からくも彼は漆黒に …1
「……へっ」
私の横で佇んでいた男が、気を取り直したように、拳銃を“巽野響輝”に向けた。
そして、その顔に余裕ぶった表情を浮かべる。
「な、何だよ。こっちにはな、銃だってあるんだ。おい!」
男が、私の後ろで未だに呆然としていた男に叫ぶ。
「……は、はいッ! 何ですか? リーダー」
「何ですか? じゃねえだろ! さっさとそこの娘を押さえろ!」
「は、はいぃ!」
男が動けない私を再び押さえ込む。
「……っ、う……ぅ……」
それに対して私は、……泣いていた。
何故かはわからない。
ただ、こちらに近づいてくる“それ”が、響輝さんであること。それがどうしようもなく悲しかったのだ。
「そうだ! そのまま押さえてろよ! 逃がしでもしてみろ、おま……」
威勢のいい男の声が、そこで途絶えた。
銃を持っている男の視線は、私を取り押さえている男の眉間に釘付けになっていた。
つられて視線を向けられている男も、上を見上げた。
そこ――私を組み伏している男の眉間――には、一本のナイフが深々と突き刺さっていた。
「……えぇ……?」
どうしてこんなものが? とでもいいたげな声を出した直後、男の眼球がぐるりと白眼をむいた。
「あ……れェ――――」
キーの外れた素っ頓狂な声を上げて、男が後ろにどさりと倒れた。
「くッ……畜生。ふざけやがって!」
男が銃の引き金を引く。
「へ……へへッ、手前ら化け物に銃が効く事くらい知ってんだよカスがッ!」
続けざまに二発。
一発目は“巽野響輝”の肩をかすめ、二発目が顔面に当たった。
銃弾の勢いに負け、身体をのけ反らせている。
が、そのまま倒れ込むことはなく、“巽野響輝”はゆっくりと顔を戻し、再び歩き始めた。
「お、おい……何で死なねえんだよ!」
さらに二発、男が銃を放つ。
二つとも胴体に直撃したが、周囲に真っ黒な血を迸らせただけで、“巽野響輝”の歩みは止まらない。
「く、来るな……斃れろよ! 来んなよ!!」
さらに二発。これでリボルバーの弾丸は尽きた。
「何で……何で……!!」
もはや男には周りすら見えていないらしい。弾薬の尽きたリボルバーの引き金を引き続けている。
そこで、“巽野響輝”の歩みが止まった。
そして、折れてチェーンソーの刃が絡みついている左腕をこちらに向ける。
その手に握られているのは、くすんだ銀色のベレッタ。
間髪入れず、銃声。
乾いた音が病院内を反響する。
折れた腕で撃っても、弾丸の軌道は安定しないだろう。
しかし、ところどころ黒い血のこびりついたベレッタから吐き出された弾丸は、男の左腕と、その肘から先を見事に引きちぎっていた。
コンマ数秒後、その傷から鮮血が吹き出す。
「ぇあ? ……あれ、これ……俺の……腕?」
男が虚ろな目で通路に転がっている腕を見て、自分の左半身を見る。
「あ……ああ゛あ゛あ゛あ゛あああああ!! 痛え! 痛ぇぇぇぇぇぇぇ!!」
そして、そんな絶叫と共に床をのたうち回り始める。
その絶叫が響く中、涙はとうに引き、私は頭を回転させていた。
……このままでは、響輝さんが人殺しの罪をさらに重ねてしまう!
だが、あのような姿については一度だけ見たことがある。
世界の自浄作用、“漆黒化”の末期形態。
要するに、今まさに、巽野響輝という人間は、この世から消えかけている状態なのだ。