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(10)一緒に見上げる曇り空 (完)

 ちなみに、今の小野寺君とわたしの関係は、客観的に見れば、仲の良い友達といったところだろう。

 一年ほど前に、一秒に満たない短い時間、ただの友達ならしないたぐいの接触をした覚えはあるが、それ以来、そういうことは一度もなかった。それに、どちらかの部屋に行ったりするようなこともなかった。


 例の先輩は、こちらがそれ以上の接触でもどんと来い、と思っていても、それが簡単にはできないというか、そういう発想がない人だったのだろう。それは相手がわたしではなくても同じはずだ、と信じたい。

 でもこの人の場合は、できないとかではなく、しないだけだ。これは相手がわたしでなければ違うのだろう、とも思う。この人には「女の子の友達」がたくさんいるみたいだから。

 そしてわたしの方も、前とは違って、友達のうちの一人みたいな関係で満足してしまっている。

 今日みたいにときどき待ち合わせて、食事をしたり、映画を見たりするだけのことが、とても楽しい。

 ただ、もちろん、今まで以上に親しくなるのも、やぶさかではない。


 やぶさかではない、のだが、何事にも心の準備が必要だ。

 それができていれば、頬を桜色に染めてうつむいた、のようなこともしてみたかったが、残念ながら、小野寺君の部屋に赤鬼がいます、のような顔色をさらすことになった。



 鍵をあけてもらって先に部屋に入ったわたしは、中をぐるりと見渡した。中の様子は、予想通りというか、すっきりとあまり物も多くなくて、小野寺君らしい感じだった。

 わたしの部屋よりもちろん新しいけど、家賃はいくらぐらいなんだろう、などと下世話なことを思ってしまう。


 後ろから肩をとん、とたたかれて、顔だけ振り返ったら、すぐ後ろに小野寺君が立っていた。

 うわ、背後霊、とか言おうかと思ったけど、やめといてよかった。

 彼の腕が肩を抱きこむように動くと、気がついたら自分の体が半回転していて、わたしは小野寺君の正面にいた。

 わたしの肩にかけられた片方の手のひらが、ゆっくり背中の方におりていって、もう片方の手は首の後ろのあたりを少し撫ぜてから、支えるようにそこに置かれた。

 彼の目が、わたしを見ている。


 一気に顔に血がのぼってしまった。

 目を閉じたいと思ったけど、顔が固まってしまったみたいに、それができない。自分の指の先を動かすこともできない。何か言うことさえできそうにない。

 そうこうするうちに、体までふるえだす。

 たったこれだけのことで情けなさ過ぎて、もうほとんど泣きたい。


 ほんとはやっぱり友達のうちの一人じゃ嫌だ

 もしこれで嫌われてしまったら、これからわたしはどうしよう

 これからわたしは、また・・・


「黙ってて」

 つぶやくみたいに言われて、背中にあった方の手が、なだめるように耳のあたりを包んだ。

 その反対側の頬にやさしい感触が降ってくると、それでようやく、わたしは目を閉じることができた。

 とっちらかっていた頭の中も、少しずつ静かになっていく。

 何か言うことさえできそうにない、とか思ったはずなのに、何かを口走っていたらしいわたしの唇の上に、頬の方からさっきの感触がゆるゆると移動してきて、留まった。

 首の後ろに置かれている手のひらに少し力が入って、わたしは多分、唇を差し出すような姿勢になっている。

 体中の神経が、手が置かれている耳のあたりと、首の後ろと、唇に集まってしまったような感覚の中で、固まっていた両腕を、ようやく小野寺君の背中にまわした。


 その背中が少しカーブしているのがわかって、かがみこんでいるんだな、などと思った。


 一度やわらかくわたしを抱きしめてから体を離した小野寺君は、頬のあたりにちょっと触れると、あっさり部屋の奥に行ってしまった。

 急に体のまわりの温度が下がって、こころもとないような、さびしいような感じがする。

 それからようやく、まわりの物音が耳に入るようになってきた。


 当然のことながら。長い間口だけ達者な先輩を思っていたわたしとしては、さっきのようなことも初めてだった。

 だから多少ブザマでもしようがないのだ、かまわないのだ、誰にも文句はいわせないのだ。


 と、いうようなことを考えながら、その場でつっ立っていたら、

「ぼけっと立ってないでこっちに来たら」

と、もっともな言葉がかけられたので、しおしおと足を前に進めた。


 コーヒーメーカーがポコポコいっている。いい匂いがした。

 小野寺君がソファを指さしたので、すなおに座った。長い指が静かに動いて、コーヒーがマグカップに注ぎ分けられるのを、手伝いもしないで見ていた。

「はいどうぞ」

「ありがとう。いただきます」

 そういえば、これと一緒にサンドイッチを食べるはずだったのでは。と、思い当って、せめてそれくらいはわたしが準備しようと、腰をあげた。

 隣りに座った小野寺君が玄関ドアの方を指さして、そこに紙袋が転がっているのが見える。

「落ちてるね」

「うん」

「ええと。でも、食べられるよね」

「うん」

「じゃ、とってくるね」

「うん」

 うん、と言ったその人がわたしの手首をつかんでいるので、取りにいくこともできず、もう一度腰をおろした。


「あのさ。最初のときは、ほんとにしれっとしてたよね」

 前をむいたまま小野寺君がいう。

「最初のときって?」

「一年も前。コーヒーカップが飛んだり部屋が揺れたりする直前のこと」

「うっ」

 例の一秒未満。

「すいませんでした」

「謝るってことは、悪いことしたって思ってるんだ」

「・・・はい」

「あの頃はさ、かなり危ない感じだったけど、自分でわかってた? 棺桶に足を突っ込ませないように相当がんばってた僕の純情、そろそろ報われるべきだよね」

「だからいろいろ誘い出してくれてたんだって思って、とても感謝してます」

 今だって、わたしが再びどどめ色の日々に戻らず、普通に生活できているのは、この人の優しさのおかげだ。

「もてあそばれて利用されたのに、今まで君だけに尽くしてきた僕の気持ちをわかっているのかな」

 君だけに尽くしてきた、という部分を中心に断固として異論をとなえたい。が、普段この人がどういう生活をしているのか、考えないようにしていたので実際のところはよく知らない。

「小野寺君はもてあそばれて利用されるタイプじゃないでしょ」

「そうなる直前だったよ。もしさっきも最初のときみたいだったら、もうあきらめて捨てられようかと思った」

 うそ。ギリギリセーフ。よかった。ありがとう赤鬼くん。

「すいませんでした」

「何考えてるんだかまったくわかんなかった。あんなことのあとで、聞くわけにもいかないし」

 それはわたしもそうだった。そう言うかわりに、肩のところに顔を寄せた。


「今もよくわかんないけど、まあいいや。もう一回、嫌いにならないでって言ったら許す」

「えっ。もう一回って?」

 嫌な予感がしてあわてて顔を離した。

「はぁ。ついさっき、そう言ってたでしょ。真っ赤な顔して」

 うそ。悶絶。鼻血。そんなベタでこっぱずかしいことを口走っていたのか。

「その気持ちに偽りはありません、ってことで見逃して欲しい」

 肩がソファに押さえつけられて、今度は喉に小さな重みがのっかって、ひぇーっと思いながら、結局わたしはもう一回、そのこっぱずかしいことばを口にした。




 そういうわけで、いろいろなことを模索しつつ、なんとかわたしは、元気な日々を送らせていただいております。




 おわり



どうもありがとうございました!

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