額に落とされたもの
rose11 熱
「────…………さ、まだ熱下がってないんだろ?悪化してもいけないし、俺ももう帰るよ」
鏡夜が軽く僕の額を触って、柔らかく微笑む。冷たくて心地よいその体温に、すり寄ってしまいたい衝動を抑えて、小さく頷く。
「………………ん」
情けない表情をしていたのか、鏡夜は僕を見て、困ったように笑う。
「…………そんな顔するなよ、帰り辛くなる」
鏡夜は少しだけ困ったような表情で、するりと指の腹で僕の額に貼られたシートを撫でる。「まだ熱いな」なんて、本当に心配そうに言うものだから。単純な僕はそれだけで満足してしまう。
「────また明日の朝来るよ。大丈夫だったら、一緒に学校に行こう。でも、まだ体が辛かったら無理に起きてこなくて良いから」
不満そうな表情をする僕に気が付いたのか、鏡夜はまたあの少しだけ意地の悪そうな表情をして笑う。
「────ねぇ、綺流社。もしかして────」
「────泊まっていって欲しいなぁって、考えてる?」
切れ長の瞳を細めた、ほんの少し意地の悪そうな表情。整ったその顔は、彼をますます意識させるには十分すぎるほどで。
「────ちっ、違う!ただ、ちょっと────」
焦り始めた僕の口は、勝手に言葉を紡ぎ始めて。しまった、と思ったときには、もう鏡夜がにやにやとしながらこちらを見詰めていて。
「ちょっと────なに?」
心底楽しそうなその表情に腹が立って、当て付けのように「何でもない!お見舞い来てくれてありがとう!」とだけ言うと、くるりと踵を返して家の中へ入ってゆく。────…………本当は、最後まで見送るのが礼儀なんだけど…………
こんな言い方をしても家の中に入らないのは、流石に少し恥ずかしい、と思い、玄関のドアノブに手を掛けた瞬間────
「────綺流社」
鏡夜の名前を呼ぶ声に、振り返らずに「何ですかー」と告げれば、「ごめん」と謝られる。
「ごめん、綺流社。からかいすぎた。────ねぇ、もう帰るから、最後にもう一回だけ顔が見たいな」
鏡夜の、いつもよりも少しだけ優しい声。子供の機嫌を取るようなその声色に、ますます腹が立って。
「い・や・だ!────じゃあね!」
そう言って玄関のドアノブを引こうとした瞬間────
「────綺流社」
甘やかすようなその声色に、手を掛けていたドアノブを離す。がちゃりと玄関のドアが閉まった音が聞こえた。
「────っ、もう!」
思わず鏡夜の方を振り返ると、鏡夜が本当に少しだけ────寂しそうに笑うから。思わず目を見開いて、鏡夜の方へと駆け出してゆく。
とんっ、と軽く音をたてて鏡夜の胸に僕の額が当たる。赤くなり出す頬を知られたくなくて俯けば、鏡夜がくすりと笑う気配がする。
ずるい、と言えば、「ごめん」と返される。
「────でも、綺流社に怒られるなら有りかもしれないな」「────っ、馬鹿っ!」
つい憎まれ口を叩く僕に、鏡夜は面白そうに笑う。その表情に嫌な予感がして言葉をつまらせると、鏡夜は僕の頭をするりと撫でて、「じゃあね」と言って帰ってゆく。
僕は、小さく鏡夜に手を振ってから、熱くなる頬に手を当てる。
「────…………鏡夜の、馬鹿」
呟いた言葉は、静かに夜空に吸い込まれて消えていった。
rose12 ずるいよ、鏡夜。
次の日に熱を計ると、平熱の36.5だった。
「やったぁ…っ!」
体温計を握りしめて、思わずガッツポーズをする。
「お母さん!良い!?」
僕はお母さんにお伺いをたてる。
僕の家ではそれがルールだ。
「ん~…。良いわよ。いってらっしゃい。」
その日は朝ご飯もしっかり食べて、いつもより少し早めに家を出た。
いつもと同じ朝の風景…に鏡夜の姿があった。
心臓がドキドキして、脈が速くなる。
「きょう…や?」
なんで…?
鏡夜が柔らかく微笑んで言う。
「…おはよう。」
鏡夜と二人で手を繋いで歩く。
―このまま学校に着かなければいいのに。
そうすれば、この温もりをずっと独り占めできるから。
でも、学校に着いたら鏡夜は玉倉さんと一緒に行ってしまう。
ちょっと辛くて、でも、鏡夜は僕の事が好きだって思えるから。
信じられるから。
「綺流社…。」
不意に鏡夜に呼ばれた。
「え…。」
鏡夜は微笑んで
「ずっと、一緒にいるよ。」
ああ、何を考えても
「鏡夜には、バレバレだぁ…。」
―ずるいよ、鏡夜。
また今日も、相変わらず鏡夜にドキドキした。