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35. 三人称


 「殺気を押さえろ。逃げる」

 「逃がすとお思いですか? ケルン」

 

 つけつけとした言葉の応酬がトランディーノを挟んで交わされる。トランディーノとはこの食虫花の名前だ。もとは雑草、うっそうとして森の中でも水はけと日当たりのいいところを好んで増えていくのだとケルンは告げた。説明した時にいなかったミハルとバルトは知らなかったようだが名前なんぞどうでもいいと思っているのが丸わかりだ。特にミハル。


 「控えろユーリ。万が一、この草だけがこの場に残ると面倒だ」

 「たわいもない植物なんぞ、いっそ焼いてしまえばいいのに、我がつがいよ」

 「……バルト。人の話を聞かないのはお前の多大なる欠点だと私は何度も指摘してきたはずだ。黙れ」


 黙れとはまた何度もつれない、と笑うところまでが一連の流れになっているのだろう。

バルトは艶やかに目尻を緩ませてからどっかりとその場に座り込んだ。ちゃっかりミハルを抱き込んでいるあたりが素早い。ためらいもない。

 それを見て取ったライが、深々とため息をつく。


 「……ケルン。ナーナの、中の安全は」

 「有でもなし無しでもなし。カナが下手を打てばただでは済まぬ。だが……そも、初体験で扉の中に入った鍵は滅多とおらん。最初が植物で良かったのか悪かったのか」

 「はぁ?!」

 

 似合わないすっとんきょうな声を出したのがブックロゥだ。トールは心持ち目を見開いた。いや、ケルンの言葉の中身にも、だが。


 「つまりなんなのケルン。鍵といえどもケルンの言うようにすんなりと施錠できることなんて、……初体験?」

 「ふむ。お主らでは理解できまいがな。カナの身になって考えてみるといい。身の丈よりも大きく禍々しい外見。毒々しい色と鼻の曲がりそうな匂い。ましてやこちらを認めて開口するのだぞ? あれは危険だと、幼子ですら判断するだろうよ。それに向かって抵抗手段がまるっきりない平和で穏当主義の人間が、だな。臆病でない人間が、要するに『はいどうぞ』とその身を差し出すわけだ。自殺行為の強要と受け取られても仕方なかろう? 実際の話、歴代の鍵はひどい場合は発狂したし、そうでなくとも泣き喚いたな。無理だと叫んで逃げ続けた挙句に鍵として失格だと始末されてしまった者もおるし。ひるがえって扉はと言えば協力的であるわけで無し。内部に入り込んできた人間に敵意を見せる扉もいる。よって最初のいくつかの歪みは通常、破壊されるな」

 

「……」


 「我は、扉を閉める覚悟がいると説明した。これがそうだ。攻撃手段を持ってしまえば抗わずにはおられんだろう。我が見た中で一番グロテスクだったのは、正面から体を割り開いて鍵を受け入れた男の扉だった。おぞましいというしか無いような音と匂いと」

 「待て、ケルン。…………男?」

 「内部に入る? それって、そんなふうにグロテスクじゃない場合はありえるの?」

 「…………ブックロゥ。貴方、そんなふうに頭が回るとなれば不幸な人ですね。そこは黙っておいて、その場になって私たちに不快な展開を見せれば破壊すればいいんですよ? なに、異層の扉など私の知ったことでは」

 「青髪。カナの性格を理解してるだろう? さっき仮撤退した時もな、自力で立てないくらいに怯え、呼吸の制御すら意識してやらなければならない程度には追い詰められていたのに、行くと断言した女だぞ? お前の想像したようにさせてもらえるかどうか」

 「……お待ちください、母上。下種きわまりないのですが確認いたします」


 それは、もしやナーナが、僕以外の男と性的接触を持つ可能性があるという意味でしょうか。


 ごぉ、と遠くで音がする。誰もが言葉尻まで待たないせっかちな会話をうんざりと聞いていたケルンが耳をばたつかせ尻尾を振った。ミハルが顔を上げ、ジャングルのさらに奥地に局地的な暴風を認める。

いいや、それは見る間に竜巻へと発展した。巻き上げられた天地をつなぐ灰色のラインには茶色と緑が入り混じり、実に凶悪な大きさと風力を兼ね備えて暴れ狂う。

 殺気を押さえろとケルンに言われたからこそあれだけ遠くで八つ当たりをしたのだろう。その気持ちはわかる。が。


 「風龍。まるで、貴方だけがカナに触れられる権利を持つかのような言い方は、いかがかと」

 「まぁ待てトール。ブックロゥ、ほら、杖を下ろせ。お前の場合は攻撃態勢に入ることそのものが向こうに敵意を知らせるだろうよ。カナが出てくるのを待ってることを忘れるな」


