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第三十四話 こんなのばっかり!

 十月上旬。秋風が気持ちのいい季節。

 いよいよ秋が深まるこの季節が瑞希(みずき)は好きだ。今日もいい日になりそうだ。

 朝食を作ろうと、瑞希がフライパンをコンロの下の収納棚から取り出したその時。


「おはよう」


 (みやび)が囁いて耳を()んだ。


「ひゃぁうっ!」


 心臓が一拍すっ飛んだ。思わずフライパンを取り落とす。

 雅はフライパンを空中でキャッチすると、瑞希の腰を引き寄せた。

 フライパンを置いて瑞希の顎に手を当て、キスをする。

 雅は優しいキスを重ねた。


「み、みや……」


 嬉しいけど心臓が爆発しそうだ。


 瑞希は雅の名前を呼んで一旦止めてもらおうとした。

 だが雅は止まるどころか瑞希の唇を覆うように口で塞いだ。下唇が舐められる。

 瑞希はくすぐったさとゾクゾクを感じた。バクバクとうるさい程の心臓の音が耳元まで響く。


 雅にも聞こえてるんじゃないか。


「むーっ!うーーっ!!」


 雅は何度も瑞希の口を口で塞いだ。瑞希は雅の胸を押してちょっと抵抗した。雅は瑞希の腰を抱えて離さない。瑞希はくらくらし始めた。

 雅は反対の手で瑞希の首筋から後ろ頭、耳の後ろを優しく撫でた。続いて耳を触られて瑞希は一段とゾクゾクしてヘナヘナと力が抜けた。

 最後にまた優しいキスをして雅はくてんくてんの瑞希を抱えた。満足そうにちょっと口角を上げる。


 また今日も()()られた。


 ちょっと前、瑞希が仕掛けて以降、雅はこういった不意打ちを食らわせてくるようになった。起きる時間まで早めて。

 瑞希が耳が弱いことが最近発覚して更に加速した気がする。


「み、みや……び……ふいうち、は……なしですよ」


 瑞希がふにゃふにゃのまま上目遣いでちょっと睨むと雅は鼻で笑った。


「先に不意打ちしようとしたのは誰だ」


 そう言われて瑞希はちょっと怯んだ。


 雅は案外根にもつタイプなのかもしれない。


 瑞希がきちんと自分の力で立てるようになって、雅はようやく瑞希を離した。頭を撫でて額にキスする。


「今日もいい朝だな」


 そう言って鼻歌で水○黄門の主題歌を歌いながら台所を出て行った。


 雅の歌の趣味はちょっとおじいちゃんっぽい。


 瑞希の心臓は鳴りっぱなしだった。




 雅が仕事に行った後、瑞希はゆっくりコジローの散歩に出た。

 コジローは今や立派な豆柴だ。心なしか表情もキリッとしたように思える。相変わらず頭の天辺はハゲたみたいに白いけど。

 そして変わらず人間の言うことが分かるかのようにお利口さんだ。

 コジローは草を踏みしめる感覚、川の流れる音、水の匂い、秋の風を感じているのだろうか。

 時折落ちてくる木の葉を追ったり、河川敷で丸くなった猫を見つけて(じゃ)れ付きに行ったり、スズメを追って走ったり、忙しない。

 嬉しそうにあちこちを跳ね回る。

 見ているこっちまで楽しくなるはしゃぎっぷりだ。

 と、その時。ポツと瑞希の鼻に雫が当たった。雨だ。コジローも顔を上げる。

 ついさっきまで明るかった空がみるみる曇っていった。

 ドザアッと雨が降り始めた。


「わーっ!大変!コジロー!帰ろ!」


 雨に濡れた瑞希の髪が僅かに明るく青みを帯びた。

 コジローは耳を下げて目を細くしている。

 のたのたと遅い、瑞希の脚に合わせてコジローはゆっくり走ってくれたけど、それでも瑞希はつんのめってズベリと転けた。




 びしょ濡れの泥だらけになった瑞希とコジローを流衣(るい)が出迎えた。


「お帰りなさいませ。間に合わなかったようで……災難でしたね」


「ただいまです。突然こんなに降るなんてびっくりしちゃいました」


 流衣に渡されたタオルでとりあえず体を拭きながら瑞希は言った。コジローがブルルンと体を振って水気を飛ばして瑞希を更にびしょ濡れにした。


「コジロー……」


