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時刻神さまの仰せのままに  作者: Mono―
第一章:学園
13/67

10話:創世の鼓動

一つの影が、蠢く。

その影は、ひと時の静寂すら存在しない退屈な世界を眺め、滅びを見ては、誕生を見る。

そして生まれたそれは再び滅び、また、新たな火種が生まれる。その繰り返し。


その影は思う。


『この世界に、進化は無いのか』


と。


その影は言う。


『変えるのか。それとも還るのか』


と。


『道を開くのは、貴方たち……』


滞ることの無い、退屈な世界で、そう呟いた。


薄暗く、長い廊下を抜けた先。重厚な扉に閉ざされた部屋の中には、白衣を纏った2人の男女の姿があった。


そのうちの一人___ゴポゴポと音を立てる巨大な水槽をのぞき込む黒縁眼鏡の男が、唐突に声を上げる。



「こっ…これは…!?」



男は興奮もそのままに、背後で山積みにされた本を読み耽る長い髪の女の肩を、ばしばしと叩き呼びかける。



「見てくれハニー! ここっ…心臓がかなり肥大している!これは半進体ハーフには見られない、完全体オリジナルならではの現象だ!…実に!実に興味深い! …ってハニー!? ちょっと! どこ行くの!?」


「帰る」


「…へっ?」



そう言って読みかけの本をぱたりと閉じ、白衣の女は席を立つ。



「ちょ、待ってくれ!一人にしな……」



その言葉を遮るように扉を閉めた女は、はぁ…と小さな溜息をつき、その息が真っ白なモヤを作り出していることに気付く。



「寒っ…」



白衣の袖から腕を引き抜きながら、自分の身体から発されるポキパキという音を聞く。長引いたデスクワークとようやくおさらば出来たとは言え、しつこく付き纏う頭痛は消えそうにない。



「もう何時間寝てないのかしら… うーん…そろそろ70時間ぐらいか…」



ポケットの端末を取り出し、地下生活で狂った時間感覚を調整する。

時刻を確認し、そのついでに通知欄を確認するが、



「…進展、ナシと」



虚しく表示される”新着なし”の表示から目を逸らし、ポケットに無理やりねじ込む。



「ほーんと、何してるのかしらね。私は…」



地上へと繋がるエレベーターに乗り込み、電子表示がB5から1に変わるのをぼーっと眺める。

扉が開くと、効きすぎな程効いた暖房の熱風と目を眩ませる室内照明に寝不足な体を巻かれ、



「…ちょっとこの部屋、暑すぎるわよ」



つい零れた愚痴に誰が反応する訳でもなかったが、女は大きく深呼吸し、僅かな笑を浮かべながら長い廊下を歩み始めるのだった。





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※






「ぶえっくしょい!」



と、遠慮なく盛大なくしゃみをかましたのは、寿コトブキ健慈ケンジその人である。



「はっ。 誰かに噂されてやんの」


「…黙ってろ、糞ガキ」



突っかかってきた少年の言葉に背中越しに言い返しておいて、



「ですから、居住パスか搬入パスをお持ちでない方は入れられないんですよ」


「だからなぁ? 臨時できたもんだから、持ってないの。そんでもって、その糞めんどくせぇ手続きをしてたら日が暮れちまうんだっての! あぁ? 日はもう暮れてるだぁ? そんなん知ってんだよボケ!つかうっせえ糞ガキ!」



今度は向き合う第三者の質問に答える。我ながら厄介な人間達に囲まれたもんだと心の中で思う。


…第3者とは、居住区第52区の警備員である。この人物の介入により、いやそれはこちらの手際の悪さのせいであろう。もう事態は、収集のつかない方向へと向かいつつある。


まず一つ目。前提条件として、車内での会話。時間の止まる感覚を味わった人間は、彼方だけではない、ということ。まずそれが、自分を含む3人の思考を疑問と好奇心で覆い尽くす。それに加え、



