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五十三 士気

   五十三 士気(morale)


「その同級生の方は、県警の採用試験を受けてくれたんですか」

「受けた。受かっても辞退するのは分かってるから、出願して試験場に顔を出すだけでいいぞって忠告しといたんだ。そいつは、せっかく受けるんだから真剣勝負するって言ってた。最終面接も通過した。待機寮にそいつから伝言が入ってた。連絡がほしいってことだった。電話がつながった。辞退することをわびられた。わたしの方がわびたかった。そいつは、おまえの仕事の大変さと大切さが少しだけ分かって勉強になった、受けてみて良かったって言ってくれた。わたしはそいつに手を合わせるような思いだった」

「同級生の方は今は」

「大学を卒業して銀行に入った。今は関連会社に出向してるらしい。わたしは、その同級生のような人間にこそ警察官になってほしかった。県警に入ってほしかった。だが、バブル期に採用された警察官は問題児ばかりだ。どこの社会でも通用しない者が、どこにも行くところがなく警察に入ってきた」

「そこで世代は断絶されたんですか。警察官の魂は継承されなかったんですか」

「問題はバブル景気だけじゃないんだ。警察庁が職員の採用システムを見直した。国家公務員試験()種合格者を採用するようになった。今の国家公務員一般職採用だ。警察取材が長いあんたには説明しなくても分かるな」

「いわゆる準キャリアですね。県警にも、薬物対策課長とか交通企画課長とかで前に出向してきてました」

「そうだ。一九八六年から採用してる。それがバブル景気と重なってしまった。なぜⅡ種合格者を警察庁が採用しだしたか知ってるか」

「推薦組の制度が機能しなくなったからだと聴いてます」

「表向きの理由はその通りだ。もともとは、都道府県警採用の優秀な警察官を警察庁に片道切符で転籍させて準幹部要員として育成してた。今でも残党がいる。小規模県警の本部長を最後に、警視長の階級で卒業させる。しかし、優秀ながらも地元を離れたくないっていう警察官が多いからってことで、警察庁は都道府県警からの推薦組制度を廃止して、最初から全国異動が前提の国家公務員として採用することにした。だが、それには裏の理由がある。この制度がなぜ一九八六年にスタートしたか分かるか」

「分かりません。バブル景気とは関係ないんですね」

「ない。発端は『グリコ・森永事件』だ」

「確かに『グリコ・森永事件』はぼくが生まれた少し前の発生ですから、その一九八六年と近いです。でも、どうして。どういう関係が」

「滋賀の本部長を自殺させてしまった。山口採用のノンキャリアだ。推薦組として警察庁に上がってる。事件での失態を苦に灯油をかぶって火を着けた」

「本部長の自殺のことは知ってます。ノンキャリアだったから、キャリア官僚からの攻撃対象になったんだっていう説があります」

「当時、わたしは警察学校の初任科生だった。一九八五年のことだ。学校の教官が動揺していたのを覚えてる。滋賀の失態もそのトップの自殺も、警察にとっては最悪の不祥事だったんだ。警察庁は、地方上がりを要職に就けることを改める大転換に迫られた」

「八五年に滋賀県警の本部長が自殺して即、翌年春の採用分から方針を見直したということですか」

「決断も行動も官僚は早い。国家公務員採用試験のスケジュールはすでにスタートしてたんだが、Ⅱ種合格者からも採るって警察庁が人事院にねじ込んだ。警察庁は官庁の中の官庁だから融通が利く。そして、都道府県警採用の本部長就任は、準キャリアの採用スタートから三十七年かかって今の世代で打ち止めになる。本部長はすべて、キャリア組と、八六年以降に採用された準キャリア組で構成されることになる」

「警察庁はキャリア要員と準キャリア要員を合わせても毎年五十人程度しか採用しないはずです。そんな少数派の動きが、全国三十万警察官の世代の断絶の要因になるんでしょうか」

「現場警察官の士気が下がる。うちのような小規模県警だと、警視正までで昇進が寸断されてしまう。愛知みたいな大規模警察本部には警視長の部長職が置かれていて地元採用組ポストがあるんだが、それもじきに警察庁からの出向ポストに召し上げになる。だから、都道府県警はポストを奪った警察庁に対して強いアレルギー反応を示す」

「バブル景気と準キャリア採用スタートの時期が重なったから世代は断絶したんですか。時期がもっとずれていれば断絶しなかったんですか」

「今の刑事部長も警備部長も、辛うじてバブル期以前の採用だ。彼らには、準キャリアが育つまでのつなぎで警察庁に転籍した同期の推薦組がいる。警察庁に対して同族意識がある。だから、年齢が若く社会経験の少ない、警察官歴も短い本部長、警務部長に反発しながらも最終的には合意に達した。ところが、捜査一課長と機動隊長はいずれもバブル期採用だ。どこの社会でも受け入れられない、警察官になってはならない人間がぞろぞろ入ってきて、星の数を増やして主要ポストに就いた。そろいもそろって社会不適合者だから、主要ポストに就いてからも上意下達が通用しない。その上、警察庁では同じ世代の準キャリアが育ってるから、推薦組として転籍する機会はとうに失われている」

「出向の制度は残ってるじゃないですか。県警の幹部候補が警察庁に出向してます。一課長も機動隊長も行ってるはずです」

「わずか二年の出向だ。東京に行ってもキャリア官僚のかばん持ちしか仕事を与えられない。そんな状況で警察庁やら管区やら近隣県警やらとの協調関係が築けるようになるわけがない」

「キャリア官僚も準キャリアも、地方には二年しか出向しません。キャリアも準キャリアも、都道府県警に同族意識を持たないんでしょうか」

「彼らは一カ所には二年しかとどまらんが、本庁勤務と地方勤務を繰り返す。だから、都道府県警の抱える問題をある程度は掌握している。県警から警察庁に子どものお使いみたいに行ってなにも吸収せず帰ってくるのとは事情が異なる」

「警察庁は手をこまねいて見ているだけですか。三十年以上、なにもしなかったんですか」

「景気の上向きで新規採用者の質が下がることを、警察庁はちゃんと見越していた。だが、それは一時的なものだと楽観視していた。世代の断絶にまで発展するとは予見できなかった。それとは別に、準キャリアの採用は『グリコ・森永事件』から時期を置かずにスタートさせなければならなかった。貫徹までに三十五年以上かかる長期計画だからな。そして、バブル景気による質の低下と、都道府県警からの推薦組受け入れ停止をリンクして考えられなかった」

「バブル景気で有能な人材を採用できなくてそれが下の世代にも悪影響を及ぼしたってことですか。警察庁に転籍するチャンスがなくなったから、事件を俯瞰(ふかん)的にとらえられないってことなんですか」

「出来損ないのバブル期採用組以降の世代は、醜い縄張り争いが価値観の基準になってる。事件を解決できないどころか、上からの命令に背いて民間人を犠牲にしてしまう。こんな上司の言うことなんて部下はさらに聴かない。信用しない。これが警察の常識になる。もう目前だ。警察は壊滅する」

「管理官、若い優秀な警察官はたくさんいます。ぼくは個人的にも警察官と付き合いがあります。尊敬すべき若者ばかりです。将来は、管理官のような立派な幹部になります」

「鍛冶さん、アリの一穴だよ。組織はもろい。大きくなればなるほど、その重みに耐えられなくなってつぶれる。シャボン玉と同じだ」


(「五十四 称号」に続く)

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