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理想の毒  作者: 彩暁―
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これから一緒に――

 奏の部屋まで二人分のシチューを運ぶ。彼女は今日も寝たきりで、ベッドから全く起き上がっていない。数日前までは、何とか頑張って外出していたが、今はもう身体を動かすのも困難な状態だ。

「美味しそうだね。お姉ちゃんが作ったの?」

 弱々しい声で奏は尋ねた。髪はぼさぼさで、顔も大分やつれている。なんで私はここで横になり続けなければいけないのかと、鈍く輝く瞳が訴えているように見える。

「うん。奏のために頑張ってみた」

 ベッドの横にあるテーブルへお盆を置いた。ベッドからなら、手を伸ばせばココットに届く。しかし、痛みが彼女の動きを阻んでいる。

「はい、あーん」

 私はシチューをスプーンで掬い取り、奏の口元まで運んだ。

「あーん」

 何の気もなしに奏は口を開いた。これを口に運ぶだけで彼女は死んでしまうのだろう。食べさせる事がとても辛い。でもやらなきゃ彼女は痛みで苦しみ続けるだろう。

「うっ、お姉ちゃんの意地悪。今、舌を嚙みそうになったよ」

 目の前で奏が頬を膨らませていた。食べさせるべきか迷ってしまい、スプーンは奏の口の手前で止まってしまったようだ。彼女の言葉から僅かな本気さが感じられる。

「ごめん、別にそのつもりはなかった。はい、あーん」

 私は改めて、奏の口へスプーンを渡した。運び込まれたシチューを口にして、奏はゆっくりと飲み下す。

「とっても美味しいね」

「ありがとう」

 奏に褒められて嬉しいのに心が痛い。でも、奏にはこれ以上、辛さを味わって欲しくない。私には想像できない、痛みを抱えて生きる辛さを。そして私も、叶わない想いに引き()られたくない。毒入りのシチューを私も口にし始めた。しっかりと味付けられている筈なのに、シチューの食感と熱さしか感じられない。それでも、奏が美味しいと言ってくれたおかげで、私も食事を楽しむ事ができた。

 奏の暖かい笑顔に癒されながら、私達は最後の晩餐を終えた。あとは最期を待つだけだ。

「ねえ、奏。私って奏の目にどう映ってる?」

「どうしたの? いきなり」

「なんかね、今まで頼りになってなかったから。中学にいた時も私、いじめられてたし。奏には弱いところばかり見せてたでしょ」

 そのせいで、奏も私の妹だからと一時期はいじめを受けていたらしい。しかし、彼女はそれを気にかけず、周囲のクラスメートといつも通りに接していた。明るく、人徳もある彼女へのいじめはいつしかなくなっていった。

「私のせいで奏にも迷惑かけちゃって、ごめんね」

「ううん、お姉ちゃんは何にも悪くないんだから」

 奏は首を横に振った。

「お姉ちゃんはあのとき、私を守ってくれた。それからもずっと私の事を心配してくれた。お姉ちゃんのお姉ちゃんなところ、好きよ」

 彼女の言葉に嘘は感じられない。私は妹からの評価を嬉しく思った。

「私、お姉ちゃんの良いところ、全部知ってるから。お姉ちゃんの妹で良かったわ。優しくて、優しくて、えーと……」

「一つしか言ってないじゃない」

 私は笑った。今更だが、彼女の命を奪うべきか、再び疑問に思った。しかし、もう遅い。

「あのね、お姉ちゃん――」

 彼女の言葉を最後まで聞く前に意識が遠のく。視覚、触覚が失われていき、まるで現世から切り離されるような気分だ。もう毒が回り始めたのかもしれない。身体の力が抜けて、視界が徐々に(かす)んでいく。奏もきっと同じように意識がなくなりつつあるのだろう。

 お父さん、お母さん、学校のみんな、さようなら。そして奏、天国で結ばれよう。心の中でこの世とのお別れを告げ、私は底なき眠りに就いた。


***


 気がつくと、私は朱色の世界の中にいた。西日に照らされた公園で、奏と二人きり、ベンチに座っていた。

「お姉ちゃんは何も悪くないわ。悪いのは、理由もなく手を出したあの人達だから」

 制服姿の奏は優しく私を慰めた。

 私が中二の頃の出来事だった。ある日の放課後、私をいじめていた連中は奏にまで手を出していた。校舎の隅で、奏は連中から汚い言葉を吐きかけられながら服を脱がされ、殴打や蹴りを受けていた。これを目にした私は逆上して、彼女達へ反撃した。人気のない場所での喧嘩はいつの間にか騒ぎになり、何人かの教師が止めに入るまで続いていた。