 瑞希がちょっとコジローを恨めしそうに見ると、コジローはヒュッと耳を寝かせて目を逸らした。


「こんなに濡れてしまっては体が冷えますね。

 お風呂を沸かししますので入ってはいかがですか?」


 流衣がぽんと両手を合わせた。


「いいんですか?」


 瑞希は訊いた。午前中からお風呂に入るなんて、ちょっと贅沢だ。


「たまにはいいでしょう。コジローもそろそろ洗わないとですし。一緒に入っちゃってください。

 瑞希さんがいつも頑張っているご褒美、とでも思ってください」


 流衣は微笑んで瑞希の背中を押してお風呂へ誘った。




 ワシワシと洗ってコジロー専用の桶にお湯を入れてやる。コジローは喜び勇んで桶に飛び込んだ。

 瑞希がまたびしょ濡れになる。桶のお湯は半分ほどに減った。


「コジローはほんとにお風呂大好きだね」


 桶にお湯を足してやりながら瑞希がそう言うとコジローはうっとりと目を細めた。

 瑞希は一度脱衣所に出て濡れそぼった服と下着を脱いで浴室に戻った。

 シャンプーで髪を洗い、流して、タオルで巻き込む。続いてボディーソープで丁寧に体を洗った。

 しっかり流してお湯に浸かる。


「ふわぁ〜」


 気の抜けた声が思わず漏れた。瑞希は水の中が好きだ。

 人魚になる前、幼い頃から。小中の水泳の授業ではいつも一等だった。

 それとはまた別にお風呂も大好きだ。水特有のさらさらとした滑らかな感触の、温かいお湯は格別の気持ちよさだ。

 お湯の中に脚を伸ばして肩までしっかり浸かる。

 ふと、自分の体を見下ろした。鍛えても鍛えても(ろく)に筋肉の付かないぷにぷにの脚と腕、薄いお腹、ちょっと控えめな胸。

 前よりは確実に食べられるようになったのに、全然体重も、体の肉も増えない。

 叶芽のようなメリハリボディには程遠い。


 雅もひょっとしたら物足りなく感じるかもしれない。


 と言う考えに思い至たって瑞希は顔に火がついたように赤くなった。


「ねぇ、コジローどう思う?」


 瑞希は自分の腕をぷにぷにしながら訊いてみた。

 コジローはチラリとこちらをみるもフスッと鼻を鳴らしてまたうっとりとお湯を楽しみ始めた。


 むむ……。


 浴槽から体を乗り出し、コジローの顔をムニッと両手で挟んでこっちに向けた。


「コジロー。私の体って雅はどう思うかな?」


 コジローは困ったようにまろまゆを下げてクーンと鼻を鳴らした。




 お風呂から出て、自分の髪とコジローをの水気を飛ばして乾かして、服に着替えた。

 コジローの耳の中と肉球をよーく拭いてやる。


「はい。おしまい」


 開放してあげると一目散に飛んでいった。


「流衣お風呂ありがとうございました」


 瑞希が台所を覗くと流衣は昼食の下拵(したごしら)えをしながら微笑んだ。


「どういたしまして。気持ちよかったですか?」


「はい!とっても!」


 瑞希もにっこり微笑んだ。

 ちょっと早いお昼を三人で食べた後、瑞希は出かける支度をした。


「どこかへお出かけですか?」


 流衣が問うと瑞希は頷いた。


「ちょっと銀行に記帳しに行ってきます」


 前回のお給料日から何日も経っているのに、すっかり忘れていたのだ。

 玄関まで、流衣が見送りに出てくれる。


「気を付けて行ってらっしゃいませ」


「はい!行って来ます!」


 瑞希は元気よく返事して家を出た。紺色の生地の端に白い小花が散ったデザインの傘を差して、レインブーツで滑らないように歩いて行く。

 瑞希は雨の日も嫌いではない。


 雨が傘に当たる音、雨の匂い、細かな雨が砕けてできるひんやりとした空気。

 水の中にいるみたいで気持ちいい。


 小さい頃は夏の日の雨の中に飛び出して、びしょ濡れになるのが好きだったくらいだ。

 のんびり歩いて一時間くらいかけて銀行に着いた。

 ATMに並ぶ人々の最後列に付く。

 前の人が終わり、列が一つ進んだその時。

 入り口からどやどやと人が入ってきた。目出し帽を被っている。


 ……え?


