嘘を真実にしたのだから感謝してほしい
その場にいる誰もが、謎の美女と謎の美中年の正体に気がつかないまま夜会は終了する。
原因は、簡単だ。
やあ、久しぶりと声をかけられて、誰? とは儀礼上聞けないからだ。服装も爵位によって許される範囲が異なるので、上位貴族の誰かということだけはわかる。だからこそ余計に誰か尋ねられなかった。
それでも尋ねようとした猛者はいたが、その前に別の話題を振られうやむやにされる。さらに女王陛下とも親し気に話をしていたのだからもう誰も問えなかった。
女王陛下の親しい友人を知らないというのは、情報に疎いと自ら言うようなもので恥だと彼らには想えるらしい。
その結果が誰も知らない謎の貴族が出没したことだけが知れ渡った。
その翌日が今日。
眠いところを幼馴染1、3、5に叩き起こされての今だ。着替えくらいまてと言っている間に、ちゃっかり応接室で軽食を食べているやつらに冷たい目線を浴びせてもいいだろう。
それ、僕の朝ごはんなんだけど。
僕の町の住処のアパートメントは三階建て。一階は大家さんが住んで二階は僕が。三階は資料部屋に借りてたんだけど、今はユーリカさんが寝ている。部屋の鍵は大家さんが、僕から没収したので外から入ることは不可能。内側からしか開かないので起きてくるまで待つしかない。
「愉快だった。ものすっごく、愉快」
朝っぱらから酒でもひっかけてきたんじゃないか、という陽気さのハイランドに疲れしか感じない。
ほんと、医者か! というほどに重みのかけらもない言動がさ、どうなんだよ。
「僕はね、見世物みたいでいやだったよ。ユーリカさんだって疲れて起きてこないじゃないか」
昨日の夜、顔を合わせた瞬間に戻ってお互いの混乱の中をどうにか乗り切ったので疲労しきっている。
その件も聞かねばならないが、今そんな気力ない。どうせ、ろくでもない話をきかされるのだ。一度で済ませたい。そして、きっちり制裁したい。
いい加減にしてくれグラウス。
「昨日はお熱い夜を過ごしたんじゃないのか?」
「グラウスが下ネタ言いだすとか、どうしたんだ?」
「こいつが、そんなことできるならとっくに愛人一ダース作ってるよ。ヘタレは、倍くらい違うし―といじいじしてんの」
「……それはいいから報酬。成功報酬って言った」
幼馴染その三は真面目な顔をしているが、片手にスコーン、片手にクローテッドクリームたっぷりのスプーンを手にしている。
なお、彼の紅茶にはこんもりとクリームが乗っていた。それなのにひょうろりとしたのは偏食と趣味のせいだ。
「デューイもからかって楽しもうぜ!」
「報酬を渋られると困るので小切手を先に寄こせ」
僕の友人というか幼馴染はやっぱり規格外だ。僕が一番まともであると主張したいが、きっと皆がそう思っている。
僕は小切手に金額を書き込んで、丁重に進呈した。
デューイは我が家というより僕個人の顧問弁護士だ。金次第で専門外もどうにかするトラブルのエキスパート。
お金のかかる家族がいるので仕方ないと本人は言っているが、馬を家族というのかという問題については触れていない。競技会では名が知られている程度には、馬狂いである。
まあ、彼らに言わせれば、僕は印刷物に耽溺する変態となるわけだが。インクの匂いも紙の手ざわりもうっとりするようなものだし、発色や配色が上手くいったときの歓喜は代えがたいものだ。
熱烈に語ると引かれるので言わないが。
「で。いつ結婚するんだ。書類はできてるぞ。署名も偽造するか?」
デューイの小切手をきちんと仕舞い込んでからの発言がひどい。くいくいっともう一枚寄こせと言わんばかりのしぐさが下品だ。
こんな奴らにユーリカさん会わせらんないと思ったけど、もう会ってる。遅かった。こんなのと友達の僕の品格が問われる。
「しないって。大体、ハイランドが言ったように倍違うんだよ。倍!」
「といっても正確には十四」
「ちっ、金になるかと思ったんだが」
「さっき払った!」
「近々エリアちゃんが引退すると聞いてお迎えしたい。だが彼女を狙っているやつらは多いから札束で叩いて」
なお、エリアちゃんと言うのはこの数年、賞を総なめした麗しき牝馬である。小柄な栗毛で、気性が激しいのが良いということらしい。
