狼族の兄妹 2/4
地獄のはじまり。
しかし、最初の一日は楽園であった。
「これからの一ヶ月間、君達二人が暮らす家だ」
男はそう言って、屋敷までとはいかなくとも、立派な宿屋並には大きい住居を用意してくれた。
森から街への移動は高価な転移アイテムで一瞬だったため、急速に進む展開に兄妹の理解が追いつかない。
だけども、男の非常識さに段々と慣れつつあった。
「そしてこちらが、管理人のミラだ。滞在中の君達の世話は彼女が受け持つ」
「旦那様から家の管理を任されているミラと申します。よろしくお願いします」
そんな男に紹介された女性は、とても普通に見える。
彼女が腕に抱いている赤ん坊もまた、日常そのものだ。
非日常と日常が並び立つ場面が、異様に感じられる。
「まあ、世話と言っても、訓練に明け暮れる日々になるから、飯と風呂と洗濯くらいだろうがな」
「料理は旦那様に教えていただいたので、自信があります。期待していてくださいね」
「は、はい……。その、こちらこそよろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いしますっ」
拍子抜けするやり取りに、兄妹は慌てて頭を下げることしかできない。
「あの、本当にこんな大きな屋敷でお世話になっていいのですか?」
「ここは来客用の家だから、好きに使ってくれ」
「ふふっ、私もそういう理由で管理人を任されしばらく経つのですが、実際に旦那様から紹介されたお客様はあなた方が初めてですよ」
「……違うぞ? 友人が少ないわけじゃないからな? これまでは偶々招待する機会がなかっただけだからな?」
「……」
「……」
初めてのまともな仕事に喜んでいるのか、コロコロと笑う女性と赤子。
その横でばつが悪そうに言い訳する男。
事情を知らぬ者が見たら、仲が良い親子に見えるだろう。
「お二人は、その、ご夫婦ではないのですか?」
実際にそう感じたクーレイが、率直に質問する。
クーロウも気になっていたが、言い出せなかった。
「ははっ、この俺がこんな美人な奥さんと可愛い赤子に恵まれるわけがないさ」
「…………」
男は笑いながら否定し、その隣で赤子を抱えた女性は微笑むだけ。
「挨拶はこれくらいにして、訓練の内容については君達の部屋で説明しよう」
疑問が残る回答だったが、これ以上尋ねるのは憚られた。
男は気にしてなさそうだが、デリケートな話題なのかもしれない。
「ここが、君達の部屋だ」
案内された先は、ツインベッドが置いてある綺麗に掃除された二階の角部屋だった。
「食事は一階の食堂に用意する。風呂も同様だ。部屋では基本寝るだけになるから、兄妹である君達は同じ部屋にしたが、嫌なら別々でもいいぞ?」
「いいえ、この部屋で十分です」
無一文の兄妹には、雨風が凌げる屋根があるだけで僥倖。
加えてベッドまで完備されているのなら、文句のつけようがない。
それに兄のクーロウとしては、男に頼っておいて今更だが、年頃の妹を一人にするのは避けたい。
あまり感情を見せない男であるが、クーロウとクーレイの扱いには明らかに差を感じるからだ。
気を回しすぎた妹が、先走った行動を取らぬよう監視する意味合いもある。
