狼族の兄妹 3/4
彼からの助言を受け、自身の行動や考えを記すことにする。
文字にして後生に残すことは、大切だと思う。
だが、我ら兄妹について記しても意味はないのだろう。
読む者など居ないのだから。
それでも、超越者である彼の言葉は無視できない。
憎しみに取り憑かれた兄妹の愚かな願い付き合ってくれる唯一人の人物。
きっと、何かの意味があるはずだ。
我ら兄妹は、部族最後の生き残り。
兇賊に虐殺された同胞の無念を忘れぬ者なり。
命を犠牲に我ら兄妹を逃してくれた家族の恩を忘れぬ者なり。
たとえ我が身が壊れようと必ずや無念を晴らす者なり。
訓練開始前のレベルは、21。
<一日目>
そう思って書き始めたのだが、早くも挫折しそうだ。
彼に対しては畏敬の念を抱いていたのだが、今となっては恐怖しか残っていない。
断言しよう、彼は人の痛みを理解できない。
五回。
我ら兄妹が、訓練初日に殺された回数だ。
魔物と戦って殺され、部屋に戻り、身代わりアイテムを装備し、ダンジョンに転移し、魔物と再戦し、また殺される。
日中はずっとこれの繰り返し。
最初に殺された時は、あまりの痛みに絶叫し、涙が流れた。
体力が尽きる直前にアイテムで回復するのだから、正確には死んではいない。
だが、生命が維持できなくなるまでの深い傷を受け、暗闇に飲み込まれていく感覚は、死そのもの。
まさに、殺される、という表現が相応しい。
下級の魔物しか出ない、と笑顔で言った彼を信じた自分が愚かだったのか。
こともあろうに、ランク5の魔物ばかりが棲息するダンジョンに我ら兄妹を放り込んだのだ。
いや、彼にとっては本当に下級扱いなのかもしれない。
超越者である彼との認識の違いをまだ甘く見ていたようだ。
我ら兄妹の現在の強さでは、ランク5の魔物相手では歯が立たない。
それでも、逃げ出すのだけは必死に堪え、結果として五度の地獄を見た。
情けない話だが、憎しみよりも先に心が壊れそうで心配だ。
平然とこんな訓練を考えつく男。
平然とこんな訓練を実践してしまう男。
今は、魔物よりも、賊よりも、彼が恐ろしい。
本日のレベル、22。
<五日目>
憎い。憎い。
全てが憎い。
家族を殺した賊が憎い。
圧倒的な力で我ら兄妹を捻り潰す魔物が憎い。
こんな訓練を考えた彼が憎い。
何よりも憎いのは、弱い自分。
どうして俺は、こんなにも弱いのだろうか。
今日、自らの手で妹を殺した。
どんな事態に陥っても決してやらないと誓っていたことを破ってしまったのだ。
理由は、妹を救うため。
誰かを救うために、その当人を殺す方法があるだなんて、知らなかった。
できれば、一生知りたくなかった。
身代わりアイテムは、装着者が絶命寸前になることで発動する。
装着者がどんなに望んでも、どんなに深い傷を負っても、生きている限りアイテムは発動しない。
都合が悪いことに、強大な力を振り回す魔物は、敵対者に重傷を負わせるとそのまま去ってしまう場合がある。
その後に回復アイテムで助かる者も少なくないので、魔物を責めるのはお門違いだと分かっているが、憎まずにはいられない。
ろくに体を動かせない状態で、それでも意識だけはしっかりと残った状態で、痛みに耐えかねて涙を流す妹を前に、弱い兄ができることなど無い。
本当に、何一つ無ければ、良かったのに。
一刻も早く妹を楽にする方法。
しかも、実際に命を救う方法。
それが、この手で、止めを刺すこと。
兄である俺の手で、妹を、殺すこと。
嗚咽する妹の喉元を切り裂いた感触が今も手に残っている。
アイテムで復活した妹から礼を言われても、決して無くならない。
元気な妹の姿を見る度に、生々しさが増していく。
だが、本当に恐ろしいのは、この先。
これから何度も、同じことを繰り返すのだろう。
この手で、最愛の妹を、殺し続けるのだろう。
妹もまた、俺を殺すのだろう。
そして、段々と、慣れていくのだろう。
何も感じなくなっていくのだろう。
憎い。
全てが、憎い。
本日のレベル、24。
<十日目>
魔物を倒すことで出現するアイテム。
その中の一つである状態回復薬は、薬アイテムの中で最も出現率が低い。
効用は、体力、魔法、病気、毒以外の異常を治すことができる。
つまり、心の病を回復する効用がある。
彼が、身代わりアイテムに加え、この状態回復薬も常備していた理由をようやく理解した。
