永久の春の誓い、沈黙する極彩色の墓標
深い冬の終わりを告げる風が、公爵城の高く聳え立つ塔を優しく撫でて通り抜けていく。
北の地の冬は長く厳しかったはずなのに、私の胸の中は、公爵城に足を踏み入れたあの日からずっと、陽だまりのような暖かさに満たされていた。
「セレス、何をそんなに熱心に見つめているんだい?」
背後から伸びてきた力強い腕が、私の細い腰をすっぽりと抱え込む。
振り返らなくてもわかる。この世界で一番心地よい体温と、私を酔わせる上質な甘い香水の匂い。私は背中の温もりに深く体を預け、手にしていた一枚の羊皮紙をレオンハルト様に見せるように軽く掲げた。
「領地の大工や庭師の方々から届いた、春の庭園の改修計画書ですわ。私が『温室の外にも、少しだけお花を植えられたら素敵ですね』と呟いたのを、どなたかが覚えていてくださったみたいで……」
「そうか。……彼らはよく分かっている。君の望みを叶えることこそが、このフロスト公爵領における最優先事項だからね」
レオンハルト様は満足そうに目を細めると、私の首筋に深々と顔をうずめ、すりすりと鼻先を擦り付けてきた。
彼の銀色の髪が私の頬をくすぐり、思わず小さな笑い声が漏れる。
「レオン様、くすぐったいですわ」
「君が可愛すぎるのがいけないんだ。……セレス、少しこちらを向きなさい」
腰を抱く手にぐっと力が込められ、私は彼と向かい合う形に向き直させられた。
目の前には、世界中のどんな宝石よりも澄んだ、深い蒼の瞳。そこには、私という存在に対する果てしない情熱と、狂おしいほどの愛おしさが揺らめいている。
彼は私の下唇を指の腹でそっと撫でると、耐えかねたように深く、濃厚なキスを降らせてきた。
「ん……っ、レオン様……」
「セレス……俺の可愛いセレスティア。もうすぐ、春の訪れとともに俺たちの結婚式だ。君を名実ともに俺の妻とし、この城の、そして俺の生涯の唯一無二の支配者として迎え入れる。……待ちきれなくて、胸が引き裂かれそうだ」
切なげに眉をひそめる彼の頬に、私はそっと手を添えた。
かつて王都で『光の聖女』と呼ばれていた頃の私は、ただ国のために利用されるだけの道具だった。愛されることも、求められることもなく、すり減っていく命の灯火をただ静かに見つめるだけの毎日。
だが、この人が私を見つけ出し、抱き上げ、惜しみない愛を注いでくれた。
私の内側に眠っていた、本当の意味での『温もり』を教えてくれたのは、他でもないレオンハルト様だった。
「待ちきれないのは、私も同じですわ、レオン様。……私はもう、あなたのいない世界では生きていけませんもの」
「……ああ、セレス。俺の愛しい女神……!」
私の言葉に彼の瞳が歓喜で濡れ、再び力強く抱きしめられる。
呼吸すらままならないほどの強い抱擁。けれど、その苦しささえも愛おしい。
私は彼の背中にしっかりと腕を回し、この胸いっぱいの幸福感を噛み締めた。
この北の地で、私たちは永遠の愛を誓い合い、共に歩んでいく。
私の世界には、彼がいればそれだけで良かった。彼が差し出してくれる甘い愛の言葉と、惜しみない温もりさえあれば、過去の悲しみも傷跡も、すべては美しい思い出の欠片へと昇華されていくのだから。
◈◈
同時刻――太陽の国ソルシエール、かつて王都と呼ばれた場所。
そこには、もはや『音』が存在しなかった。
かつて白亜の美しさを誇った王城は、今や巨大な肉厚の蔓と、毒々しい極彩色の巨大花によって完全に覆い尽くされていた。
