女王の解釈一致
「……男やんけ!?」
オタクミの魂の叫びが、静まり返った広場に響き渡った。
目の前に降臨したのは、紛れもなく自分が探し求めていた「最高の推し」のオーラを放つ存在。しかし、その性別は、彼の長年の「解釈」とは、全く、完全に、異なっていた。
召喚された「男体化ミスティア」は、そんなオタクミの混乱など意に介さず、ただ、彼を押さえつけている騎士たちを、氷のように冷たい蒼い瞳で睨みつけた。
「な、なんだ、こいつは…! レジナルド隊長!」
騎士たちが、その圧倒的な存在感を前に、怯む。レジナルドもまた、予想外の援軍の登場に、一瞬、判断が遅れた。
その、ほんの一瞬の静寂を、切り裂いたのは、甲高い、しかしどこか恍惚とした悲鳴だった。
「ひゃああああああああッ!!!」
声の主は、バルコニーから戦いを見下ろしていた、女王ロザリア。
彼女の、いつもは冷徹な仮面が、砕け散っていた。瞳は驚きと歓喜に見開かれ、頬は興奮に紅潮し、扇を持つ手が、わなわなと震えている。
(ま、まさか…! あの『ルミナス通信』に描かれていた、あの騎士様!? 本物…!? 生きて、動いて、いらっしゃる…!? しかも、あの金髪の子を守るように…立って…!?)
彼女の脳内で、リアが描いた「騎士たちの物語」のワンシーンと、目の前の光景が、完全に一致した。
我を忘れた彼女は、騎士団に向かって、もはや命令ではなく、ファンの悲鳴のような叫び声を上げた。
「おやめなさい! 全員、動きを止めなさい! その麗しい銀髪のお方に、傷一つ付けてはなりませんわ! 髪の一筋でも傷つけたら、あなたたち、ただじゃおきませんことよ!」
その常軌を逸した命令に、騎士団も、オタクミたちも、全員が固まった。ただ一人、アーグを除いては。
彼は、女王のその狂乱ぶりを見て、全てを察した。そして、電光石火の速さで、まだ押さえつけられているオタクミの元へ駆け寄り、耳元で、起死回生の策を囁いた。
「オタクミ殿! 今すぐ、その金髪を切れ! 早く!」
「はぁ!? なんでだよ!」
「いいからやれ! 最高の『萌え』を、女王陛下に献上するのだ!」
意味は分からない。だが、アーグの必死の形相に、オタクミは賭けることにした。
「おい、そこのイケメン! ちょっと助けてくれ!」
彼が叫ぶと、蒼眼のミスティアは、まるで長年連れ添った相棒のように頷き、一閃。オタクミを押さえつけていた騎士たちを、峯打ちで吹き飛ばした。
自由になったオタクミは、即座に痛武器を剣の形に戻すと、自分の長い金髪を掴み――ほんの一拍、笑ってつぶやく。
「髪長いと洗うの面倒だったけど、気に入ってたんだけどな……」
そして、刃を入れる直前、短く、はっきりと言った。
「――推しの前で、俺も“新刊”になる」
躊躇なく、肩のあたりで切り落とした。
サラサラと、金色の髪が宙を舞う。現れたのは、長い髪に隠されていた、凛々しい顔立ち。金髪ショートの、活発な美少年のような姿だった。
そして、広場には、奇跡の光景が生まれる。
クールでミステリアスな銀髪の美青年剣士(男体化ミスティア)が、傷つきながらも仲間を守ろうとする、金髪ショートの快活な少年(に見えるオタクミ)の隣に、そっと寄り添うように立つ。
その光景を目の当たりにしたロザリアは、両手で頬を覆い、歓喜に打ち震えた。
(尊い…! なんという、解釈一致…! 銀髪攻め…いや、ここはあえてのリバも…! 金髪健気受けも捨てがたい…! まさか、公式が最大手だったとは…!)
彼女のテンションは、完全に振り切れていた。
この機を、アーグが見逃すはずがなかった。
彼は、まだ恍惚の表情で震えている女王に向かって、商人として、そして、最高のプレゼンターとして、叫んだ。
「女王陛下! どうやら、この『二人』の物語に、ご興味がおありと見える!」
「!」
「我々が今朝方完成させた新刊は、まさしく、この二人の出会いから、共に戦い、絆を深めていくまでを描いた、200ページにも及ぶ一大叙事詩! いかがですかな!?」
その言葉は、ロザリアの心に、どんな魔法よりも強く突き刺さった。
彼女の意識は、もはや戦争どころではなかった。
「なっ…!? その本を…見せなさい! 今すぐ、その『見本誌』をわたくしに!」
セラが、屋根の上から放り投げた新刊の一冊を、アーグは完璧にキャッチする。
しかし、彼はそれを女王に渡さなかった。
「申し訳ございません、陛下。こちらの新刊は、ただいまより、あちらのブースで販売開始となりますので。…ルールですので」
アーグは、オタクミたちのサークルブースを、恭しく指さした。
数分後。広場には、信じられない光景が広がっていた。
武装を解かれたアストリア騎士団が、なぜか「新刊待機列」の整理を手伝っている。
召喚されたファンアート軍団は、役目を終え、光の粒子となってカードに戻っていった。
そして、その列の先頭には――
一国の女王であるロザリアが、そわそわと、しかし期待に満ちた、一人の「オタク」の顔で、順番を待っていた。
「…素晴らしいですわ。この胸の高鳴り、久しぶりです!!」
彼女は、見本誌を読ませてもらい、その完璧な「解釈一致」に、完全に心を奪われていた。
やがて、自分の番が来ると、彼女は財布(国庫ではなく女王個人の財)を取り出し、売り子をしていたリアに、威厳たっぷりに、しかし早口で告げた。
「この本を、いただきますわ」
「は、はい! 一冊で、よろしいでしょうか…?」
「いいえ」
ロザリアは、人差し指を一本、天に掲げた。
「まず、わたくしが読むための『自分用』に一冊」
次に、二本目の指を立てる。
「傷一つつけずに永久保存するための『保管用』に一冊。…いえ、十冊」
そして、三本目の指を立て、悪戯っぽく笑った。
「――そして、我が愛すべきアストリア国民全員に、この尊さを広めるための『布教用』に、一万冊、いただきますわ!1人1冊限定というのなら、騎士団達も並ばせます!」
レジナルドは静かに一歩前へ出ると、剣を胸に当て、地を打つように踵を鳴らした。
「くっ、女王様のご希望だ。」
そして振り返り、短く命じる。
「騎士団、列整理に当たれ。混乱を出すな」
武人の矜持で、敗北を収めたのだ。
文化戦争は、一人の高貴なる腐女子の、あまりにもスケールの大きい「大人買い」によって――そして騎士の儀礼に守られた待機列によって、誰も予想しなかった形で、強制的に終戦を迎えるのだった。