身代わりアイテムで肉体は完全に回復しても、その時に感じた恐怖までは消えない。
何度かは耐えられたとしても、積み重なった恐怖はいずれ心を壊す。
そんな心の傷を癒やすために、彼は用意したのだ。
一生残るトラウマを与えたかと思えば、アイテム頼りの荒技だが配慮も忘れない。
彼なりの優しさなのだろうか。
やはり彼は、どこかズレている。
状態回復薬は、心の傷を回復する。
だが、魔物から受けた傷は癒えても、仇敵を憎む心は消えない。
心の病ではない証拠だろう。
仇敵へ向ける怒りと憎しみは、もはや我ら兄妹の心の一部なのだ。
今はそれすら誇らしく感じる。
だから、それを果たすまで、止まれない。
本日のレベル、26。
<十五日目>
状態回復薬のお蔭もあるだろうが、どんなに怖がっても泣き叫んでも無駄だと悟ると、落ち着いて受け入れることができるようになった。
彼が言っていた慣れ、であろうか。
一番辛いのは、半端に大きな傷を受け、アイテムが発動するまで時間を要すること。
死の淵で感じるのは痛みよりも恐怖が強く、心が壊れる一番の原因となる。
何よりも、生き残った片割れの手を煩わせることになる。
だから、手や口が動くうちに自害することにも慣れてしまった。
慣れは、状況を受け入れるだけでなく、我ら兄妹を強くしていった。
肉体的な強さだけでなく、精神的な強さも。
このためか、彼が言っていた効率的なレベルアップも実践できるようになった。
保身など考えず、格上の魔物に特攻し、自らの命と引き換えにダメージを与え、アイテムで回復して再び挑み、これを何度も繰り返せばどんな魔物でも倒せるのだ。
度重なる死の経験で、死を恐れる心はとうに麻痺している。
無力で無謀な我ら兄妹には相応しい方法だろう。
とにかく今は、レベルを上げることだけに専念すべきだ。
他のことなど、考えたくない。
本日のレベル、30。
<二十日目>
死の恐怖に慣れ、魔物と正面から向き合ってみると気づくことが多い。
少し前までは付け入る隙が無いと諦めていた相手の弱点が明確になる。
魔物は原則、イレギュラーな行動を起こさない。
人を発見すると襲ってくるが、その攻撃パターンも限られている。
どれほど強大な力を持っていたとしても、狡猾に見えたとしても、最初から決められた規則に従っているにすぎない。
だから、パターンや弱点を見抜いてしまえば格上にも対応できるし、魔物が対策を講じることもない。
外見は大して変わらないのに、明らかに野生動物とは違う、創られしモノ。
今までこんな出来損ないを怖がっていたのかと、馬鹿らしくなる程だ。
言うなれば魔物とは、人類にとって都合がいい獲物。
これに気づいているのは、彼を含めて極一部の者だけかもしれない。
本来一つしかない命で魔物と正面からやり合う愚か者なんてまず居ないからだ。
レベルを上げるのに最適で、人類に不足している食料をはじめとした様々なアイテムを供給する魔物という存在。
その全てを創り出したとされる、魔王。
想像すら追いつかない絶大な力の持ち主。
ふと、彼の姿を思い出す。
魔族の王と、人の頂点に立つやもしれぬ彼の顔が重なって見える。
雑で、曖昧で、無慈悲に及ばぬ超越者。
彼と魔王。
果たしてどちらが強いのだろうか。
本日のレベル、34。
<二十五日目>
目標であるレベル40に近づいてきた。
正直なところ、訓練を開始する前は半信半疑だったし、訓練を開始した後も大して成果が出ていなかった。
そもそも、格上の魔物と戦うことに精一杯で、レベルどころではなかった。
それなのに、気がつくと目標はもう間近。
レベルは高くなるほどに上がりにくくなるのだが、着実に上がり続けている。
全てを認めてしまうのは戸惑いを感じるが、これまでの非常識な訓練の成果に他ならない。
何もかもが彼の思惑どおりなのだろう。
彼の慧眼には本当に恐れ入る。
そうでなければ、たった一ヶ月で人類の最高峰と評される領域へ入るなどできようはずがない。
訓練前の自分と比べて、比較できないほどの力を得たのだと実感する。
同時に精神も鍛えられ、悩んだり動揺するのも少なくなってきた。
鋭利な剣のように研ぎ澄まされたためか、何かが失われたためか。
いや、どちらでも構わない。
我ら兄妹が本当に倒すべき敵は、心を持たぬ魔物ではない。
醜悪な、だけど心を持った同じ人こそが敵。
それを打ち破るには、惑わされぬ強靱な意志が必要なのだ。
