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41恥目 8月10日

 僕が10歳になる夏の日、その時はやって来た。


 この頃の父さんは半狂乱が酷かった。

 数日前にポストに入っていた手紙を見てから、様子がおかしくなっていた。母さんの名前である「ユリ」を何度も叫んで、自殺未遂スレスレの行動を繰り返している。


「太宰さんだって薬中だったんだ、飲んでもいいじゃん。もういやなんだよぉ」


 瓶に入った錠剤を掌にばら撒いた。

 白粒を口いっぱいに放り込み、大量の頭痛薬や鎮痛剤を服用しても、結局死に切れずにトイレへ駆け込み、吐いてしまう。


 毎日、毎日、目を離した隙にそれを繰り返していた。一瓶無くなるごとに通販サイトから同じ薬が届き、摂取する。体は生きたいと悲鳴を上げているのに。


 リストカットをした手首の傷口は、ぐちゅぐちゅと膿を出して治らない。化膿して青紫色になる傷に包帯を巻いてあげても、掻き毟って取るから効果はないんだ。


 首吊り自殺未遂は物干し竿でやった。


 物干し竿が父さんの重さに耐えきれなくて折れるか、地面に落ちて鉄の冷たい音を鳴らすだけ。何度も繰り返すから、竿は歪み、洗濯物を干すことは出来なくなった。


 自殺願望も極限に来ると、真夜中の海へ徘徊しに行く。


 これが一番厄介だった。砂浜に埋もれるように寝転んでいるならまだ良い。

 海の中へ入っていくのが不味かった。洗濯できないのに海の中へ入り、高身長で痩せ細った父さんの服を引っ張って、無理矢理引きずり「お家に帰ろう」と泣くしかないんだから。


 そんな事が何日も続けば、僕も限界だ。


 何故こんなに父さんは死にたがるのだろう。何がそうさせたの?

 あの優しい毎日は? 夜に泣いているだけならよかったのに。そのくらいなら、僕は耐えられたのに。


 父さんが疲れ切って寝ているのを見計らって手紙を開けると、たった3行だけ書いてあった。


 “あなたは私の人生において汚点です。

 私があなたの妻になることは断じてありません。

 さようなら“


 封筒にある送り主の名前を見ると、母さんから送られてきた手紙だった。


 完全否定。母さんの父さんに対する強い嫌悪が、たったこれだけで痛いほどわかった。

 こんな文章を送ってくる女性と、優しい父さんの間に僕はどうやって生まれたのだろう。この心臓が動いているのが不思議だ。


 見なければよかった。最低な気分だ。

 怒りが沸いてきたが、何処にもぶつけようがない。怒りに任せて手紙を封筒に入れてしまい、思わず大きな音を立てると、父さんは起きてしまった。目を薄ら開け、天井を見つめて涙を流しながら、消え入りそうな声を出す。


「ただ愛して欲しかっただけなんだよ。要、書斎を見てご覧」


 そう言われ、寝室から書斎へ移動した。

 久々に襖を開けると、ノートや紙類は昔より遥かに増えて部屋を埋め尽くしている。足の踏み場もない。原稿用紙とコピー用紙で出来たカーペット。一枚拾い、また一枚。


 毎晩泣いていたのは、母さんに愛されたかったから。

 毎晩書いていたのは、母さんへのラブレター。

 毎晩綴っていたのは、母さんへの愛を語る小説。


「これが、死んじゃいたい理由なの?」

「ああ、そうさ」


 父さんの返事はそっけなかった。まるで別人のように冷たい目で僕を見ていた。


「母さんが居なくても、私が居るのに?」

「……要。要の事だってもちろん大好きさ、でもね」


 涙の粒でいっぱいになった瞳で見つめないで。その先は、絶対に聞きたくない!


「“私達“はユリさんが1番なんだよ」


 両耳を両手で塞ごうとしたが、間に合わなかった。


 何も言えない。もう何を言っても死んじゃうんだ。いつもの父さんらしくなく、悲しいのに淡々と話すのは、もう決めてしまってブレることがないからだろう。


「太宰はさん一緒に死んでくれる人がいるのに、“私達“は違うんだ。彼に憧れたとて、一緒に死んでくれる人など居ないのさ」


 母さんは一緒に死んでくれないし、もちろん生きて会う事すらしてくれない。若かりし頃の父さんの心を奪ったまま、何もせずともそのまま命まで奪えるのだ。毒針を刺されて、長い時間をかけて毒がようやっと回って来たというところか。


「要はちゃんと、要を見てくれる人と一緒になるんだよ。男や女じゃなくて、要を要としてね。“父さん“はもう、疲れてしまったみたいなんだ」


 わかったよ。もう言わなくたってわかるから。


「こんな“私達“を許しておくれ」


 僕と生きるより、死んでしまった方が楽なんだ。



 次の日、夜が明ける頃。8月10日。僕は10歳の誕生日を迎えた。


 外はゴロゴロと雷が鳴り、大雨警報も出ている。

 そんな悪天候の中を、父さんは深夜2時過ぎに出て行った。それから帰ってくることはなかった。


 雨も止んで、空が明るくなって朝が来ると、警察がやって来た。

 父さんが死んだと言いに来たのだ。やっぱり夢なんかじゃなくて、本当に死にに行ってしまったんだと、涙を流した。


 どんな死に方をしたんですか、と聞いた。

 警察はこんな子供に真実を言うのは酷だと渋っていたけれど、父親の死を知る権利はあるはずだと、くどく聞いた。


 鎮痛剤を大量に服用した後に、鋭いナイフで自分の体に「ユリ」と彫れるだけ彫り、首をかっきって、広い太平洋のほんの一部に血溜まりを作って浮いていた、と。


 やっぱり海で死んだんだ。母さんにも死んだ事がわかるように、目立つような死に方をしたんだろう。否定なんかしない。父さんは愛に生きただけなんだ。


 ――愛することは、いのちがけだよ。甘いとは思わない。


 オジサンもそう言ってたもんね。父さんと過ごしたこの平家。生きていた証は沢山あって、父さんの匂いもこんなに濃く残っているのに。これからは“オジサン“を頼りに生きていくしかないのだと、僕は『津軽』の単行本を手に取った。


 ――絶望するな、元気でいこう。


 誰かに必要とされる人になるために、1人でも生きていこう。そう決めなければいけない日だった。


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