「ならせめて身分証明書の提示を…」


「顔パスで通せよ!? 俺が何度このエリアに来てると思って__」



せっかく辿り着いた任務地に入れない、という事態。


「苦労って……お前はパーキングで飯食って寝てただけだろ……」


「さっきから余計なことばっかり言うんじゃねぇボケナス!」


執拗に絡む彼方。

完全にあれだ。健慈が嫌いな骨折り損になっている。異進種討伐なら何とかなるものの、ただの教師、生徒である僕達には手の下しようがない。それに加えさらに、


「取り敢えず本部に確認を取りますので……身分証明書と、こちらの書類に御記入を」


「まったく……頼むぜ。ほらお前らも生徒証」


それに僕、そして綾音、彼方が応じ……


「あ……あれ?」


1人だけ、不穏な動きを見せる。それは勿論……


「おい……嘘だろお前……」


全員の視線を一点に集める彼方が、全身のポケットをまさぐる。

まさか、と悪い予感。

そして、出て来た言葉は……



「……落とした……みたい……です……はい」



予感☆的中。


その結果を恐らく予想していたであろう2人が、


「取り敢えずお前は後で〆(しめ)る」


「アイス禁止令、再起用」


本人に地獄を見せるべく、悪態を振りかける2人。思い出した様にアイスの話題が上がる。


「はは。……って、笑えないね。流石に」


そう苦笑いと共に、その顔に視線を向ける。


「…………」


青ざめたその顔……その持ち主、彼方の土下座ショーが始まったのは、それから0コンマ数秒後のことであった。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




「ゔ―――……」


隣で低く唸っているのは、勿論彼方。あれからずっとこんな感じ。


「いつまで意地張ってるのよ……」


「ゔ?」


唸る奇人を一括。


「早く人に戻って」


「もともと人ですよ…………もともと……」


こんな彼方を見るのは、これで何回目だろ。

そう自分に問うが、計測不能を悟り敢なく諦める。


「もう…。学生証の事は何とかなりそうなんだから……いい加減、顔あげる!ほらっ!」


ぱしっ。


背中をはたいてやる。

彼方が落としたという学生証はどこへ行ったか分からないが、偶然にも健慈が持ち合わせていた任務指令書に、顔写真付きの特務行動者リストが同封されていたのだ。それにより、彼方を含む4人の身元を証明することが出来た。


「…………痛い……」


「感想はいいからさ……ほら」


と、今度は背中をさすってやる。我ながら保護者のようも思えてくる。


「…………」


今度は感想がない。そんな、がくりと肩を落とす彼方に、「なるべく優しく」を心掛け、語りかける。


「落としたの、戦闘中なんでしょ?なら……仕方ないって。教官はああ言うけど、彼方は……頑張ってたもん」


「…………」


彼方をここまで落ち込ませる原因は、そこまで言う!?というレベルの、健慈からの疑心と不安をもたらすお説教。内容を要約すると…というか、そのまま言うと、

「あーあ、また物を無くして……こりゃあまた学園のお偉いさんがプッチーんすんなぁ。あ、下手すりゃ進級も……いや、残留も危ういか?どんまい、彼方」

という恐怖の内容。

先程の挑発の鬱憤を晴らしたつもりであろうそれは、まあ不注意だとはいえ落とした彼方も悪い……が、それでもあまりに可哀想に思い、その事を健慈に指摘しようとしたところ、その本人は遺失物届けと再発行書類を彼方名義で書いている……と、結局どっち付かずのポジションになってしまったわけだ。

そんな中で自分が出来る事……と言えば、ペシャンコに凹む彼方に声を掛けてあげる、ぐらいの事であった。


「それに私もさっきは……ちょっと、言い過ぎたかも。ごめんなさい……。アイスは…その…いくらでも食べていいから。ね?元気出して?」


アイス禁止令は緩和、というか最早全面的に解除する。『同情するなら金をくれ』ではなく、彼方ならば『アイスをくれ』と言うであろう。だからそれが一番だと確信する。

そんな自分なりに『優しく』したつもりの気持ちは、込めた思いに報いるかのように彼方の心に響いてくれたようで、


「別に……」


「あ、……ようやく顔上げてくれた」


垣間見えた瞳は、しっかりと光を取り戻した様子だった。


「……別に、お前が謝る必要はない…だろ。悪いのは俺なんだし」


自分の悪い所をしっかり認めるのが、彼方のいい所だ。それを踏まえ、擁護と尊敬を込め、さとすように言葉を続ける。


「まあそう……かも知れないけど。そこまで落ち込まなくても大丈夫よ。私だって逢里だって、あの教官も……結局は彼方の味方なんだから。頼っても、あ…甘えても…いいんだから。……ね?」


