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あの日空が裂けた  作者: リンダ


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あとがき

 あとがき

『あの日、空が裂けた ―365日の記憶―』


 この物語を書き終えた今、最初に浮かぶのは、「これは“特別な人”の物語ではなかった」ということです。


 秋田一平も、さくらも、朝陽も、梓も、北斗も。

 そして、ジェシカやノア、マーカス、ローラたちも。


 みんな、本当にどこにでもいる“普通の人たち”でした。


 朝起きて、学校へ行き、仕事へ向かい、家族と食卓を囲み、明日の予定を話しながら眠る。

 そんな、ごく普通の日常を生きていた人たちです。


 けれど、2001年9月11日。


 その「普通」は、一瞬で壊されました。


 世界貿易センタービルに突っ込む旅客機。

 崩れ落ちる超高層ビル。

 炎。煙。瓦礫。サイレン。


 そして、「帰るはずだった人」が帰らなくなる現実。


 この作品では、その歴史的事件を、“世界史の出来事”としてではなく、“ある家族の生活”として描きました。


 なぜなら、大きな悲劇というものは、ニュース映像の中だけで終わるものではないからです。


 その後に残るのは、


 眠れなくなった子ども。

 朝が怖くなった母親。

 空を見上げられなくなった父親。

 家族を失った部屋。

 帰らない人を待ち続ける食卓。


 そういう、“数字にならない傷”です。


 この物語で描きたかったのは、まさにそこでした。


 一方で、この作品は「ただ悲惨さを描く物語」でもありません。


 もしそれだけなら、人は途中で心を閉ざしてしまう。


 だからこそ、北斗とジェシカの存在がありました。


 最初は、ただの“やかましい子どもたち”でした。


 大阪弁を覚えて暴走するジェシカ。

 それに振り回される北斗。


 けれど彼らは、物語が進むにつれて、「笑うこと」の意味を体現する存在になっていきました。


 笑いは、悲劇を消しません。


 失われた命は戻りません。


 ですが、人間は、笑えなくなった時、本当に壊れてしまう。


 だからこそ、この作品では何度も「笑い」を描きました。


 病室で。

 避難生活の中で。

 国連の場で。

 そして、戦争の傷跡が残るウクライナでさえ。


 笑うという行為は、現実逃避ではありません。


「それでも人間として生きる」という、小さな抵抗なのだと思います。


 また、この作品では、「憎しみ」についても真正面から描きました。


 家族を傷つけられた人間が怒るのは当然です。


「なんで自分たちが」

「なぜ家族が巻き込まれなければならなかったのか」


 その怒りは、本物です。


 しかし同時に、この物語は問い続けます。


 その怒りを、“誰へ向けるのか”。


 テロを起こした人間を許してはいけない。

 それは当然です。


 けれど、その宗教、その国、その民族、その背景を持つ全員を「敵」としてしまった時、人はまた別の悲劇を生み出してしまう。


 一平たちは、その苦しさの中で、「対話」を選ぼうとしました。


 もちろん、対話だけですべてが解決するわけではありません。


 現実には、戦争も、テロも、侵略も、今なお世界中で続いています。


 ロシアによるウクライナ侵攻。

 イスラエルとパレスチナの衝突。

 ミャンマーでの弾圧。

 アフガニスタンの混乱。

 そして世界各地で繰り返される爆弾テロ。


 人類は、21世紀になってもなお、暴力を手放せていません。


 さらに今の世界には、核兵器や生物兵器、AI兵器など、“間違えれば文明そのものを壊しかねない力”すら存在しています。


 9.11では、民間航空機が兵器になりました。


 ならば、もし大量破壊兵器が過激思想と結びついたらどうなるのか。


 それは、この作品の後半で語られたように、「空そのものを失う未来」につながるかもしれません。


 だからこそ、この物語は単純な理想論では終わりません。


「対話だけで平和になる」

 そんな甘い話ではない。


 けれど。


 対話を捨てた時、残るのは“力”だけです。


 その世界を、私たちは本当に望むのか。


 それが、この作品の中心にある問いでした。


 そして最後に。


 この物語で最も描きたかったもの。


 それは、「つながり」です。


 国籍を超えて。

 宗教を超えて。

 言葉を超えて。


 時には大阪弁すら超えて。


 人は、誰かと笑い合うことができる。


 ジェシカの「なんでやねん」が、国連で笑いを生み。

 スヴィトリャーナたちが、戦争の中でも未来を信じようとした。


 あれは決して“ギャグ”だけのシーンではありません。


「人類はまだ終わっていない」


 という、ささやかな希望でした。


 この作品には、完全な答えはありません。


 むしろ、「問い」を残す物語です。


 なぜ人は争うのか。

 なぜ憎しみは連鎖するのか。

 どうすれば悲劇を繰り返さないのか。

 笑うことに、どんな意味があるのか。


 その問いを、見てくれた人それぞれが抱えてくれたなら、この物語には意味があったのだと思います。


 最後に。


 空は、本来、人を殺すためにあるものではありません。


 飛行機は、人と人をつなぐために飛ぶものです。


 言葉も、宗教も、国境も、本来は誰かを傷つけるためではなく、人間が生きるために生まれたものだったはずです。


 だからこそ。


 もしこの作品を見終えたあと、少しだけ空を見上げたくなったなら。


 誰かと話したくなったなら。


 あるいは、誰かを少しだけ理解しようと思えたなら。


 それが、この物語にとって、何よりの救いです。


 忘れない。


 でも、憎しみだけで覚えない。


 その願いを込めて。


 ――ありがとうございました。

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