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57.吐き気の表現アリ


頭が痛い。

久しぶりに起き上がれないレベルの偏頭痛だ。情けないことにベッドで目が覚めてから寝返りを打つ勇気もなく、すぐにミハルを呼んだ。トールかブックロゥから、かなり効き目の強い鎮痛剤をもらいたいことを話す。もちろん、ミハルが薬をもらってくるんじゃなくて彼らを連れてきてくれることは想定済みだ。女子の部屋だからね。事前に了解を……保護者にも取っておかないと。

足音も立てないままに足早に部屋に入ってきたトールは少しだけ顔が蒼い。気分でも悪いんだろうか。あり? ブックロゥも?


「な、んか……二人とも、具合が悪いの?」

「それはカナだよ。頭が痛いって? ああ、瞬きもしたくないくらいか。うん、即効性の出すから口開けて?」

「……っ?! ん、ぅっっ?!」

「苦いですよね。すいません、こちらがはちみつです。口を……失礼します、カナ。指を入れますから」


私の小指の爪くらいの丸薬は(推定だよ)、口に入るや否や粉に変わった。唇の内側にまで入り込んでくる苦さときたら、これまでに体験したことのない味だ。悶絶級。間髪入れずにたっぷりはちみつを指に纏わせたトールが私の口の中をあちこち擦って、甘い味を送り込んでくれるんだけど。この野郎なにしやが…………ここまでしても吐き気がしないとか、そうだね、それだ。素晴らしいよ。男の指がオイシイ! 苦味と甘みで混乱しないんだね舌って!! なすられて気持ちわる…………いやっふぅ!! はちみつ追加来ましたコレ!!!


すげぇ現実逃避だ。


生唾があふれて飲み下すのに忙しい。生理的な吐き気? うん、それも飲み込んでるから特に。う、動かすなよぅミハル……私、今ちょっと忙しいんだよ。何かと戦ってて。


「……なんともはや、この手のことを仕掛けられていて色気の欠片も湧かんとは。カナ、お前もしかして天才か」

「な ん の だ よ !」


ぐっと起き上がる。うぇぇぇぇなんじゃこら。視界がぐんにゃりしてやがる。ここまでの頭痛は初めてだし、まっすぐに歩けないほどの痛みを抑え込んでる二人の薬、すごくねぇ? モルヒネみたい? 使ったことないし、知識としても知らんけれども。

心配げなミハルが持ち上げてこようとするのを、手のひらだけで押し止めてました。いやいや今、私の意志じゃなく動かされたら死ねる。その場で吐く。

よろよろと廊下を伝い、トイレに入る。朝一のお手洗いよりも吐き気が勝った。でも出ない。意味がわかんない。たった今、体に入れたばかりの物なのに出せないとか。食道に落ちてないってこと? うぅ?

這うようにして個室から出てくると、待ち構えていたミハルが私を持ち上げる。吐くものがないからこれはもう、止められなかった。大体、張る意地も種切れだ。そっと、できるだけどこも揺らさないようにして寝室に運んでくれるんだし甘えとけ。……っつか、おかしい。ここまでだらしなく依存して甘えてるのにミハルとかユーリの『一人で頑張りすぎる』指摘はおかしいと思うの、団長。


「お前、本当にダメなことはさっさと私たちを呼ぶくせになぁ」

「ナーナは意地を張る場所を、間違ってますよ」

「……こ、この間は、おっさんに攫われた時は、すぐに呼んだじゃん」

「だよなぁ。そのあたりの見極めは確かだ。手に負えん場合は私たちに報告する素直さがあるのに」

「どうして、精神的なものだと耐えようとするんですか? ナーナ。あなたが痛いことは、体だろうと心だろうと、僕も痛いです」


痛い痛い。ユーリたちの愛情が重すぎて痛いですよ。いやいやいやいやいや私、大人。できるだけ、自分のことは自分で処理したいの。


「大人なら心配をかけんくらいの分別があってしかるべきじゃないか?」

「時には思いきる勇気も必要です」

「ぐぅぅぅぅ」


やべぇ。やべぇですよ。ぐうの音も出ない指摘ですよ。そう? そっか? プライド、どこいった?

横になりたくないって意地を読み取られる。山のようなクッションと上掛けを丸められて背中に置かれた。ずるずるずるって滑り落ちて、あ、やっぱ駄々捏ねる場合でもねぇやと思い返す。目を閉じて、回る脳みそを落ち着かせたい。切実に。


「ちょっとだけ休憩」

「鎮痛剤の再投与は」

「はぁ? やめた方がいいと思うよミハル。もともと、女の子に出す薬じゃないんだ。これ以上あげちゃうと、副作用で胃液を」

「頼むから止めてあげてください」


細い声量でピタリと会話がストップするの、すごくない? ぎゅっとシーツを握っちゃってる手を撫でてくれたの、誰だ。ライ?

