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37.


 「うぅ、ひどくない? なぁ、私は頑張ったくない?」

 「無駄な方向にな」

 「無謀な意味でね」

 「無理だと思えば引いてくれるかと思ってましたのに」

 

 ほかほかのさらさら、つるつる、ぬくぬく。

 風呂上りはかくあるべし、の見本みたいな私の目の前に、朝飲んだスープのマグが付きだされた。ユーリだ。

 同時にお腹が鳴って、やっぱり腹の中になんか飼ってんじゃね? みたいな顔をライからされる。ん、もう。女の子のおなかの中身は秘密ですよ兄さんたち。無駄ムリ無謀。大体において兄さんたちは先に、私に対する暴言を反省した方がいいんじゃないかな。

 心持ち唇を尖らせるとマグの中身をかき混ぜる。あとは、ごく自然だった。何の気なしにマグを持ち上げ、スプーンですくった一口を慎重に落とし込む。火傷を警戒してね。

 

 「……おいしい」


 お腹が減ってるところに美味しいスープだ。激怒してる鬼夜叉も笑うと思う。ましてや、ちびーっと拗ねてただけの私なんかはもっと簡単に機嫌が直る。

 誰が温めてくれたのか、スープの温度はちょうど良かった。まどろっこしくなってマグに口を付ける。野菜の甘みと、丁寧にとられた出汁の浸み入る美味しさ。朝よりも時間がたって馴染んだ分、すごく幸せにしてくれる味。


 「幸せ。ありがとう」


 空になったマグから顔を上げる。ユーリが驚いた顔をしていた。一拍。二拍。はっとぐるりを見回すと、私の座ってるソファには全員がそろってる。ちなみに、言ってなかったけど当たり前のように私はミハルに抱え込まれてるから。もうね、この過保護さんは私を手放さないことに決めたらしいよ。ライ○スの毛布のように、幼女が持つぬいぐるみのようにね。

 や、そうじゃない。私はもう一度ぐるりを見上げる。口角が緩んだ。食べられる幸せと同じように、うん、すごーくふわふわした優しい気持ちになる。でへへへ。


 「美味しいの。ライ、トール、ブックロゥ」

 「……そうか」

 「味がね、好みなの。ケルン、ユーリ、……ミハル」

 「……なら、いい。お前が、カナが笑ってくれるなら。なんでも」


 静かに、ミハルが声だけで笑ってみせる。すり、と後頭部をミハルの胸元に擦り付けると頭を抱き込まれた。頭頂部に何度もキスをされる。マグはユーリにとられた。

 お代わりは? と聞かれたので、みんなが食べるなら、と答える。……そうだ、今何時ぐらいなんだろう。お腹が空いてたってことはお昼なんだろうけど。


 「そうですね。確かに昼時分です」

 「どうする? カナ。このままご飯も一緒に食べられそう?」

 「べるー」


 おっと、しまったこれは幼児語か。私の実家内だけで流行ってた単語だわ。


 「食べたいです。ブックロゥ。ごはん」

 「お前は飯の時だけ真顔だよな。好きか?」

 「好き。ライ。ごはん」

 「……カナ。返事が単語になってるようだが。どれ、食事なら我も相伴したい」

 「あ、じゃあ私も作るの、お手伝い」

 「「「「しなくていい」です」から」」


 ……そ、そうですか。ミハルの、私のおなかに回った腕もダメだって言ってるし、ここは我慢かな。ブックロゥのご飯の腕前なら純粋に楽しみにさせてもらおう。


 お風呂に入って温かいもの食べて。あったかい匂いしかなくて、優しい雰囲気で。

みんなに甘やかされてる。好きが満ちてる。

 するりと私の前髪をミハルがかきあげた。目を閉じて、グルーミングされる気持ち良さを堪能する。もふもふ、するのも好きだけどされるのも好き。


 「……ふふ、気持ちがいいのか?」

 「ん。いっぱい好き」

 「…………カーナ? さっきから、好きという言葉が多いようだが」

 「好きって単語が好き。言えることがうれしい。楽しいとか、しあわせは、うれしいのを呼んでくるからいっぱい言った方がいいって。ヒロトが」


 急速にぽやぽやと思考が鈍くなる。もはや反射のようにミハルの腕の中だと眠くなるみたい。安全だからねぇ。っつか、そもそも鍵をかけに行く前からずっと眠たかったもんねぇ。仕方ないよね。

 

 「またヒロトか。やれ、妬けてねたんでしょうのない」

 「我がつがいにその手の感情が理解できる日が来るとはな。存外、カナに礼を言うべきか」

 

