エピローグ:私の夢と待ってくれていた人
「本当に帰ってきたのね」
目を開くと、そこは祖父の倉庫だ。
その証拠に祖父の料理ノートが積まれている。
窓から差し込み光に左手をかざす、アルネからもらった不思議な色合いのミサンガが巻かれていた。
口角を釣り上げる。
良かった、この一か月の経験は夢じゃない。
たしかにきつね亭は実在し、私はそこで夢を取り戻し、少年を救ったんだ。
鞄の中から、電源を切ったままのスマートフォンを取り出し電源を入れる。
ネットワークに接続され、大量のメールや不在着信の通知が怒る。
「そうなるわよね」
一か月間、完全に音信不通で消息不明。
日本では騒ぎになって当然の事態。
とりあえず……お風呂に入って寝よう。
一か月音信不通だったんだ。もう一日ぐらい音信不通を続けてもいいだろう。
向こうの生活も悪くなかったが、湯舟にしっかり浸かってふんわりとしたベッドで眠りたい。
◇
翌日、久しぶりの風呂と柔らかいベッドのおかげか体調が良くなった。
起きると片っ端からメールを返していく。
メールを返した途端、次々と電話がかかってくる。
とりあえず、自分探しの旅をしていたなんて言ってごまかす。
嘘じゃない。異世界での経験で私は自分の夢を取り戻した。
知人たちは、ちょうど店を閉めたばかりだったこともあり、自殺したかと思ったなど物騒なことを言う。
捜索願いを出そうとした者たちもいた。
「そう思われても仕方ないわね」
もし、知人が同じように店を潰して行方不明になったら悪い想像をしてしまっただろう。
一通り、メールと電話の対応が終わるころには日が暮れかけていた。
電話がなる。
電話の主は、上杉料理長。
帝都ホテル時代の上司。
彼は、さきほども電話をくれたが夕方ゆっくりと話をしたいと言ってすぐに切った。
「おっ、ちゃんと繋がったか。良かった良かった」
「心配かけました。上杉料理長」
「まったくだ。まあ、その声を聴く限り、どこに行っていたかは知らんが、いい経験をしたようだな」
「はい、迷いがなくなりました。もう一度しっかりと料理に向き会えそうです」
もう、二度と迷わない。
一人の少年が私の夢を取り戻してくれた。
「そうか。それはいい。一か月前も話したことだがな。スカウトの件、改めて頼みたい。ちょうど来月に俺の右腕が独立する。代わりに外から引っ張るか、下のもんを上げるか早急に決めねばならん。佐山、俺はおまえに来てほしい。今じゃなけりゃ、こんなポストは与えてやれない。どうだ? わかっただろ。帝都ホテル以上に恵まれた職場なんてないってことがな」
料理人としての腕を磨くのであればそう。
好きなだけ最高級の材料を扱い、最新の調理器具が並び、研究の時間も取れる。
給料も良く、福利厚生もしっかりしている。
きつね亭とは全然違う。
だけど、それをわかっていて出した答えがある。
「上杉料理長、一か月ほど小さな店で雇われシェフをやっていたんです。厨房からお客様が全員見えるような店で、いい材料なんて使えなくて、厨房も骨董品で、自分の時間も全然取れなくて……だけど楽しかったんです。それに従業員もお客様もとてもいい笑顔を浮かべるんです。たった一日離れただけなのに、あそこのことがもう恋しくなっています。すみません、私はそういうほうが向いているようです」
「ちっ、残念だ」
「すみません」
「引き留めようにも、そんなふうに言われたらな。わかった。じゃあ、仕方ない。才能がありそうな若手を引っ張てみるか。使えるようにするまで一仕事だ。んで、育ったぐらいで独立していくんだよなぁ。やってらんねーよ」
思わず、笑ってしまう。
上杉料理長も彼なりの悩みがあるようだ。
「力になれずにすみません」
「ああ、仕方ないさ。今度、その店に招待してくれ。久々に佐山の料理をゆっくり食いたい」
「遠いところにあるので、店への招待は難しいですが、私の料理をご馳走にはいずれ伺います」
「おっ、楽しみだな。期待しているぜ……ったく、おまえを前に向かせるのは俺の仕事だと思ったんだがな」
「……心のほうも満たしてくれる人が現れたんです」
「おい、待て、それ、誰だ! そんなこと許さ」
電話を切る。
今更ながら、いろんな人に助けられてきたんだって思う。
こっちに戻って来て、一日経って、そしてこの電話で私は自分の気持ちに気付いた。
向こうに帰りたい。
今の私なら、こっちでも夢を叶えられると思う。
だけど、あそこが私の居場所だってそう思える。
そう思えるのはきっと、アルネがいるから。
理屈や計算じゃなくて、心がそう言っていた。
だから、もう迷わない。
