俺が好きなのは────
rose10 誤解
「……………………で、一体何をそんなに泣いていたんだ?」
鏡夜は僕から体を離すと、心配そうに表情を歪めて尋ねる。
「日下部達に襲われたことか?それとも、誰かに何か傷つくこと言われたのか?それとも────…………」
「…………えっ、ちょ、ちょっと待って!」
矢継ぎ早にくる鏡夜からの質問を慌てて止める。
「その前に、えと……なんで鏡夜は僕に……その……」
「ああ、キス?」
鏡夜は意地悪そうににやりと笑ってこちらを見る。その表情に、声に、僕の顔がみるみるうちに火照り出しているのがわかった。心臓は、相変わらずトクトクと音を立て、酷く息苦しくなる。
────鏡夜も迷惑だって────………………
その時、不意に玉倉さんの言葉が頭の中に響く。その瞬間はっとして、身体からすうっと血の気が引いていく。
────そうだ、僕、迷惑だって────………………
「…………綺流社…………?」
鏡夜が心配そうに僕を覗きこみ、優しく笑って、いつもみたいに頭を撫でる。
いつもなら、それがとても嬉しいはずなのに。それも玉倉さんにしているのかと思うと、途端に苦しくなる。
その優しい言葉も、表情も、冷たくて大きな手の感触も、本当は僕だけじゃなくて────
頭の上に置かれた手が、酷く重く感じる。黒い粘りけを含んだ気持ちが、ゆるゆると僕を蝕む。
好きでないのならどうか、お願いだから期待をさせないで。こんなに黒い嫌な気持ちを、恋だと錯覚させないで。
────僕が君にとって、迷惑なら。
「…………ねえ、鏡夜。…………僕は、鏡夜にとって迷惑なんでしょ?」
目線を逃げるように鏡夜からずらして呟けば、鏡夜は「え」と呟いたまま、驚いたような表情でこちらを見る。
その声色は、心なしかショックを受けているように思えて。それでも、「迷惑」という二文字はなかなか頭から離れてはくれない。
「…………っ、僕は男、で…………。君とこんな風に触れ合うことも、本当は許されないんだ。君は、僕なんかよりずっと素敵な人と一緒にいることが出来るし、僕なんかじゃなくて、玉倉さんみたいな可愛い女の子と一緒にいる方が、君にとって────」
「…………綺流社」
鏡夜が嗜めるように僕の名前を呼ぶ。それでも、言葉はまるで水のように溢れ続ける。
「…………僕なら、大丈夫だから。だから、君は、君に釣り合う人と一緒にいた方が良いよ。今なら、き、キスしたことも、全部無かったことに出来るから。…………男同士でのキス、なんて、君も早く忘れたほうが良い。…………僕も、忘れる、から」
「……綺流社」
「…………だから、僕は大丈────」「………………っ、綺流社!」
大きな声で自分の名前を呼ばれたことに驚いて、びくりと肩を震わせる。驚いて鏡夜の表情を見れば、鏡夜は何処か痛みを含んだ表情で、怒ったように────いや、これは、怒っているのだろう────僕を見つめる。
「………………何で、綺流社がそんな事を決めるんだ」
鏡夜は、僕を見つめたまま、目を逸らさずに呟く。対する僕は、彼の勢いに気圧され、「へ」と間抜けな声が出る。
────…………「へ」…………って…………
間抜けな声に呆れてしまったが、鏡夜は茶化さずに真剣な表情で僕を見つめる。怒りを含んだ目に、少しだけ悲しそうな感情が混ざっていた。
「………………っ、俺は、綺流社と一緒にいたいからいるんだ。綺流社が好きだから、キスだってするし、その────欲だってある。………………お前は、違う?本当に俺が、一時の気の迷いだけでキスしたんだと思ってる?」
鏡夜は苦しそうに問い掛ける。澄んだその瞳に見つめられると、途端にその場に縫い付けられたように動けなくなる。
「綺流社にとって、俺はそんなに一時の気の迷いだけでキスするような人間に見えてるのか?」
傷付いたように、鏡夜は微かに瞳を揺らす。
「…………っ、でも…………っ」
その先に続く言葉が見付からず、はくはくと口を動かす。
でも、だって、単語ばかりが口から溢れて、肝心な言葉は何一つ出て来てはくれない。
────だって、そんなの、あり得ないと思っていたんだ
物語はいつだって、輝いている人が主人公になる。鏡夜が主人公だとしたら、その相手は玉倉さんのように相応しい人が隣に並ぶべきなんだ。
────彼の幸せを望むなら、そうして身を引くことが、ずっとずっと幸せな事なんだと思っていた。
────だけど、もしも。それが間違いだったとしたら?僕が彼の隣に居ることが、許されていたとしたら?
────………………僕は彼に必要とされているのかもしれない、なんて、自惚れても良いのだろうか?
「………………っ、僕は………………っ」
途切れそうな言葉の欠片を、必死に広い集めて言葉を紡ぐ。声は少し、震えていた。
「僕は────…………君が好きだよ」
その瞬間、鏡夜はもう一度僕を抱き締める。その力は強くて、そして何処か優しい。
何だか遠回りをした気がするね、なんて呟けば、綺流社が鈍感なんだ、なんて鏡夜に怒ったように笑われる。
「ごめんね」
目を閉じて謝れば、「良いよ」と鏡夜は微笑む。少しだけ、泣いているみたいだった。
「これから先も、そうやって何度も何度も遠回りをしていこう。もしも糸が絡まったら、その時は何度も何度もほどけば良いんだ」
そう言う鏡夜の声に、小さく笑みを返す。きっと、彼には見えないだろうけれど。
気を抜いたら泣いてしまいそうなほどに幸せで。それは、酷く優しくて、温かな時間だった。
これから先も、ずっとずっと。迷って、怒って、時々喧嘩をする。そんな日々が彼の隣でずっと続けばいいなんて思ったのは、彼にはずっと秘密だ。




