狼族の兄妹 4/4
クーロウとクーレイの二人と、百を超える兇賊の戦いは、長時間に及んだ。
牙を剥いた狼族の兄妹は、噴き出すような怒りを内に秘め、粛々と刃を突き立てていった。
人類最高峰の力を手に入れたとはいえ、絶対的な数の不利を覆すのは容易ではない。
数多くの魔物を相手にしてきたものの、同じ人類と殺し合うのは初めて。
単調な力任せの攻撃を仕掛けてくる魔物と比べ、狡猾で連携までとってくる人相手では勝手が違う。
何より、切りつけても無機質な感触しか残さず、倒すと消滅してしまう魔物とは違い。
対峙すれば怒号を、打てば悲鳴を、刺せば血を返し。
息が途絶えても生々しい死骸を残す、自分と変わらぬ生物。
されど兄妹は、慣れた手つきで次々と賊を屠る。
それも、そのはず。
対人戦は初めてだが、その手は幾度となく命を奪ってきた。
血の繋がった兄妹の命を。自分自身の命を。
切り裂かれる肉の抵抗に動じず、真っ赤な返り血を顧みず、的確に急所を貫く二人の姿は、悪魔と恐れられる兇賊から見ても悪夢に感じられた。
賊にとっては、長い悪夢の始まり。
兄妹にとっては、とうに始まっていた悪夢の終着点。
双方は、悪夢を終わらせるために戦う。
人類屈指のレベルを誇る二人。
人類屈指の凶悪さを持つ百人。
人を殺すために修羅と化した二人。
人を殺しすぎて羅刹と化した百人。
大義名分を以て全身全霊で立ち向かう二人。
私利私欲のため死に物狂いで抵抗する百人。
双方の戦力は、奇しくも拮抗していた。
勝者と敗者を分かつものがあるとすれば、運か、正義か、思いの強さか、それとも――――。
「かはっ……、はぁっ、はぁっ…………」
長く険しい戦いの果て。
兄妹は、勝利した。
それは、偶然の上に成り立つような薄氷の勝利であった。
傷だらけの身体は、支えるものを失ったかのように崩れ落ち、真っ赤に染まった地面に両膝をつく。
「はぁ……、はぁ……、はっ、あっ、あっ、あぁぁぁ――――――――――」
ああ……。
全て終わったと、クーロウは感じた。
これで、何もかも無くなったのだと。
愛する家族、友人、村里はもとより。
憎むべき敵さえも、無くなってしまった。
唯一残っているのは、たった一人の妹だけ。
だけど、妹もまた同じ思いをしているだろう。
自分と妹とは、性別が違うだけの同じ存在。
誰よりも大切だが、同じが故に、お互いを埋める存在にはなりえない。
これで本当に、全てが無に還り、世界との接点を失ってしまったのだ。
「これが、望んだ光景、なのか…………」
空っぽ。
この一言に尽きる。
仇討ちが無駄だったとは思わない。
いまさら道徳を説くつもりもない。
ただ、その結果、自分という存在が空っぽになってしまった。
これではもう、生きている意味さえない。
沈みゆく意識と同調して、視界も真っ黒に染まっていく。
ああ……。
この闇に身を沈めたら、どんなに楽だろうか。
――――カァッ!
