後編:最強の職人
死の衝撃は、いつまで経っても訪れなかった。
代わりにヴォルフの耳に届いたのは、風が優しく鈴を鳴らすような、チィン……という極めて静かな金属音だった。
恐る恐る目を開ける。
ヴォルフの目の前には、灰色の外套を着た小さな背中が立っていた。
エルミナだった。
彼女はいつの間にかヴォルフの前に滑り込み、腰に提げていたあの「おもちゃのような小ぶりな刀」を、片手でスッと抜き放っていた。
その直後。
ズズ……ズズズンッ!!
ヴォルフを粉砕するはずだったドラゴンの巨大な鋼鉄の尻尾が、まるで初めからそう切り分けられていたかのように、斜めに滑り落ちた。
そして、地面に落ちる直前、目に見えない無数の斬撃によってサイコロ状に細かく四散し、バラバラと音を立てて草原に降り注いだ。
「え……?」
ヴォルフの口から、間抜けな声が漏れた。
重装甲兵の盾を粉砕し、最高精度の狙撃銃を弾き返す強靭な肉体。それが、あの薄っぺらい刀の一振りで、いとも容易く両断されたのだ。
「GYYYYAAAAAAAAッ!?」
遅れて痛覚が到達したのか、ドラゴンが悲鳴のような咆哮を上げた。
しかし、その瞳に宿っていたのは怒りではなく、明らかな『恐怖』だった。
エルミナはゆっくりと刀を振り下ろし、刃の血振りをすると、怯える巨大な竜を見上げて静かに口を開いた。
「少し見ないうちに、随分と大きくなりましたね、ファフ。まさか私の顔を忘れましたか?」
その声は、相変わらず抑揚のない淡々としたものだったが、言葉には深い響きが宿っていた。
ファフと呼ばれたドラゴンは、エルミナの姿を凝視した。
灰色の外套。キャスケット帽。そして、その手に握られた、かつて自分の同胞たちを幾度となく震え上がらせた、あの理不尽な切れ味を持つ刃。
『……ッ!!!』
ドラゴンの喉から、ヒュッ、という息を呑むような音が漏れた。
直後、最強の幻想生物は尻尾を失った激痛すらかなぐり捨て、這うようにして後ずさると、巨大な翼を広げて空の彼方へと猛烈なスピードで逃げ去っていった。
次元の歪みの向こう側へと姿を消すその背中は、明らかにパニックに陥っていた。
残されたのは、真っ二つに折れた機械剣を手にしたヴォルフと、遠くでへたり込んでいるガストンとシエラ。
そして、何事もなかったかのように刀を鞘に収めるエルミナだけだった。
「ウソだろ……一撃で……しかも、逃げた……?」
ヴォルフは呆然と呟き、座り込んだ。
彼らの最強の重火器が通用しなかった怪物を、何の仕掛けもないただの刀で切り捨てたのだ。
そんなパーティの動揺など露知らず、エルミナはスタスタと草原の中央にある台座へと歩み寄った。
そして、刺さっている白銀の剣を「よいしょ」という軽い掛け声と共に引き抜く。
月の光のように美しい刀身を太陽にかざし、しげしげと検分した後。
「あれ?」
エルミナは不思議そうに首を傾げた。
「ここじゃなかったかな。間違えちゃいました」
彼女はそう呟くと、せっかく引き抜いた伝説の剣を未練もなくその場に放り捨て、ヴォルフたちの方へと戻ってきた。
そして、ぽかんとしている三人の前で深々とお辞儀をした。
「無事にダンジョンに入れました。本日は同行していただき、本当にありがとうございました。私は帰ります」
「ま、待て待て待て待てェ!」
きびすを返して帰ろうとするエルミナの肩を、ヴォルフが慌ててガシッと掴んだ。
状況が全く飲み込めていない。彼の脳内はキャパシティオーバーでショート寸前だった。
「どういうことだ!? ドラゴンを追い払ったあの一撃はなんだ!? それに、あの伝説の剣を……君は、一体何者なんだ!?」
矢継ぎ早に問い詰めるヴォルフに対し、エルミナは「あぁ」と何かを思い出したように頷いた。
「あの剣、私が作ったんですよね。昔」
「……は?」
「私、鍛冶屋なんですよね。新しい武器を作るたびに、試し斬りのためにダンジョンの主を切り刻みに来ていたんです。で、良い出来のものは記念に台座に奉納して、上手くいかなかった失敗作はその辺に捨てて帰ってました」
その言葉を聞き、ヴォルフの脳裏に電流のような閃きが走った。
現代の冒険者たちの間で、時折語られる不可解な謎。
ダンジョンを探索していると、周囲の朽ち果てた遺物とは明らかに異質な、錆び一つない完璧な状態で保存された『古代の武器』が発見されることがある。
学者はそれを「古代文明のオーバーテクノロジーの結晶」と呼び、冒険者たちは「神の贈り物」と崇めていた。
(まさか……あのオーパーツの数々、こいつが昔、試し斬りのついでに不法投棄していった失敗作だったって言うのか……!?)
