1【K】始まりも終わりもない完全なもの
「まずこれを見てほしい」、管理者Ⅹは席を立ち、指揮杖をモニターに向けた。
壁一面のモニターには黒い円のマークが表示された。よく見ると黒い蛇が環になって自らの尾を噛んでいるのがわかる。そのマークには何か不吉なものを予感させるところがあった。
「〈ウロボロス〉のシンボルや」と管理者Ⅹは言った。「構成員は全員首筋にこのシンボルを模したタトゥーをしとる」
「タトゥーって――組織を抜けるときはどうするんですか?」とKは尋ねた。
「死や」
「死?」とKとバイパーは聞き返した。
「〈ウロボロス〉からは生きて出られへんってこっちゃ」、管理者Ⅹはそう断言した。
「どうにもヤバい組織のようですね」とKは言った。
「正直いかれてますよ」とバイパーが言った。
「それで」とKが切り出した。「俺たちを呼んだのは?」
「それはもちろん」、管理者Ⅹがモニターの前からつかつかと歩いてきて椅子にどかっと腰を下ろした。「外周りや」
「外回り」、Kは尋ねた。「具体的にどういった任務なんですか?」
「また運び屋ですか?」とバイパーも尋ねた。
「微妙に違う」と管理者Ⅹは答えた。「おつかいや。極めて危険なな」
「と、いいますと?」とバイパーが質問を続ける。
管理者Ⅹは椅子の肘掛けに肩肘をついた。「ハンター・フロッグが失敗した武器と弾薬の補充を頼みたい」
「正気ですか?」、Kは言った。「ハンター・フロッグの安否がわからないこのタイミングでですか?」
「だからあんたらに頼んどるんやないかい」、管理者Xは足を組んで鷹揚にかまえた。「フロッグが消息を絶った今がむしろ好機と思え」
Kは手の平で頭を押さえた。「いったいどこに向かえばいいんです?」
「そんなん決まってる」、彼女は口もとに微笑を浮かべた。「チェリーブロッサム社さんの本社や」
「まったく司令も人使いが荒い」、Kは溜息をついた。
「せやろ?」、管理者Xはにんまりとした。
「褒めてないですからね?」
まずは樹海を越えなくてはいけない。ジープの運転はKが担当し、助手席にバイパー、後部座席にはアウルを乗せている。後ろからはハンター・スクワロルが運転するジープも付いてくる。今や樹海を抜ける際は、アウルが樹海のガイドを務め、樹海を抜けた先でもう一台の車で彼を乗せて帰るのが通例となっていた。帰りの際も同様にアウルを乗せた車が迎えに来る。もちろんアウルを外の世界に連れていくわけにはいかない。危険を伴う任務だから足手纏いになる。
樹海を抜けるとKとバイパーはアウルをスクワロルに託した。
「よろしく頼む」とKはスクワロルに言った。
「はい! この命に代えても!」、スクワロルは感激して答えた。彼は純粋にKのファンなのだ。
「そんな大袈裟な」、Kは苦笑した。それからアウルの頭をなでた。「アウルもありがとうな。君の先導のおかげで楽に樹海を抜けられたよ」
「Kさんこそ、どうかご無事で」、アウルは祈るようにそう言った。
そしてジープに乗り込むと、アウルとスクワロルの見守る中、Kとバイパーは走り去って行った。
15分、ジープで揺られると、河口湖のインターチェンジから高速道路に乗った。この調子だと昼過ぎには着きそうだな、とKは思う。バイパーは襲撃がないか、ずっとそわそわしていた。
「今からそんな調子じゃ、神経が持たんぞ」とKは言った。
「だって〈ウロボロス〉の話、先輩も聞いたでしょ?」とバイパーは言った。「のんびりドライブってわけにもいきませんよ」
「ハンター・フロッグが行方不明な以上、大量の武器と弾薬が流れたはずだ」、Kは進行方向を向いたまま言った。「だが、おそらく襲撃があるとしたら東京。フロッグもそこで消息を絶ったという話だ」
「それはわかってますけど——」とバイパーは言い淀んだ。「そういえば〈ウロボロス〉ってどういう意味なんですかね?」
「〈ウロボロス〉は一種のシンボルだよ。蛇は脱皮して成長し、飢餓にも強い。だから『死と再生』『不老不死』の象徴とされているんだ。それが尾を噛んで輪になっていることにより、始まりも終わりもない完全なものとしての意味も備わった」
「へえ」、バイパーはうなった。「博識」
「本読め、本」
そんな二人の緊張感とは裏腹に、空は気持ちよく晴れ渡っていた。視界の奥では大きな雲がいくつか顔を出している。太陽の光線が眩しく、Kはフロントのサンバイザーを手前に倒した。バイパーは襲撃者を警戒して時折後ろを振り返っている。
途中パーキングエリアでトイレ休憩を取った。バイパーの帰りをジープの中で待っていると、彼は笑顔でソフトクリームを手に持って現れた。
「ピクニックか」とKは言った。
「いや、でも、ミルクの甘さとコクが口の中いっぱいに広がって美味しいですよ、これ?」
「食レポか」とKは言った。「さっきまでの緊張感はどこにいったんだ?」
「だから糖分補給です」、そう言ってバイパーは嬉しそうにソフトクリームを舐めた。
Kとバイパーは運転を替わってチェリーブロッサム社の本社がある東京都千代田区を目指した。
「東京に入りましたね」、バイパーはハンドルを握り、再び緊張した面持ちでそう言った。
「そうだな」、Kは気を引き締めた。
「襲撃、ありますかね?」
「あるとしたら、おそらくチェリーブロッサム社さんのところに行った帰りだろうな」とKは静かに言った。「仕入れた武器や弾薬が狙いかもしれない」
「なるほど」、バイパーは深く頷いた。「確かに」
日は真上に差し掛かり、二人は多少汗ばんだ。ウィンドウを開けると涼しい風が吹き込んでくる。チェリーブロッサム社さんか。ゲームアプリで裏取引、武器や弾薬の売買、まさに死の商人だな。いったいどんなところだろう?