不意に聞こえたのは、カラスの鳴き声。
そういえば、賊と戦っている最中も時折視界に入ってきた。
邪魔にならなかったので気に留めていなかったが、よくよく思い出すと賊に襲いかかっていた気がする。
それも、こちらの形勢が不利な場面に限って……。
「兄上は、ご存じでしたか?」
クーロウが朦朧とする意識の中で考えていると、いつの間にか隣に立っていたクーレイが話しかけてきた。
彼女もまた満身創痍だったが、その顔は普段と同じように美しく見えた。
「……何の話だ、クーレイ?」
「私達がお世話になった屋敷の、管理人さんの話です」
「管理人?」
「はい。その管理人――――彼女と赤子の傍らには、常に一匹の黒猫が居ましたよね?」
「あ、ああ、確かに居たな。……だが、どうしていま、その話を?」
話の筋道が見えないクーロウは首を傾げる。
「実はあの黒猫、彼が魔法で創った擬似生物なのです」
「……それは、知らなかったが」
魔法で生物を創り出すなど、聞いたこともない。
だが、超越者である彼であれば、何の不思議もないだろう。
なのに、話は続く。
「その黒猫の役割とは、管理人さんと赤子の護衛です」
それは、あの小さな猫が、戦う力を持っているということ。
「更には、姿を変える能力も持っているそうです」
「姿を、変える?」
それは、状況に応じて、適切な姿に変身できるということ。
たとえばそう、空を自由に飛び回る黒い鳥のように――――。
「まさか…………」
クーロウが上を向き、ソレを視界に捉えると。
――――カァッ!
黒いカラスは、一声鳴いて飛び去った。
まるで、自分の役目は終わったとでも言うように。
「帰りましょう、兄上」
「――――」
「私達はまだ、全てを失ったわけではありません」
「――――」
「こんな私達でも、心配してくれる相手が居るのですから」
彼は、ずっと見ていたのだ。
興味のない素振りをしながらも。
自分のことばかり考えている愚か者を。
ずっと、ずっと見守ってくれていたのだ。
「…………ああ、そうか。……そう、だな」
「はい」
「我ら兄妹は、寄り道している暇なんて、なかったな」
「はい」
「早く帰って、彼――――兄者に恩返しをしなければなっ!」
「はいっ!」
だから、帰ろう。
あの屋敷へ。
彼が待ってくれている、あの場所へ。
自分達はまだ、世界から隔絶されてはいなかった。
そう、まだやらねばならぬ事がある。
これから一生をかけてでも――――。
◆ ◆ ◆
―――― 数日後 ――――
これまでの軌跡を確かめるかのように、自力で帰り着いた狼族の兄妹が見たもの。
それは、僅かに眉をひそめた男の姿だった。
「……なんだ、忘れ物か?」
お帰りとも、労いの言葉も口にせず、ズレたことを言い出すのも、いつもの男らしい。
本音で話すのに慣れていない男の精一杯の対応なのだろう。
それが分かるようになった兄妹は、頭を地に着けて嘘をついていたことを謝罪し、同時に感謝の言葉を述べ、是非とも恩を返させてくれと頼み込んだ。
「いや、要らんけど」
最初は本当に嫌そうにしていた男も、めげずに何度も頭を下げる兄妹に折れる格好となる。
傍若無人に見えて押しに弱いのも男の特徴だ。
「そんなに人助けをしたければ、各地を旅しながらそうすればいい。俺の地元では印籠を持ったご老公がやっていたしな。……まあ俺も、もしも困ったら、呼ぶかもしれないし」
このような妥協点を見出して、双方の関係は落ち着くこととなる。
「感謝するぞ、兄者!」
「感謝します、大兄上」
「……本当に感謝しているんだったら、その呼び方止めてくれない?」
余談であるが、兄のクーロウは、短期間で特異な体験を繰り返した結果、従来の繊細さが壊れてしまったかのように豪放な性格になってしまう。
一方、妹のクーレイは、明るくなった程度で、性格に大きな変化は見られなかった。
しがらみから解き放たれ、望んで新たなしがらみを作ることにした狼族の兄妹は。
以降、男がその場しのぎに提案した世直しの旅を体現し、多くの地で語り草になるのだが――――――それはまた、別のお話。
◇ ◇ ◇
「なんてことがあったよな、兄者よっ」
「あの出会いがあったからこそ、今の関係があるのですよね、大兄上」
「ああ、うん、そうだな?」
クーロウとクーレイは、出会った当時の思い出を感慨深そうに語っている。
これに対して俺は、特に思うところは無く、適当に相槌を返すだけ。
って言うか、そんなことあったっけ?