飼育員を怪我させた話もセットで語られる。蹴られるとぽーんと飛んでいくのだそうだ。
控えめに言って怖すぎる。
「それはいいから、夜会の残りの話を聞かせてよ。僕らはいっぱいいっぱいだったんだから」
「ん? ハイランド任せた」
「俺も行ってないから最終的なところは知らん」
「え。丸投げ、ちょっ」
おそらく、頭脳労働者しかここにいないはずなのに、ものすっごい頭悪そうな話しかしてない気がしてならない……。
「じゃあ、昨日の夜会は女王様主催の大規模なものだったのはわかってるだろ。
幼馴染ということで招待状を送ってもらったから、デューンももらったはずだぞ」
「埋もれたか? 着ていく服がないからいかないが」
「いい加減、秘書雇いなよ」
「たいていの賄賂に目がくらまない出来た人間がいたらな」
「服にアイロンかけて飯を食わせてくれる大家さんにものすごい感謝するんだな」
「しているし、今日も花を渡してきた」
なお、大家さんは60を超えた老婦人である。孫がいるらしい。その孫に僕たちはこの偏屈な馬狂いを押し付けようと虎視眈々と狙っている。
まあ、それは今後のことだ。
「そういうのマメなんだけどなぁ。
ま、それは置いといて。既婚者は夫婦同伴。正式に婚姻を結んだ相手限定と条件が付いていた。我らが女王陛下の采配に感謝だよねぇ」
「それであの伯爵、誰を連れてきたんだ?」
「愛人。しかないよ。今まで妻として連れまわしてたんだから。
女王の前で完全に偽りを述べるなんて思ってなかったと思うよ。しかもお言葉を賜るという栄誉をもらったっていうのに。
続いて、テイラー家当主が話に行ったんだから青ざめるどころじゃないよね。真っ白」
くくくっと笑っているハイランドはやはり性格が悪い。まあ、ぼくもちょっとはすっとしたけど。
テイラー家というのはユーリカさんの実家。同格の伯爵家なのだけど、こっちのほうがお金持ちで、規模も大きい。彼女が嫁いだのは、婚期がぎりぎりで相手も見つからず焦っての選択の結果らしい。
直前に壮大な親子喧嘩したのが悪かったと本人たちは証言してる。
つまりは、自棄だったのかと。
そういう事情もあり、積極的に連絡してなかったのだとか。
家族と会わなかったのは産後の肥立ちが悪くて伏せりがちで、という話になっていたそうだ。手紙は送っていたようだが、形式上のものでしかなく、まだ怒ってると思っていたらしい。
五年もほっとかれるっておかしいなとは思っていたけど、交流しなくなる理由があったんだね……。なお、日記には記載されていない。
だから、もしかしたら、最初のほうの恨み言の日記も、嘘みたいな……。
もしかしたら、この生活実は楽しんでたんじゃないかなぁって。わぁい、社交もなくて遊んでていい、しかも好き放題!と……おもってたりしてないかな。と。
ある意味、相互都合の良い関係であったんだろうなぁ。壊しちゃったけど。
ユーリカさんがぼそっと嫁げとか言われるのかな、めんどくさいとか言ってたけど。聞かなかったことにしてる。
なお、愛人を妻として連れまわしていた夜会やお茶会で遭遇しなかったかというと。
元々テイラー家、領地が遠いので王都に来るのは伯爵夫妻だけ。社交できる期間も限られているので娘のことは気にはなるけどまだ怒ってるみたいだし、孫も元気だし大丈夫だよね! と思っていた、らしい。
……なんか、ユーリカさんのおうちってって……とは思った。
「テイラー伯爵様、ちゃんと言った通りにしてくれた?」
「棒読みで、我が娘よ息災かと愛人に言ってたよ」
「で?」
「伯爵は即立て直して、挨拶していたけどね。愛人のほうは今にも倒れそうだったかな。
養女としてではあるが娘であるので、作法をもっと学ぶようにとかくどくど説教して帰っていったよ。周りは化かされたような顔できょとんとしていたけどね」
「ま、そのうち噂が流れるでしょ。ね、デューイ」
「買収は済んでいる。手続きも終了しているし、問題ない」
まず、テイラー家はちゃんとユーリカの偽物を養女にした。書類もきちんと日付を遡っているから文句のつけようもない。
ユーリカを名乗っていた愛人は昔からユーリカであったことになった。