「本日だけは休養日とし、明日からムリゲーコースの特訓を始めるとしよう。大まかな流れは、朝一で起床し、食堂で朝食を食べ、日中はずっと外で訓練。昼飯は各自で確保。日が暮れたら屋敷に戻り、風呂に入り、晩飯を食べ、就寝。これを一ヶ月間続ける予定だ」
「……分かりました」
「ブラック企業も真っ青なブラックぶりだろう? 他のコースへ変えるなら今のうちだぞ?」
「このままで構いません。食事と睡眠が取れるだけで十分です」
「ふむ、お兄さんはそう言っているようだが、妹さんは本当に良いのかな? もし強要されているのなら、素直に言ってくれれば味方になるぞ。こう見えて俺は美人と妹に優しいダンディな男だからな」
「いいえ、私も兄上と同じでお願いします」
「……本当に?」
「はい」
男はクーレイに対して繰り返し確認する。
心配してくれているようだが、女にだけ執着する態度にクーロウは不安を抱いた。
「分かった分かった、もう聞かない。でも、お兄さんにイジメられたらいつでも言ってくれ」
「は、はい……」
どこまでもくどい男は、ようやく説明を終えた。
「ならば、今日はここまでにしよう。しばらくすると晩飯ができるから、食って風呂に入った後は、好きにしてくれ。詳細な内容については、明日の朝食を食べた後に行うとしよう」
◇ ◇ ◇
「――――ふう」
食事を終え、風呂に入り、部屋に戻った兄妹は、ベッドに座って一息ついた。
「あんなに美味い飯は初めてだったな」
「あれほど広い風呂に入ったのも初めてです」
腹を満たされ、お湯で浄化された二人は、毒気を抜かれた状態であった。
「拍子抜けした感じがしますね、兄上」
「うむ。だが、明日から始まるであろう厳しい訓練の前に、体調を整えるのは大事だ。気力が削がれた状態では何も身に付かぬ。……雑に見えて彼は、堅実的な思考の持ち主なのだろう」
「ええ、私のことも気に掛けてくれましたし、優しい方なのかもしれませんね」
「……いや、あれはただの下心だと思うが」
生物として当然の性欲にさえも、違和感を覚えてしまう。
男は普通の者が抱く俗な感情に左右されないほど大きな力を持っているはずなのに。
「よく、分からない人だ」
クーロウは、胡乱な男の姿を思い浮かべながら、ベッドの上に身を倒す。
色々とありすぎた。
地獄を見て。
追っ手から逃れた先で、魔物に襲われ。
命を奪われる直前で偶然にも助けられ。
そして、予想だにしない助力を得て、ここに居る。
「…………」
捨てる神あれば拾う神あり、という言葉がある。
ならば、彼こそが神だというのか。
地獄の門をこじ開けた兇賊もまた、神の使いだとでもいうのか。
「ならば我ら兄妹は、神に教えを請い、神を殺せる力を手に入れてみせるっ」
「兄上……」
どんなに落ち着いた場所を用意されても、もはや兄妹に安らぎなど訪れない。
今の二人は、成り立ての復讐者。
喜びよりも、怒りよりも、悲しみよりも、楽しさよりも。
何よりも、憎しみは優る。
さらに、永遠に消えやしない。
たとえ、復讐を果たしたとしても……。
「必ずや――――」
強い想いを抱いたまま、それでも疲れには勝てず、クーロウは眠りについていく。
「…………」
その様子を隣から見守るクーレイは、兄とは少し違った表情をしていた。
彼女の想いは、兄と変わらない。
復讐を果たすまで、兄と協力し、それだけを目的に生きていくだろう。
だけど、その後は?
