第五章 【眠れる獅子と死せる豚】
刻は2023年5月中旬。
幹部の退職からしばらく経ち、会社は一見すると平穏を取り戻していた。
だがその平穏は、ただ「何も壊れていないように見えるだけ」の静けさだった。
高城と吉田の関係だけが、その中で少しずつ歪んでいた。
会話はある。いつも通り冗談も交わす。
だが、かつてそこにあった「温度」だけが消えている。
火種が残っているのに、火がつかないまま時間だけが過ぎていた。
2023年5月下旬。
高城と吉田は強制参加の会社の飲み会が終わり、いつもの喫煙所で「会社の飲み会のくだらなさ」を語りあっていた。
会話の途中、高城はタバコを吹かしながら言う。
「俺の読みでは2年半後だ、流れが来る」
その瞬間、近くを歩いていたサラリーマンのポケットから千円札がひらりと落ちる。
風に流されたそれは、不思議なほど真っすぐ高城の足元まで滑ってきた。
「あっ、すみません!」
駆け寄ってきた男へ千円札を返しながら、高城は続ける。
「まぁ見てろ」
しかし、この時代を見据えた言葉が吉田の逆鱗に触れる事になる。
吉田は今迄にない剣幕で
「意味わかんねぇんだよ!」
「そんな事より金を貯めろ!」
「いつ迄待たせるんだ!」
「やるやる詐欺が!」
と高城に詰め寄ったのである。
一瞬怯んだ高城であったが
「落ち着け、大丈夫だ」
「俺たちは成功する」
「一緒に時代を創るんだろ?」
「その思考は危険だ、刻の涙が流れるぞ!」
と負けじと返す。
正に一触即発の事態になる寸前であったが、人込みの多い新宿の喫煙所、そして終電も間近という事もあり、その場は有耶無耶になり帰宅する事になった。
翌日、吉田は高城に謝罪し高城もそれを受け入れる。
後腐れも無くいつも通りの関係が戻り、いつも通りの日々が続くかと思われた。
しかし、徐々に吉田の様子がおかしくなるのである。
以前と比べ外回りからの帰社時間が明らかに遅くなり、かつ全く成果が出ない。
心配した高城が外回り中の吉田に電話をしても、
「新宿御苑で散歩していました」
「西口高層ビルの最上階に、絶好の昼寝スポットを見つけたんですよ!」
「歌舞伎町ラブホ街に新しくできたラーメンはうまい、長時間並んだ甲斐がありました!」
「歌舞伎町の昼キャバに可愛い子がいるんですよ」
「今パチンコ打っていて爆連中です!後で折り返します!」
等々、サボりを隠しもせず、堂々と公言する有様である。
当然、売上げも今まで以上に下降し2人の直属の上司からは毎日のように説教を受ける。
それにも関わらず、なぜか夜遅くまで残り残業をしているのだ。
気が付けば、高城と吉田は独立に対する話題を全くしなくなっていた。
それどころか、終業後の食事や喫煙所にも共に行く回数が減っていたのである...
2023年11月下旬。
ある日の終業時、会社社長から衝撃的な発表があった。
なんと吉田が2023年12月上旬を持って会社を退職するというのである。
初耳であった高城は発表の翌日、強引に吉田を飲みに連れていく。
事前に相談を受けていない悲しみを伝え、吉田の今後を心配する高城。
どうやら次の職も決まっていないらしい。
そんな高城をよそに吉田は一切の悲壮感も無く、全く悪びれる様子もない。
結局、高城は真意を測りかねるまま、吉田の最終出勤日が来てしまった。
後世に称される調整力を持つ高城だが、現段階ではその才能は発展途上の状態だったのだ。
終業後、高城は吉田を「いつも行っていたバーに行こう、久々マスターに会いたいし」と誘う。
だが、吉田は冷たい目で高城に言葉を返す。
「あのバーは潰れましたよ、マスターは引退しました」
「お店のLINEから連絡来てたけど、見てなかっんですか?」
高城は驚きと共に「そうなのか?知らなかったよ!」と返した。
続けざまに「それなら仕方ない、適当な所に行こう」と語る高城に吉田は「そうですね」と淡々と返す。
その後、適当な飲み屋、そしていつもの喫煙所で最後の刻を過ごす2人。
だが、いまいち会話は盛り上がらず、どこかその雰囲気はぎこちない。
別れ際、高城は「何かあったらいつでも相談しろ」と吉田に声をかけた。
吉田は何も言わずぎこちない作り笑いで返し、去って行った。
そんな吉田の後姿を、高城は寂しさと、若干の「恋しさと せつなさと 心強さと」を感じながら見送るのである。
去り行く吉田には、高城の言葉は一切届いていなかった。
その胸中には幾多の経営者、そして親友荒井の言葉が響いている。
吉田は、高城を大きく誤解していた。
刻の流れを適切に汲み取り調整を重ねている高城であったが、全体を俯瞰できず視野の狭い吉田は、それを達眼できていなかったのである...
刻は、風雲の志を告げていた...