建物そのものが植物の消化液によって溶かされ、壁面からはドロリとした濃密な蜜が滝のように流れ落ちている。
むっとするような強烈な甘い香りが大気を満たし、風すらもその重苦しい空気の前に澱んでいた。
城の大広間――かつて豪奢な調度品が飾られていた場所には、果てしない沈黙が横たわっていた。
床一面に広がるのは、色鮮やかな花々と、そこに埋もれるようにして固まっている『それ』だ。
無数の貴族たち、近衛兵たち、侍女たち。
彼らはすでに、人間としての生命活動を完全に停止させていた。
肉体は崩壊し、蔓や茎が彼らの眼孔や口から侵入して骨組みと一体化している。しかし、彼らの顔に刻まれた表情は、一糸乱れぬ『歓喜の笑顔』のまま固定されていた。
頬の皮膚が破れ、顎の骨が露出しようとも、彼らは死の瞬間まで「世界一幸せだ」という完璧な錯覚の中にいたのだ。苦痛も、恐怖も、後悔も、何一つ知ることのないまま、彼らはただ極楽の夢を見て息絶えた。
玉座の前に置かれた豪奢な椅子の上には、王太子アレクシスの残骸があった。
彼の体は、すでに原型を留めていなかった。
頭部はリリアーナの膝の上に置かれたまま、肉の大部分が削げ落ち、真っ白な頭蓋骨が剥き出しになっている。
だが、その眼の落ちくぼんだ穴の奥には、リリアーナの放つ強力な精神魔術の残光が、未だにぼんやりと灯っていた。
彼には、聞こえていた。
彼自身の脳内でリフレインし続ける、甘美な歓声と万歳の嵐が。
『アレクシス様! 至高の皇帝陛下!』
『あなた様こそが世界の覇者だ!』
『役立たずの元聖女を捨て、真の幸福を手に入れた偉大なるお方!』
ああ、素晴らしい。
アレクシスの壊れた意識の中で、彼は世界で最も愛され、最も讃えられる最高の皇帝として君臨していた。
あの陰気で地味なセレスを追い出した自分の判断は、正しかったのだ。
あんな女がいなくなったからこそ、自分はこの世のすべての栄華と、美しき聖女リリアーナの愛を手に入れることができたのだ。
セレスは今頃、寒さに震えながら、自分の愚かさを嘆き、自分に捨てられた絶望の中で惨めに死んだに違いない。
(私は勝ったのだ……セレス……お前になど……何一つ負けていない……私は……幸福の頂点に……)
最後の思考が、カチリと音を立てて途切れた。
頭蓋骨の奥で灯っていた妖しい光が静かに消え去り、彼の形をした肉塊は、足元から伸びてきた巨大な花の茎によって優しく包み込まれ、永遠の闇の中へと引きずり込まれていった。
聖壇の上に座る新聖女――古の魔女リリアーナは、完全に物言わぬ置物と化したアレクシスの頭蓋骨を撫でながら、満足そうにクスクスと笑った。
「ふふっ……ごちそうさまでした、アレクシス様。皆様。……とっても甘くて、美味しい感情でしたわ」
この国の人間すべての生命力と感情を喰らい尽くした魔女は、大きくあくびをした。
この国はもう終わりだ。食べるものは何一つ残っていない。
だが、彼女には満足感があった。この愚かで愛おしい人間たちは、最後まで自分を聖女と信じ、最高の幸せの中で死んでいってくれたのだから。
リリアーナはゆっくりと立ち上がると、伸びをし、やがてその体を巨大な花の蕾の中へと潜ませた。
彼女は次の獲物が現れるまで、あるいは数百年後の覚醒の時まで、この爛れた楽園の廃墟の中で永い眠りにつくのだ。
風が吹き、腐敗した極彩色の花弁がパラパラと舞い落ちる。
かつて太陽の国と呼ばれたソルシエール王国は、生きている者が誰一人として存在しない、静まり返った巨大な毒の花園――極彩色の墓標へと変貌を遂げた。