 目出し帽を被った男が一番近くにいた瑞希の腕を掴んで引き寄せた。


「動くなぁ!!!!」


 男達が叫び、瑞希の頭に何かが突きつけられた。目出し帽の男達は皆銃を構えていた。

 周囲から悲鳴が上がる。


「静かにしろお!!!」


 ガアンっと大きな音を立てて男の一人が銃を発砲した。

 銀行員に詰め寄る。

 瑞希は引き摺られて行った。瑞希は男の腕に手をかけて抵抗した。びくともしない。


 首が絞まって苦しい。


「お前ら……指の一本でも動かしてみろ。

 こいつの頭が吹き飛ぶぞ!!!」


 瑞希の頭がやっと事態に追いついた。


 銀行強盗だ。初めて見た。というか遭った。


 瑞希は銀行強盗のことを今時流行らない、それこそファンタジーの世界の生き物のように思っていた。


 しかも銃とは。


 瑞希の頭に銃がぐりぐりと押し付けられる。


 地味に痛い。


 瑞希は強盗を振り向いて睨んだ。強盗の目はこちらを見ていない。


「皆んなまとめてこっち来い!!!」


 男が喚く。皆んな恐怖で固まって動かない。


「早くだ!!!!!」


 また一人が銃を発砲した。短い悲鳴が上がり、客らが集められる。男が三人。抜かりなく銃を構えながら窓口の中に入る。


「お前らもあっちに行け!!ちょっとでも変な真似をしたら撃つ!!!」


 男達に見張られながら行員がゾロゾロと出てきた。




 銀行員と客が一箇所に纏められてそれぞれがガムテープで拘束された。

 瑞希以外の客たちのカバンが回収される。


「これで全部か」


 男達の中のリーダーのような一人が言った。


「後は金庫だ!!!」


 強盗の中で一際興奮した男が叫んだ。


「金庫を開けられるやつは誰だ」


 リーダーが行員達に問いかける。行員は黙っている。


「誰だと言っている!!こいつの頭が吹き飛ぶぞ!!!」


 興奮した男が瑞希の眉間に銃を突きつけた。


「わ、私です!」


 行員の一人が叫ぶように言った。


「よし、行ってこい」


 リーダーが指示して、男が二人、大きなカバンを持って女性行員を連れて奥に行った。


 あの女性行員は大丈夫だろうか。


 瑞希は心配になった。


「車は」


「後ろに回してある」


「携帯端末の電源は」


「全部切った」


 目出し帽の男達が囁き合う。

 間も無く女性行員とパンパンになったカバンを持った男達が戻っていきた。


「いいか。全員動くなよ。

 俺達は今からここを出る。この女を連れてな」


 リーダーが瑞希の額に銃を突きつけた。

 客や行員の何人かが痛ましそうに瑞希を見上げる。


「三時間だ。三時間経ったらこいつを開放する。

 それまでどこにも連絡をするな。

 もし、警察にでも追いかけられてみろ……」


 リーダーが瑞希の眉間に銃を押し付けた。


「こいつの命はないと思え」


 リーダーの冷徹(れいてつ)な声に皆んなが震えた。

 瑞希が引き摺られて裏口へ連れて行かれる。瑞希は自分を抱える男の腕に(かじ)り付いた。が、男が着ていたダウンジャケットが分厚くて意味をなさなかった。


「離して!」


 瑞希は脚を踏ん張ってなんとか抵抗しようとした。


「うるせえ!!!黙れ!!!」


 興奮した男が瑞希の頭に銃のグリップを振り下ろした。

 激しい痛みと衝撃で目の前がちかちかなる。額が切れたのか血が流れて目に入った。


 最近こんなのばっかり!


