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システム・サクラメント  作者: ミナミミナト
第四部 日常と非日常
40/71

10【Ⅼ】ちゃんと生きた証をこの世界に遺したい


     


 午前10時、シスター四人は会議場の円卓を取り囲んで〈ウロボロス〉についての議論を重ねていた。リリィがシャノワールから聞いた概要を説明すると、ビオラが身を乗り出してテーブルを叩いた。

「いやよ、そんな危ない組織を相手にすんの。勝算なんてないじゃない」

「報酬がもらえなくても?」とアイリスが尋ねた。

「報酬がもらえなくてもよ」とビオラが答えた。

 アイリスは首をひねった。「でも、そもそもゴキブリ駆除があたしたちの仕事なのに、〈ウロボロス〉のようなゴキブリの集団を見過ごせっていうのかしら?」

「そ、それは——」、言葉に詰まる。

「私もゴキブリは全滅させたい」とリリィが静かに過激なことを言う。「パンジーはどう思うの?」

「わかりません」、パンジーはうつむいて言った。「まったく先が読めません」

「引き続き依頼を引き受けていいと思ってんのは、あたしとリリィだけってわけね」とアイリスが言った。「じゃあ、あたしら二人だけ依頼を引き受けたらいいんじゃない?」

「駄目よ」、ビオラが首を振った。「修道院に危害があったらどうするの? 子供たちもいるのよ」

「まあ確かに」、アイリスは腕を組んで椅子の背もたれにもたれた。

「ところで〈ウロボロス〉は過去に壊滅したって話は本当?」とリリィが尋ねた。

「そのはずだったんだけどねえ」、アイリスが頬杖をつき、遠い目をする。「5年前、あたしがシスターになりたての頃、当時在籍していたシスター・ディジーが〈ウロボロス〉のトップを討ったのよ。もともと『最強の殺し屋』の二つ名もディジーのものだったのにねえ」

「シスター・ディジーが?」、リリィは驚いた。それというのも彼女が幼少からピアノを師事していたシスターがディジーその人だったから。

「でも〈ウロボロス〉って当時は構成員50人くらいの中規模な組織だったのよ。それがここまで勢力を引き上げるなんてね」

「今と比較するには状況も状勢も違いすぎます」とパンジーが不安げに言った。

「そう、それ」、ビオラがそれに乗っかる。

 会議が行き詰まり、皆が言葉に窮していると、突然リリィが立ち上がって言い張った。

「ゴキブリ駆除はやめないわ。のさばる罪を裁くことこそが私たち使徒の使命なのだから」

「だってさ?」とアイリスが口を添えた。「リリィの言うとおりよ。他の二人は反論ある?」

 ビオラとパンジーは押し黙って首を左右に振った。

「決まりね」、アイリスは唇の端を釣り上げた。「任務は継続する」

「異議なし」と他の三人は言った。

 会議が終わると昼食までのあいだリリィはピアノの自己練習をした。他人に教えるためには自分ももっと上手くならなくてはならない。ピアノの鍵盤の前に座ると気持ちが引き締まった。息をつき譜面台に譜面を置く。彼女はドビュッシーの「月の光」を演奏し始めた。その感傷的な音色は修道院内に響き渡る。次第に子供たちが勉強や遊戯をやめて礼拝堂に集まって来た。やれやれ、これじゃ練習じゃなくて発表会だ、と彼女は思った。

 演奏が終わると拍手喝采が起きた。シスターたちまで手を叩いて見物している。リリィは集中力を維持して他の曲を演奏し始めた。選んだ曲はもっと簡易で練習的な意味合いを持つバッハの「ゴルトベルグ変奏曲」だ。アリアを奏でると皆が静まり返り、その演奏に聴き惚れていた。目を閉じている子供もいれば、身体を揺らせている子供もいる。彼女は改めてバッハの音楽の凄さを思い知った。練習曲であっても、人々を魅了する。また、出版されて300年以上経ってもその曲が色褪せることはないのだ。

 私もクラシック音楽のようでありたい、と彼女は思った。徐々に色褪せることなく、ちゃんと生きた証をこの世界に遺したい。誰かひとりにでも届けばいいから。でも誰も私を見つけてはくれないかもしれない。