 その事件の翌日、私達はここにいた。奏に連れられて、下校中に公園に寄り道し、二人で静かに夕陽を眺めた。

「奏、痛いのは平気?」

 前日の暴力はもちろん、その一年前から引き摺っていた謎の痛みも気になっていた。

「全然大丈夫。助けてくれてありがとう」

 私のおかげで奏は救われた。奏が私を必要としていると思うと、私も救われた気持ちになる。どこにもない筈の居場所が、すぐ近くにあるのだと感じた。

「か、かなで……」

 私の瞳から涙が溢れ、まともな声を出せなかった。

「泣いていいんだよ。それでも私、お姉ちゃんが好きだから」

 その途端、堪え続けたものが一気に弾けた。無人の公園の中で、躊躇う事なく、大声で泣き続けた。

「私はいつでもお姉ちゃんの味方だよ。だから甘えたっていいんだよ」

 あの日、奏の言葉がどん底の私を(すく)い上げてくれた。いじめを受け、学校での存在価値を見失った私が見つけた、新しい生き甲斐。奏を愛そうと決めた日でもある。

 今回は私が奏を救う番だ。安らかな死を与え、痛みから解放する事で。


***


 再び目を覚ますと、見慣れた天井が視界に入った。ここはさっきまでいた部屋――奏の部屋なのか。

「お姉ちゃん、大丈夫?」

 視線を横に向けると、ベッドでずっと寝ていた筈の奏が座っていた。何が起こったか、状況が掴めないまま、私は頷く。

「良かったあ。お姉ちゃん、無理しちゃダメだよ」

 飲めば死ぬ筈なのに生きている。どうやら私はしばらく意識を失っていたようだ。あの毒はやっぱり悪戯なのだろうか。

「奏……痛いのは平気?」

「身体はとても痛かったけど、お姉ちゃんのためなら平気……うっ」

 奏は顔を(しか)めながら両脚を手でさすった。

「動かなくて良いよ。私は起きられるから」

「ダメ。倒れた時のお姉ちゃん、苦しそうだったから」

「奏の方が苦しそうだって。ベッドから出るからすぐ横になりなさい」

 私がベッドから出ようとしたところで、奏はホットレモンを差し出した。私が彼女のために用意したものだ。

「ありがとう。でも、私はいらないわ」

「お姉ちゃんが元気になって欲しいの。だから飲んで」

 奨められるがままに、私はカップに口をつけた。何故、奏に対して毒が効かなかったんだろう。そもそも、私も死ねなかった。あの毒はただの紛い物なのだろうか。

『私、お姉ちゃんとずっと一緒に生きたい――』

 朧気(おぼろげ)に残っていた、奏の言葉が私の脳内を駆け巡る。まるで底なし沼に(はま)った私を引っ張り上げるかのような、活力のある言葉だった。

 そして、『理想の毒』の説明書きが頭に浮かんだ。

『この毒は、あなたの理想に合わせた効果をもたらしてくれます。』

 私の理想――それは死だった。けれど、奏はその理想を一瞬、揺るがしたのだった。もしあの毒が本物なら、奏に救われた事になるのではないか。

「怖かった……さっきお姉ちゃんが倒れた時、このまま二度と目を覚ましてくれない気がしたの。生きるのはとっても痛い。けど、お姉ちゃんのいない世界を生きるのはもっと痛いの! だから、今こうして目を覚ましてくれて嬉しい」

 目に涙を溜めながら、奏は私の顔に近づいた。

「熱はないみたいね。お姉ちゃん無理しないでね」

 奏をぱっと見ただけでは、今まで歩くのが困難だったというのが嘘みたいだ。火事場のなんとやらとでも言うのだろうか。

 突然、奏は身体を抱えながらうめき声を上げた。時折見る光景、痛みの発作だ。自分自身の身体を抑えつけながら、奏は床に(うずくま)る。顔から血の気が失われつつあり、呼吸できるのがやっとのようだ。今まで見た発作とは比べものにならない激しさだ。