幼い頃から共にいるよしみだ。助け合うのは当たり前の事だと、本音が口から出る。少しばかり特別な感情が湧き上がったような気がするが、それは出る前にみ込む。

すると、目の前の少年はようやく顔色を取り戻し、うっすらとえみを浮かべる。だが、


「……それ言う通りに甘えたら、肩でゴスゴスされない?」


「…う…」


今度はこちらが黙らされる。

確か列車の中でそんな事があったような……なかったような……うん。無かった。ことにしよう。


「そんな事しない……から。……多分。安心して」


「不安でしかない返事だな……」


苦笑いを浮かべる、隣に腰掛ける少年とのさり気ない、そして当たり前の会話をすることに、いつから平穏を味わうようになったのだろうか。あの日から?違う。……いつからなんだろう。


「……でも、ありがとな。わざわざ来てくれて。お前ならもうとっくに寝てる時間だろ?」


「……ううん。いつも寝てる時間とあまり変わらないから……大丈夫」


心配してに来たのに、逆に心配される、という始末に頬が熱くなる気配を感じ、すうっと息を吸い込む。


そして数秒の、静寂が訪れる。


「……あ」


それを覆すのは、何かを思い出したような声を出す彼方。


「なっ、なに!?急に!」


今1度、紫紺の瞳を覗き込む。それは光を映すだけでなく、発しているかのように輝いている。そして、


「……あそこだ!」


照明が半ば消された薄暗い部屋の中で、叫び声が木霊こだました。


「ち、ちょっと!声が大きいってば……え!?どこ行くのよ!?」


「あそこに……アレが……!」


突然立ち上がり、制止を振り切り飛び出すそれに、なんとか付いていく。


(落とした場所でも…思い出したのかしら……。てゆうか速……)


おそらく全力疾走である背中は、施設の廊下を曲がったあたりで見失う。


(何なのよもう……)


時刻はもうそろそろ日付が変わる。健慈が気まぐれで中継地パーキングエリアで食い倒れなければ明るい内に着いていたのに、と思わずに入られない。

男の心理というのは非常に理解しにくいものだ。女である自分にはさらさら分からない感情が山ほど搭載されているのだから。


(看板見ただけで『あれは美味い!不味い!』とか……もう意味わかんないわよ……挙句の果てには寝始めるし……)


ブツブツと記憶の中の男達に文句を言う。現在進行形で意味不明な行動を取る少年が、その念を増幅させる。


(うぅ……。暗い所……苦手なのに……)


と、自分の思考の中に我ながら、女子らしい部分があることに気づく。


(それに全く配慮がないのはどうしたものかしらね……)


所々点灯する照明を頼りに足音を辿る。そしてようやく、


(……!あれって……)


光を受け、床に写る影を見つける。


(でも……なにか……)


だがその影形かげかたち異形いぎょうであり、あたかも両腕を振り上げた怪物のように見えなくもない。

恐る恐るそれに近づく。……すると突然、それがゆらりと揺れる。


「ひっ……!」


そのせいで悲鳴めいた声が漏れるが、数秒後。


チャリンチャリンチャリンチャリン。ガゴッ。カシャリ。ベリベリ。


と、擬音が聞こえる。


(なになになになに!!??)


