第1話「CM共演のオファーと、ふたりの条件」
春の風が少し冷たい午後。大学構内の中庭で、神谷悠真はいつものように授業終わりの風景をぼんやりと眺めていた。
大学3年生になり、講義は専門科目が増え、サークルも後輩指導で忙しくなった。特に最近は、卒論の構想まで頭に入れねばならず、帰宅時間も遅くなることが多かった。
「……今頃、美紅は撮影かな」
彼のつぶやきは、周囲の喧騒に紛れて消えた。
――篠原美紅。彼の妻であり、国民的モデル。そして女優としても近年急激に評価を高めている。
ふたりの結婚が報じられてから1年以上が経つが、世間の反応は想像以上に温かく、“推しと結婚した青年”と“現代のシンデレラ逆転婚”として話題に。メディアは落ち着いたものの、注目は未だ冷めていなかった。
その夜。
帰宅した悠真を、リビングで待っていたのは姉・瑞希だった。
モデルでもあり、事務所に所属する彼女は、最近ある女性社長とやたら頻繁に連絡を取っていた。
「悠真、おかえり。ちょっと……いい?」
「ん、なに?」
「今日ね、うちの事務所の社長と話してて……ちょっとだけ大事な話があるの」
瑞希は姿勢を正し、真面目な口調で言った。
「実は、美紅と悠真の夫婦CM企画が進んでる。テレビとネット配信同時の大型キャンペーン。内容はおしゃれな生活用品のタイアップで、夫婦の“素顔”を活かした映像になる」
「……え?」
「もちろん、出演は任意。だけど、もし悠真がいいなら、正式に話を進めてって言われてる」
悠真は少し驚いた表情で考え込み――やがて、ゆっくりと答えた。
「……それって、俺が演じる“相手”が美紅なら、ってこと?」
「そう。社長も了承済み。私からは“弟は芸能界に入るつもりはないけど、美紅の相手としてだけなら”って前提で話してる」
悠真は、ふと天井を見上げる。
思い返す。
CM、ドラマ、映画――華やかな現場の中で、妻と誰かが恋人役を演じる姿を見ることへの、言いようのないもやもや。
だが、それを“自分がやれる”のなら――。
「……少しだけなら、やってみてもいい。だけど、他の女性とラブシーンとか、そういうのは無理だよ。俺は……美紅以外、演じたくないから」
「ふふっ、知ってたよ。そのつもりで聞いてる」
瑞希は笑みを浮かべ、スマホを開いた。
「じゃあ、明日社長に“正式OK”って返事しておくね」
◇
翌日、昼過ぎ。
瑞希が事務所に立ち寄り、女性社長に報告する。
「弟、条件付きでOKです。あくまで“美紅の相手役”限定で」
「なるほど。なら、弟さんは美紅さん専属ってことで良いのね?」
「はい。本人も、それ以外は受けないって言ってます」
「それが一番いい。ふたりは夫婦なんだから、誰よりもリアルで、誰よりも尊い関係。それをそのまま映像にしたら、絶対に伝わるから」
社長の言葉には、確信があった。
◇
こうして正式に決まった――悠真と美紅のCM共演プロジェクト。
数週間後に控えた撮影に向けて、ふたりは新たな準備を始めることになる。
そして、悠真の心にはひとつだけ強く刻まれた感情があった。
「演技だとしても……君の隣に立つのは、俺だけでいたい」
交際0日婚から始まったふたりの物語が、今度は全国に“夫婦の姿”として映し出されようとしていた。
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