この国が滅びたという事実すら、外の世界に伝わることはない。
厳重に閉ざされた国境線と、忍び寄る魔女の結界によって、この廃墟は世界から完全に切り離され、ただ静かに忘れ去られていくのだった。
◈◈◈
季節は巡り、北の地には柔らかな春の光が降り注いでいた。
極寒の冬を乗り越えたフロスト公爵領の庭園には、青々と茂る芝生と、色鮮やかな春の花々が咲き乱れている。
王都の毒々しい花々とは違う。太陽の光を浴びて健やかに育った、生命力と優しい香りに満ちた本物の花々だ。
「セレス、風が少し冷たくなってきた。羽織りなさい」
後ろからそっと肩に掛けられたのは、柔らかいカシミアのショール。
私は微笑みながら振り返り、私の夫となったレオンハルト様の胸へと飛び込んだ。
「ありがとうございます、レオン様。……でも、大丈夫ですわ。あなたと一緒にいると、いつでも春のように暖かいのですから」
「ふ……言うようになったな、俺の可愛い妻は」
レオンハルト様は愛おしそうに目を細めると、私の額に優しく唇を寄せた。
指に輝く、おそろいの結婚指輪。
私たちの式は、領民たちの心からの祝福に包まれた、温かく素晴らしいものだった。私の銀髪には、彼が自ら摘んできてくれた白い春の花で作った花冠が飾られ、私は世界で一番幸せな花嫁となったのだ。
「レオン様。……実は、あなたにお伝えしたいことがございますの」
「ん? なんだい?」
私は彼の大きくて温かい手を取り、そっと自分のまだ平らなお腹の上へと導いた。
レオンハルト様が一瞬、きょとんとした顔をする。
そして、私の指先から伝わる小さな小さな生命の脈動と、私の幸福に満ちた笑顔の意味を理解した瞬間、彼の蒼い瞳が大きく見開かれた。
「セレス……それ、は……」
「私と、レオン様の……大切な赤ちゃんですわ。今朝、お医者様に確かめていただきましたの」
静寂が庭園を包み込んだ。
あの冷酷無比と恐れられた『氷の公爵』が、信じられないものを見るような目で見つめた後、ポロポロと大きな涙をその瞳からこぼし始めたのだ。
「レオン様……? お嫌でしたか……?」
「違う……! 違うんだ、セレス……! 嬉しいんだ……俺の人生に、こんな奇跡が許されるなんて……!」
彼は膝をつき、私の抱くお腹に優しく額を押し当てると、子供のように声を上げて泣いた。
私を愛し、私を守り抜いてくれた愛しい人。
私は愛おしさで胸がいっぱいになり、彼の銀髪を優しく撫でながら、その頭をしっかりと抱きしめた。
「奇跡ではありませんわ。これは、レオン様が私にくれた、たくさんの愛が実を結んだ結果です」
「ああ……愛している、セレス。君と、この子を……俺の命のすべてをかけて愛し、守り抜くと誓う……!」
彼は立ち上がると、私を壊れ物のように大切に抱き上げ、くるりと一回転した。
眩しい太陽の光が、私たちの頭上に降り注ぐ。
空はどこまでも青く澄み渡り、心地よい春風が私たちの髪を揺らしていた。
私を追放した過去の国がどうなったのか、私を捨てた人々がどんな運命を辿ったのか、私は最後まで知ることはなかった。思い出すことすらもなく、彼らは私の人生から完全に消え去った。
私にあるのは、目の前で私を愛おしそうに見つめるこの人と、新しく宿った小さな命、そしてこの温かな北の地だけ。
私の愛する白銀の箱庭は、いま、輝かしい永遠の春を迎えたのだ。
私たちは深く重なり合う口づけを交わしながら、満ち足りた幸福の中で、これから始まる未来へ向かって優しく微笑み合った。




