雨が降った時に推しが泣いてるように見えるのは、それはお前の洗車が足りないからだ
ラザリスの朝は早い。
カフェ『KIRABOSHI』の裏庭に、キュッ、キュッ、とスポンジが濡れた表面を擦る音と、水音が小気味よく響いていた。
「……ふぅ。これで仕上げだな」
オタクミは額の汗を腕で拭い、満足げに目の前の“巨体”を見上げる。
そこに鎮座しているのは、かつて工房の職人たちと共に作り上げたものの、その奇抜さと物語の展開の速さに完全に置いていかれ、一度も出番のなかった幻の機体。
――痛馬車『ミスティア・ルミナス号』である。
「いやー、結局一度も乗ってねえな、これ。もったいないから洗ってるけど」
ホースで水をかけると、車体は驚くほどの撥水性を見せ、水滴が玉となって弾かれる。
「何を言うか、オタクミ。愛馬(車)を磨くのは騎士の嗜みだろう」
反対側で真剣な眼差しを向けているのはアーグだった。
彼はウェスを動かす手つきも厳粛で、まるで聖剣を手入れするかのように、車体に描かれた巨大な美少女イラストを磨き上げている。
「見てみろ、この輝きを。ミスティア様の御尊顔にかかった泥汚れは、私がすべて拭い去った。今の彼女の笑顔は、ラザリスの太陽よりも眩しい……!」
アーグがうっとりと見つめる先、ボンネット――いや、馬車の前面装甲いっぱいに描かれたミスティア・ルミナスは、満面の笑みを浮かべていた。
ミスリル銀のコーティング加工は伊達ではなく、その表面は鏡のように周囲の景色を映し返している。
「まあ、確かに技術力の無駄遣い……いや、結晶だな!いつか日の目を見る時が来るといいんだが」
「うむ。その時は、私が御者台に立ち、風となろう!」
二人がピカピカになった痛馬車を前に、男同士の奇妙な達成感に浸っていた、その時だった。
パパパパパンッ!!
突如、表通りから場違いなほど盛大なファンファーレが鳴り響いた。
続いて、ズズズズ……と、何か重厚なものが石畳を削るような音が近づいてくる。
「な、なんだ!?」
慌てて表へ回った二人の目の前に、信じがたい光景が広がっていた。
カフェ『KIRABOSHI』の玄関前から、大通りを貫き、アストリア王国の方角へ――
一直線に、ふかふかの真紅の絨毯が敷かれている。
しかもその脇には、
『※この道路占有は、ロザリア・ブランドの提供でお送りしています』
という立て看板まで設置されていた。
「なっ……!?」
呆然とする二人の前で、八頭立ての白馬に引かれた黄金の超豪華馬車――
ロイヤル・リムジンが、キーッとブレーキ音を響かせて停車する。
ガチャリ。
装飾過多な扉が開き、そこから優雅に降り立ったのは、
お忍びという概念を完全に放棄した平服姿の女王、ロザリアその人だった。
「ごきげんよう、皆様」
扇を広げ、彼女はにこやかに微笑む。
「ふふふ、招待状を送ったばかりですが……待ちきれなくて、迎えに来てしまいましたわ!」
「またそっちから来んのかよ!!」
オタクミの叫びが反射的に飛ぶ。
「一国の女王がフットワーク軽すぎるだろ! 威厳とかないのか、威厳とか!」
「あら、心外ですわね」
ロザリアは頬を少し染め、深刻そうな表情で懐から羊皮紙を取り出した。
「わたくしだって、公務の合間を縫って来たのです。……実は、先日購入した『ミスティア(男版)総受けアンソロジー』を含む一万冊の同人誌ですが、国民への布教用配布計画を立てておりましたら……」
「おりましたら?」
「自分用の『保存用』と『観賞用』、そして『布教用予備』の在庫計算が合わなくなってしまいまして……昨晩から、供給不足による震えが止まらないのです!」
彼女はぷるぷると震える手を差し出す。
「このままでは禁断症状で国政に支障が出ます。よって直ちに王城へ参内し、リア先生による『生の尊み(リアルタイム・ドローイング)』を献上しなさい。これは勅命です!」
「私物化がひどすぎるだろ!!」
ツッコミは、ラザリスの青空に虚しく響いた。
「ええい、控えよ!」
怒声と共に、ロザリアの背後から騎士団長レジナルドが飛び出してくる。
顔は真っ赤で、胃痛を堪えているかのようにこめかみが引きつっていた。
「貴様ら、陛下になんという口を――! だいたい、いつもいつも……」
勢いよく説教を始めかけた彼の視線が、不意に裏庭の入口で止まる。
そこには、洗車を終えたばかりの痛馬車が、朝日を受けて燦然と輝いていた。
「……?」
レジナルドの眉が、わずかにひそめられる。
「……あの、陛下?」
彼は一歩、近づいた。
そして、車体に描かれた巨大なイラストを、まじまじと見上げる。
「……これは……絵、か?」
理解しようとする一瞬。
だが、その視線がボンネットから側面、後部装甲へと移るにつれ、彼の表情が硬直していく。
「……待て。なぜ……なぜ、水着なのだ」
次の瞬間。
「な、な、な……なんだその不敬極まりない馬車はァァァッ!!」
堪忍袋の緒が、派手な音を立てて切れた。
「高貴なるミスティア様の御尊顔を! あのような車輪の泥除けにするなど! しかも車体全体に……こ、これは『水着回』ではないか! 破廉恥! 断じて許さん! 即刻撤去せよ!」
「はあ!?」
オタクミが我が子を侮辱された親のように食ってかかる。
「アンタには分かんねえのか! これはリスペクトだ! 『常に推しと共に走り、推しに守られる』っていう、オタクの夢を具現化した最強の乗り物だぞ!」
アーグも一歩前へ。
「左様! 見よ、レジナルド殿! この完璧な撥水加工を! 貴殿のくすんだ鎧より、よほど輝いているではないか!」
「なっ……私のミスリル鎧を、くすんでいるだと……!?」
最後の一線が切れた。
「ええい、問答無用! そのふざけた思考を持つお前たちは、我が剣の錆にしてくれる!」
ジャキッ!
剣を抜き、レジナルドは猛然と突進する。
「やめろ馬鹿野郎! それ原価いくら掛かってると思ってんだ!」
止めに入ろうとしたオタクミの足が――
ガッ。
洗車用のバケツを蹴飛ばした。
「――ぬおっ!?」
強力ワックス入り洗剤が石畳にぶちまけられる。
全速力のレジナルドの足が、完璧にその上を踏み抜いた。
「すってんてんっ!?」
物理法則を無視したような奇妙な音と共に、騎士団長の巨体が宙を舞う。
進行方向は、痛馬車ではない。
――女王のロイヤル・リムジン。
「あ」
全員の声が重なる。
重装備の大男が砲弾のような勢いで、王家の馬車の車軸へと突っ込んだ。
バキィィィィィッ!!
ガッシャァァァン!!
黄金の車輪が外れ、豪奢な車体が大きく傾き、地面に激突した。