 ほら見ろ、不用意な言葉を出せばこいつらか食いついてくるだろうにとミハルは内心で舌を出す。一見ブックロゥを止めたかのようなライの台詞だが、目の色が好戦的なままだ。かなり苛ついている。その証拠に、先の言葉の内容は欠片たりとて否定していない。

龍の伴侶に対する執着を、それと認めたうえで牽制してくれるような男たちなのだ。失言や舌禍は見逃してはくれないだろう。

 目玉をくるりと回して見せたミハルを視界の端に入れつつも、ライは剣の柄で魔植物の茎のあたりを示す。気持ちの悪いことに先端の開口からカナを飲み込んだこの魔植物、トランディーノはその直後に全ての動きをぴたりと制止させた。さわさわと触手がうごめいているが、それだけだ。ライが見る限り内部が蠕動していたりなんらかの異変を起こしているわけではない。もちろん、それをして油断も安心もしはしないが。


 「忘れてないよ、ライ。だって食虫花だろう。こうやって黙って見てるだけなんてたまらないよ。まさか中で溶かされてるんじゃないだろうね」

 「…………ちなみに聞くが、誰かカナに守りは」

 「「「「「……」」」」」


 しかし、そんな不安定な沈黙はバルトが何の気なしにした質問で一息に崩れ去った。殺気を押さえろとの指示がなければその瞬間にトランディーノは切り落とされていたに違いない。遠くに見える竜巻が大きさを激増させた。誰もが、守りをかけるような心の準備をさせてもらえなかったのだ。カナに。

 

 あの、身を守るという言葉の意味も知らない馬鹿な小娘に。


 ふつふつとその場に威圧感が増す。ライが嫌な予感をこらえきれずにそちらを向くと、竜巻には炎が乗っていた。茶色と灰色と緑に混じりオレンジが見える。


 「……走る火柱」

 「しかも青白くなりつつありますよ。火龍。この森を焼き尽くすおつもりですか」

 

 そっとライが言葉を漏らせばすかさずトールが乗ってきた。ぴくりとユーリとミハルの肩があがる。力が入りすぎているのだろう。無理もない。

しかし、この局面で何をどういえば気を楽にできるのか。バルトでさえかける言葉が無いようだ。ことが伴侶とつがいの身の安全に直接かかわる以上、ミハルの暴走と、ユーリのそれとどちらが早いか、それは誰にもわからない。


 遠くで暴れる赤白灰色のうねりを見上げていたライの後ろで、ぱきりぱきりと硬質のモノが割れる音がした。間髪を入れず、どさり、ずしゃりと重いものが転がる。

べとべとした粘液に包まれていたソレに、誰かが声を出すよりも早くブックロゥが水の塊をかけた。何度も執拗な勢いで洗い流す。つい、とミハルが動いた。同時に、唐突までの速さでにその場に炎の壁が建つ。内側にブックロゥと自分を残し目くらまし、いや。


 「目隠し、ですか? 母上。なぜです」

 「服が溶けている。年頃の女性ならば羞恥を覚えるだろうな。だからだ」

 「うっわぁお、ミハル? その温度のモノを僕の水に近付けないでほしいな。でないと触れなくても最悪、水と高温で水蒸気爆発を起こすよ?」

 「…………母上」

 「まぁ待て。……そら、後ろを向いたかお前たち。壁を解く」


 ぐい、と乱暴に肩を掴まれて視界が反転した。目の端で見れば、トールも同様に回転させられたようだ。バルトだろう。ライは大人しくうなだれ、後ろの高熱が解放されるのを背中で感じ取る。行儀よく自身も後ろを向いていたバルトがミハルへ何かを放った。一瞬遅れてばさばさと音がする。情けない奇声が上がった。うひゃうとしか聞き取れない間抜けな声に、トールが喜色を隠せない。


 「カナ! カナ、無事ですか?」


 「ん? う、うん。えーと。…………はは。無事でーす」



 気の抜けるようなのんびりとした声が、保護者はもとより、そこまで過保護ではないケルンをして。

脱力させた。



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