チェリーブロッサム社の本社は、思いの他、高層ビルを一棟丸まる買い上げた、景気のいい会社だった。もっと人知れず居をかまえているのかとKは思った。バイパーはどこか愉しそうに隣を歩く。エントランスを抜け、広いロビーの奥に行くと、女の子の二人組――同い年くらいか――が何やらフロント係に難癖のようなものをつけていた。
「どこがいけないのよ? なんで入れないのさ?」とボブカットの女の子は言った。
「何度も申していますとおり、失礼ですが、アポイントのない来館者さまはこれ以上中にはお通しできません」とフロント係の女性は笑顔で言った。
その様子をポニーテイルの女の子がおどおどと見ている。一瞬こちらに気づき、目が合うと、その瞳はきらんと光った。
「失礼」と彼は言った。
それからその隣のカウンターのフロント係の方へ行った。
「本日はどういったご用向きでしょうか?」、清潔感のあるフロント係の女性は愛嬌よく訊いてきた。笑顔がチャーミングで、見るからにキラキラしている。
「猫の使いで来ました」、Kはそう答える。それが管理者Xに告げられた合言葉なのだ。
フロント係の女性は一瞬はっとして、すぐに愛想のいい表情に戻した。そして椅子から立ち上がる。
「ご案内します。こちらです」
Kとバイパーは頷いてその後ろを付き従った。後方では「なんであいつらは入れんのよ」と声がした。
エレベーターは全面ガラス張りになっていて、街並みがどんどん下方に追いやられていく。バイパーはへっぴり腰で、エレベーター内の壁にしがみついていた。「そんなとこにしがみついても意味がないぞ?」とKが言うと「だって高所はいかに訓練しても敵わないじゃないですか?」とバイパーは答えた。なるほど、一理ある。そう思いながらKはガラス越しの街を眺めた。さっきまでいた場所が遥か遠くに見える。そして28階——最上階のフロア——でエレベーターはストップした。
「どうぞ、この先です」とフロント係の女性は笑顔を崩さずに言った。
付いて行くと応接室にとおされた。いかにも高級そうな、革張りのソファに座らされる。
「只今、お茶をお持ちいたしますので、少々お待ちください」とフロント係の女性はにっこりして言った。
「いえ、おかまいなく」とKは言った。
「そういうわけにも参りませんので」、フロント係の女性は遠慮なさらなくても大丈夫ですよというふうに微笑した。
しばらくすると彼らの前のテーブルの上には煎茶が置かれ、バイパーはそれに口をつけると、ソファの背もたれに肘をかけて辺りを見回した。
「立派な会社ですね」
「そうだな」
「ほんとにこんな綺麗な会社で武器や弾薬の補充をしてもらえるんですかね?」
「司令がそういっているのだから、きっとそういうことなんだろう」とKは答えた。
「空輸したらいいのに」
「空のが危険だよ。尾行でもされたが最後、あの街の存在がばれるのは不味い」
窓の外では日の光が、街の中空部分を浮き彫りにさせていた。都会の高層ビルの最上階にいると、なんだか異空間にでも迷い込んだような気がした。
15分ほどそうしていると、先ほどのフロント係の女性が顔を出した。
「お待たせしました。弊社のCEOがいらっしゃいました」
CEOはフロント係の女性の後ろにしがみついていた。背が低く、中学生みたいな形をしている。その見目は管理者Xそっくりだった。それを見て、Kとバイパーは立ち上がって声を上げた。
「司令?」
「は、はじめまして。チェリーブロッサム社のCEOを務めております、ナキリナキです」
バイパー「僕、ディズニーランド行きたいです」
K「観光か」