 真剣に考えてるバルトが、真面目だからけっこうおかしい。ミハル、恋愛系は苦手だったんだ。あー、はは、うん。らしくて笑える。


 「カーナ? 本当に寝てしまうのかい?」

 「食べるー。ごはんー。んーでも、心持ち、ちびーっとだけ、眠る」

 「……仕方のない子だね。ほら、それならもっと私に預けて」


 ミハルの声が一気に甘く、低くなる。とろとろになりかけた体が、眠っていいって許可をもらえて一気に睡眠へと落ちた。いや、落ちていく。

 自分の立ててる寝息、それを聞きながら。


 私は、転寝することにした。




 ……起きた時に、それまでと違う場所にいたら誰だって不安になるよね。うん。

 なる。

 私は横向きになって寝ていたようだ。体を起こすと上に掛けられてた毛布がするりとすべる。……ここ、ベッドだ。私の部屋の。私のベッド。

 ぐるりを見る。誰も部屋にはいなかった。急激に寂しくなる。ドアが細めに開けてあるから、出てきてもいいよってサインだとは思うのね。間違ってないかな。


 用意のいいことに、ベッドの下にはスリッパもあった。近所なら履いていけそうなしっかりした作りで、すごくかわいい。中近東のイメージだ。大きいビーズがお花の模様になってる。

 そろそろと廊下に出て、中庭が暗いことに目を瞬いた。あり? 私がお昼寝を始めたのって昼時じゃなかった? なんで太陽がないの?

 廊下を進んで……呼び方は回廊でもいいかも。長くここにいるならきっと私、この中庭ぐるりを囲む廊下の壁を小さく飾っても許されるかな。花瓶にお花もいいし飾り棚もいい。写真も絵もどうしてだか苦手だからファブリックパネルとか……センスの問題があるけど、選択肢の中身に入れたい。

 ダイニングキッチンというか居間への扉も、同じように細く開いてた。う、ん。これはやっぱり、入っていいっていう意思表示だろう。信じたい。


 「ああ、起きたか」

 「よく眠っていたな」

 「ナーナ、まだ眠くないですか? お腹が空きました?」

 

 ライ、バルトに被せてユーリが私の手を取る。無意識にきゅっとそれを握ってから頷いた。


 「たくさん寝ちゃって、ごめんなさい」

 「何を謝られているか理解できないよ、愛しい子。さぁおいで」

 「カナ? そろそろ固形物が食べたくない? 何か食べたいものはある?」


 軽やかに聞いてくるブックロゥをまじまじと見てしまった。なんだこのイケメン……っ! 食べたいものが用意できなかったらどうするつもりなのか、聞かなくてもわかるところが怖い。すごい。甘やかしすぎだ、この兄さん。


 「みんなが食べてたのがいい」

 「んー。となると、……ミハル、こっちに移動してもらってもいい? カナ? 温かいのと冷たいのはどっちが好き?」

 「んーう?」


 聞き返そうと首を傾げた時点でミハルに抱きかかえられた。意味が分からない。さらにそのまま、食卓に座るときも彼女の膝の上。おいおい姉さんや。ちょいと私をぬいぐるみ扱いしすぎじゃないかえ?

 けど、私のそんな扱われ方に、誰も欠片たりとて突っ込んでくる人はいない。おかしい。龍の常識がおかしい。


 「カナ? こっちと、こっちはどっち?」

 「えっと、温かいのはどっち」

 「こっち。どうやって食べる?」

 「ど、どうやって?! 食器と箸で……や、いや、えっとねブックロゥ。そのパンに具を挟んでくれればそれでいいから。そんな大量にいらないから」


 これもお約束なのか、ブックロゥが鼻歌でも歌いそうな上機嫌さで盛る料理の量が尋常じゃないんですけど教頭先生。とてもじゃないけど食べられるような高さじゃないよ。

 ってーか、高さって! 皿に盛られた個人のとりわけ料理の状態で高さは発生しないから!


 「ここでも常識の厚い壁が……」

 「常識? いやしかし、カナの食べる量は少なすぎるような気が」

 「しません、ケルン。ミハルも。食べさせなくてもいいんです」


 どきっぱりと言い切って、私より早くお皿に手を伸ばそうとしていたミハルの目を覗き込む。言ってから思いついたけど、もしかして自分が食べたかったの? ……や、うん。そうね。そりゃ深さが意味不明の溺愛だもん。食べさせてくれるつもりだったんだよねその悲しそうな顔。

それって、食べさせるのを止められたから、だよね?

私はミハルの膝から降りる。ご飯を食べる時に誰かの膝の上は落ち着かない。知る必要のない無駄知識がどんどん増えてくよ。おっぉー。

 手を洗ってから食卓に着き直す。美味しそうなサンドイッチだ。彩り完璧。お願いしたから口に収まる高さにもなってる。この、垂れてくる肉のソースがぶっちゃけうまそうでたまらん。やったね、たえちゃんお肉だよ! 二回目のたえちゃんが癖になりそうで怖い。


 この、座れば出てくる料理のおいしさも。


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