11.トール視点
龍たちと精霊が会話しているのを聞きながら、情けないことに視線はすぐに風龍に握られている紐の端に行きます。制御できていない衝動は久しぶりで、いっそ新鮮ですね。あの先にはきょとんとした顔がとてもかわいらしい少女がいます。
名前を、カナというようです。
こちらの世界へと、私と同様にどうやら召喚されたようです。彼女が鍵だとか大地の守護者は言ってましたが、そこら辺りはこれから説明を受ければいいこと。事前の思い込みは判断を曇らせます。私にとって必要な情報、つまり、しばらくは安全であることや言語の問題も確認できましたし、あとは待ちの状態。
しかし摂食障害とは。カナはものすごく幼いようですがあの年齢でも発症するものなのでしょうか。そもそも女性は自分のことを隠したがるもの。ましてや不利になるはずの情報なのに、カナは実にあっさりとその点をさらけ出してきました。私たちへの通訳が上手にできなかったこと、いささかの点からうろたえてしまったことも潔く謝罪してきましたし。
そのことからわかるのは、彼女がずいぶんと愛されていたこと、大切に育てられてきたこと、でしょう。やや女性らしくない謝罪方法なのは層を隔てている、という状況も加味して判断した方がいいようです。そういえば、世界と層とは言葉の意味が若干、違っているようですね。私が学習した時点から推測するに、層がいくつも、それこそ数えきれないくらいに重なって平行し、進んでいく、この時空こそを世界と呼んでるのでしょうか。ええ、ここはいつか確認したいところです。
話がそれました。カナのことです。私には幼女趣味がないので残念ですが、彼女はきっと、大人になれば実にかわいらしい女性になるのでしょう。現時点でかなり私の心をぐらつかせます。ええ、私のほかに執着している他の存在が、本気で邪魔だと思うくらいには。
もぐもぐとカナのくれた弁当を食べつつも、気持ちはカナのところへ行きたいばかり。
ふむ、長いこと女性と接触するのも面倒だったせいで色事から離れていたせいでしょうか。やけにカナのことが気にかかります。つるりとした肌、漆黒で艶のある髪。思わず撫でたくなってしまうような作りの体。いえ、いやらしい意味ではなくて、ですよ。
守りたい、と強烈に思うと同時に、ほんの少しだけ、泣くのなら私の腕の中で、と思わせる女性です。
今まで私は、司書として、世界のどこへでも出張して来ました。たくさんの人に会い、くだらない権力や位置固めの駒として扱われるのを避けさせていただきながら人の中を渡ってきました。これまでの人生で執着するものなど、本と、それから不可思議現象ぐらいだと自他ともに思ってきていたのに。
あの目です。彼女の持つ雰囲気です。
カナのすべてが、色をもって私の目に飛び込んできます。
ああ、会いたい。こんなに短い時間でもすでにさびしい。あの目を覗き込んで、もっと話がしたい。声が聞きたい。
たいへんにおいしかった弁当の空容器を一つにまとめて置くと、火龍が無造作に焚火に突っ込んでいきました。勢いよく燃え上がり、黒い煙が出てきます。ふぅん? と首をかしげた彼女が目を眇めると、焚火の炎の色が変化しました。青白色。かなりの高温です。煙を出したくなかったようですね。
龍という単語からなんとなく予想はしていましたが、やはりこの焚火は見かけどおりの炎ではなく一種の装置のようです。青銀の獣、ケルンが言及していたように、これ一つで結界の役目もするようですし。
見る見るうちに容器が溶け、残骸すらも消えたところで次々にミハルが空容器を処分していきます。カナも捨てるしかないと言ってましたし、妥当なところでしょう。
「ところで言質を取るのも野暮だと見逃していたがな。ユーリ、カナの名前はナーナじゃないぞ?」
カナいわく、金髪の風龍、ユーリの母親である火龍ミハルがじっとりとユーリの顔をねめつけました。わざわざ私が彼らの説明の前に『龍』だと断ったのはその性質からです。
私のいた世界でも龍はいました。彼らと同じように風や火、四大元素の属性を持ち、精霊よりも上位種であり、その性質は属性によってばらつきは見られるものの、
「ナーナと呼ぶのは、僕一人でいいと思いますよ、母上。ナーナが母上の伴侶であることは重々、本当に僕の心の奥にまで刻んでおきますが、母上には母上のつがいの相手もいるはずです。なんならここに呼び出してお祝いでもしましょうか。母上の伴侶が見つかったと一言でもいえばすぐに来るでしょう。きっと父上はこのまま放っておいても勝手に来るでしょうから、時期が早まるだけのことで」
