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偽りの勇者が生まれた夜

雨脚が、次第に強まってきた。


ケイスケは会場近くのコインパーキングに停めたワンボックスカー――搬送用に借りたレンタカーの運転席へ滑り込み、重たいドアを閉める。

後部座席には、先ほど回収した「三十万円相当」の限定グッズが詰め込まれた段ボール箱が、いくつも積み上げられていた。


「……ふぅ」


シートを倒し、深く息を吐く。

早朝からの並びと、打ち子たちへの指示出しで、体は鉛のように重かった。


腕時計を見る。開演時間はすでに過ぎているが、終演まではまだ三時間近くある。


「ライブが終われば、興奮冷めやらぬバカどもが湧いて出てくる。高値で売りさばくのは、それからだ」


そう呟き、ケイスケは目を閉じた。

雨がルーフを叩く音が、子守唄のように規則正しく響く。

遠くのドームから微かに漏れる重低音も、防音性の高い車内では、ほとんど気にならなかった。


「……勝ったな」


薄れゆく意識の中で、彼は確信していた。

あの熱狂の中で声を枯らしているタクミよりも、こうして静かに利益を確定させ、優雅に休んでいる自分の方が、人生において圧倒的に正しいのだと。


彼は深い眠りに落ちた。

それが、この現実世界で見る最後の夢になるとも知らずに。



「……ん」


ケイスケが目を覚ましたのは、スマホのアラームではなかった。

外から流れ込んでくる、ざわめきのせいだ。


時計を見る。二十一時を少し過ぎている。


「終わったか」


窓の外では、ドームから吐き出された数万人の観客が、駅へ向かって波のように流れていた。

誰もが上気した顔で、興奮冷めやらぬまま感想を語り合っている。


「さて……帰って、仕事の時間だ」


顔を洗い、気合を入れ直すため、近くの自販機へコーヒーを買いに行くことにした。

傘を差し、車を降りる。

冷たい夜気が、眠気の残る頭を刺激する。


コーヒーを買い、車へ戻ろうと交差点に差し掛かった、その時だった。


『【速報】輝星のルミナス! ツアーファイナル終了! 続編映画化決定!』


スマホに流れてきたニュース速報。

ケイスケは、思わず口元を歪めた。


「映画化か……これでグッズの相場が、また跳ね上がる。……俺はツイてる」


信号待ち。

雨に濡れたアスファルトに、赤信号の光が滲んで映る。


『――ええ、あなたはツイているわ』


不意に、脳内にノイズが走った。

甘く、冷たい、女の声。


ケイスケが眉をひそめた瞬間、彼の認識世界が歪む。

目の前の信号機が、鮮やかな「青」に変わった――ように見えた。


「よし」


スマホで利益計算を続けたまま、彼は躊躇なく車道へ足を踏み出す。

実際には、信号は「赤」のままだったにもかかわらず。


その時、交差点のカーブを一台の車が曲がってきた。

車内には、ライブのセットリストが大音量で流れている。


運転席にいたのは、法被を着たままのタクミだった。


「いやー! 最高だったな! まさかアンコールでデビュー曲が来るとは!」


推しへの愛を叫び、仲間と肩を組み、最高の時間を過ごした帰り道。

世界は、輝いて見えていた。


だが、その輝きが、一瞬で凍りつく。


「わっ!!」


フロントガラスの向こう。

雨の闇から、ふらりと車道に出てきた男の影。


「え……?」


タクミがブレーキペダルを床まで踏み抜く。

だが、濡れた路面でタイヤがロックし、車体は制御を失って滑っていく。


キキキキキキキッ――!!


スキール音に気づき、ケイスケが顔を上げた。

迫り来るヘッドライトの閃光。


その光の中に浮かび上がる、巨大な絵。

ボンネット一面に描かれた、フルラッピング仕様のミスティア・ルミナス。


彼女は、ライブの成功を祝福するかのように、満面の笑みを浮かべていた。


「……ミスティア……?」


そして、運転席の男。

高揚から一転、絶望に顔を歪めた、かつての親友。


「……タ、ク……ミ……?」


ドンッ。


鈍く、重い衝撃音。

ケイスケの体は、簡単に宙を舞った。


手から離れた缶コーヒーとスマホが、夜空で回転しながら飛び散る。

世界が、スローモーションになる。


回転する視界の中で、ケイスケは見た。

ボンネットのミスティアと、目が合った気がした。


彼女は笑っていた。

「愛」を捨て、「金」を選んだ裏切り者を、あざ笑うかのように。


ドサリ。


冷たいアスファルトに叩きつけられる。

激痛すら、追いつかない。


(……は、はは……そうか……)


マリスの囁きが、彼の最期の思考を塗り替えていく。


(俺が……ライブに行かず、転売なんかしてたから……)

(お前らは……ライブで盛り上がって……その『愛』の力で……俺を轢き殺したのか……)


「愛」が、「金」を押し潰した。

「熱狂」が、「冷静」を跳ね飛ばした。


タクミの運転する「推し」の車が、僕の肉体を破壊した。

これ以上の皮肉があるだろうか。

これ以上の、残酷な「格付け」があるだろうか。


(……許さない……)


ケイスケの喉から、血の泡と共に呪詛が漏れる。


(感情ごときが……俺の『価値』を殺すなんて……認めない……)

(タクミ……ミスティア……この世界の『好き』という感情すべて……)




「……ぜっ、たいに……ゆるさ、ない……」


ケイスケの瞳から光が消え、暗黒が彼を包み込む。

その闇の底で、彼は手を伸ばした。


救済へではない。

復讐へ。


『――契約成立ですわね』


邪神マリスが、歓喜の声を上げる。


こうして、愛を憎み、友情を呪い、すべての「推し」を根絶やしにするための怪物――

偽りの勇者ケインが、この異世界に生まれ落ちた。


雨は、降り続く。

現実世界では、運転手のいない痛車に描かれたミスティアの、変わらぬ笑顔だけが、惨劇の現場に残されていた。

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