12.
お腹がいっぱいになって何とも言えない空間から帰ってきたら、こっちもいわく言い難い空間になっていたでござる。薄っぺらな温かさっていうかさぁ。
そんな気分に満ち満ちてた私が確認すると、とりあえず再冷凍の単語がユーリに伝わってなかったことが判明しました。余ったお弁当はそれでもいくつも残らなかったらしいけど、ユーリがしまってくれたみたい。ちょっと、本当にどうでもいいんだけど、このあたりに残ってる微妙な血臭はなんだろうか。
あれ、血の匂いであってる? 誰かの体臭?
……うん? ケルンが狼だし、なんか食べた、の、かな?
「カナがいない間はなんとなく話をする気になれなくて。今からそれぞれが知ってることを擦り合わせようと思うんだけど、カナはそれでいい?」
「あ、うん、ブックロゥ。……あ、あの、ごめんなさい、気が付かなかったけど飲み物ってどうしてたの? 私は一本ちゃっかり持っていっちゃってたけど、お兄さんたちには言うの忘れてた。本当にごめんなさい。私の持ってた袋の中に入ってたんだけど」
「ナーナの言ってるのは細長い入れ物のことですよね? ええとそれなら僕が収納してしまったのでここにはないんです」
「気にしなくていい、カナ。代わりの飲み物を風龍に出してもらった」
「カナに謝られると私が悲しくなるので、そんなふうに眉を下げないでください。今度は私たちのそばに座ってもらえますか?」
「……私がここにいるのに、どうしてカナを離さなければならないのか、まったく理解できんな。カナ、もしよかったら膝においで?」
「…………膝は、ちょっと」
ミハルの言葉に、えへへと引きつった笑顔で返す。20歳をとうに越して誰かの膝に座るとか。いやいやいやいや私の文化にはないから。そんなの。
言葉が通じるようになって、お兄さんたちも一気に警戒が緩んだらしい。ご飯食べたのも大きいのかな。なんていうか、私にかけてくる言葉が増えてるし表情もにこやかになってる。つられてにこにこしながら、またミハルのそばに座らせてもらった。
ケルンが腰のあたりを丸く囲んでくれるのまで一緒だ。うう、焚火に照り返される毛皮が気持ちよさそう。触りたくなる。
「さて、事情を擦り合わせると言ってもなぁ。どうもこうも。……カナ、我らはどうやらすべて違う場所から来たようだ。ケルンが本来のこの層に属しているだけで、私とユーリは少し離れた層から来たし、こやつらの言葉をつなぎ合わせるとそれぞれが同じ層の出身でも無いようだ。……まあ、カナよりはこの層に近いところからいたんじゃないか? カナのいる場所には龍がいなかったんだろう? 魔法もないと言っていたし。だが、あとはそれぞれ、どこまで今回の事情を把握してるのかすら私は知らん」
ミハルの手がつい、と伸びて私の頭を撫でる。私がケルンを撫でるならこんなふうに撫でるんだろうなぁっていう力加減と指の動き。ふふ、ミハルにとって私はペットみたいなものになるのかな。伴侶っていうからもう少し熱がこもってる関係かと心配したけど、大丈夫みたい。
むしろ細かいとこまでいっぱい心配してくれて、お母さんの存在に近い。
「俺は、気が付いたらここにいた口だな。たぶん、剣を持つものとして呼ばれた、くらいの想像はつくが他の事情も何も一切わからん。お前の言葉だけが理解できたんで、今度の縁は、カナ、お前にあるとしか推測していない」
「私も似たようなものですね。ええと、私は母国で司書をしてますから少しはこの手の事象にも対応できるとうぬぼれてましたが。瞬きをするほどの時間で急に放り出された上にカナの言葉しかわからなかったのでうろたえてしまいました」
「司書?!」
びっくりして、ついトールの言葉を遮ってしまう。や、その恰好は確かに司書でもおかしくないね。ないけどね!
