42.
「そうか。それで、扉の位置が特定できたと」
ミハルの涼やかな声が、中庭から聞こえてきた。お帰りなさい、と声をかけておいてユーリとケルンの前からお皿を引く。ケルンは最初、狼のままで私からいろいろと食べさせてもらおうとしてたみたいなんだけど、にっこり笑ったユーリと兄さんたちがそれを許さなかった。結果、テーブルには現在、超のつくハンサムさんたちがにこにこ座ってお茶を飲んでるところです。そろそろこのキラキラ感に慣れたいです。警備長。
慣れる気がしません。
「何か食べていたのか? 私にも何かあるか、ブックロゥ」
「んー、たったいま片付けちゃったからねぇ。もう少し早かったらカナのオムレツが食べられたのに」
「オムレツ? カナが作ったのか?」
む、と顔をしかめるミハル。腕を組んでたから近づいて、その手をほどいて私が中に入ってみる。ほら、背負い投げの要領だよ。手を取って、くるって後ろを向いて。そのまま後頭部をミハルの胸に擦り付ける。
「また後で作る。ミハル、バルトと仲良くできた?」
「ああ。おかげさまで、楽しめた」
ミハルとならこんな会話もできるんだけど。バルトの方をちらっと見ると、こっちは照れる。謎だ。バルトが照れるでなくただひたすら満足そうだからだろうか。二人してカナリア食べた猫みたいな雰囲気なのに、ミハルなら生々しくない。なんだかなぁ。
ミハルは見る間に機嫌を直し、私をぎゅっとしてから抱き上げる。テーブルじゃなくソファの方に腰を下ろして私の髪の毛を撫で上げてきた。
「施錠するつもりで、外出着を?」
「ん、ちこっとだけそのつもり。けど、本音は市場に行きたくて」
だってお買い物だよ。食べ物だよ。白米と、かわいいお皿。ミハルの手が気持ちいいから目を閉じる。一瞬だけ止まったってことは、やっぱりまだ買い物は早かったか。一人でお使いに行ける日はいつかなぁ。く、来るよね?
「ん。じゃあ扉のことを聞く」
聞き分けよく市場をあきらめると空気がほっとするのがわかった。うーん、真面目に監禁フラグが消えてくれない。どうするかなぁ。
「今度の扉は南南西。前回とは真反対だな。肉食獣に扉が重なったようだ。現在は……そうさな、我と同じような背の高さで、立ち上がるとその二倍というあたりか。移動速度はそこそこだな。人里に向かっているふうはないので印だけつけて放置してある」
「というか肉食獣は無理ですよナーナ。獣だから話もできませんし。内部に入る手段として穏やかなものがありません」
ユーリの言葉に、ミハルが私を抱き込める力を強くする。言葉でなく、それはダメだって言ってくる。うーん。さすがに私も、肉食獣だと食べられる一択しか考え付かないよ。
「ケルン? こういうケースの場合は鍵として、どうやって扉の中に入るの?」
「成功した例がないな。どれだけ屈強な男でも頭部なり上半身を食いちぎられれば意識は保てぬ。扉の施錠より早くに鍵が死ぬ」
「そっか。じゃあ、その獣を動けなくさせて、たとえば眠らせて私が近づく、とかは?」
死の単語が発声させた瞬間に空気がびきって凍ったけど、頑張ってスルーした。守護者かぁ。……あぁ、そうか。兄さんたち、私に対して保護者の意識も強いのか。それであんなに優しいってのもあるのかな。本物のお兄さんみたいな感覚か?
「…………ふむ。確かに、獣の攻撃手段を奪えば愛し子が近付けるな。扉の、なんというか自我が、素とつながっているのか我も知りたい。やってみる価値はあるか」
「それなら僕たちが事前にカナに守りをかけておくことが必須だね。えっと」
「反撃は結界に組み込んじゃダメだよ? ブックロゥ。あと、トールも扉を押さえるほうの魔法に攻撃を混ぜるの、禁止だから」
「ナーナ…………。本当に? 本当に行きます?」
「行くー。ちょっとやってみるー。ダメだったらすぐに助けを呼ぶからー」
「そう言って結局、自分が死ぬまで助けを呼ばないタイプだお前は。私の余計な介入は拒まないだろうな?」
「ミハルったらまたそんなー。あ、でも今回も一緒には来てくれるんだよね? 後ろですっと、応援してくれる?」
「……介入の意味がわからんのか? カナ。くぎを刺してるのか、これは。ミハル?」
「いいやバルト。カナは、ほんの心持ち、おっとりしてるんだ。なぁ? カーナ」
く、と顎を持ち上げられて目尻とか鼻の頭にキスをされる。機嫌がいいんだか悪いんだかわかんないミハルの行動だけど……わ、悪いんだろうな。首を舐められたよ。くそ、知らんぷりして過剰そうな守りを阻止しよう作戦、失敗か……っ!
「私、ミハルの介入がないように頑張るよ!」
「…………そうか。カーナ? この服はもしかして、破られてもいいものか?」
「バリバリにお手伝いをお願いしますミハル! 向こうでも、ずっと手だって握っててくれるとうれしいな!!」
っひーーー。やぶ、破られるってどういう意味なの!? 『裸なら外出しないよな?』ってこと? それだと監禁フラグへ一歩前進しちゃうじゃん!