忘れている部分も多いだろうが、初耳な話も多いのだが?
それって本当に、俺の話?
「さあさあ兄者っ、どんどん食ってどんどん飲んでくれっ。今日は存分に奢らせてくれっ!」
「いや、俺、けっこう小食だから」
「ほらほら大兄上、次はこちらを一献」
「クーレイがお酌してくれるなら幾らでも飲めそうだっ」
「ぐははっ、兄者は相変わらずだな!」
「そう言うクーロウも、相変わらず暑苦しいな」
「私の方はどうです、大兄上?」
「クーレイは相変わらず美人で、適度につれなくて良い感じだぞ」
俺は、一人飯をこよなく愛する。
しかし本日の晩酌は、一人ではなかった。
先日約束した狼族の兄妹と一緒に、居酒屋へ来ているのだ。
こう見えて俺は約束を守る律儀な男、というわけではなく、まだかまだかと執拗に催促され屈してしまった。
こう見えて俺は、押しに弱い男である。
「美食家の兄者には物足りないだろうが、この街にこれ以上の店はなかったんだ」
「お呼びだてしてこの体たらく。本当に申し訳ありません、大兄上」
「いや、問題ない。最近は五感の調整もできるようになったので、不味さを感じないよう味覚を抑えて食べるから」
「ぐははっ、兄者は相変わらず力を無駄遣いしまくっているなっ」
「ふん、その無駄遣いの一つが自分達だと自覚することだな」
「うふふっ、もちろん承知していますよ、大兄上」
何とも扱いにくい兄妹である。
従順なようで、上手くあしらわれているようで、全て見透かされているようで。
無駄に居心地が良く、それだけに、居づらさを感じてしまう。
まるで本物の、兄と弟と妹のような……。
「それで兄者、最近はどんな感じなんだ?」
年に一度の親族会で話を振ってくる厄介な叔父さんみたいに、クーロウが聞いてきた。
だけどその目は、お年玉を期待している甥っ子みたいにキラキラしている。
「私も是非聞きたいです、大兄上」
クーレイにまで頼まれたら、応えぬわけにもいかないだろう。
本物の兄妹なら、年長者である俺の方から弟と妹に近況を聞くべきだが。
こいつらの世直し旅の話を聞いてしまうと、それを勧めてしまった手前、責任を感じてしまいそうだから、あまり聞きたくない。
俺が元凶で世界に影響を与えているなんて、恐怖以外の何モノでもない。
「よーし、それじゃあー、聞くに涙、語るに涙の武勇伝を語ろうではないかー。……あれは三日前、それとも三年前の出来事だったか。伝説の聖剣を引き抜いて真の勇者に認定された俺は、胸が大きい踊り子と胸が中くらいの武闘家と胸が小さい魔法使いパーティーを組み、十三体の魔人を引き連れた魔王を相手に三日三晩の死闘を繰り広げ――――」
自分自身を語るのは苦手だ。
自慢できる自分なんて何も無い。
だから、妄想の中の自分を語ろう。
とびっきり格好よく、とびっきり滑稽なお伽噺を語ろう。
居酒屋で酔っ払いが話す内容としてはちょうどいい。
聞き手の二人も、まさか酔っ払いの戯言を信じやしないだろうし。
…………。
信じないよな?
感激したように聞き入っているのは演技だよな?
こんな与太話を信じられる余地が自分にあるのかと思うと恐ろしい。
まあ、嘘でも本当でも、どちらでもいいか。
弟と妹を楽しませるのは、兄の役目。
たとえそれが、暑苦しい似非弟と、しっかり者の似非妹であったとしても。
兄妹で酒を飲み交わすのも、悪くない。
本物の弟と妹の三人で飲むことなど無かったし。
そう、たまにはこんな夜も、悪くない。