第301話 逃げるなら腕を取れ
「っ!」
がばっと上半身を起き上がらせて、置時計に目をやる。
良かった。
不安だったけど、ちゃんと起きれたみたいだ。
時刻は午前八時。
この時間帯なら、レティナもまだ依頼に向かってはいないだろう。
俺はそそくさと寝間着を着替え、自室の扉を開いた。
「お、おはよう」
少し動揺しながらも、レティナに声をかける。
てっきり自室にいるものだと思っていたが、朝食を取った後なのだろうか。
温かそうなスープを片手に、ひとり寂しくダイニングの椅子に座っていた。
「……」
ちらりと視線を向けてくれたが、やはり会話をしたくないらしい。
レティナは無言で席を立ちあがると、食器をキッチンに運び、そのまま何食わぬ顔で部屋に戻ろうとした。
「レティナ! 話があるんだ!」
今度こそは逃がすものか。
そんな気迫で彼女の腕を掴む。
「……離して」
「話を聞いてくれるなら離す。そうじゃなかったら、離さない」
無理やり振り払われることがないのは、正直助かる。
未だに一昨日と同じ様子であれば、冷静な話し合いも怪しいところだった。
ただ、この感じでは、怒りの溜飲は下がり切っていないだろう。
「約束を破って本当にごめん。全部一人で解決すれば、何も問題ないと思ってた」
「……」
「レティナの気持ちも、みんなの気持ちも……蔑ろにして本当にごめん」
心の底からの謝罪を絞り出す。
レティナはいまどんな表情をしているのだろうか。
顔を見ようにも、こちらを向いてくれないので分からない。
だが、俺がすべきことは決まっている。
ただ、彼女と精神誠意向き合うだけだ。
「ずるいよ、レン君は……」
そんなことを考えた矢先、掠れた声が耳に届いた。
「私はレン君を責められない。責める権利なんてない」
「俺はレティナとの約束を破ったんだよ? 責める権利はあるだろ」
「じゃあ、血濡れなんて無視すればよかった。街の人なんて助けなければよかった。そう言えばいいの?」
「それは……」
「そんなの言えるわけがないよね。多くの人を救ったレン君の行動は間違いなんかじゃない……誰しもがそう思うんじゃないかな」
「……誰しもって、レティナもそう思っているの?」
「……そうだよ」
「嘘だね。それが本音なら、ここまで口をきいてくれないこともないだろ」
「……っ」
「俺はレティナの本音が聞きたいんだ。周りの誰かとかどうでもいいから」
掴んでいた手からレティナの震えが伝わってくる。
やっと分かった。この二日間、会話も碌にしてくれなかった理由が。
固く誓った約束をほごにした俺からすると、レティナが怒ることなど至極当然の話だ。
だが、レティナの立場から考えてみれば、素直に想いをぶつけるのは難しい話になってくる。
何故なら、 『あの約束を守ってほしかった』 という願いは、市民の命を切り捨てるということであり、この街を捨てるということでもあるから。
倫理的に考えれば、俺の行動は正解だった。
だからこそ、レティナは何も言えなかった。
自分が抱えている想いが、その倫理とかけ離れているものだと彼女は理解しているから。
「レティナはっ……戦ってほしくなかった」
やっとこちらを振り向いてくれた彼女の瞳からは、大粒の涙が零れていた。
「街の人が大勢亡くなっても、この街が滅んでも……それでも、レティナは……」
「ごめん……」
「嘘つきっ……レン君の嘘つき。破るつもりの約束なんて……っしないでよ」
『危ないことはしない』 この約束を結んだ理由はただ一つ。
俺のうちに蔓延る闇をこれ以上進行させないためだった。
今回の件でその闇は確実に広がっただろう。
きっとレティナはそれを把握しているに違いない。
「昔はっ……昔は一度たりともっ……約束を破ったりなんてしなかったのに……っ」
「ごめん、レティナ」
悲痛すぎる声色に、胸の奥が鋭利な刃物に切り裂かれたように痛む。
彼女の泣き顔なんて久しく見ていなかったような気がする。
俺に掛かっていた魔法が再修復されたあたりだっただろうか。
何か吹っ切れたように、不安定だった彼女は消えていたというのに……
涙が止まらず上擦るレティナを、俺はぎゅっと抱きしめる。
闇魔法という禁忌に触れなければ……
今更そんな後悔が押し寄せた。
「マスターにも話したんだけどさ、困っている人はできるだけ助けたいし、大切な人のためなら戦いたいんだ」
随分と落ち着いたレティナに向けて、言葉を続ける。
「きっとこれは止めようがなくて……けど、相手の命を奪うことは基本的にしないようにする」
「……できるの?」
「でき……る! というか、やってみせる! レティナが悲しむぞって自分に言い聞かせれば、大丈夫」
「約束は……しないから」
「うん、分かってる。けど、信頼を取り戻せたときはまた約束をしてくれないかな? もう絶対に破ったりなんてしないから」
こくりっと頷くレティナ。
これからは口だけではなく、ちゃんと行動で示してみせよう。
レティナの泣き顔はもう二度と見たくはないから。
「レン君はどこまで思い出したの?」
「思い出したというと?」
「血濡れのことで」
ふむ、隠し事はしない方がいいな。
「思い出してはないんだけど、俺が世界樹を守ったことは知ったよ。その過程で血濡れのメンバーを殺した。もちろんリーダーのキルスも」
「そっか……頭は痛くない?」
「今は痛くない。ただ、そのことを知った時、意識を失ったけど」
「……っ」
そんな辛い表情をしないでくれ。
その表情が一番胸にくるんだ。
「えっと、迷宮探索はどうだった? 何か珍しいものでも見つけた?」
話題を変えるつもりで軽く聞いただけだったが、何故か先ほどよりもレティナの表情が暗くなる。
「ううん、何も……」
そこまでがっかりするものだろうか?
というか、本当に”何も”なんてことがあるか?
眠れる財宝とまではいかなくても、見たことのない魔物の一匹や二匹いたっておかしくはないが……
求めていたものはなかった。
そんな風に聞こえる。
「それは残念だったね」
深読みしてしまう発言ほど、深入りしてはいけない内容だ。
それはこの一年で理解したことである。
「そういえば、シャルちゃんに聞いたよ? 占術師の話」
「あぁ、あの人多分本物かも。全部の予言が当たってたし」
「そうみたいだね。だから、それだけはちょっとだけ安心したの。占術師の言葉を無視して、少女たちを救ったレン君が今も無事でいれてることに」
「本当にすみませんでした」
やっぱりまだ怒ってる?
そう思わせる口ぶりであったが、きっとほんの少し意地悪を言いたかっただけなのだろう。
その証拠に彼女は小さく鼻を鳴らし、笑った。
すると、それに呼応するように俺のお腹もぐぎゅ~っと鳴る。
「朝ごはん作るね、シャルちゃんも起こしてきて」
「分かった。いつもありがとう」
まだ少しぎこちなさないが、これも時間と共になくなっていくだろう。
隠し事はもう絶対にしない。
今回のことは良い教訓となった。
とりあえず、レティナと仲直りをすることができて、心底ほっとした。
さて、シャルでも起こしに行こうかな。




