第一〇二話【来訪者ⅩⅣ】
穏やかな日差しが降り注ぐ昼時、季節は夏真っ盛りだというのにも関わらず、境内には涼しい風が吹き抜けて、まるでその場所だけが外界の茹だるような暑さとは無縁のように感じさせてくれる。
しかし、そんな神社の敷地内で怨霊でも居座っているかのような奇声が数日前から鳴り響いていた。
「あ゛~~~。」
巫女服に身を包んだ彼女は、虚ろな目で虚空を見つめたまま、うつ伏せになって動こうとしない。
顔に締まりがなく、傍から見ればまるでゾンビである。
最初、神社を管理する宮司たちは、彼女を心配していたが、件の彼女があの調子なので、段々とウザくなってきていた。
そのため、業を煮やした宮司の1人あ激励を飛ばすべく、彼女のもとへとやってきた。
「お嬢、いい加減シャキッとしろ。」
「あ゛~~~。」
返事は返してくれる・・・だがしかし、数日間もこの調子だと、やはりウザさの方が勝っているのか、宮司のコメカミに薄らと血管が浮き出てきた。
「男に振られたくらいで、いつまでもそんな調子では、周りがたまらん!」
もはや彼の激励は、ただの辛辣な言葉の刃となって彼女に突き刺さる。
それをまともに喰らった燕は「グハッ!」とダメージを受け、余計に心の殻に閉じこもってしまう結果となった。
身を縮こませた彼女は、ブルブルと震えながらシクシクと泣いてしまう始末・・・そんな状態の彼女からは「コマさんのバカ、コマさんのアホ」等といった怨念のような声が聞こえてくる。
「えええい!うっとおしい!もうすぐ夏祭りが近いというのに、なんだ!その情けない姿は!だいたい学校の宿題だって1つも手を付けていないだろう!余計な事で悩む前にまずは、やるべきことをやってから悩め!」
「ぬおおお!落ち着けコマよ!燕のライフは既にゼロなのじゃあああ!これ以上追い込んではならんのじゃああ!」
堪忍袋の緒が切れたコマが、ズカズカと燕に近づいて無理やり襟首を掴み上げて立ち上がらせようとした矢先、土地神である真白様がそれを止めに入った・・・が、神使である彼は主たる真白様をジロリと睨み付けると、「だいたい真白様が、お嬢を甘やかすから云々~」「なぬっ!?まさかのトバッチリじゃとおお!?」などという言い合いが始まってしまったそんなときである。
「「お嬢、熾輝が来た。」」
右京左京から告げられた報告に燕の心臓はドキッ!と大きく跳ね上がった。
「い、居ないって言って!」
先程までの「あ゛~~~」という人外の呻き声から一転、突然覚醒したかのように燕が人語を話し始めた・・・が、時すでに遅し。
「「居ないだって、どうする?」」
「・・・ごめん、もう来ているんだけど。」
「~~~っ!?」
右京左京によって部屋の前まで案内されていた熾輝は、困った顔を浮かべながら脱力し、うつ伏せになった燕のあられもない姿を現認していた。
「やいやい!熾輝よ!よくも燕を振ったな!燕の何処が気に入らんのじゃ!こう見えても燕は純真乙女で尽くすタイプの女子なのじゃぞ!しかも傷つきやすくて、脆いんじゃ!ワレエェわかっとんのか―――」
「真白様、話がややこしくなるので、すっこんどいて下さい。」
熾輝の登場に『なんじゃあ、ワレ、ゴルアアアァァ!』とヤクザスタイルで詰め寄る真白様の首根っこを掴んで、コマ達が退室していく。
「「・・・。」」
残された熾輝と燕の間には重苦しい空気が漂っていた。
が、先程の燕の言葉を受けた熾輝が何処か悲しそうな表情を浮かべており、燕はどうやって言いつくろえばいいものかと混乱した頭で考えていた。
「ごめん、僕なんかと遭いたく無かったよね。」
重苦しい雰囲気のなか、最初に声を掛けたのは熾輝の方だった。
しかし、それは燕が自分と遭いたくないと思っていた事に対する言葉だった。
熾輝がそう思うのも無理は無いだろう。
なにせ、熾輝が部屋の前まで来ていたと気付かなかった燕からの返事は『居ないと言って』だったのだから。
だが、あくまでも合わせる顔が無いといった意味合いのもので、お互いに理解の食い違いが起きている。
「ちっ、違うの!・・・・あんな事の後だったから、顔を合わせづらくて、それで・・・・」
林間学校の夜の事を思い出しているのか、燕の瞳には涙が滲み出てきていた。
しかし、あの夜の出来事は、それだけではない。
彼の・・・熾輝の過去についても燕の中で整理がついていない。
だから、熾輝は彼女と話さなくてはならない。過去、自身の身に何が起きてしまったのか、自分がどうしたいのかを・・・そうしなければ、彼女との関係もここで終わってしまう。
最初は、それもしょうがないと思っていた。