 練習を終えるとリリィは皆に言った。

「今日はこれで自主練おしまい。食堂に行きなさい」

「はーい」、子供たちが溌剌と応じる。

 昼食は揚げパンとポトフとぶどうだった。いつもどおりお祈りをしてから、食べ始める。子供たちは揚げパンが好きなのでみんな喜んでいた。美味しそうに食べている。

 リリィは少し食欲がなかった。隣の席のミナに問いかける。

「ねえ、ミナ。私の揚げパンいらないかな? まだ手を付けてないから」

「ほんと?」、ミナは目を輝かす。「もらっていいの?」

「ええ」

 すると向かいの席のカホが口を挟む。

「待ちなさい、ミナ。いつも子供たちに食べ物を残しちゃいけないって言っているのは誰かしら?」

 子供相手にリリィはぐうの音も出ない。

「シスター・リリィは具合が悪いんだよ」とミナが援護する。

「さっきまであんなに真剣にピアノを弾いていたのに?」とカホが反論する。

 リリィの体内で胃酸がこみ上げてきて、彼女はとっさに口もとを手で覆う。

「ごめん、ちょっと——」、リリィは脇目もふらずにトイレへと駆け込んだ。

 トイレの個室に入って便器に顔をうずめると、大量の胃酸が喉もとをとおって飛び出してきた。息は荒く、目には涙を浮かべている。さんざん吐くと少し気分が楽になった。しばらく壁に仕切られた狭い天井を見上げる。

 トイレから出ると外側でアイリスが腕を組んで佇んでいた。

「あんた、まさか()()()じゃないでしょうね?」

「知ってるでしょ? 私は処女よ」、彼女は手を洗い、鏡を見る。

「処女受胎の可能性もある」とアイリスは鏡越しに真顔で言った。「聖母マリアは処女でありながら、精霊の力によって、イエス・キリストを身ごもった」

「馬鹿馬鹿しい。そんなの伝説よ」

「修道院の教えよ。そういうこと言わない」

 リリィはうつむいて何も言わなかった。

「やっぱ、ちょっと気が立っているわね。自分の部屋で休んでなさいな」

 リリィはそれに従った。


 自室のベッドに横になっていると、外では鴉が——彼女を追い立てるかのごとく——しきりに鳴いていた。天井には消えることなく一点の疵があり、彼女はそれを眺めるともなく眺めていた。ちょっと気を張りすぎかなあ、と思う。今日のピアノの稽古はお休みさせてもらおう。思えば〈システム・サクラメント〉というゲームアプリを手に入れるまでは、午後10時には寝ていたのだ。それがいつしかずるずるとプレイ時間が長引き、今では日をまたぐことも多々ある。休息の必要性を感じる。もっと気を楽にしないといけない。

 しかしリリィは夜になると〈システム・サクラメント〉にログインした。シャノワールに連絡するために。彼女はキーボードを叩いてシャノワールのDMにメッセージを送信した。


〈シャノワールさん、こんばんは。仲間と協議した結果、今後もゴキブリ駆除を引き受けることに合意してもらえました〉


 ほどなくしてメッセージが返ってきた。


シャノワール『命を賭ける——いえ、それ以上に死にたくなるほど酷い目に合う覚悟はおありですか?』

 8秒後。

ゴースト『なければ暗殺稼業なんてしていません』

シャノワール『わかりました。ありがとうございます。では案件が入り次第、引き続き仕事を発注させていただきます』

ゴースト『承知しました』

シャノワール『ひとつ、お尋ねしたいことがあるのですがいいですか?』

ゴースト『話せる範囲であれば』

 14秒後。

シャノワール『ツクヨミというプレイヤーはあれ以来接触を図ってきましたか?』

 4秒後。

ゴースト『いえ、依頼を断って以来音沙汰ありません』

シャノワール『プレイヤーランクは確認しましたか?』

 6秒後。

ゴースト『いえ、突然のことでしたので確認しておりません。プレイヤーランクに意味はあるのですか?』

 10秒後。

シャノワール『このゲームはプレイヤーランクがゴールド以上でないとDMでの取引は行えない仕様なのです。ランクを上げるためには課金して、尚且つ運営による厳正なる審査を受ける必要があります。取引に悪党が紛れ込まないために』

 3秒後。

ゴースト『そうだったのですね』

シャノワール『だから前から気になっていたのです』

ゴースト『理解しました』

シャノワール『僕はそろそろ寝ます。だから落ちますね』

ゴースト『はい、私もそうします。おやすみなさい』

シャノワール『おやすみなさい』




リリィ「目がギンギンに冴えて眠れない」

アイリス「リリィ、何夜中に冷蔵庫漁ってるの?」

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