第1話 ふしぎな本との出会いは図書館のテイクフリーワゴン
2026年7月22日午前10時。バンドマンでギタリストの彼との別れから2日経った日の朝のこと。マチルダ=ミリターニは、ブレンドコーヒーで口に小さな火傷を負った。
今日から始まった、何てことのない、静かな日常と、自分だけの世界。もう、あんなロマンスなんて二度と出会えないとはわかっていても、彼女の世界のどこか片隅では、やはり寂しさが残っていた。
忘れたい。そうは思っても、インパクトとあのくちどけのよい日々を忘れることなど、今の彼女には不可能だった。
もし、本当に忘れることができたなら。そんな思いが、起きた時から芽生えては、彼女の世界の中で次第に大きくなっていく。
どうしたら忘れられて、違う世界にのめり込めるのか。彼女はその答えを知る。――図書館だ。
マチルダは図書館へ行くことにした。
バスに乗り、電車にゆらゆら揺られて数十分。
やがて、自宅から一番近い図書館に着いた。
今日も、いつもどおり、テイクフリーワゴンの中には、図書館からほっぽり出されて次の貰い手を待つ本たちが、図鑑から詩集まで、様々載っている。
マチルダは、その中から、深緑の、特に書名が印字されていない本に目が留まり、拾い上げて、開く。パラパラと適当にページを捲るが、真っ白続き。
何よ、この本は。中身のない本なのかしら。
そんなことを思っていると、中盤までページを捲ったところで、ようやく文字列とそのコードは現れた。
クリームメロンソーダコードと書かれているが、この時のマチルダは、まだそれが何なのかわからない。
そしてその謎の文字列の下には、バーコードと記号番号が印字されているだけ。
何とも奇妙なその本に好奇心をそそられたマチルダは、周囲に自分とこの本を見ている人がどこにも居ないことを確認すると、肩掛けバッグの中にその奇妙な本を忍ばせ、そのまま持ち帰る。
自宅に帰り、仕事部屋の机の上にその本を置くと、マチルダはシャワー室へ移動した。
ささっとシャワーを浴び終え、シャワー室から出ると、腰まで伸びたライトブラウンの髪をタオルドライし、ついでに体も拭いたら、白いバスローブを着て、おへその前で帯を結んだ。
この時、既に彼女の世界には、例の本の存在感に満たされ、いつぞやのロマンスも忘れることが出来ていた。
今度は冷蔵庫からアイスティーを取り出し、よく冷え、磨かれたグラスに注いだ。
それを持って、もう一度仕事部屋に戻ると、彼女は再びあの奇妙な本に視線を落とした。
グラスの中のアイスティーを飲み干して、空になったグラスを本の隣へ置き、本を手に取った。
またあのページを開こうとして、やめた。
この本に向き合うには、バスローブはドレスコード外だ。
何かよそ行きの服に着替えたほうが良い。
マチルダはそう思い立ち、クローゼットの引き出しから、花柄のワンピースと、薄手の赤いコートを取り出し、着替えた。
再び本を開いて、例のページを見た時、そのコードは光っていた。
この時の彼女はワクワクしていた。
そして、驚く。
目の前に、どこぞの時代の貴族に仕えていたか知れない執事姿のおじ様の存在があった。
「さぁ、行きましょう、王子が待っておられます」
執事は確かにそう言った。
瞬間、マチルダは知らない国の森の中に立っていた。