しかし、この街で過ごしていく内に彼の中で燕たちの存在が大きくなっていき、自身が思うよりも熾輝は彼女たちを失いたくないと思いはじめていた事に気が付いた・・・そう気付かせてくれた人がいた。
「ありがとう、それと・・・ごめんなさい。」
「え?」
お礼を言ったかと思えば、突然の謝罪に対し、燕はキョトンとしてしまう。
「僕の事を、その・・・好きだって言ってくれたこと。」
自分で思い出すだけでも、かなり恥ずかしいのに、こうして面と向かって言われると、まるでリンゴのように顔が真っ赤になってしまう。
「それと、酷い言い方をしてしまったこと。」
あの日、熾輝は燕の気持ちに対して、意味が判らないと答えた。
それは、自身に対して何故、彼女が好きだと言ったのか、好きとはどういう感情なのかが理解できなかったために出た言葉だった。
好きだという概念や意味は、言葉的には理解が出来るが、彼はまだ人を好きになったという経験がない。・・・正確にいえば彼の感情は、そこまで出来上がっていないのだ。
未熟で歪、それが今の熾輝の心の形なのだろう。
「あのとき、燕は僕の過去を見てどう思った?」
「・・・わからない、ただ、熾輝君があんなに辛い目に遭っていて悲しくなった。」
「そっか、・・・でもね、あの時の僕は、それが辛いって思わなかった。」
熾輝のその言葉に、燕は悲しげな顔を浮かべて、黙って話を聞くことにした。
「―――事件の後遺症のせいで、僕は感情を失った。だから、どんな境遇に置かれても辛いとか悲しいとか、そういう感情は湧いてこなかった。今思えば、あの時、まともな感情でいたら、正気じゃいられなかったと思うし、そう考えたら、この状況は、ある意味で救いだったのかもしれない。」
救い・・・確かに熾輝はそういった。
しかし、燕はその言葉を聞いて、熾輝が幸せに感じたり、喜んだりすることが出来ない状況をとても不幸な事だと感じていた。
だけど、あの過去を見た彼女だけが気が付いていた。
感情を失った熾輝が唯一、感情的になっていた1人の少女の存在
「あの子……熾輝くんと一緒に居た女の子の事は、どう思っていたの?」
女の子、その言葉を聞いて、一番に頭に浮かんだ顔は夏羽だった。
「夏羽は、僕にとって大切な人だ。……僕の命を救ってくれた、僕に生きる目的をくれた。僕にとって大切な……いや、特別な人。」
その時の彼女の心は、とてもではないが言葉で言い表す事ができない。
それが本人ですら理解することの出来ない感情であり、ただ、胸を締め付けられるような感覚が彼女を襲っていた。
「その子の事を好き、だったの?」
「わからない。ただ、夏羽を危ない目に遭わせたくなかった。笑顔でいてほしかった。守ってあげたかった。……感情を失っていたハズの僕は、気が付けばそんなことばかり思うようになっていた。」
自分の気持ちを吐き出すように、熾輝は今まで誰にも話した事がない夏羽への思いを燕に語った。
「でも、この街に来て、燕に出会って、咲耶や乃木坂さんと一緒に居るうちに……気が付けば夏羽に向ける感情と同じことを想う様になっていた。そう、気付かせてくれた。だから……」
「っ!?」
熾輝は、燕の目の前で正座をしたかと思えば、ゆっくりと腰を折って頭を下げた。
いわゆる土下座だ。
昨日、劉邦に言われたからではない。・・・もう、熾輝にはこうする事でしか燕に対して誠意を見せられないと思ったのだ。
「どうか許してほしい。君を傷付けてしまったこと。そして、これからのことを」
「これからのことって?」
「……僕は、多分、誰の事も好きになれない、なっちゃいけない。僕が誰かを好きになれば、僕の事を憎む人達が、その人の事も狙うかもしれない。だから……本当は燕たちとも仲良くなるべきじゃないって思っている―――」
「………。」
燕は熾輝の言葉を受け、まるで別れ話を切り出されているように感じて、泣くことを必死に堪えていた。ただ、熾輝の話はこれだけではない。
「だから……」
「だから何?もう私とは、私達とは一緒に居られないって言いたいの?」
「判らないんだ。……ただ、燕が泣いているのを見ると苦しくて、でも、危ない目に遭ってほしくないと思っているのに、どうしても君たちの存在を僕の心の中で消す事が出来ない。」
それは、熾輝が彼女等と接する事によって芽生え始めていた感情だった。
そして、自身が親しくする者が狙われてるというリスクも十分に判っている。
燕たちを大切に思えば思うほど、自身の中で『それでいいのか?』という疑問が常に付きまとってくる。
しかし、熾輝は選ばなければならない。………彼の友人は、誤って許してもらえと言っていたが、このまま縁を切る事の方が彼にとっても、彼女等にとっても最善の選択なのではと思っている。
