしていた。



神の領域での重苦しい会談を終え、


ゴルドスの意識は弾かれたように物質界へと落ちていった。


次元の壁を突き抜けながら、


彼の胸には強烈な使命感が燃えていた。


(オタクミ殿……!)


(すまぬ、拙者の力不足で運命を早めてしまった!)


(だが案ずるな!)


(どれほど強大な試練が来ようとも!)


(拙者がお主の剣となり、鞘となり、全力で――)


視覚が戻る。


聴覚が戻る。


嗅覚が戻る。


五感が一斉にオンになった。


その瞬間。


彼の神経を貫いたのは――


強烈な血の匂い。


そして。


絶叫。


「グロ画像じゃねーかァァァッ!!!!!」


『(なっ!? オタクミ殿の悲鳴!?)』


『(まさかもうマリスの刺客が……!?)』


ゴルドスは慌てて視界を確保する。


そこにあったのは。


凄惨な戦場――


ではなく。


カフェ『KIRABOSHI』の厨房だった。


だが。


オタクミの目の前に置かれた重箱の中身を見た瞬間。


ゴルドスの思考回路は、完全に停止した。


そこにあったのは。


最高級の霜降り肉(生)で造形された


精巧な生首。


キャビアの眼球。


血にしか見えないブラッドトマト。


完全に猟奇事件の現場だった。


「どこの猟奇殺人現場だよ!!

SAN値(精神力)がゴリゴリ削れるわ!!」


オタクミが頭を抱えている。


その横で


ロザリアは不思議そうに首を傾げた。


「?

最高級の食材と愛情の結晶ですのに?」


レジナルドは白目を剥いて壁にもたれている。


『…………は?』


三秒後。


ゴルドスは


全力で叫んだ。


『って、いきなりどんな地獄絵図でござるかァァァッ!?』


『拙者がほんの少し目を離した隙に何が起きた!?』


『なぜ生首(物理)が重箱に鎮座している!?』


「味は絶対美味い高級食材なのがまた腹立つんだよ……!」


涙目のオタクミ。


『試練のベクトルがおかしいでござるよ!!』


『拙者が危惧していた心の闇とか運命の激突とか全部どうでもよくなるレベルの猟奇的カオスではないか!!』


ゴルドスの悲痛な叫びは、


誰にも届かなかった。


神々の高次元の盤上遊戯すら霞むほどの、


現実世界の圧倒的でくだらない生命力。


迫り来る宿敵ケイスケ。


邪神マリスの罠。


それでも。


このカオスな一行ならば――


あるいは。


想像の斜め上の方法で運命すら粉砕してしまうのかもしれない。


そんな一抹の希望と、


多大な疲労感を抱きながら。


ゴルドスはそっと、


心の鞘を閉じるのだった。

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