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痛武器勇者~最強武器らしいけど、観賞用にして推しを布教します~  作者: 桝田キゲン
7 偽りの勇者

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偽りの勇者

 大陸北部、極寒の地にそびえ立つ古代遺跡――『静寂の祭壇』。


 かつて神へ祈りを捧げるために造られた広間には、今や分厚い羊皮紙の束が積み上げられていた。


 外では吹雪が石壁を叩いている。

 だが、その音さえ届かない最奥の一室には、紙をめくる乾いた音だけが響いていた。


「――下らん」


 低い声とともに、数枚の報告書が石の床へ投げ出された。


 男の名は、ケイン。


 『漆黒の勇者』と呼ばれ、世界の富と流通に大きな影響力を持つ組織、プライス・カルテルの中枢に身を置く男だった。


 整った顔立ちに浮かぶ表情は、冷ややかだ。


 彼が読んでいたのは、南方の街ラザリスから届いた報告だった。


 価値を見いだされなかった品に人々が集まり、絵画を求めて金を払い、歌や祭典に熱狂する。


 これまでとは異なる商品の売り方。

 従来の取引とは異なる、人の集まり方。


 報告書には、それらを主導する人物についても記されていた。


「価値のないものに、勝手な値段をつける」


 ケインは書類の一枚を指先で弾いた。


「一時の興奮で財布を開かせる。それを商売と呼ぶつもりか」


「あら。なかなか面白いと思いましたけれど?」


 闇の奥から、鈴を転がすような声が響いた。


 ケインは振り向かなかった。


「……マリスか」


 空間がかすかに揺らぎ、黒いドレスをまとった女が姿を現す。


 邪神マリス。


 美しく、優雅で、どこか人の心を弄ぶことを楽しんでいるような微笑みを浮かべていた。


「南の僻地で起きている『変革』の噂。わたくし、こういうお話は嫌いではありませんの」


 マリスは床に落ちた報告書を一枚拾い上げた。


「絵に熱狂する民衆。観賞用にされる武器。そして、何とも騒がしい催し物……。ふふ、ずいぶん賑やかな街ですこと」


「賑やかなだけだ」


「そうかしら?」


 マリスは紙面へ視線を落とした。


「中心にいるのは、金髪の、とても騒がしい『プロデューサー』。人々に好きなものを語らせ、自分の情熱を惜しげもなく振りまいているそうですわ」


 ケインの眉が、わずかに動いた。


「報告にある」


「ええ。あなたも読んだのでしょう?」


 マリスはくすりと笑う。


「『愛』と『推し』。あの街では、そんな言葉が飛び交っているのですって」


 ケインは何も答えなかった。


 ただ、肘掛けに置かれた指が、ほんの少し強く曲がった。


「……下らん」


 先ほどと同じ言葉。


 だが、今度は吐き捨てるまでに、わずかな間があった。


「人間は、好きだの愛だのと騒ぎ立てる。そんなものに値段をつけて、何が残る」


「あらあら」


 マリスは彼の横顔を覗き込んだ。


「ずいぶんとお嫌いなのね。その言葉」


「好き嫌いの問題ではない」


「本当に?」


 女は楽しそうに首を傾げた。


「昔は、もっと楽しそうに口にしていらしたのに」


 ケインが顔を上げる。


「……何が言いたい」


「何でもありませんわ。ただ、少し懐かしくなっただけ」


 マリスは報告書に書かれた一つの名前を、指先でなぞった。


 オタクミ。


「ねえ、ケイスケ」


 広間の空気が、凍りついたように静まった。


「……その名で呼ぶな」


 ケインの声は低かった。


 マリスは微笑みを崩さない。


「あら。忘れてしまいたいお名前なの?」


「俺の名はケインだ」


「ええ、もちろん」


 女は優雅に一礼した。


「漆黒の勇者、ケイン。存じておりますとも」


 そして、顔を上げる。


「けれど、あなたがまだ『ケイスケ』だった頃のことも、わたくしは知っていますわ」


 ケインは答えない。


 マリスの手から、報告書がひらりと落ちた。


「思い出しませんこと? あの騒がしい街。眩しい光。くだらないことに夢中になって、時間も忘れて笑っていた夜を」


 ケインの視線が、床に落ちた紙へ向かう。


 紙面の名前が目に入った。


 オタクミ。


 その文字を見た途端、耳の奥で、遠い声が弾けた。


『おいケイスケ! 見ろよこれ!』