恐るべき真実に、ヴォルフは目眩を覚えた。
彼らが命懸けで掘り出し、高値で取引している最強の武器たちが、この少女の「失敗作」だというのだ。
「じゃ、じゃあ……君は、一体いつの時代の人間なんだ……?」
ヴォルフの問いに対し、エルミナは「人間?」と首を傾げた後、自分の頭に手をやった。
彼女が被っていたキャスケット帽をそっと外すと、銀色の美しい長髪がふわりと広がり、その横から、ピンと尖った長い耳が現れた。
「私、エルフなので」
「エルフ……!?」
ヴォルフだけでなく、這い蹲って近づいてきていたガストンとシエラも息を呑んだ。
エルフ。魔法が失われるよりもさらに昔、古代に絶滅したとされる、永遠に近い寿命を持つ森の民。
理解の範疇を完全に超えていたが、彼女の持つ底知れぬ実力と、途方もない年月を感じさせる武器の数々を思えば、納得するしかなかった。
「……なるほど。そういうことでしたか」
ヴォルフは完全に毒気を抜かれ、自然と敬語になっていた。相手が数千年を生きる伝説の存在であれば、歴戦のSランク冒険者など赤子も同然だ。
「今回の目的は?」
「昔作った剣を、探しているんです」
エルミナは飄々とした態度のまま答えた。
「最近、ちょっと硬い金属を叩くのに専用のハンマーを作りたくて。その材料として、昔奉納した剣を溶かして再利用しようと思ったんですけど……置いた場所を忘れちゃいまして」
「で、伝説の剣を溶かしてハンマーにする気か……」
ヴォルフは天を仰いだ。価値観のスケールが違いすぎる。
その後。
なんだかんだありつつも、ドラゴンを退けた一行は無事に王都のギルドへと帰還した。
ボロボロになったSランクパーティと、傷一つない初心者少女の生還にギルドは沸いたが、ヴォルフは適当に理由をつけて報告を誤魔化した。エルミナの正体をあまり公にしたくないという意向を汲んでのことだ。
夕暮れのギルド前。
ヴォルフは、帰ろうとするエルミナを呼び止めた。
「エルミナさん。もしよければ……これからも俺たちのパーティと一緒にダンジョンに潜らないか?」
ヴォルフの言葉に、シエラとガストンも無言で頷いている。
最初は厄介者扱いしていたが、彼女の実力は本物だ。そして何より、ヴォルフ自身の中に、この掴みどころのない飄々とした少女をもっと知りたいという、恋愛感情とは少し違う、強い興味が芽生え始めていた。
「探している剣があるなら、俺たちの情報網と機動力が役に立つはずだ。お互いに損はないと思うが」
ヴォルフが真剣な眼差しで手を差し出す。
伝説の職人にして、最強の剣士。彼女が仲間になれば、この機械の時代においてどんな伝説を作り上げられるだろうか。
エルミナは差し出された手と、ヴォルフの顔を交互に見比べた。
そして、少しだけ考える素振りを見せた後。
「仕事がありますし」
一言だけそう言い残し、帽子を目深に被り直すと、夕闇の雑踏の中へとスタスタと消えていってしまった。
「……フラれたな、リーダー」
「うるさい、ガストン」
呆然と立ち尽くすヴォルフの手を、冷たい機械の風がすり抜けていく。
かくして、鋼と煤煙の世界に、たった一人で最強の武器を探し回る、伝説のポンコツエルフ職人の新たな冒険が幕を開けたのだった。




