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思わず息を呑んだ。それを見た定家が瞑目する。孝己が一度こちらに視線を寄越してから、肩を竦めた。
「その通り。歪みの主は後鳥羽院。そこに俺と佳乃の両親はいる」
先ほどから孝己には一切の動揺が見られない。定家が自分たちの敵を明らかにしたことに驚いたのは、俺だけだった。なぜ。孝己にとって、それを知られることはこの先の不利にはならないと、そういうことなんだろうか。なら、不利になることとは、一体何だ。
「慧一、それ以上は考えるな」
「……え」
思わず視線を上げると、定家には決してしなかった、厳しい顔をした孝己がいた。え、なんで。呼びかけようとした時には孝己は俺から視線を外し、一人背を向けて着替え始めていた。
「定家、以前約束した通り、俺はあんたを必ず元の世界に返す。ただし他の歌を全て正して後鳥羽院の力を弱めてからだ。もしも一刻も早くと願うなら、これまで同様俺に同行し、自身の歪みを少しでも正していくしか」
「慧一」
仕方がないと自身の上着に手をかけた時、孝己の言葉を遮って定家が俺を呼んだ。振り返ると、妙に凪いだ彼の目とぶつかる。構える隙もなかった。
「我は、九十九番目、院の御歌の世界の人間ではないか」
「っ!?」
なんで、それを。一瞬廻ったその思考、それだけで、十分だったらしい。定家が口端を吊り上げ、そして、振り返った孝己に飛び掛かった。違う。定家が飛びついたのは、孝己のすぐ横にある、『小倉百人一首』。悟った孝己が一瞬早く取り上げ、
「慧一!」
飛んでくると思って咄嗟に構えたけれど、何の手応えもなかった。視線の先で、定家の手が投げられる寸前の本を止めていた。ぎょっとして手放そうとした孝己の手首を握り本に触れさせたまま、その本の選者は叫んだ。
「我が選びし歌よ! 我が求める世界に導け!」
「閉じ」
孝己の声が途中でぶつ切れた。本から放たれた光が瞬く間に二人を包み込んで、急速に本へと戻っていく。
「待」
手を伸ばした先で、ばさりと音を立てて本が落ちた。床の上で開いた頁は白い。恐る恐る近寄って、そっと手に取り一枚めくった。ミミズ文字だが何とか読み取れた、歌の最初の文字は、「百」。先ほど取り戻したばかりの、百番目の歌だった。行ったのか。九十九番目の歌の世界に。黒幕の元に。俺を置いて、二人で。
「俺が、反応したから」
手が震えた。腕が震えた。体が震えた。孝己は時期尚早だと言っていた。帰って、来られるのだろうか。もしかしたら、もし帰ってこられなかったら、孝己は―佳乃は。
「……佳乃」
佳乃に、会わなくては。双子の片割れ、もう一人の、“つむろぎ”に。