その人工的な怪音に興味をそそられ、気配を悟られないよう、ひょいと顔を覗かせる。

すると……


「彼…方…?」


そこには。


「……ふも?」


モナカに包まれた固形物を頬張る、


「………………」


彼方バカなオトコの姿があった。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




「それで……54区に?」


「はい。そこで戦線管理科による実戦形式の演習が行われます。開始日程は4日から、現地には明日の朝出発するとのことです」


「そうそう、移動はバスみたいなんですよぉ!遠足みたいで楽し……」


「いいえ。御嬢様の将来に関わる大切な事案です。芽愛の意見に惑わされず、自らのご意思で行動なさいますよう」


「別にぃ、ふざけてないのになぁ……ぼくぅ…」


と一見、真面目な会話を交わすのは、佐倉さくら姫乃ひめのとその守人ディフェンダー神道しんどう姉弟である。

しかしどうやら、その片方は少しばかり苛立ちを隠しきれていないようだ。


「ねーちゃん何でそんなに不機嫌なわけぇ?こわいよ?」


「……別に何でも。御嬢様、何かご質問は?」


「あ、いえ……特には。それよりも……荷造り、任せきりでごめんなさい。もう少し時間があると思ってたんですけど……」


佐倉さくら姫乃ひめのは、1練生の学年委員を務めると同時に、両親の権力も相まって生徒の中で地位が相当高い。結果的に、勉学と共に学園の運営にも携る、というなかなかシビアな日常を送っている。


「いえ。これも仕事のうちですので。御嬢様こそ、無理はなさらない様にしてくださいませ。体調を崩しでもしたら元も子もございません」


「……ええ。ありがとう」


従者の言葉にそう返事こそしたものの、正直な所体が休暇を求めているのは間違いないだろう。

兄、彼方を見送った後、講義へ。これ自体は午前中で終了したものの、それから学年委員会、行事管理会。さらには学園の理事会にも学年代表として出席。そしてこれらにより午後が潰れる。よって午後6時半。結局この時間になってしまう。それこそ休みという単語は、去年の夏以降ほぼ聞いた記憶が無い程に忙しい。

だが、その疲れも吹き飛ぶほどの娯楽が、自分の左のポケットに存在する。

それを密かに握りしめ、口を開くと同時に掲示する。


「そう、明日は久しぶりに午後講義がなくて。お昼過ぎぐらいまでは休めるの。だから…2人とも、カフェでも行きませんか?御兄様から頂いたこれ、使おうと思って」


提示するのは他でも無い。昼間彼方から渡されたアレである。


「それは…フリーパス…。先日授賞されていた物でございますね」


「ええ。有効な人数が3人らしくて。忙しくなければ……ですけど」


そう。忙しい日常を過ごしているのはこの2人も同じだ。

ボディーガードとしてだけでなく、神道家に代々伝わる隠密行動師スパイとしての課業、様々な情報収集も生業にしている訳であり、暇という暇は、絞り出せないほどに枯渇していることであろう。


「そう……ですね。行きたいのは山々なのですが。わたくしは1つほど、闇金摘発しごとがありまして。」


覚悟はしていたが、やはり多忙な様だ。そう……と力無く返事をするが、それをかき消すように隣の部屋から声が響く。


「ハーイ!神道芽愛、行きまぁーす!」


「え?」


それに困惑していると、


「忙しいのは私だけ…です。芽愛の方は、上からの信用があまり無いので、暇みたいですね」


「ちがうよぉ!ねーちゃん居なくなったら御嬢様1人になっちゃうでしょ!?だから待機命令なのぉ!」


稀に見る口喧嘩いいあいに、和まされる。

しかし、折角なら3人で行きたい。彼方にそう言われたように。


「でも…1人だけ行けないのも、可哀想だし……」


「いえ。私の事はお気になさらず。芽愛でも、御嬢様を退屈させない程度には、御相手出来るかと」


「さっきから僕の扱い酷いぃぃ!」


隣室からの遠吠えを、全く気にしない辺りさすがプロだと思うが、折角2人に合法的な休みを取ってもらうチャンスなのだ。ここは1つ、自らの力を使い、従がってもらうことにする。


「じゃあ……こうしましょう!3人で行ける機会があるまで、この事はお預け。メアも、それで良いですね?」


それを聞いた2人からは、各々の心境が。


「……お気を使わせてしまったようで。申し訳ありません」


「はぁーい」


普段、身の回りの世話という範疇を超え、完全に働き詰めの2人。


だからこそ。


「たまには3人でお茶するのも、良いでしょう?」


そう2人をねぎらう、計画を練るのである。

己のために尽くしてくれる者の、あるじとして。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




1月3日、昼。特にすることの無い午後のことを考える。長い廊下に貼られた掲示物をただ眺めながら。


(明日の荷物……もう1回確認しておこうかな……)