 冷たい石の匂いが遠ざかる。


 代わりに蘇ったのは、雨に濡れたアスファルトの匂いだった。


◇


 その夜、秋葉原は極彩色の光に包まれていた。


 雨上がりの路面に、看板の赤や青が映り込む。


 店舗から流れるアニメソング。

 行き交う人々の足音。

 すれ違うたびに聞こえてくる、誰かの楽しそうな会話。


 僕――ケイスケは、両手で抱えた紙袋を濡らさないようにしながら、隣を歩く男の声を聞いていた。


「ケイスケ! このパッケージ、やっぱやべえって! 箔押しの位置、完璧じゃねえか!」


 そう言って目を輝かせているのは、高校時代からの親友、タクミだ。


 彼もまた、僕と同じ紙袋を大切そうに抱えていた。


「分かる。ミスティア様の瞳のハイライトに合わせて加工してあるんだよな。光を当てる角度で印象が変わるの、すごいよ」


「そう! そこ! さすがケイスケ!」


「お前、買う前にも同じ話しただろ」


「何回でもするだろ、これは!」


「まあ、するけど」


 二人で笑った。


 今日の戦利品は、アニメ『輝星のルミナス』のブルーレイ第一巻、初回限定特装版。


 早朝から列に並び、途中で雨に降られながらも、何とか手に入れた品だった。


「いやあ、頑張った甲斐があったな!」


「ほんとに。途中、雨が強くなったときはどうなるかと思ったけど」


「俺たちの推しへの愛が天に届いたんだよ!」


「それなら雨、止ませてほしかったな」


「試練だよ試練!」


「都合いいなあ」


 タクミは声を上げて笑った。


 僕も、つられて笑う。


 社会人になってからは、二人とも仕事の都合で予定が合わないことも増えた。


 疲れて帰って、次の日もまた仕事。

 考えなければならないことは、いくらでもあった。


 けれど、こうして会えば、話すことは尽きなかった。


 どの店を回るか。

 何を買うか。

 今日見つけたものが、どれだけ素晴らしかったか。


 そんな話ばかりで時間が過ぎていく。


「よし、ケイスケ!」


 タクミが勢いよく振り返った。


「このまま聖域へ向かうぞ!」


「聖域?」


「カラオケに決まってんだろ!」


「分かってたけど、一応聞いただけ」


「今日は歌って語って、徹底的にルミナス祭りだ!」


「望むところだ!」


「ペンライトの電池は?」


「交換済み。予備もある」


「完璧じゃねえか!」


 タクミが拳を突き出す。


 僕は笑いながら、その拳に自分の拳をぶつけた。


「行くか」


「おう!」


 肩を並べて、僕たちは夜の街を歩き出した。


◇


 駅前のカラオケボックス。


 案内された小さな個室は、二人で荷物を広げるだけでも手狭になった。


 それでも、僕たちは上機嫌だった。


「ちょっと待てタクミ。そこ、飲み物置く場所だから」


「分かってるって!」


「じゃあ何でアクリルスタンド並べてるんだよ」


「ここが一番、ミスティア様を綺麗に拝める角度なんだよ!」


「なるほど。じゃあ飲み物はこっちか」


「話が早い!」


 テーブルの上には、買ったばかりの限定版ボックス。


 その両脇にアクリルスタンドを並べると、タクミは満足そうに頷いた。


「よし。完璧」


「何の儀式だよ」


「開演前の儀式だ」


 リモコンを操作するタクミの指に、迷いはない。


 モニターに『輝星のルミナス』の主題歌が表示された。


「行くぞ、ケイスケ!」


「おう!」


 激しいイントロが流れ始めた瞬間、僕たちはペンライトを掲げた。


 狭い部屋に、二人の声が響く。


「「ミスティア様ぁぁぁぁっ!!」」


 誰に見せるためでもない。


 歌が上手いかどうかなんて、どうでもよかった。


 好きな曲を、好きなだけ歌う。


 サビに入る頃には、二人ともすっかり夢中になっていた。


 曲が終わる。


 ソファに倒れ込んだタクミが、息を切らしながら天井を見上げた。


「はぁ……やっぱ最高だな、ミスティア様……」


「一曲目から飛ばしすぎだろ」


「ケイスケだって全力だったじゃねえか」


「それは、まあ」


 僕はメロンソーダを一口飲んだ。


 冷たい炭酸が喉を通る。


 ようやく呼吸が落ち着いたところで、タクミがまた口を開いた。


「なあ、ケイスケ。やっぱミスティアの魅力って、強いだけじゃないところだと思うんだよ」


「分かる。あの気高さと、ふとした瞬間の寂しそうな表情な」


