9【K】せめて最後だけは可愛い彼女に看取られたい人生だった
「レオパードが全く仕事しとらん」
「何か事情があるんじゃないですか?」
「その事情を話せって言うとるんや」
「確かに全然音沙汰ないですね」、司令室でKは言った。「最後に見たのはハンター・フロッグの葬儀ですかね」
「また家に引きこもっとるな」、管理者Ⅹはしかめっ面だ。
「おそらくはそうでしょうね」
「あんた、他のハンター連れて、捕らえてくれへんか?」
「俺がですか?」とKは尋ねた。
「他に誰がおる? 頼んだで」、彼女はニヒルに微笑した。
「——で、僕が呼ばれたわけですか?」とバイパーが尋ねた。
Kとバイパーはハンター・レオパードの住むマンションの前にいた。かなり年季の入ったマンションで、壁は薄汚れている。配管もむき出しで、エレベーターもついていない。老朽化した印象を受ける。
「すまない」とKは言った。「これはお前にしか頼めない仕事なんだ」
「僕にしか頼めない——」、バイパーはそう呟きながら自己肯定感をぐんぐん上昇させた。「不肖バイパー、その任務必ずや成し遂げてみせます」
「ああ、がんばってくれ」、Kはしたり顔で微笑む。
「でも確かハンター・レオパードって先輩よりも強いんですよね?」
「強い」とKは端的に断言した。「でも捕獲するだけだから、そんなに気負わなくていいぞ」
「なんか虫取りみたいですね」
彼らはマンションの3階に上がり、レオパードの住む301号室の前に来た。インターホンを鳴らそうとする。が、インターホンは故障しており、音は鳴らなかった。ついでに部屋の扉の鍵も壊れていた。Kが部屋の扉をノックする。
「レオパード、Kだ。入るぞ」
扉を開けると日中だというのにカーテンは閉じられ、薄暗かった。散らかった生ごみの臭いが鼻をつく。その奥で一瞬何かが光った。
「バイパー、壁に隠れろ」
「へ?」
とたんに部屋の奥から銃弾の雨あられが降ってくる。Kは壁に隠れたが、バイパーは胸部に一発くらって倒れた。
「ぐ——先輩に会えて僕は幸せでした。せめて最後だけは可愛い彼女に看取られたい人生だった」
Kは無感動に言った。「案ずるな。ゴム弾だ」
「へ?」
バイパーは身を起こし、落ちている銃弾を拾って確かめた。確かに弾頭がゴムでできている。バイパーは立ち上がって胸を触ってみた。激しい痛みはあるが、どうやら怪我はしていない模様。
「レオパード、もういい加減中に入るぞ」とKはどなった。「こちらに交戦の意思はない」
部屋の中に入るとリビングの奥でひとりの男があぐらをかいて座っていた。手の上に何かをすくいあげてめそめそと泣いている。
「ハムちゃんが亡くなったんだ」とその男——レオパードは言った。「だからそっとしといてくれ」
「あの、ハムちゃんって何です?」とバイパーが尋ねる。
「ハムちゃんはハム次郎のことだ。俺の天使だ」、どうやら飼っていたハムスターのことである。
「レオパード、司令がお呼びだ」とKは無慈悲に言った。「同行願おうか。今のままを続けていたら給料も出ないぞ」
「ハムちゃんの供養が終わるまで待ってくれ」、レオパードは震えながらよよと泣いた。
「そのハムスター、よほど大事に可愛がってこられたのでしょうね」とバイパーが同情的に言った。
しかし、驚くことにレオパードは手の内の大切そうにしていたハムスターをこちらに投げつけ、バイパーの顔面にぺちんと当たった。そしてカーテンを引き、ベランダに飛び出すと姿が見えなくなった。急いで彼らがベランダに出たときにはもはやレオパードはマンションの下を駆けていた。どんどん姿が遠ざかって行く。
「マジですか? ここ三階ですよ?」、バイパーが仰天した。
「おそらく飛び降りたあと、下の階のベランダの柵に摑まって、横っ飛びしたのだろう」
「忍者じゃあるまいし——」、バイパーは唖然とした。
「とにかく捕らえるぞ」、Kは言った。「俺は配管を摑んで滑り降りる。バイパーは階段からまわってくれ」
「はは」、バイパーが引きつった笑みを見せた。己とのレベルの違いをまざまざと見せつけられて若干呆れているのだ。「ラジャー」
Kは丈夫そうな配管を摑んで地面に滑り降りると、急いでレオパードの後を追った。レオパードの背中が見えたところで、彼を居住区の大広間に誘い込む。走った先にはハンター・ホースとハンター・モモンガがいた。Kが協力を頼むと、二人とも快く引き受けてくれたのだ。この二人にはピストルに催涙弾を仕込んでもらっている。基本ハンター同士の果し合いはご法度だが、話し合いに応じないようならば、死なないていどに攻撃してもいいと、管理者Ⅹの許可も取れている。ちなみにKのグロック17にも催涙弾が装填されている。少し距離をおいて、Kたちはレオパードを包囲した。