だから、次の満月まで向こうに行くための準備をしよう。
◇
向こうに行くまでの一か月、一日も無駄にしない覚悟で勉強を始めた。
料理本や資料を片っ端からダウンロードしタブレットに入れる。
向こうには電気なんてないので、手回し式充電器を持っていく。他にも本の類を厳選して鞄に詰め込む。
さらに枕など快適な生活を過ごすためのものも買っておく、化粧品なんかも忘れない。
それらを詰める大きなバッグも買った。
店を売った金で、良心から祖父の屋敷を買い、正式に私の持ち物にした。
これで買い手がついて追い出されることもなくなる。
役所で必要な手続きも終わらせた。
そして、祖父の残したノートを読み込んで血肉に変えていく。
こんなまとまった時間なかなか取れない。
改めて、己の腕を鍛えなおす。
店で使っていたオリジナル調味料や酵母、それらも持って行くことにした。
私が積み上げたもの、全部をかき集める。
愛用の調理器具も手入れをして収納する。
今度は、知人や家族に心配かけないように、電話もつがながらないような国で仕事を見つけたと連絡して回る。
そうこうしているうちに一か月は過ぎ去った。
また、あそこに行く日が待ち遠しく長く感じ、やることが多すぎて一瞬のようでもあり不思議な感じだ。
……なにより、あの頑張り屋で一途で、憧れの目で私を見つめるあの子に会いたかった。
◇
満月の夜が来た。
あの鑑がある倉庫に向かう。
パンパンに詰まったボストンバックを持って鏡に触れる。
一か月前と違って、今度は準備万端。
きっと、向こうでアルネも祈ってくれているはずだ。
鏡に触れると水面のように波紋ができる。
たぶん、ここでの決断で私の未来が決まる。
……もう、迷いはない。
アルネに会うため、それに私の夢を叶えるため、そのための選択をする。
「おじいちゃん、私、決めたの。おじいちゃんみたいになるだけじゃなくて、その先にある私の夢を見つけた。そのためには……」
鏡に向かってさらに力を入れると、吸い込まれた。
これで、また向こうに行ける。
◇
浮遊感が終わる。
最初に目に映ったのは、一か月ぶりの笑顔。
涙を流して、でも満開の笑顔で、とても愛おしく思う。
「サヤマ様……ううん、トオル様。来てくれたんですね。ずっと、不安でした。もう、戻ってきてくれないんじゃないかって」
「あれだけ決断を先延ばしたけど、帰ってみるときつね亭にすぐ戻りたくなったの。私の居場所はここだって思えた」
「はいっ! きつね亭は僕たちのお店ですから」
僕たちの店か。
そう言ってもらえるのが嬉しい。
「アルネ、一か月で味は落ちてないでしょうね?」
「それどころか、良くなっているはずです。味見お願いします」
「もちろんよ」
戻ってくるなり味見か。
人使いが荒い。でも、悪い気分じゃない。
◇
翌日、祖父のレシピを参考にし、進化させて私は新たにメニューを一つ増やした。
一か月の間、きつね亭のためにできることを私なりにした。
きつね亭に新たな名物が生まれるはずだ。
開店の時間になった。
すでに外には、開店を今か今から待ってくれている客がたくさんいる。
アルネは私がいない間もちゃんときつね亭を守るどころか、育ててくれている。
本当に頼もしい。
「アルネ、楽しい?」
「ええ、こんなにたくさんのお客さんが来てくれて、美味しいって言っていくれて。何より、トオル様がいるんですから」
「私もよ。客を笑顔にして、アルネが傍にいる。そんなきつね亭だから帰ってきたの」
まるで告白みたいだ。
でも、どうしてもその言葉を伝えたかった。
「うれしいです。できれば、お昼休憩にもう一度言ってください」
「一回きりよ」
「それから、僕、店の営業時間が終わったら、どうしてもトオル様に言いたいことがあるんです!」
「もったいづけないでよ。気になって仕事に身が入らなかったら、どうしてくれるの。でも楽しみにしているわね。……そろそろ店を開けるわよ」
「はいっ!」
店を開く。
客たちの注目が俺たちに集まる。
私たちは同時に口を開く。
「「ようこそきつね亭へ」」
いつもの挨拶。
いつものきつね亭の始まり。
こうして、新しい日常は始まる。
これからも、夢を叶え続ける。
魔法のように料理を作り、客を笑顔にして、自分も笑顔にするっていう祖父の姿を追いかけ、その先にある私の夢も。
それも一人じゃない二人で。
さあ、始めよう。きつね亭でこれからを。
きつね亭はこれにて完結となります!
ここまで読んでいただいてありがとうございました!
最後に、画面下部の評価をしていただけるととてもうれしいです。きつね亭の未来を祝福してあげてください