「そう! 第3話の雨のシーン!」


「ああ、猫に傘を差すところ?」


「それ!」


 タクミが勢いよく身を起こした。


「あそこで『私は一人でいい』って言うだろ? あれ、絶対本心じゃないんだよ! 本当は誰かに頼りたいのに、騎士団長だからって自分を抑えてるんだ!」


「分かるなあ。あそこ、言い終わったあとの表情がいいんだよ」


「そうなんだよ! ケイスケ、よく見てる!」


「そりゃ何回も見たからね」


「俺もだ!」


 タクミが身を乗り出す。


 僕も自然と前のめりになった。


「あの場面さ、声の震え方もすごくない?」


「分かる! あれだけ強いミスティアが、ほんの一瞬だけ迷うんだよな!」


「そうそう!」


 話は止まらなかった。


 映像の一場面から別の場面へ。

 好きな台詞から、好きな表情へ。

 そのうち、どちらが先に気づいたかで言い合いにまでなった。


「俺、初見で分かったぞ!」


「嘘つけ! 最初に見たときは『かっけえ!』しか言ってなかっただろ!」


「それはそれ! 感じてはいたんだよ!」


「便利な言葉だなあ!」


 また笑った。


 僕は、こういう時間が好きだった。


 自分の好きなものを、笑われる心配もなく語れる。


 相手が違う見方をしていても、それを聞くのが面白い。


 何より、タクミは楽しそうだった。


 好きなものの話になると、声が大きくなって、身振りが増えて、目が輝く。


 僕もきっと、似たような顔をしていたのだと思う。


「なあ、次はどれ歌う?」


「まだ話の途中じゃないのか?」


「歌いながら話せばいいだろ!」


「無茶言うな!」


 タクミがリモコンを差し出してくる。


 僕はそれを受け取り、次の曲を探し始めた。


 時間は、まだたっぷりあるように思えた。


◇


 もう一つ、忘れられない思い出がある。


 青白い星の意匠があしらわれた、ミスティアの小さなストラップ。


 タクミがガチャで引き当てたものだった。


 しかも、同じものが二つ。


『ケイスケ、見ろ! ダブった!』


『うわ、ほんとだ』


『二個ともミスティア様!』


『お前、嬉しそうだな』


『そりゃ嬉しいだろ!』


 タクミは二つを手のひらに並べて、しばらく眺めていた。


 そして、不意に片方をこちらへ差し出した。


『ほら、ケイスケ』


『……え?』


『お前の分』


『いや、いいのか? お前、ミスティアのグッズは保存用も欲しいって言ってただろ』


『また手に入れる機会もあるだろ。それに――』


 タクミは、いつものように笑った。


『俺たち、同志じゃん?』


 僕は差し出されたストラップを見つめた。


 小さな星が、指先でかすかに揺れている。


『おそろいってこと?』


『そういうこと! 騎士団の結束力が高まるだろ!』


『何の騎士団だよ』


『ミスティア様を推す騎士団だ!』


『団員、二人しかいないじゃん』


『精鋭部隊ってことだな!』


 あまりに堂々と言い切るものだから、僕は笑ってしまった。


『……ありがとう、タクミ』


『おう。大事にしろよ?』


『もちろん』


 僕はストラップを受け取った。


 僕の分と、タクミの分。


 同じ小さな星が二つ。


 それは高価なものではなかったし、何か特別な力があるわけでもなかった。


 けれど、手に取るたびに、タクミの笑った顔を思い出せた。


 そんな品だった。


◇


 カラオケの夜も、僕たちは飽きることなく歌い続けた。


 何曲目だったかも分からなくなった頃。


 タクミが、ふと思いついたように言った。


「なあ、ケイスケ」


「ん?」


「俺たち、じじいになってもこうやって騒いでようぜ」


 僕は思わず笑った。


「ずいぶん先の話だな」


「いいだろ、別に」


「その頃には、ペンライト振るだけで腕が痛くなりそうだけど」


「じゃあ座って振ればいい!」


「喉も今ほど出ないんじゃない?」


「キー下げればいい!」


「何でもありだな」


「当たり前だろ!」


 タクミは笑ったまま、少しだけ声を落とした。


「世間が何言ったってさ。好きなものは好きって、ずっと言ってたいじゃん」


 その言葉を聞いて、僕は手元のマイクを見た。


 仕事で疲れた日もあった。

 思いどおりにいかない日もあった。