次々に部屋から人が出ていく気配がする。代わりにミハルの手が私のこぶしを覆った。そのまま、体温を移してくれるかのようにそこから動かない。いたわられてる。愛されてる。

このまま、溺れてなくなってしまいたい。

似合わない感傷に、弱ってることを自覚した。そうか。思ってるより、私はあの子たちのことを気に病んでたんだ。今頃どうしてるかなって思い出すことも止めてたくらいに。

あの子たちと同じ年頃の子がキツイ目に合ってることが、私にとってこんなにしんどいなんて。助けに行きたい思いと同じくらいの重さで気が進まない。暴言を投げつけられる可能性は高い。憎しみのこもった目で見られたら立ち直れない。けど、もし泣いてたらどうすんの。


おねぇちゃん。


途方に暮れたような、妹の声が聞こえた気がする。あの子は私を愚痴の吐き捨て場として活用してた。何を言ってもいいって思われてたんだろう。コイツは自分に逆らえない。そんなふうに扱ってた節がある。かんっぜんに私はあの子のヒエラルキーの下に置かれてた。ブス邪魔うぜぇ。いつもワンブレスで吐き捨てられてた。メシ作れよ肉抜きな、って命令された。アンタ太ってるんだから痩せないとねぇとか言いつつ、高たんぱく低カロリーのレシピを投げつけてきた。


ねぇちゃん。


ぶっすりした弟の声を思い出す。もう何か月も呼ばれてなんてなかった。おい。あんた。お前。そこの。あの子が私を呼ぶときは記号ですらなくて、そのたびごとに本当は、どこかが削られていった。忍耐力だろうか。私の、個人として認識してほしいって欲だろうか。パシリに使うときは100円だけ余分にくれた。菓子でも買えば。太るけどな、デブ。悪口だけは流暢で、私の熱があるときにも走らせたけど必ずお駄賃はくれた。



…………いやいやもしかして、私、あの子たちを投影した子、助けなくてもいいんでは。



ぐ、と歯を食いしばる。頭を上げかけて断念。そろそろと爪の跡がついてるだろうこぶしから力を抜くと、ミハルが撫でてくる。手のひらと、そこからゆっくり上がってきて私の背中まで。漫画とか小説の中にいるお母さんみたいにとんとんって叩く。意識して深呼吸を繰り返した。卵みたいに蹲ってた姿勢からじわじわ手足をほどいていく。じれったくなるほど時間をかけて体を伸ばした。うつ伏せから横向けに転がる。

一息。

荒い息を制御してもう一度転がる。ベッドから落ちそうになってミハルに捕まえられた。ため息をつきながら床に立たせてもらう。ひでぇ。眩暈がひどすぎてまだ世界が歪んでる。手すりが欲しいよ外務次長。


「……まだ、綻びは、扉になっておらぬそうだ」

「っあー、…………ごめん、どういう意味?」

「ケルンいわく、歪みは渦を巻いていて分離も到底無理だと。そもそも、あれだけ融合してしまえば人間としての自我はなくなるだろうから逆に」

「今から出る」


完成してから、扉として閉めろ。人間として救うのではなく、封じろ。

言葉の外の意味が、聞こえた気がした。反射で一歩を踏み出す。ああ気持ち悪い。冷たい汗って乾いたあとがまた最悪なんだ。早いとこお風呂に入りたい。


子供たちについて、あがいたあとで。


ミハルにあってから初めて、懇願ではなく命令した。宣言して、脅した。ミハルが動かないならケルンに頼む。ユーリにも。トール、ブックロゥ。ライには移動の手段がないけど武力がある。私を盾にして脅してくれればいい。こいつに傷がつくのが嫌ならこいつを望むところへ連れて行けって。言わせてみせる。


もう、支離滅裂だった。どれだけ無茶を言ってるかの自覚もなかった。行かなくちゃ。それだけの気持ちで立ってる。少しでも気を抜いたら倒れそう。深呼吸は止めた。それより息を止めた方が楽だ。力が入りやすい。

目線を逸らさない私を見てミハルが渋面を作る。さいっこーに苦そうな虫、何匹噛んだんだろうね。さっき飲んだ痛み止めより不味そう。ほんと、かわいそうな人だ。守る対象に暴れられて。


「くそっくそっくそっ。目を閉じろ」

「…………ありがとう」


お礼と同時に瞼を落とす。我ながら細い声だ。踏ん張ってる足といい、どう見えてるんだろうなぁ。ガチで、…………抱え込んでくれたユーリに聞きたいなぁ、私。


「どうして」

「聞きますか?」

「……いえ」


怖い。おおおぉぉぉ? なんですか中学生め。ミハルの無言プレッシャーに負けず劣らずのこの圧迫感、た、ただ事じゃねぇ……っ!



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