「まったく、機微が読めるのだか読めないんだか……」
「少なくともミハルの心配は読み取れるようだぞ、トール。さて、俺も行くか」
「え? ライの出番、今の分担の中に入ってたっけ?」
ブックロゥが明るくからかうと、鼻白んだライが私に目線をくれる。おべんと持ってピクニックだね、と答えるとその場にいる全員が笑った。
さて。じゃあ二個目の扉、いっちょ閉めてきますかね!
いやぁコレはどうなのよ。もう、ほんとマジでどうなのチート。
よし。今の私の状況を把握しよう。
いち。行こうか、うん、のノリで、ユーリとケルンに扉の位置まで連れて来てもらった。ここ、私たちがベースを立てた砂漠の光景とよく似てる。違うのはこの先、ゆっくりと森が広がっていくところかな。山じゃなくて。
に。動き回る動物、はは、トラですよ。ホワイトタイガーですよ。ここらあたりの生まれの子なら保護色として茶色と緑じゃない? もしかして突然変異の方かな?
気になったのでケルンに聞いてみると、そう言われれば珍しい、とのこと。やっぱレア種の方か。
うん、それがね、私たちを認識した瞬間に、こう、優しい言い方をすれば『がうがうって飛び掛かってこようとした』のね。立ちすくむしかない速さで重量物が走ってきたのに兄さんたちもミハルも実にのんびりと優雅に口と手を動かした。それでトラ捕縛。
さん。私あ然、トラもっと呆然。
野生の動物もぽっかーんってなるんだ。そうか。って私がびっくりしてる間にトラの瞼が下がる。すうって眠っちゃって。……ああ、私のお願いしたように催眠状態にしてくれたんだって理解したのと、私の体表面全部がほんのり青く輝いてるのを見つけるのが同時だった。ミハルを見上げる。
「カナへの防護だ。反撃の呪は入れてない。お前に言われたようにな」
「ありがとう、ミハル」
おっと、私ったら本気で大事にされてるなぁ。ありがたいけどちこっとだけ愛が重いっていうか。
返せる範囲でもらいたいもんです。愛情も、友情も。
よん。さて、飛び掛かってくる大型肉食獣からこんなにあっさり守ってくれたこの保護者たちの輪から出たいんですけど臣官長。誰だ。っつか、臣官長ってどんなところにいるのよ。
後ろから回されてるミハルの手をほどいて前に進む。すぴすぴ寝てるホワイトタイガーは安らかな顔をしてない。猫でもいるよね。苦しい顔して眠ってる子。
かわいそうに。どこが苦しいのか、教えてほしい。
そっと伸ばした手はケルンよりもざらついた毛皮に埋まる。びくってされた。痛いのかな? 少しだけ考えて、試しに右手で自分の左腕を叩いてみる。コンコン。えらい硬質の音がしたので今度は指の腹で撫でてみた。固い。プラスチックか! ばりに硬い。
……これからする自分のおねだりが、どんな反応を彼らにもたらすのか想像はできてた。だから恐る恐る振り返ってみる。にこにこ笑ってるブックロゥとトールは笑ってるだけ。ミハルとバルトとユーリはそれに加えてかぶりを振った。ライとケルンは渋面。何となく無言のままで、『お願い』のジェスチャー、拝み倒す、を発動させる。へらへら笑いながらやったのが悪かったんだろうか。ふんわりと彼らの温度が下がった気がした。しょうがない、お願いマイ○ロディを思い出すんだ私!
これ、取って。固いの、取りたい。
今度は真顔で。良く考えたらマイ○ロの計算されたあざとさは私にはできなかったよグランマ。本気の守りなら、本気で外したいって言わなきゃ通じないよね。トラを起こすのが怖かったんでやっぱり無言のまま、私は真顔になって頭を下げる。はっと顔を上げて、肘を指差すような身振り。また平身低頭。
かしゃり。脆い結晶が崩れるような、微かな音を立てて青い輝きが剥がれた。ありがとう、と口だけを動かしてまた頭を下げる。すぐにトラに向き直った。今度は、指どころか手のひら全体を毛皮にうずめても大丈夫。トラは痛がらない。
ゆっくりじっくり頭から背中、尻尾の付け根を探りながら触る。思い切ってお腹の方にも手のひらを差し込んでみた。びくりとするけどそれだけだ。トラは目を覚まさない。
ごうごう音がするのは耳鳴りかも。集中してるからドゴンガゴンって鼓動の音がうるさい。
私は両手でお腹の、柔らかい部分をそっと押す。さっきからここの感触が変なんだよ。柔らかすぎるっていうか、吸い込まれそうっていう、か……。
ずるずるぅって自分の手首どころか肘までトラの胎内に埋まったところでようやく私は思い至った。ここか。今度はこういう方法で中に入るんだ。
トラの全身を目に入れておく。手足が四本。頭は一つで目が二つ。鼻と口が一つ。見える範囲に変異はない。
さてどこがどう不満なんだろうか。
私はそんなことを考えながら、トラの中へと潜っていった。