そんなことを考えていると、ふと背後に気配を……


「ひーめーのん!」


「ひゃあ!」


そう思い立ったもつかの間。突如として背後から抱きつかれ、素っ頓狂すっとんきょうな声をあげる。


「あはは!びっくりした?」


無邪気な声でそう問いかけてくるのは、同じクラスの少女。


「もう、驚くに決まってるでしょ!心臓が止まるかと……」


「えー?こんなに柔らかいのに?」


「ひっ!ちょっ、やめっ」


前に回された手は、これまた突然、胸部の膨らみを揉みしだき始める。

同じく悲鳴も、再度発生する。


「やめてってば、ひぅ…ぅ、ちょっと、ゆい!」


声を僅かに荒らげると、ここでようやく、身体に巻き付けられていた手が解かれる。


「あはは。ごめんごめん」


ゆい、と呼ばれた襲撃者しょうじょは、本名を恋羽このはゆいという。クラスでは明るい良い子なのだが、2人きりになると秘めたるものが覚醒する。

どちらかというと、何というか、接触過多せっしょくかたな方向で。


「まったく。相変わらずなんだから。でもあんまり…人前で触らない方がいいよ?ふ、2人きりの時もやめて欲しいけど」


胸元を、教材で隠しながら言う。


「ふっふっふ……!障子とルールは破る為にあるのだ!」


「ど、どっちも破っちゃダメだよ!?」


「真面目だねぇ、ひめのんは……。それに比べ私なんて……」


その続きを遮るように、校内放送が鳴り響く。


『1-A、恋羽結!至急教員室、大倉おおくらの所まで来るように! 繰り返す!恋羽結、至急教員室まで来るように!』


それに、付近の生徒達がざわめく。


「まーたゆい?今度は何したの?」

「うわー先生激おこだよ……頑張れゆいちゃん!」


騒ぎ出すそれに苦笑いを浮かべ、ため息をつく友達ゆい


「と……こんな訳ですよ……」


同じクラスの生徒はもちろん、他クラスの生徒達も結を知っているということに驚くが、良い意味で顔が広いことであることを願い、その肩に手を置き慰める。


「苦労すると老けちゃうよぉ……」


そう俯く結に、


「もう……今度はノート?プリント?あ、それとも感想文?……ほら、何でも貸してあげるから、早く終わらせちゃいな?ね?」


もうこうしてあやすのも、何回目だろうか。


「うぅぅぅ……やっぱりひめのんは神様だぁあ!」


「うぅえ!?ちょっと……」


そしてこの熱い抱擁も。


「あとでいぃっぱいナデナデモミモミしてあげるね……うぅぅぅ…」


「け、結構です……」


左腕に抱きつかれたまま、自室への道すがら教員室へ。

中等部1練生が使う校舎は少しばかり特殊で、ほぼ円柱状に佇む建物内には扇形の教室が配置されている。

その中央に目的地の教員室が、まあ結にとってみれば極地そのものかもしれないが、それが存在する。


「……あれ?そう言えば金髪の2人、今日はいないの?」


終始ため息ばかりだった結は、目的地まで残り数メートルになった所で、抱擁によって解けた服装を正しながらそう言う。


「え……今気づいたの?」


「うーん。私は可愛い可愛いひめのんしか…見てなかったからね」


恐らく、少しばかり引きつっていたであろう笑顔を見せながら、不在の理由わけを話す。スパイ活動ほんとうのことは言えないが。


「うん……。少し用事が入ったみたいで。メアの方はさっきまで居たんだけど……」


いつの間にか姿を消したそれを気にかけながら、質問に答える。


「ボディーガードなんだよね?いいなぁ……。ひめのんなら私が隅々まで見ててあげるのに」


「いろんな意味で怖いから遠慮しておきます……」


悪い子ではないんだけどなぁ……と思いながら、教員室へ入るその背中を後押しする。

一瞬垣間見えた室内には、鬼の形相をした教師の姿。


「うぅ……ひめのん元気でねぇ……」


死に際のような言葉を残し部屋へと消えた友にエールを送り、一呼吸おいて踵を返す。


(やること……無くなっちゃったなぁ……)