「――――」
答えは見つからず、クーレイもまた眠りに落ちていく。
最後に、彼女の脳裏に浮かんだのは、気持ち良さそうに昼寝するあの男の姿だった。
◇ ◇ ◇
思い出す色は、赤。
血にまみれた両親。
燃え落ちる集落。
空と大地を朱に染める夕日。
思い出す臭いは、悪臭。
肉が焦げる臭い。
不摂生な格好と体。
隠そうともしない悪意。
思い出す音は、叫び。
凶刃に裂かれた同胞の悲鳴。
地獄を目の当たりした妹の慟哭。
自身の口から止め処なく溢れ出る憎しみ。
許さない。許さない。許さない。許さない――――。
村里を襲った賊を許さない。
人の不幸を見て悦ぶ人の業を許さない。
罪深き生き物を創り出した神を許さない。
何よりも逃げることしかできない自身を許さない。
死んだ死んだ誰もが死んだ。
父が死んだ。母が死んだ。友人が死んだ。隣人が死んだ。老人が死んだ。子供が死んだ。
みんなみんな殺されてしまった。
運良く生き延びたのは自身と妹だけ。
今の力では仇討ちできない。
身を隠して強くなるしかない。
力を手にした暁には必ずや復讐を遂げる。
そう自身に言い聞かせ妹の手を取り逃げ出した。
本当に復讐するために逃走したのだろうか。
ただただ怖くて逃避したのではなかろうか。
違う違う断じて違う。
あの時抱いた憎しみは嘘じゃない。
同族の仇敵を許さぬ怒りは偽りじゃない。
それなのに今残る真実は落ち行く現実だけ。
ならば実際に強くなって戦おう。
兇賊を皆殺しにして憎しみを証明してみせよう。
我ら兄妹は部族最後の生き残り。
同胞の無念を晴らさねばならぬ。
託された想いを引き継がねばならぬ。
この憎しみ、必ずや――――。
「――――はっ!?」
「兄上っ、ようやく目を覚ましてくれましたかっ」
「もう、朝、なのか……?」
「はい、随分とうなされていました。……夢でも、見られていたのですか?」
「夢……、夢か……、そうであったら良かったのにな…………」
「…………」
「行こう。それが我ら兄妹の使命なのだから」
「はい、兄上」
◇ ◇ ◇
「それで、我ら兄妹はこれから何をすればいいのでしょうか?」
一階の食堂で朝食を終えた兄妹は、これから指導者になる男と共に自室へと戻ってきた。
妹のクーレイが眠ったベッドの上にちゃっかり腰を下ろした男は、ゆっくりと口を開く。
「最初に言っておくが、俺から君達に教えるような真似はしない」
「…………」
「…………」
まだ眠たそうにして緊張感の欠片も感じられない説明に、兄妹は耳を傾ける。
自分達は力を持たない未熟者。
誰よりも力を持つかもしれない超越者から助力を得るのだから、黙って従うしかない。
「それでは、どのようにして強くなればいいのでしょうか?」
「レベルを上げるためには、人との訓練や自主学習などあるが、最も効率が良いのは強い魔物を倒すことだろう」
魔物の討伐を生業とする冒険者でなくとも常識的な方法だ。
一番確実であるからこそ、一番難しい方法でもある。
「だから君達兄妹には、これからずっと魔物と戦い続けてもらう。それこそ、死ぬまで、な」
男は不穏な単語を呟きながら、懐からネックレス型のアイテムを取り出した。
「このアイテムを知っているか?」
「……いいえ、初めて見ました」
「ならばまず、鑑定アイテムを渡しておこう。概要を確認するだけだから、ランク5もあれば十分だろう」
兄妹は渡された二つの指輪型アイテムを装着する。
人類最強と同格であるランク5の魔物から得られるアイテムを、無造作に渡す相手にも随分慣れてきた。
「では改めて、このアイテムを鑑定してみてくれ」
「――――こっ、これは、ランク外のレアアイテムっ。効用は絶命寸前になった者を完全に回復させ、しかも安全な場所まで転移させる……」
「そ、それって、命をもう一つ得るのと同じことでは……」
クーロウとクーレイが驚愕するのも無理もない。
目の前にあるのは、桁外れの効用を発揮するレアアイテムの中でも最高峰の逸品。
最高ランクの魔物、あるいは高難度ダンジョンの奥深くに隠された宝箱からでしか入手できない超一級品。
実在するのは極僅かであり、実際に身に付けているのは王族くらいだろう。
「まっ、まさか、これを使って訓練するつもりなのですかっ!?」
「そうだとも。この身代わりアイテムがあれば、どんな魔物が相手でも安心して戦えるはずだ。なにせ、絶対に死なないんだからな」
「「――――」」
「訓練のやり方は極めて単純だ。君達は毎朝、身代わりアイテムを装着して、強い魔物が居るダンジョンへと転移し、死ぬまで戦う。死んだらこの部屋に転移するよう設定しておこう。部屋には予備の身代わりアイテムと転送アイテムを用意しておくから、それを使ってまた死ぬまで戦う。これを延々と繰り返すだけだ」
「「――――」」
「むろん魔物を倒して強くなることが目的だが、殺されてもそれはそれで経験値が入るし、何度も同じ魔物に挑戦すれば相手のダメージが蓄積されるからどんな強敵でも倒せる。こんな感じで死んで死んで死にまくる日々を繰り返して魔物を倒し続ければ、たった一ヶ月間でもレベル40超えが可能だろう」
「「――――」」
「魔物にダメージが入らないと話にならんから、武器は頑丈なアイテムを用意しよう。防具は相手の強さと己の弱さを実感するために無しにしよう。その方が緊張感も増すだろうしな」
……死さえ回避するアイテムがあるのに、今さら緊張感が必要なのだろうか?