「奏、今すぐ救急車呼ぶから!」

 うかつに触れても彼女にとっては苦痛でしかない。だから触れられない。救急車が来るまで私は痛みで歪められた奏の表情を見守るしかなかった。


***


 あの後、奏はまた病院へ運び込まれた。医者は『身体から異常が見当たらない』と相変わらずの答えを出すが、こんなに苦しんでるのに異常なしなんておかしいと私は食い下がった。すると、また新しい医者を紹介してくれて、彼は新しい病名を口にした。私にとってはよく分からなかったが、とにかく難病でなかなか発見されないと言う事は分かった。

 新しい薬を処方されると、彼女の痛みは段々と和らいでいった。おかげで、奏は再び学校へ通い始め、年が変わって、無事に進級できた。

「お姉ちゃん、おーい、起きてる?」

 奏の声が聞こえる。それに気づいて我に返ると、私は駅前で立ち止り続けていた。新しい薬を手にした奏を見て、これまでの出来事を思い返していたようだ。

「なんでもないよ。あれから随分変わったなあって思って。私との距離がずっと縮まっているように見えるし。それと、昨夜夜更かししたせいか少し眠いんだ」

「次の日がデートだからって、昨夜楽しそうにしてたよね」

 長い間失われた、溌剌(はつらつ)とした声で奏は言った。

「お姉ちゃん、私が救急車で運ばれた時の事を覚えてる?」

『理想の毒』を与えた日の事だろうか。私は頷いた。

「私、病気の事をみんなに知って欲しかった。クラスのみんなにも、親にも、お医者さんにもね。そう思っていたら、身体の内側から、針がぐさりぐさりって、何本も刺さった気分になったの。とっても苦しかったけど、おかげで病気だって認められたから、入院して良かったと思うわ。親や、お姉ちゃんには迷惑だったけどね」

 ふと、私の脳内である推測が浮かんだ。もしかしたら、これも毒の効果なのだろうか。

「そろそろ行こっか」

 私は彼女を連れて、ショッピングセンターの方角へ向かおうとした。これから、石鹸屋(せっけんや)とアクセサリーショップに寄って、お昼ごはんを食べつつ、おもちゃ屋さん等、様々な店を回るつもりだ。

「あ、そうだお姉ちゃん。忘れ物があるよ」

 どうしたのだろうか。なんて思ったらいきなり唇を重ねてきた。大勢の人が行き交う駅前にも関わらず、何の躊躇もしていない。彼女の唇から出た舌が、私のそれと触れ合おうとする。距離を縮めると同時に彼女は私と指を絡める。あの日、私が風呂場でした口づけよりも遙かに積極的だ。

「これで準備万端!」

 一瞬、彼女のスキンシップに違和感を覚えた。同性、しかも妹が、私に激しいキスをしている。そう思うと一瞬、気持ち悪く感じられた。一緒に風呂へ入った時は私の気持ちを拒否していたのに、彼女は『理想の毒』を飲んでから恋愛感情をむき出しにしてきた。今日、この一瞬まで私は違和感がなかったけれど、薬が切れたように気分が入れ替わった。そんな不快なひとときは、奏の舌から伝わったミルクチョコレートの味によって、徐々にかき消されていく。

『理想の毒』を飲んでから、お互いに恋愛感情を受け入れるようになった。周囲が投げかける奇怪な視線が気になるが、たとえ親であっても、私達二人の関係は誰にも止めさせない。社会の毒は幾らでも受け入れてやろう。

「石鹸屋を回ったら、あのガーネットの指輪を買おうね」

 互いの手をきゅっと繋ぎながら、私達はショッピングセンターを目指していった。「お姉ちゃんに指輪をプレゼントするんだ」と奏の口から言葉が漏れていた。

思い通りの痛みや死に方ができる薬があったら……という発想をもとにつくられた作品です。書き終えてしばらくして、まだまだシナリオ構成が甘いなあと痛感しました。ちなみに、この作品は大学文藝部の機関誌に掲載された作品ですが、そこには最後のキスシーンの挿絵もありました。

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