ラクケットに向けて その1
「第一回 ラザリス・クリエイターズ・マーケット、開催決定!」
オタクミがそう宣言してから数日後。カフェ『KIRABOSHI』は、異世界初の「コミケ」に向けた、最初のサークル会議の場と化していた。
仲間たちの士気は高い。女王ロザリアとの文化戦争に、自分たちの手で作り上げた「祭り」で対抗する。その事実は、彼らの胸に確かな誇りと闘志を灯していた。
しかし、その熱意の向かう先は、致命的なまでにバラバラだった。
「ラクケットで売る、私たちの『新商品』ですけど…」
リアが、キラキラした瞳でスケッチブックを広げた。
「アクスタの新作はどうでしょう? アイドルになったシエルさんとセラさんの『ノクターン』バージョンとか、きっと喜ばれます!」
「ふむ。アクリルスタンドは既にブランドとして確立されている。安定した収益が見込めるな」
アーグが、商人としての視点で頷く。「だが、依然として素材がな…。利益率で言えば、セラ殿が試作している木彫りのチャームの方が上だ。低コストで量産可能な商品を主力に据えるのが、ビジネスの定石だ」
「でもそんなに作る時間なんてないわよ?」
セラは、ナイフの手入れをしながら、素っ気なく言った。「大事なのは、当日の警備体制でしょ。女王が何か仕掛けてくるかもしれないんだから」
商品、利益率、警備。
誰もが、このイベントを「自分たちの商品を売るための市場」として、真っ当に、そして実務的に捉えていた。
その、あまりに真っ当な会話を、オタクミは険しい顔で聞いていた。
やがて、彼は、我慢の限界とばかりに、テーブルをバンッ!と力強く叩いた。
「待て! 全員、待った!」
突然の大声に、仲間たちがびくりと肩を震わせる。
オタクミは、まるで教義を説く預言者のように、鬼気迫る表情で仲間たち一人ひとりを見回した。
「お前たち、根本的に、そして致命的に、勘違いしている!」
「え?」
「俺たちがやろうとしているラクケットは、ただの物販イベントじゃない! 『好き』という想いを、より深く、濃密な形で表現し、共有する場所だ!」
彼は、仲間たちが提案した「商品」の数々を、手で薙ぎ払うように否定した。
「モノでは足りない! 俺たちが作るべきは、『物語』そのものだ!」
彼は、どこから取り出したのか、一冊の古びた本をテーブルの中央に叩きつけた。それは、彼がいた世界の「漫画」だった。彼が魂の聖典として、唯一この世界に持ち込めた家宝である。
「俺たちは、この異世界初の『同人誌』を作る!」
「どう…じんし…?」
リアが、不思議そうに首をかしげる。
「何かの呪文書?」
セラが、訝しげに眉をひそめた。
「新しい商品カテゴリか? 市場のデータが存在しないが…」
アーグが、腕を組んで分析を始める。
オタクミは天を仰いだ。
(そうだ…そうだよな…。この世界には、まだ、あの神聖にして過酷な文化は存在しないんだ…!)
彼は、仲間たちの無知な瞳を見つめ返すと、決意に満ちた、そして、どこか憐れむような笑みを浮かべた。
「ふっ…愚かな子羊たちよ。まだ何も知らないのだな」
「聞け!」
オタクミは立ち上がり、聖典を掲げる。
「同人誌とは! ただの本ではない!
“好き”を詰め込み、語り、描き、血と汗と涙で刷り上げる、魂の結晶だ!
そこには、商業では拾えぬ想いが溢れ、時に尊さで読者を昇天させ、時に修羅場で作者を地獄へ突き落とす!
それこそが、俺がいた世界を支えた最大の祭典――“コミケ”の核なのだ!」
リアは目を丸くして手を叩いた。
「すごい…! つまり、絵本をみんなで作るんですね! なら、全ページ私が描きます!」
「いや全部一人でやったら死ぬから!」オタクミが即座にツッコむ。
セラは腕を組んで顎に手を当てた。
「血と汗で刷るって…血文字を使うのかしら? それなら私の得意分野ね」
「違ぇよホラーだよ!」
アーグは真剣な顔で頷いた。
「なるほど…新規カテゴリの商品だ。だが問題は物流コストと複製手段だな。印刷とは具体的にどのような魔術を…?」
「ちがーう! ロジスティクスの話じゃねえ! 情熱で刷るんだよ!」
仲間たちの頭上に「???」が次々と浮かんでいく。
それを見たオタクミは、震える拳を握りしめ、宣言した。
「いいだろう。俺が教えてやる! 素晴らしく、楽しく、そして時には地獄のような苦しみを伴う、『同人誌作り』という至高の創造活動の全てを!」
その瞬間、彼の背に後光が差したかのように見えた。
オタクミは悟っていた。
――これから始まるのは、長く、そして過酷な「啓蒙活動」であると。
彼の故郷では常識であった「コミッ〇マーケット」という文化は、この異世界では、あまりにも先進的すぎたのだ。