伯爵家からの申し出により、恋人を養女として迎え入れて、身分を釣り合わせてからの婚姻はよくある手段で申し分なし。元々いたユーリカは、結婚式当日に体調を崩した偽物ユーリカのために代役となっただけで婚姻の事実は存在しない。
これはユーリカの代わりになりたかったのだから、それを事実に合わせた。ということだ。
これは彼女の実家であるテイラー家との交渉の結果の落としどころ。本当は、激怒して潰してやるくらいの主張をされたけれど、長期的な責め苦のほうが良いのではと囁いたのでこの程度で済んでいる。
あまり派手にやると今後のユーリカの方に被害が出るし。
これは伯爵家、つまりは彼女の夫に黙って行われた。
ユーリカ本人は苦笑いしてそうなわかったわ、そうして、と返答をもらっている。
さて、ユーリカ本人はといえばまだ結婚したくないとごねて、頭を冷やせと遠縁に預けられた。それがハイランドの実家。辺鄙なところにあるので事実確認される危険はそれほどないだろう。それに時々似たような女性を預かっている家だったりする。
それが公爵夫人の趣味だから仕方ない的な言い方をされたりもする。
そこでユーリカは才気を発揮して出版社とつながりを持ち、もう一度都会でやってみない?と誘われ今度の夜会に来た。ということになっている。
現在、テイラー家には養女のユーリカと娘のユーリカ、ふたりが存在していることになっている。伯爵家に嫁いだのは養女のユーリカ、結婚式で見かけた顔と違うのは代役をしたため。
公式でもそう処理されるだろう。
「公爵夫人にはなんのお礼がいいかな」
「母さんは女性誌の紙面を飾りたい! だそうだ。表紙をエシルに書かせて、って」
「……金持ち、いうこと違う。購買層が買えない値段になりかねないから三色、頑張って四色刷りできそうならオッケーって伝えておいて。あと乙女が買えないような表紙反対」
「わかったよ。乙女のあこがれになれるようなと伝えておく。それからユーリカの外身と会わせろっていってた」
「外身って」
「中身はもう会ったからそういう言い方。よぉし、母さん磨いちゃうぞ☆彡 って感じ。こっわっ!」
……。ある種、ご愁傷様としか言いようがない。彼女に逆らえるのはそんなにいない。
グラウスですら大人しくお人形さんをやっていたくらいだ。あの頃の女装、肖像画は伝説の美少女たちと評判である。
その成長後が、このおっさんたちなのだから儚すぎる。
「それで、伯爵家にはなんかするのか?」
「しないって。テイラー家との縁がきれてないことが今後も響いてくるはずだよ。事あるごとに娘が嫁いだ先だからと口出しするだろうし、今後の支援にもきびしくするだろ。そのうえで、他家との付き合いは制限させるだろうし。貧乏貴族まっしぐら」
金がないから組んだ縁組なのに金づるの機嫌を損ねてはいけない。いっそ切れていれば他の誰かを見繕えるかもしれないのに、切れていないのでそれもできない。
「気がかりは子供がいるってことだけど。そっちはなんか聞いてる?」
「そこはちゃんとテイラー家が面倒みるって。今まで孫として紹介されていた子をいきなり切り捨てるのもねぇ」
ユーリカの体調が悪いからと子供たちだけを会わせていたっていうのも色々バレなかった理由みたいなんだよ。
少々礼儀知らずだけど、いい子ではあるんだ。何回かあったくらいだけど。平民暮らしのほうがいいんじゃないかなって思うよ。
貴族は窮屈だからね。
「そういや、パティが会いたいって言ってたっけ」
「え、やだよ。ユーリカさんを気に入ったとか言って僕から取り上げる気でしょ」
「おや、僕から取り上げるって」
「そ、それはできる秘書とか編集者とかをっ」
きひひと笑うハイランドを睨んでも意味はない。顔が赤い自覚はあるよ。
……僕らの幼馴染の一人はこの国の女王陛下、パトリシア様だ。僕らの手持ちの最強カードはちら見せくらいが相応しい。最後の一人は、今は王配。
まあ、僕らと彼女たちが幼馴染というのは、よく知られたはなしではあるんだけどね。
こんなことを話した一か月後くらいに彼女の夫だった男が、泣きついてきたのだけど豪快に振っていた。
僕としては、嘘を真実にしたのだから感謝してほしいくらいなのにね。
書いてる途中で、これってバ美肉? とか思ってました。おっさん、美女(仮)の肉体を手に入れる。みたいな……。