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「……結局そうだ。お前はいつもいつも、歌のことばかり。自分には歌さえあればいいと頑なに信じて、道を違える者がいれば誰であれ、さっさと切り捨てやがる。切り捨てられた方の事情なんかお構いなしだ。ふざけんじゃねぇ。お前はそれで良いかも知れねぇがな、捨てられた方はたまったもんじゃねぇんだよ!」
咆哮をあげて、院が定家の胸倉を掴んだ。孝己が血相を変えて引きはがしにかかるが、純粋に力で負ける。二人がかりならあるいは、と浮かせた腰は、院の絶叫に固められた。
「俺を置いていくんじゃねぇテイカ! 尾張がいなくなりお前にまで去られたら! 俺は、一体誰に憎まれ口を叩く! 誰と対等に言い合いができる! 誰に歌を正しく評価してもらえる! こと歌に対して身分をそっちのけにするお前がいなくなったら、俺は誰を信じれば良い!」
あぁ、この人は。
孝己の腕から力が抜ける。俺の腰からも、院の体からも。定家を道連れに崩れ落ちた院は、喉の奥から絞り出すように呻いた。
「俺はただ、尾張とテイカがいれば良いんだよ。三人一緒なら、何だってできる。どこでだって生きていける。尾張は俺の傍で笑っていればいい。お前は俺の傍で歌を歌っていれば良い。そうしたら俺は、何にだって、鎌倉にだって絶対に負けねぇ。なのに、なんで、なんでそれが許されねぇんだ!」
やるせなさに顔が歪んだ。
この男は、なんという孤独を抱えているのだろう。己の孤独を埋めるために、これ以上孤独に陥らないように、必死でもがいて、袋小路にはまって、どうしようもなくなっている。
それはまるで、もしかしたらなっていたかもしれない、俺の姿だ。孝己と佳乃といつまでも一緒にいたいあまり、その笑顔を守りたいあまり、その存在に固執して何も見えなくなってしまう、可能性の中の俺だ。
そして、わかった。どうして佳乃が院の傍にいるのか。二人は似ている。中学生と大の大人を重ねちゃ失礼だが、でも似ている。
大事な人たちの喪失を恐れた院と、俺と孝己の心が離れることを恐れた佳乃。
佳乃は、逃げた。院は、縋った。院が満たされれば、佳乃も満足する。ある種の、依存関係。
「……おい佳乃」
院の声が、佳乃を絡め取りに来る。院にとって最後に残った希望。この状況を一発逆転してくれる存在。振り返ったその視線が彼女を射抜く。
「やれ。もう我慢ならねぇ。お前が正してくれりゃ、尾張もテイカも俺の傍に帰ってくる。そうだろ?」
「で、でも!」
「良いからやれ!」
振り返って見た佳乃は、泣いていた。涙をぽたぽたと絶え間なく落としながら、おじさんに肩を抱かれて。
「佳乃!」
「手伝う」
院の怒声に静かな声が重なった。
「……どういう風の吹き回しだ」
下から睨みつけられても孝己の表情はどこ吹く風。むしろ不思議そうに見下ろした。
「一人より二人の方が効果は高い。佳乃だけじゃ正しきれない可能性があるところを、俺が補うことができる。俺はここを正して佳乃を返してもらえればそれで良いし、あんたは尾張さんと定家が戻ってきて万々歳。利害の一致だと思うけど」
「そーいうことなら、私も手伝っちゃおうかなぁ」
孝己の後ろからひょいと覗いた顔は、そういえばさっきから全く気配すら感じさせず、頭の隅っこからも飛んでいた人物で。
「……お母さん」
「元気そうだねぇ佳乃。随分頼りにされちゃってるじゃぁないの」
にっこりと笑うおばさんからは残念ながら胡散臭さしか感じない。同じことを感じたのか、佳乃の声も硬かった。
「どういうつもり」
「どうも何も、孝己と一緒じゃぁないの。孝己と佳乃じゃぁ足りない分を、私がフォローしたげるってこと。娘がお世話になったってことで、お詫びとお礼代わりにいかがでしょ、院様?」
最後の方はこれまた訝しげに見上げてくる院への言葉で、その院はさらに眉をひそめた。
「言うからには、佳乃やそこの弟と同等以上の力があるんだろうな」
「二人合わせて私一人分以下、と考えていただければ良いんじゃぁないかな」
え、と声が出たのは俺だけで、おじさんと孝己は軽く苦笑し、佳乃はというとものすごく苦々しい顔だ。定家は既に知っているようで涼しい顔。そりゃ、おばさんは当代きっての“つむろぎ”だってことは聞いていたけれど、それでもそんなに差がつくとは知らなかった。
「良いだろ。利害の一致というやつだ」
「ちょっと待って!」
堪り兼ねたように俺を追い越して院の背後に立った佳乃は、硬く拳を握りしめていた。
「おじさま! それじゃ、私の願いは!? 私をここに置いてくれるっていう、約束は!? 孝己やお母さんと私の望みは違うんだよ!? 利害の一致っていうのには、ならない!」
『佳乃!』
佳乃の家族が、咎めるように名を呼ぶのを、拒むように首を振る。
「いや! 帰らない! 私は帰らない! お母さんはお父さんを連れて帰れればそれで良いんでしょ!? 孝己だってお荷物の私がいない方がいい! 私はここに残るの! だって!」
そこでくるり、と振り返ると少しだけ目元を和らげて、俺を見た。
「慧一がいてくれるって、言うから!」
泣きたくなった。どうして、こうなんだろう。どうして、こうなってしまうんだろう。
言ったことに嘘はない。後悔もない。それでも、俺に逃げてしまう佳乃が、辛かった。
言い募ろうとした孝己を、そして俺の後ろで立ち上がろうとしたおじさんを、おばさんが抑えた。静かに見上げてくる院の隣に立ち、佳乃と正面から対峙して、軽い口調で、持ちかける。
「それなら、賭けをしようか。このとおり私は佳乃と孝己よりも強い。だから、引きずられて出てくる歪みだって正せる。尾張さんがそれで戻ってきたら佳乃の勝ち。良いよ、気が済むまでこの世界にいたらいい。でも、もし私の力をもってしても尾張さんが戻ってこなかったら、つまり、それがこの本の正しさだということならば、佳乃の負け。慧一君のためにも、大人しく帰ってきなさい」
それでいーい? と佳乃の肩越しに尋ねてきたので、頷いた。孝己が苦い顔をしている。後ろから静かに肩に乗せられたおじさんの手が、小さく震えるのを感じた。佳乃がしぶしぶながらも頷いたのを見て、少し泣きたくなった。おばさんはやっぱり、孝己のお母さんだった。