もちろん、友人である劉邦は、縁を切る事について謝れと言った訳では無い事は熾輝でも理解できている。
でも、だからこそ彼は苦しんでいる。
大切な者を失う苦しみを彼は知っているから……かつて、自身に剣を教えた師との別れは、熾輝に新たに喪失感という感情を芽生えさせるには十分な出来事であった。
「本当は、燕を失いたくない。でも、僕は、人を好きになるっていう事が理解できない。それは、僕がこの先、得たいと思うと思うまいと関係なく、理解できる感情なのかも判らないんだ。そんな僕の事を好きだと言ってくれた君に………答えられる自身が持てない。」
燕の前で頭を垂れたままの熾輝の顔は彼女には見えない。
だけど判る。
今、彼がどれだけ辛そうな表情を浮かべているのかが。
だから、彼女は目を瞑り、熾輝が言った全ての事を頭の中で反復させ、答えを導き出す。
「………だめ、許してあげない。」
燕の言葉を聞いた熾輝の顔が一層苦悶に染まる。
「熾輝くんは、私の事を、きっと色々と考えてくれたんだろうけど、私の想いは変わらない。」
「でも!………この先、君に危険が及ぶかもしれない。それに、君の想いに応えることが―――」
燕の言葉を聞いて、熾輝は垂れさせていた顔を上げる―――だけど、顔を上げた熾輝の目に映った彼女の表情は、とても穏やかだった。
だから知らず知らずに喉元まで出かかっていた言葉が引っ込んでしまったのだ。
「ねぇ熾輝くん………好きって気持ちは、誰かにやめろって言われて冷めるものじゃないんだよ?」
「………。」
「熾輝くんと一緒に居るのが危ないからとか、好きになって貰えないから・・・そんな事は関係ない。だから―――」
自分のこと、周りのこと。苦しんで、苦しみぬいて、それでも熾輝は自分の感情に蓋をして、彼女達に危害が及ばない事を第一に考えてくれた。
もしかしたら、その言葉を受け取る者によっては、ただ逃げているだけと思う者も居るのかもしれない。
だけど、彼女は面と向かって彼と・・・熾輝と話しをして彼の想いを判ってしまった。
そんな彼の事を思い、想って――――『あぁ、なんて愛おしんだろう。』と、そう思えてしまう自分は、心底彼に惚れているのだと改めて思い知らされてしまった。
「だから、たとえ熾輝君に何を言われても嫌いになんてなってあげない。熾輝くんが私の事を無視しても、私は熾輝君が無視できないくらい付き纏っちゃうんだからね。」
そう言った彼女の表情は、可笑しい物を見た時のように笑っていた。笑顔を向けてくれた。
「だから・・・熾輝くんも逃げないで。」
自然と熾輝の頭に腕を回して、そっと抱き寄せながら彼女は続ける。
「私の想いは、誰に何を言われても変わらない。だから、熾輝君のことを想い続ける。今は、理解できない感情だって言ったけど、この先の事なんて判らないじゃない。」
そして、彼女は言葉を紡ぐ。
抱き寄せていた熾輝の頭を離し、顔を正面に持ってきて、だからと続ける。
「いつか、熾輝くんを振り向かせて見せるんだから。」
そう言った燕の笑顔を見た瞬間、熾輝の鼓動が僅かに高鳴り、とても暖かい何かが胸の中で燻っている感覚に襲われた気がした。
気が付けば、僅かに顔が赤く染まり、彼女と目を合せずらいと思う自分がいて―――
『ば、馬鹿者!押すでない!』
そんな声と共に、襖越しに部屋の中を覗いていたアホ神・・・・もとい、真白様と神使達がなだれ込んできた。
「「「「「・・・・。」」」」」
なだれ込んで、重なり合っていた彼らを見た燕は、無言のまま歩み寄り、笑顔のまま真白様達を見下ろしていたが、その笑顔が怖い。
「何をしているのかな?」
「ち、違うぞツバメ!そこの童がまたツバメを傷つけたりしないか見張っていて・・・」
慌てて言い訳をする真白様、そして、蜘蛛の子を散らす勢いで去って行く神使達・・・1人置いてけぼりを喰らったアホ神は『待て!裏切り者おおお!』と叫び、逃げようとするが、燕の圧力がそれを許さない。
形勢の不利を悟ったアホ神が、現状を打破するべく燕に向き直る。
「しかし燕よ、随分と大胆な事を言っていたのぉ。」
アホ神の表情はニヨニヨと嫌らしい笑みが張り付いていた。
「いつか、熾輝君を振り向かせるんだから♡」
「っ‼」
ホホホと口元を隠しながら『ああぁ、嫌じゃ嫌じゃ、最近の童はマセておるのぉ。聞いているこっちが恥ずかしくて鼻血を噴き出すかと思ったわ。』等と言うものだから、ムキ―!と怒った燕が真白様を追い掛け回すという始末。
だけど、とりあえずは熾輝の中の問題が彼女と話す事で折り合いを付けることが出来た。
今も追い駆けっかを続ける彼女達を見ながら、もう逃げないと心に決めて――――




