表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/66

革命は一本の線から始まる その2

そして、お絵描き教室の当日。

カフェ『KIRABOSHI』の店内は、テーブルの配置が変えられ、即席の「教室」となっていた。


「さあさあ、本日限りの特別イベント! リア先生による、魂のドローイングレッスン! 開場だ!」

店の入り口で、オタクミがメガホン片手に呼び込みをしている。


その後ろでは、アーグが受付として参加者の名前をリストに書き込み、セラは「騒がしい生徒は、裏庭にご案内します」と書かれた札を首から下げ、腕を組んで壁際に立っていた。教室の風紀委員...という名の用心棒だ。


開催を危ぶむ一行の心配をよそに、店のドアがおずおずと開かれ始めた。

やってきたのは、『ルミナス通信』を握りしめた子供たちや、好奇心旺盛な若い冒険者、暇を持て余していた主婦、果ては非番なのかむっつりした顔の衛兵まで。


そして、その人波に紛れるように、シエルもまた、ぴーちゃんを肩に乗せ、物陰からこっそりと入店し、一番隅の席に静かに座った。彼女もまた、リアの「好きを形にする」という言葉に、何かを確かめに来た、一人の生徒だった。


その光景に、教壇に立つリアは、緊張でガチガチだった。

(ど、どうしましょう…! こんなにたくさんの人が…! シエルさんまで…!)


「リア先生、時間だ!」

オタクミの合図に、リアはビクッと肩を震わせると、深呼吸を一つして、震える声で授業を始めた。


「え、ええと…それでは、はじめます…! 皆さん、お手元に、木炭と羊皮紙はありますか…?」


彼女は、自分が芸術家になるために必死で学んできた、絵の基礎を、一生懸命、丁寧に教え始めた。


「まず、基本です。綺麗な丸を描いて、そこに十字の線を引いて…。これが、顔の輪郭の、アタリというものです…。さあ、やってみましょう」


しかし、教室の雰囲気は、少しずつ重くなっていった。

この世界のほとんどの庶民にとって、「絵を描く」という行為は、人生で初めての経験だったのだ。


「うーん、丸が歪んじゃう…」

「線がまっすぐ引けないわ」

「俺の描いたやつ、スライムみたいなんだが…」


生徒たちは、人生で初めて握る木炭に悪戦苦闘し、お手本のように上手く描けないことに、戸惑いと焦りを感じ始めていた。


隅の席では、シエルもまた、ぴーちゃんを描こうとしていたが、その線は硬く、まるで石像のような、生命感のないぴーちゃんの残骸を生み出すだけだった。


その時だった。

一番前の席に座っていた小さな男の子が、くしゃくしゃになった羊皮紙を前に、ついに泣き出してしまったのだ。


「できないー! リア先生みたいに、かわいく描けないよぉ!」


その泣き声に、リアはハッとした。

彼女の脳裏に、かつて自分の絵を上司に「こんなものは落書きだ」と否定された時の、あの悔しさが蘇る。

そして、オタクミが披露した、技術的にはめちゃくちゃだったけれど、最高に楽しそうだった、あの「ヘンテコダンス」の光景。


(違う…! 私が教えたいのは、こんなことじゃない…! 絵を描くことは、上手いか下手かで、誰かに評価されるためのものじゃないはず…!)


彼女は、教本通りの指導をやめた。

泣いている男の子の隣にそっとしゃがみ込み、その小さな目を、まっすぐに見つめて、優しく語りかけた。


「ごめんね。先生の教え方が、間違ってた」

「え…?」

「大丈夫だよ! 完璧な丸じゃなくても、全然いいの!」


彼女の声には、もう迷いはなかった。


「ルミナスだってね、最初はみんな絵本に落書きしてたんだよ。上手くなくても、その気持ちが大事だったの。だから――あなたも、君の『好き』を一番可愛いって思う形で、線にのせてあげて!」


リアのその一言で、教室の空気が、魔法のように一変した。


「上手く描く」ことから解放された生徒たちは、目の色を変え、思い思いの形で、自由に創造の楽しさに目覚めていったのだ。


歪んだ丸、少しずれた目、はみ出した線。

だが、そのどれもが、描いた人の「好き」という気持ちに満ち溢れていた。


先ほどまで文句を言っていた衛兵が、子供のように夢中で、少し強面のSDミスティアを真似て描いている。

主婦は、美しい花模様で飾られた、独自の自画像を描き上げていた。


そして、シエル。

彼女もまた、リアの言葉に、何かを掴んでいた。

彼女は、上手く描こうとすることをやめ、ただ、肩の上の友達であるぴーちゃんへの「愛おしい」という気持ちだけを、一本の線に乗せた。


完成した絵は、形は少し歪んでいるけれど、彼女の歌声と同じ、どこか物悲しく、それでいて、深い愛情に満ちた、不思議な魅力を持つぴーちゃんの絵だった。


それを見ていたセラが、「…あんたらしい、暗い絵ね。でも…悪くないわね」と、静かに呟いた。


教室は、静かなデッサン教室から、創造の喜びに満ちた、賑やかで温かい空間へと変わっていた。


オタクミは、その光景を、涙ぐみながら見守っていた。

(これだ…! これこそが『同人活動』の原点…! 創造の喜びに、上手いも下手もねえんだ…!)


リアは、もはや緊張に震える先生ではなかった。

生徒たちの間を回り、一人ひとりの「好き」の形を、「すごいですね!」「この色使い、素敵です!」と、心からの笑顔で肯定していく、輝ける伝道師だった。


そして、彼女自身も心の中で呟く。

(…私、やっと見つけた。私の絵は、“評価されるため”じゃない。“好き”を広げるためなんだ!)


その時――。

カフェの窓から、笑い声と楽しげな声が、街路に漏れ出した。

通りすがりの人々が、足を止め、不思議そうに店を覗き込む。

「何だろう…?」「なんだか楽しそうだな」

小さな光は、もう外の世界へと滲み始めていた。


革命は、確かに、この一本の線から始まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