龍とは、寿命がおそろしく長いせいか、まず滅多と他の種族に執着しない。ですがその分、いったんそれを始めればたとえ親兄弟であろうとも簡単に周囲から排除するくらいには執着の激しい生き物だったはずです。
何よりも自身の伴侶を大事にするのは、生涯をかけても伴侶に会えない場合も多いから。
穏やかで争いを好まず、自由を尊び明朗闊達な精神を愛する。世界の上位種と誰もが太鼓判を押す彼らですが、ただ一つ、伴侶がらみの判断だけは手に負えなくなります。
そんなしち面倒な性質を持つ生き物の伴侶が、よりにもよってあんなに稚い、幼さに頭の回転の速さが釣り合っていなさそうな少女だとは。
ただ一つの救いは、火龍が女性であり、カナも女性であるということでしょうか。……いえ、…………いえ、待ってください。
漏れ聞くだにミハルの世界はこことも違うようですが、もしやミハルには同性に対する繁殖能力はないでしょうね。少なくとも私の知らない事象ではありますが、世界が違えば常識も違いますから。
「ミハルには同性に対する繁殖能力がありますか?」
想像に耐え切れず、はしたなくも口にすると、周囲全てがいったん、ピタリと動きを停止しました。焚火の炎ですら止まります。……そんなに意外な推測だったでしょうか。
「………………ない、な。残念だが」
そして、その心底から残念そうな声が残念すぎです、ミハル。私としては重畳ですが。
「……というか、生殖行為」
口を開きかけたケルンを遮るように、強い、とても強い風が吹きました。敷物が少しも動かないのは結界として非常に優秀だからでしょう。解釈としては声も魔力も、存在すらも隠ぺいしてくれるようですが、龍の魔法にも揺るがないとなると私の推測は合っているようですね。
「その単語は、以降、ナーナに対して使わないでいただきたいです。皆様も。というか、つがいとして僕がナーナを独占したいので、母上を除き、男性の方は引いてください」
端的な言葉が巻き起こしたちょっとした殺気のやり取りは、カナがいなくて幸いでした、という惨状を巻き起こしました。私が治癒魔法を扱えてよかったです。
少なくとも、全員が五体満足で紐を引き、合図を送ってきたカナに会えましたからね。
血まみれで転がっている腕や足や、切られて散らばっている髪、見事に敷物の上からはみ出さなかった大量の出血跡なんかはケルンとミハルが処理してくれました。やはり男四人と狼では、そこらにいるターゲットを暗殺したときよりも流す血液の量が違います。毛皮の上が泡立つほど血を垂れ流しても、なお誰もが闘志を失わないことも確認できましたし。
ふむ、思ったよりもこの場にいる全員が手だれのようです。古龍と戦えるという私の自負が砕けてしまいそうですね。若い龍ですら対等だなんて。
「ただいま、ユーリ。ありがとう。わがままを聞いてくれて、助かりました」
カナが閉じられた空間から帰ってきました。ああ、やっぱりかわいいです。一番先に挨拶と礼をするあたり、良い躾をされた子なんでしょうね。だとすると、いっそう摂食障害が哀れに感じます。
本人が言っていたように精神的なモノであるなら、どのくらい待てば一緒に食事ができるようになるでしょうか。できるだけ傍にいれば、何か月も待たなくても家人になれるでしょうか。
「……あれ? お弁当、全部食べちゃったんですか? や、……捨ててくれた、の?」
ことりと首をかしげるカナに手を伸ばすのをこらえるのは、本当につらいです。けれど私はまだ、彼女から名前を呼ばれたくらいの知り合いでしかない。たくさん話をして、たっぷりと深い仲になりたいのに。いえ、すぐにそうなってみせますが。
この世界に飛ばされて良かった、という考えがこみ上げて来て、こらえきれずに笑ってしまいました。自分の発言に対して笑われたのだと誤解するカナが愛おしい。恥ずかしいと、口にするより早く染まってしまう頬に唇を落としたいのですがダメでしょうか。
「ミハルが空の容器を処分してくれたのです。ごちそうさまでした、カナ。貴重な食料を、ありがとうございます」
いきなり距離を詰めてしまえば驚かせてしまうでしょうね。けれどちょっと手を取って甲にキスをするくらいなら許容範囲でしょう?
ねぇカナ?
※…………私は別に、ヤンデレを書きたかったわけではないのです。前口上に書いた通り、王道、テンプレ、かっこいいお相手さんを書いていたつもりでした。ええ。つもりでした。
……おかしい。なにがどうしてこうなった。
というわけですので、いったんカナの視点に戻らせていただきます。どう考えても残りもマッドだ。特にユーリ。ヤンデレの気配しかしやがらねぇ。