まずモモンガがやられた。姿を見せたら一瞬でゴム弾を急所に撃ち込まれた。
「へ?」
あまりの速さにホースは状況が理解できない。意気揚々と待ちかまえていたのに出鼻をくじかれたのだ。それでもホースは必死に応戦するが、レオパードは疾風のように駆け回り、照準が合わせられないでいる。そのあいだにバイパーが合流して、なんとかリカバリーしたかに思えたが、一瞬の油断をついて彼も被弾した。
「レオパード、話し合おう」とKが手を上げてどなった。「俺たちは敵じゃない。ただあんたに力を貸してほしいだけなんだ」
「信じるか、んなもん」、レオパードは絶叫した。「ハムちゃんを返せ」
レオパードはピストルをもう一挺取り出して、両手にピストルを持ち、暴れまくった。たまらずホースが被弾して戦線離脱する。Kの弾も一向に当たる気配がない。
「わかった。皆でハムちゃんの葬儀をしよう」とKは提案した。
レオパードの動きが一瞬止まる。「本当か?」
「もちろん」
そこで建物の上から狙撃部隊がライフル型の麻酔銃でレオパードの大腿部にダート(矢)を撃ち込んだ。マンションの上にいたのは、ハンター・オルカ、ハンター・ゴート、ハンター・スクワロルの3名で、仕留めたのはゴートだった。
「おのれえ、謀ったなあ」、レオパードは激怒した。
レオパードは雄叫びを挙げるとKに銃弾の嵐を浴びせる。これで終わりではないのだ。麻酔が効くまで最低でも4分かかる。そのあいだなんとか大広間に押し留めなくてはならないので、Kはフットワークを巧みに使って銃弾をかわしていった。
結局、熊でも15分で昏睡させる麻酔を、レオパードは30分耐えた。化け物だ。
「死んだら化けて出てやるからな」
もちろん、眠らせただけなので、死ぬことはない。よって化けて出ることもない。それにしても、戦闘力は群を抜いているのに手のかかる人だ、とKは思った。やれやれ。
麻酔から覚めたレオパードを待っていたのは、管理者Ⅹのお説教だ。しっかりお灸をすえられたのか、レオパードはそれ以来いつにもましてしばらく鬱々としていた。情緒不安定なのはいつものことだが、さすがに周りも気を使って、ハムスターのハムちゃんの葬儀を執り行った――いとも簡単に投げ捨てられた、可哀そうなハム次郎の。
「なあレオパード、ハムちゃんはなんで死んだんだ?」、葬儀の合間、Kが尋ねた。
「わからない」とレオパードは言った。「飼ってから遊び相手になってもらっていたら3日で死んじゃったんだ」
「ちゃんと餌はやったのか?」
「餌? 俺の主食のチョコレートをあげていたよ」
「原因はそれだ」とKは言った。「レオパード――今後、動物を飼うのはもうやめような」、Kは諦めたように天を見上げた。
ハムちゃんの葬儀のあと、一旦家に帰り、それからリン先生の診療所に寄ると、相変わらず花壇にはマーガレットがびっしり白い花弁を咲かせていた。今が旬なのだ。小さくて見分けがつかなくても、それぞれに誇らしげに顔を上げている。花言葉は「誠実」「心に秘めた愛」「信頼」――
受付カウンターで挨拶をして、医務室に上がり込む。医務室のベッドは三つしか埋まっておらず、リン先生もデスクで患者のカルテを熱心に眺めていた。
「リン先生」とKは声をかける。
リン先生は振り返ると瞳をほころばせた。
「あら、Kくん、いらっしゃい」
「ずいぶん熱心だね?」
「悪夢について考えていたの」とリン先生は言った。「ダクトから通された患者の悪夢は、きっと外の世界でまた誰かに悪夢を見せているんじゃないだろうかって?」
「なるほど」、Kは言った。「悪夢は宿主を変えるだけで、完全にはなくならないんだね?」
「そういうこと」、リン先生は人差し指を立てた。
「ハンター・ウルフの具合はどう?」
リン先生の表情が曇った。「ずっと眠っているわ。今は〈システム〉本部の医務室に移送されてる」
「目は覚めそう?」とKは尋ねた。
「わからない。少なくとも命だけは取り留めているわ」
「少し休んだら?」、Kは持参した袋を見せる。「外の世界でオールド・ファッションを買ってきたんだ。お土産」
「わお」、リン先生は感嘆の息を洩らした。「有名チェーン店のドーナツ、間違いなく美味しいやつだ」
「スタッフと一緒に食べてよ」
「ちょっと待って。最近全自動のコーヒーマシンを休憩室に導入したのよ。せっかくだから今から一緒にコーヒー飲みながら、ドーナツ食べない?」
「いいね」、Kは微笑んだ。
そうして彼らはたわいもない会話をしながら、ブラックコーヒーを飲み、オールド・ファッションを食べ、安らぎのひとときを共有した。
レオパード「次は亀を飼いたいなあ」
K「さすがに動物愛護団体からクレーム来るぞ」