そう思うと同時に、退屈な午後への虚無感が湧いてくる。

こんな時、話し相手になってくれる金髪男児は……


(どこいっちゃったの……メア…)


仕事だと言っていたメイはともかく、その姿は講義終了とともに姿が見えなくなった。


(用事ないって言ってたのに……)


無言で姿を消したそれに、僅かな落胆を抱く。


(でもお仕事なら……仕方ないよね)


だがそれも致し方ない、自分とは違う生き方をする者の運命さだめ、と言った所であろう。それを止めることも、変えることも、それをするだけの力が、自分にはないのだから。

今頃危険に身を包んでいるであろう、あの兄のように。


そんなことを考えつつも、いつの間にか階段を降りきり、自室への道を着々と歩んでいた。


そんな退屈な午後。それが一変するのは、それから数十分後の、自室でのことであった。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




1つ、また1つと、手に持つ物と資料の名簿を照らし合わせる。先日の夕時、従者の1人が終わらせてくれたそれは、やはり確認の必要も無い完璧なものである。


「あとは……」


スーツケースに荷物を詰め終え、今度はポーチに入れる小物を揃えていく。


と、その時だった。



プルルル、プルルル。


手に取った携帯端末が、不意をつくように鳴り響いた。

しかも、その着信相手は__



「…御父…様…」



自分の倍、いや二乗しても到底及ばないであろう程に、忙しい日々を送っているであろう、父親から。

しかも、年始の多忙極まりないはずの今、である。



「…もしもし?」



電話に出る自分の声は、謎の緊張に包まれている。



『……やあ姫乃。新年、明けましておめでとう。元気にしているか?』



低く、それでいて良く響く声。この声に、何度叱られたことか。

優しさの象徴的存在である母親やかなたとは、根の厳格さが桁違いだ。

緊張の理由。それは、少しばかりの苦手意識、そしてひとつの疑問があるから。


「明けましておめでとうございます、御父様。もちろん、元気で生活させて頂いています」


『……そうか。学業の方は、どうだ?』


「はい。それも問題なく。初等科の中では、首席を任させています。運営の方も各専科に応じて研修を取り入れるなど、教官の方々の協力もあり総合的な活動力の向上に務めています」


『……流石は私の娘、と言ったところか。充実しているようで何よりだ』


「……はい。有難うございます」


堅苦しく、そして暖かくもあるその会話は、もう慣れ親しんだ…という訳でも無いが、ここ鳳凰学園に入学した時から続いている、近況報告を含めた大切な親子の時間でもある。


『神道の2人は、しっかりとしているか?』


「はい!それは勿論。言葉では表せないぐらいの仕事ぶりです。少し…働きすぎな感じはしますけど」


『あの2人には、それくらいが丁度いいさ。なにせ神道の名を継いでいるんだからね』


メイとメアの2人がそうであるように、その両親もまたボディーガード等、様々な活動をしている超一流の家系なのだ。その課程から、一流企業の代表取締である自らの父に、眼には眼を歯には歯をと言わんばかりに雇われている訳である。