本日のレベル、37。
<二十九日目>
レベル39まで来た。
明日の三十日目で、目標の40に達するだろう。
数え切れないほどの人類の中で、レベル40に到達した者は百にも満たない。
国宝とまで呼ばれる人類最高峰の力。
我ら兄妹がそんな領域に踏み込んでしまうとは、夢にも思わなかった。
だが、嬉しさは感じない。
心の内にあるのは、激しい憎しみと、僅かばかりの安堵だけ。
もう何十年と戦い続けてきた気がするが、実際はたった三十日間だけ。
短い期間だが、死を迎えるまでが一生だとしたら、我ら兄妹はそれこそ何十回もの人生をやり直したことになる。
それは間違いなく、数百年に匹敵する経験。
それ程の力を得てしまったのだ。
もうすぐ。
もうすぐだ。
本日のレベル、39。
<三十日目>
ついに到達した。
我ら兄妹は、人類最高峰の力を手に入れた。
たった二人でも百に及ぶ兇賊を打ち倒す力を手に入れたのだ。
明日の朝、この屋敷を出る。
そのことを夕食時に、彼に告げた。
彼は、分かったと軽く頷いただけだった。
超越者である彼らしい、と思う。
だとしても、もう少し言うことはなかったのだろうか。
でもそれは、俺も同じこと。
彼とはなぜか、上手く話をすることができない。
もしかして俺は、彼に引き止めてほしかったのだろうか。
目的を果たせたとしても、ここに戻って来られる保証はない。
敵の数は多く手練ればかりだから、五体満足で済むとは到底思えないからだ。
我ら兄妹の目的を、彼は知らない。
告げていないのだから当然だ。
たとえ知っていても、彼なら引き止めたりしないと断言できるのに、どうして考えてしまうのだろうか。
もしも彼に引き止められていたら、俺はどうしていただろうか。
これ以上余計なことを考えるのは止めよう。
訓練は終わった。
だが、まだ先がある。
我ら家族の未来を奪った相手に報いを受けさせなければならない。
同胞の無念を今度こそ晴らすのだ。
そして。
その後、は?
本日のレベル、40。
◇ ◇ ◇
人族には日々の出来事を文字で残す習慣があるらしい。
狼族には無い習慣だが、我が身を振り返るために記そうと思う。
部族最後の生き残りである兄上と私が、最期に痕跡を残すのも悪くない。
とはいえ、訓練とその目的については兄上が書いているようなので、妹である私はそれ以外を記すとしよう。
復讐の念に囚われた兄上と私に、それ以外があるとすれば。
やはり、恩人である彼について、だけだろう。
彼は、とても変わった男だ。
外見の特徴から、人族の中年、だと思われる。
濃い緑色の髪と瞳、そしていつも同じ服を着ている。
大雑把で、投げやりで、行き当たりばったりな性格。
神経質な兄上とは正反対で、実際話も合わないが、どことなく似ていると感じる時がある。
具体的にどこが、と言われると困ってしまうけど。
もしも、兄上と彼が逆の立場だったら、似たような行動を取るのではと、そんな風に思えるのだ。
兄上と私は、そんな彼が用意してくれた屋敷に身を寄せている。
十を超える部屋を取り仕切っているのは、管理人と呼ばれるたった一人の女性。
それに、彼女の赤子と、そのペットである黒い猫。
管理人さんは、食事や風呂などの訓練以外について世話してくれる。
その間の赤子の相手は黒猫がしている。
彼と管理人さんはただの雇い主と従業員らしいが、赤子と三人で並び立つ姿は夫婦みたいだ。
赤子に泣かれ情けない顔をしている彼を見ると、同じ人類だと感じられて安心できる。
訓練については、最初はつまずいたが、何度も繰り返しているうちに慣れてしまった。
彼が言っていたように、慣れとは便利で恐ろしい。
日中はひたすら魔物に立ち向かい、日が暮れると屋敷へと戻り、彼と管理人さんと一緒に飯を食べ、風呂に入り、就寝。
彼が定めた工程に従う日々。
やがて、魔物との戦いに慣れすぎてしまった兄上は、屋敷で過ごす時間も訓練に使うべきだと思うようになった。
兄上と私の部屋には、訓練用として希少なアイテムが大量に用意されている。
これを使えば、一日中寝ずに戦うことも容易い。
だから兄上は、休養さえ無駄に感じてしまったのだろう。
兄上は、いつも正しかった。
だけど今回は、彼の方が正しい。
状態回復薬は、恐怖で壊れた心さえも治してくれる。
それでも、全ての心の傷を無くしてくれるわけではない。