 それでも、タクミから『今度あれ見に行こうぜ』と連絡が来れば、少し気が楽になった。


 次の休みに何を話そうか。


 そう考えるだけで、楽しみが増えた。


「……そうだな」


 僕は頷いた。


「じじいになっても、ミスティア様の話してよう」


「おっ、言ったな!」


「言ったよ」


「じゃあ約束だぞ!」


 タクミが拳を突き出す。


 僕は、その拳に自分の拳を合わせた。


「約束」


「よっしゃ! 次、第6話の挿入歌な!」


「まだ歌うのか!」


「当たり前だろ! 夜は長いんだぞ!」


 再び、音楽が流れ始める。


 タクミがマイクを構えた。


 僕も笑いながら立ち上がる。


 モニターの光が、二人の顔を照らしていた。


 あの夜、僕は確かに楽しかった。


 好きなものがあった。


 好きなものを一緒に語れる親友がいた。


 明日になれば、またそれぞれの仕事が待っている。


 それでも、次に会ったときには、きっと同じように笑える。


 そんなふうに思っていた。


◇


「……ケイン?」


 甘い声が、静かな広間に響いた。


 ケインは目を開いた。


 目の前には冷たい石の床。

 その向こうには、黒いドレスをまとったマリスが立っている。


 秋葉原の雑踏も、カラオケの音楽も、もう聞こえなかった。


「ずいぶん長いこと黙っていらしたわね」


「……考え事だ」


「そう」


 マリスは微笑んだ。


「楽しい思い出でした?」


 ケインは答えなかった。


 床に落ちた報告書へ視線を向ける。


 ラザリス。


 絵画。

 観賞用の武器。

 歌と祭典。


 そして。


 オタクミ。


「彼は、相変わらずなのかしら」


 マリスが静かに言った。


「好きなものを見つけては騒いで、周りの人まで巻き込んで。そういう方なのでしょう?」


「……知らん」


「そうですの?」


 ケインは報告書を拾い上げ、机の上へ戻した。


「俺が知っているのは、書かれている情報だけだ」


「まあ。つれないお返事」


 マリスは小さく笑った。


「けれど、ひとつだけ教えてくださいな」


「何だ」


「もし、あの方が今ここへ来たら――」


 女は言葉を切った。


「あなたを見て、何と言うのでしょうね?」


 ケインの指が止まった。


 ほんの一瞬。


 やがて、彼は報告書を閉じた。


「その質問に意味はない」


「うふふ。そうかもしれませんわ」


 マリスは深追いしなかった。


 その笑みが何を意味しているのか、ケインは確かめようともしなかった。


「では、今夜は失礼いたします」


 女が優雅に一礼する。


「またお会いしましょう。漆黒の勇者、ケイン」


 黒いドレスの裾が揺れた。


 次の瞬間には、マリスの姿は消えていた。


 静寂が戻る。


 ケインはしばらく動かなかった。


 机の上には、先ほどの報告書がある。


 その一枚を取り上げる。


 書かれているのは、ラザリスで起きている出来事についての記録だった。


 紙の上の名前は、変わらない。


 オタクミ。


 ケインはその文字を見つめた。


『俺たち、じじいになってもこうやって騒いでようぜ』


 遠い声が蘇る。


 ペンライトの光。

 メロンソーダの甘さ。

 買い物袋を抱えて笑う親友の顔。


 そして、二つ並んだ小さな星。


「……くだらん」


 ケインは呟いた。


 誰かに言い聞かせるような声ではなかった。


 ただ、広い部屋に小さく響いて、消えた。


 彼は報告書を束ね、机の端へ置いた。


 その手が、次の書類に伸びる。


 だが、紙を開く前に、一度だけ止まった。


「……タクミ」


 昔のように呼んでも、返事はない。


 当然だった。


 相手はここにはいない。


 この世界のどこかで、別の名を名乗り、今も好きなものを好きだと叫んでいる。


 少なくとも、報告書にはそう書かれていた。


 ケインは目を伏せた。


 やがて、何事もなかったように次の書類を開く。


 紙をめくる音が、静寂の祭壇に響いた。


 ケインはペンを取った。


 報告書の余白に、短い確認事項を書き込む。


 文字は、少しも乱れていなかった。


 ただ、書き終えたあとも、その手はしばらく紙の上に置かれたままだった。

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