「コンテニューが可能でも、最初から強すぎる魔物に挑むのは効率が悪い。自分達のレベルより二回りほど強い魔物の方が良いと思うぞ」
……特攻主体の作戦なのに、効率とはいったい?
「昼飯は現地で調達してくれ。ドロップアイテムは肉が多いから十分確保できるだろう。魔物が徘徊するダンジョンで飯を食うのは大変だろうが、それもまた訓練になるさ」
……魔物に殺される心配より、飯の心配?
「まあ、何度も死ぬ死ぬ言ったが、アイテムで復活するから本当に死ぬわけじゃない。それに、好き好んで魔物に殺される必要はないんだぞ。夕方まで生き抜いて普通に転移して帰ってきても良いんだからな。はははっ」
淡々と語られる地獄に、兄妹は理解を拒むように心の内でツッコむことしかでない。
冗談で言ったらしい最後の台詞さえ、空々しい恐怖を感じる。
「……その、本気、ですか?」
「むろん本気だとも。正気かどうかはさておき、だけどな」
「…………」
「世界は広いからもっと簡単な方法があるかもしれないが、自力でやるには、俺が知る限りこれが最も早くて確実な方法だ」
クーロウは高価なレアアイテムを幾つも使い捨てていいのかと聞いたのだが、男の返答はズレたものばかり。
どうやら男にとって、アイテムの希少さは度外視されるらしい。
それに、「自力」という単語は気になるが、「早くて確実」には違いない。
「別に難しく考える必要はない。何度もやり直しがきく実戦訓練だと思えばいい。君達は強くなることだけを考えて訓練に励めばいいだけさ」
男の言葉に、間違いはないのだろう。
弱者がルールを無視して強くなろうとしているのだから、無理が生じるのも理解できる。
……それでも、恐怖に侵された感情が追いつかない。
「どうしても嫌なら別の方法を考えるが、おそらくこれ以上の訓練はないと思うぞ?」
「…………」
そんな弱い自分とは別に、強くなるため手段を選ばぬと誓ったもう一人の自分が囁く。
何を躊躇する。
彼が言うようにこれほど確実な手段はない。
しかも全て彼が準備してくれるのだ。
我ら兄妹が悩む必要など何もない。
悩むべきは、与えられた条件の中で、迅速に強くなる方法を模索することだ。
「いいえ、申し訳ありませんでした。自分達にはまだ覚悟が足りなかったようです。是非ともこの訓練でお願いしますっ!」
「兄様……、本当によろしいので?」
「ああ、お前にも辛い思いをさせることになるが……」
「いいえ、私は兄様と一緒ならどんなことにも耐えられます」
クーロウが覚悟を決め、次いでクーレイも決意を固める。
「うんうん、やっぱり兄妹は仲良くしないとな」
決死の覚悟を抱く兄妹を見て、男はご満悦な様子。
そして――――。
「それじゃあ、早速訓練を始めよう。最初は下級の魔物しか出ないスポットに転移するから安心してくれ。まあ、殺されても死なないからどこに行っても安全なんだけどな。はははっ」
「「――――っ」」
「大丈夫、すぐに慣れるさ」
男は、笑いながら転送アイテムを使い、兄妹を地獄へと送った。