その証拠に、兄上と私の胸の内にある憎しみは消えようとしない。
憎しみはもう、心の一部だからだ。
同じように、人のあるべき営みを忘れて戦うだけの日々になれば、心の在り方が変わってしまう。
復讐以外の何も考えられなくなってしまう。
それを心配した彼が、あえて無駄な時間を過ごさせているのだと思う。
超常的な力を持ち悩みと無縁に思える彼も、似たような経験があるのだろうか。
普段のとぼけた言動も、心の内を隠す仮面なのかもしれない。
彼は、最初に説明して以降、何も口出ししてこない。
管理人さんに聞くところ、いつもは別の場所で暮らしており、屋敷にはあまり来ないそうだが、最近は朝食と晩飯時にだけ顔を出し、一緒に食事しているらしい。
行動パターンの変化は、兄上と私が原因なのだろう。
ただ残念なことに、口下手な彼と生真面目な兄上の間には、雑談が成立しない。
ストックされているアイテムが少なくなったとか、魔物の特徴についての質問とか、とにかく最小限の言葉しか交わそうとしない。
私に対しては冗談を交えて会話を繋ごうとするが、それもまた巧妙さに欠けるため長続きしない。
食卓にはそんな微妙な空気が流れ、実際に居づらそうにしながらも、彼は毎日一緒に食事を取り続ける。
彼自身も、明確な理由があってそうしているのではないのかもしれない。
ただ経過を見守っているだけなのかもしれない。
あの時の偽りの約束を義理堅く守ってくれているのだろう。
そんな彼に対して、兄上と私はどのような恩返しができるのだろうか。
そして、ついにその日がやってきた。
訓練を始めて、ちょうど三十日目の夜、夕食の場で。
兄上と彼が交わした会話は、こんな感じだった。
「今日で、レベル40を超えました」
「そうか。予定どおりだな」
「つきましては、明日の朝に出ていきます。その際には、最後にもう一度転移アイテムの使用をお許しください。それ以外の訓練用のアイテムは、全て部屋に残していきます」
「承知した。それと以前にも言ったが、訓練中に魔物を倒して入手したアイテムは好きに使ってくれ」
「そうさせてもらいます。これまで大変お世話になりました」
「ああ、うん」
その間、二人は食事を中断するでもなく、事務報告のように淡々と話していた。
ただ、私と管理人さんが口を挟めるような雰囲気ではなく、会話はそれで終わってしまった。
兄上と私は、深々と頭を下げて食堂から去った。
それが今生の別れになるかもしれないと全員が感じ取っているはずなのに、誰も声を出さなかった。
最後に彼がどんな表情をしていたのか、見ることはできなかった。
「……あれで、よろしかったのですか?」
部屋に戻った私は、たまらず兄上に問いかけた。
「彼からは返しても返しきれない恩を受けた。……だが、人類最高峰と称される力を手に入れても、我ら兄妹が彼のためにできることなど何もないだろう」
粛々と紡ぐ兄上の言葉には、私も同意するしかない。
強くなればなるほどに、彼の力が膨れ上がっていく気がしていたからだ。
自分の物差しが伸びることで、これまで見えなかった頂上が僅かなりとも見えるようになり、その差に戦いているのだ。
「彼にとって、我ら兄妹は邪魔にしかならない。ならばせめて、一刻も早く消え去り、煩わしさを解消するのが一番だろう」
「……はい」
恩返しする方法が無い以上、兄上の言葉に間違いはない。
だけども、どうしても寂しさが残る。
そう感じるのは、本当に自分だけだろうか。
「レベル40に到達しても、相手は手練れで数も多い。これでようやく互角だろう。……だが、これ以上我慢できる自信がない。確実ではなくとも、その資格を得てしまったからには、奴らを野放しにしておくわけにはいかないのだ」
手段はもう、手に入れてしまった。
沸き起こる怒りを抑えるのは無理というもの。
もはや兄上の心には復讐しか残っていない。
それは、私も同じ。
そんな妹に、兄を止める術は無い。
同胞が殺された時から、言葉で止められる者など居ないのだろう。
それでも、彼なら。
もしも彼が引き止めていたら、兄上は止まったのだろうか。
少なくとも、もう一度考えることはしただろう。
兄上と私にとって、彼はそれほど特別な存在だった。
それももう、考えても仕方ないこと。
帰る場所のない兄上と私には、突き進む道しか残されていない。
だけど。
もしも、生き残ることができたのなら。
その時は。