「はい。私のいたところでは司書たるもの、多少の魔法や剣を使わねば本を使いこなせませんでしたのでね。本自体やその周辺からも保護する際に抵抗された場合などありますし」
使いこなすって。しかも本自体の保護……抵抗……。なるほど、ブックマスターみたいなものなんだ。使いこなすとかも言ってるし、トールの職業は私の理解度じゃそんなもんになるか。
「じゃあ本来は召喚士なんだね、トールは。多少の剣や魔法ってきっと、『多少』じゃないだろうけどね。あ、カナ、僕もわけがわかんないうちにここにいた人だよ。普通の人よりはほんのちょっとだけ知識欲が強いから、そんな理由で召喚されたんだと思う」
にこにこ。ブックロゥがえらくにこやかだから私もつられて笑ってるけど、知識欲がどうとかって、ぜったいに本人が言うほどささやかなもんじゃないよね。
一緒にいたのがこれだけ短い時間だけど、さらにいうならものっすごい平和ボケしてる私だけど、それでもわかる。この人たちきっと、謙遜するタイプの人だ。外国人にはあまりいないって聞いてたんだけどな。インドア派おたく、ちびっとコミュ障の実力が今、発揮されたね! 私、人見知りする分だけ観察眼には心持ちの自信があるよ。
お兄さんたちの実力はわかりづらいけど、初めて見た時からずっと、こんな異常事態なのにただの一度も取り乱してない。私が混乱してるときくらいじゃない? 焦ってたの。見たこともない得体のしれないものだって、いや、私の差し出したお弁当のことだけどさぁ、たくさん食べたみたいだし。やけに堂々としてるし。
「カナ? どうした、疲れてしまったのかい?」
ミハルがずっと頭を撫でてるから、いつの間にか彼女に寄り掛かるようにして半分くらい膝に載っちゃってた。それに気が付いてぎょっと身を起こしかけた私を窘めるようにして、またミハルの手がうなじを撫でる。うぅ? それはくすぐったいよ。
「ごめんなさい! すぐにどきますっっ!!」
「だーめ、カナ。カーナ? 私の愛おしい子を手放したくない。私のわがままを、どうかカナがかなえておくれでないかい?」
すげぇ。どうやったら噛まずにそれだけ『か行』を繰り返せるんだろう。
するりとうなじから入り込んだ手が背中を撫でる。地区の運動会に出る予定だったからジャージの下はTシャツだけ。そのシャツの上から実に巧妙な力加減でミハルが撫でてくる。純粋に気持ちいい。
「……ん。ミハルが、重くないなら」
「重くなんぞ。カナは面白いことを言う。伴侶のすること成すことすべてを慈しむのが龍だ。私には、カナのすべてが愛おしい」
…………ん、うん。ちょっとだけ度を越した母親の溺愛ってところだろうか。ああ、私も大概おかしくなってるみたいだ。だって、眠い。
今まで、知り合い程度の人間がいるところで眠くなったことってなかった。学校がらみの修学旅行も研修キャンプも徹夜してきた。それなのに、ご飯こそ食べれないものの、お兄さんたちといることに急速に慣れてきてる。自分が不安に思えるくらいに早く、ミハルやユーリに馴染んできてる。
初対面の人にこんな場所を触られるのを許したことだってないのに。
今はこの空気でさえも普通で、くつろげる。
「私はな、カナの気配を感じていてもたってもいられなくなって『ここ』へと来たんだ。伴侶を求めるのは龍の本能だがな、正直、あんなにその手の欲求が強いとは想像もしていなかったなぁ。強引に層を破ろうとしたせいで邪魔な息子も付いてきてしまったし。それに、そばに行きたかっただけのカナの気配が妙に歪んでいて、強引にどこぞの層から喚び出されてるのがわかった瞬間には、なんというか、私の理性の糸が切れそうで」
「母上はね、ナーナ。貴方の周囲の気配に干渉したんですよ。まったく、龍でなければできない強引なやり方で、こちらの人の王もどきが支配していた召喚陣に茶々を入れたんです。見ていて呆れるほど、いっそ粗野な手段でしたね。しかも、どうにも自分の身の回りを気に掛けるふうがなかったので、これはもしや、何か重大な懸案に関わるのではと。たまたま母上の傍にいた僕が、なんとか手綱を取って転移を繰り返してこちらの層に辿りつかせたんです。さもなくば母上は、貴方に会いたさに乱暴な手段を取りそうでしたから」
「なるほどそれで、鍵である愛し子とその守護者が召喚陣から離れた場所に現れたのか。呼ばれたのがほぼ同時であったがゆえに、カナと守護者を見分けきれなかったのだな。……鍵とはな、愛し子よ。何百年かに一度の周期で現れる層の破れ目の扉、これを閉める役割を持つ者のことなのだ」
ミハル、ユーリ、ケルンが話してくれるのをぼんやりと聞いてたけど、そのくだりではっと息を飲んだ。待って。
ねぇ、待って、これ、私の召喚理由じゃない?
どうして私がここにいるか、の、説明じゃない?
「鍵とは、すなわち扉を閉めるための道具であるからして、まったく魔力を帯びないものでないとなれぬ。戦える力もなく、平々凡々、穏やかな気性でなければならん」
……おっと? うん?
「女性である必要はないが、上昇志向や闘争本能があっては鍵になれない。そういう気質である必要がある」
…………はぁ?!
「嘆かわしいことに、こちらの大陸ではその手の性質の人間はまず滅多とおらん。おったとしても臆病になってしまうな。そういうふうに扱われ続けるゆえに」
そりゃ、……そりゃあ、闘争本能に満ちた人間が圧倒的多数な中にいれば、ケルンが今言ったような性質の人間は臆病者扱いだろうし? なんだ? ケルンの言い方だと、そもそも平凡な人種がいない?
「それ……それ、日本人なら大概の人が当てはまるんじゃ…………」
もう、もったくもう。何を聞けばそんな反応になるのか、自分で自分が理解出来ない。
私はぐったりとミハルの膝に頭を載せて、目を閉じる。
怒ってしかるべき条件の羅列に感情が高ぶることもできなくて。
すぅ、と驚くほどの速さで眠りに落ちてしまった。




