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第25話「戦後、国のかたち」

 戦が終わって三日。

 辺境の国には、静かな喧騒が戻っていた。折れた槍は鍬へ打ち直され、焼けた柵は土と石の壁に造り替えられる。

 井戸の傍で、ミラが薬草を束ねている。カイルは子どもたちに槍ではなく木杭の打ち方を教え、アレンは若者たちに輪番の見張りと緊急時の合図を決めさせた。


「戦は終わった。だが国づくりはこれからだ」

 アレンの声に、若者たちは真剣に頷く。


 広場では、リディアが即席の卓に羊皮紙を広げていた。

 税――といっても穀物の一割を共同倉へ入れるだけ――の取り決め、怪我人と孤児を優先する配給表、見張り番の交代記録、そして交易許可証。

 彼女の筆は疲れを知らぬように走る。


「文字が書ける者を募って。記録係を三人は置きたいわ」

「は、はい!」と手が上がる。

「それと、商人は必ず検め所を通す。酒樽は封蝋、乾物は毒見を義務に」

 毒の夜を思い出し、広場に小さなざわめきが起こったが、すぐに安堵の息が広がった。


 昼下がり、丘の段々畑でオルグが土を握る。

「水脈を少し上手へ回せば、干ばつにも強くなる。女王様、あんたの術でできるかね」

 リディアはコンパスを当て、微笑んだ。

「風下に新しい林帯も作りましょう。砂塵を防げるはず」

 彼女が呪を囁くと、地の流れがやわらかく曲がった。


 黄昏、追悼の鐘が二度鳴った。

 皆が火を囲み、亡くなった名を一つずつ呼び、黙して空を仰ぐ。

 涙は乾かない。だが、その涙を拭う手は明日の仕事を知っていた。


 その夜、旗の下で評議が開かれた。

 武の長にアレン、土と水の長にオルグ、治療と学びの長にミラ、記録と交易の長に若い書記エリアス。

 リディアは最後に言う。


「掟は三つ。互いを守る、働きは報われる、弱き者を守る――それを破る者がいれば、私が裁く。でもまずは、皆で正す」

 頷きが波のように広がった。


 やがて、東の街道に二騎の影が現れた。

 王都の紋章はない。粗衣の騎士と、灰外套の文官。

 文官は兜を脱ぎ、深く頭を下げる。


「我らは辺境の女王と、その民に敬意を。王都の一部は、もはやこの戦を望みません。――交易と不可侵の使者として参りました」

 広場がざわめき、アレンが一歩前に出る。

 リディアは息を整え、はっきりと応えた。


「剣ではなく言葉を携えて来た者は、皆、火の輪の内へ。ここは光の国です」


 火は高く揺れ、旗は静かにたなびいた。

 戦の後に残ったのは、焼け跡だけではない。

 ――国の形、その始まりであった。


終章「星を読む」


 夜の風はやわらかく、丘の上の草を撫でていく。

 リディアはひとり、星空の下に立っていた。胸元のコンパスは小さく光り、針は北へ、そしてわずかに明日へ傾いているように見えた。


「祖母。私はもう、侯爵家の娘でも、婚約者でもないわ」

 息を吐く。

「追放され、名を失って――代わりに、皆の“居場所”を手に入れた」


 背後で小さな足音。

 カイルが角笛を抱え、はにかんで立っている。

「女王様、明日の見張りは僕の番です。……怖くは、ありません」

「偉いわ。怖さは消えなくていい。消えないから、備えられるの」

 彼はうんとうなずき、駆けていった。


 少し遅れて、アレンが上ってくる。

「使者の宿は整えた。明日、条件を詰めよう」

「ええ。剣で勝ったあとに、言葉で負けるわけにはいかないもの」

 二人は短く笑った。


 見下ろせば、焚き火の輪がいくつも瞬き、歌がさざ波のように流れてくる。

 孤児の笑い声、織機の音、木槌の響き、夜警の合図。

 それは、この国の鼓動だった。


 リディアは旗へ視線を上げる。白地に金糸、星の印。

 あの夜、泣きながら掲げた布切れは、今や約束そのものだ。


「辺境の国は、今日も生きてる」

 胸の奥で言葉が灯る。


 ――追放と婚約破棄から始まった物語は、ここで一度、幕を閉じる。

 けれど、土は季節の巡りを知り、風は新しい旅人を連れてくる。

 王都の宮廷にも、未知の同盟にも、まだ続きは用意されているのだろう。


 リディアはコンパスの蓋をそっと閉じ、星に礼をした。

「さあ、明日を読もう。私たちの居場所を、これからも」


 旗が風を受け、夜空に小さく音を立てた。

 その音は、遠い昔に聞いた祖母の笑い声に、どこか似ていた。

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