仕事の関係で知り合った佐倉家と神道家ではあるが、そのお陰で様々な人々と知り合え、絆をつちかえたのは、言うまでもないだろう。


「それでも……少しぐらいはお休みをあげても、いいのでは無いでしょうか。いくら優秀でも、同じ…人間なので」


少し、出しゃばりすぎたかな……。そうは思ったが、伝えて正解だった。兄の言う通り、話せばわかる人、である。


『お前がそう思うなら、与えればいい話しさ。2人は私ではなく姫乃、お前に従っているのだからな』


内心で、よしっ!とガッツポーズを決める。とまでは行かなくても、否定されなかったことに価値がある。

対話は大事だ。争いごとが嫌いな姫乃はつくづくそう思う。


『なかなか芯が通ってきたじゃないか。それならば時期当主を任せそうだ』


それに、積もり積もった思いが表に湧き上がる。


「……あの、もうひとつ宜しいですか?」


『なんだ?』


褒められるのは正直に嬉しい。だが1つ。思い、感じることがある。

それは、


「その……当主のお話なんですが……。なぜ、御兄様ではなく、私なのですか?」


『…なに?…』


「本来当主を継ぐのは男性……それに……」


感情が……湧き上がる。


「今日……いえ、その前も。いつも話していて御兄様の話題が挙がらない。何故…何故そんなにも御兄様に触れず…遠ざけるのですか?」


『…………』


沈黙が流れる。

普段から思うこと。それは兄、彼方の不遇さに対する疑問だ。養子だから、血が繋がっていないからという理由で自分にとって兄でしかない彼方を、冷たく…そしてあたかも他人のように扱われることには、憤りを感じるのだ。

この世で成功し、財を成し。そしていくら尊敬する親だからといって、許せることではない。


『…………』


「…何か、言って下さい。御父様」


初めて、この疑問に本気で向き合った。

矛盾と蟠りに満ちた世界で。たったひとつ、見つけた光。たとえ兄妹でなくとも、そうでありたいと願ったその存在に、むくいるため。言葉を重ねる。


「御父…様?」


静まり返った機械越しの世界に、今1度問いかける。そして……


帰ってきた言葉はあまりにも呆気なく、儚いものだった。



『…お前の兄……彼方のことを、心配したことは無い。ただ……それだけだ』



「……!」


今度はこちらが言葉を見失う。やっと見出みいだした…小さな芽を、摘み取られるような感覚。


『……話はそれだけか?なら切るぞ。お前は前を向いて、自分の為、学園の為に精進すればそれでいい。余計な心配はするな。……以上だ』


静寂の中、通話の終了を知らせる途絶おとだけが、虚しく響いていた。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




瞳を開く。あれから、どれ位の時が過ぎただろうか。見渡した部屋の暖かなあかりが、外が暗いことを感じさせる。


(…………)


やることが無いだけではなく、考えることすら、もう無くなってしまった。

すっかり眠りこけてしまった我が身には、いつの間にか毛布が掛けられている。


(メイ……メア……)


従者の名を、心で叫ぶ。

頼るべきが、もうそれしか……残されていない。だから気付くと、その名を呼んでしまっている。


(こんなに弱いから……私は……)


負担をかけてしまっているのだろうか。2人に。そして……


(お兄ちゃん……)


居るはずのない、その存在に。

その思いの傍ら。再び目を閉じようと……


「御嬢様ぁ。お目覚めになったようですねぇ」


「メア……?」


ふと辺りを見渡すが、その影は見当たらない。


「え……?どこに……」


答えは、死角にあった。


「ここですよぉ。ここ」


自分の体が、スッポリと埋まってしまうほどの巨大なソファー。その肘置きの影に、それは鎮座していた。


「あ……」


見つけた、という言葉の代わりに、貧弱な声が出る。


「もうしばらくしたら、ねーちゃん帰ってくると思いますからぁ。夕飯はもう少し待ってて下さいねぇ」


「…はい……」


パソコンに向かって何かを高速で打ち込むそれに、今は少しばかり安堵を感じる。

しばらく、カタカタと刻まれる音を無心でかんじていた。


(…………パソコン…………パソコン!?)


それを目にし、少し希望が見え始める。


「そうだ……!」


ムクりと……いや、ガバッと起き上がり、金髪の少年を驚かせる。


「うわぁ!ど、どうしたんですか?」


案外子どもっぽい反応を返すそれに、


「少し……頼みたいことが。良いでしょうか?」


唐突、そして百パーセント何かしらの仕事を邪魔してしまうであろう発言に、


「もちろんですぅ。お役に立てるならば、いくらでもお手伝いしますよぉ?」


こうも快く返事をしてくれるのはこの少年と、もう1人の金髪少女だけであろう。





coming soon

お読み頂きありがとうございました。


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