 瑞希は段々腹が立ってきた。

 裏口から外へ出ると大きなバンが停まっていた。瑞希はその中に放り込まれた。男達が次々と乗り込んでドアが閉められる。

 バンは急発進した。座席が取り払われた車内で瑞希はひっくり返った。

 立ち上がってトランクから出ようと、駆け寄った所で取り押さえられた。後ろ手にガムテープが巻かれる。


「大人しくしろ」


 リーダーが銃を突きつけた。瑞希は強盗達を睨んだ。


「そちらこそ!大人しく警察に出頭したらどうですか?」


 するとリーダーが肩を震わせて笑った。


「その必要はない。お前も、大人しくしていたら山にでも捨てて帰してやるさ」


 強盗達がチラリ、チラリと瑞希の体に目を走らせた。叶芽(かなめ)の講義を受けた今、瑞希にはその意味が分かる。

 瑞希はカアッと頭に血が上った。


「どうせ無事に帰す気なんてないくせに!!!」


 瑞希が叫ぶと強盗達はニヤニヤと笑った。


「無事さ。命があるんだ。それさえあれば無事って言うんじゃないか?」


 リーダーの言葉に瑞希は頭にきた。


「いいですか?このまま警察署へ行って出頭するならよし。さもないと……」


 強盗達は爆笑した。


「そう言われて出頭する奴がどこにいる!」


 リーダーも肩を震わせている。


「おい!!!もういいだろ!!!やっちまおうぜ!!!」


 興奮した男が更に息を荒げながらそう言った。


「ただじゃ置きませんよ!!!」


 瑞希は怒りで顔を真っ赤にした。

 この強盗達は瑞希をただの無力な女子として冒涜しようとしている。


 だが残念。外は雨。


「どうする?叫んでみるか?そっちの方が楽しめそうだ。やってみろ」


「叫びません。こうするだけです」


 ここは瑞希の独壇場だ。


 次の瞬間車の窓を、ボディの鉄板を、水の弾丸が突き抜けた。

 弾丸は狙い通りに強盗達を蹂躙した。


「グワァッ!!!」


「な、なんだ!?」


「い、いてえええ!!!」


 強盗達が口々に叫ぶ。


「な、何をした!!!」


 リーダーが瑞希に銃を向けた。


「なぁんにも?」


 瑞希は妖艶に微笑んだ。


 リーダーの手首を一際大きな水の弾が撃ち抜いた。


「うっぐ!!!」


 リーダーが銃を取り落とす。瑞希は運転手の肩と脚を撃ち抜いた。


「ぎゃぁあ!!!」


 運転手が悶え、車の制御が大きく乱れた。どこかに乗り上げて横転する。瑞希はしこたま頭を窓にぶつけた。

 先程の傷が開いたのか、目にどっと血が流れ込んで滲みた。

 強盗達が痛みに呻く中、瑞希は後ろに回された手を体を潜らせて前に持ってきた。運動音痴の瑞希でも体だけは柔らかいのだ。

 自分のカバンを手に取り、携帯端末を取り出してかけた。


『はい蛇元です』


「もしもし叶芽さん?瑞希です。ちょっと銀行強盗に巻き込まれて……」


 瑞希は事情を説明して、叶芽によって派遣されたエリカ達の魔法に初めてお世話になった。




 定時になると雅がすっ飛んで帰ってきた。

 叶芽は時間になるまで瑞希のことを教えなかったらしい。


「あ、お帰りなさい」


 瑞希の頭の傷はエリカの魔法で綺麗さっぱり治った。雅は瑞希を掻き(いだ)いた。


「強盗に遭ったのか」


「はい。でも無事に撃退しました」


「怪我を……」


 雅は体を離すと温かい両手で瑞希の頬を包んだ。


「ちょっとだけ」


 瑞希は雅の大きな金色の瞳を見ながら答えた。


「怖かったのか」


「ちょっぴり。でもそれより腹が立ちました」


 瑞希はふんすと鼻を鳴らした。


「心配した。もし、今日が雨でなければ……」


 そこで瑞希は初めて今日が雨でなかった場合を考えた。


 ゾッとする。


 雅は頬から手を離すとギュッと瑞希を抱き締めた。瑞希も雅を抱き返した。


「次からは瓶を最初から、人目を気にせず使え。トランクから飛び降りようとするより先に」


 瑞希はそのことをすっかり忘れていた。


「はい」


 瑞希が素直に返事すると、雅はそっと体を離した。お互いの顔を見つめ合う。

 雅は瑞希の頬に手を当て、そっと耳まで撫で上げた。瑞希がゾクリと身を震わせた。雅は屈み込み瑞希にキスをした。


「み、みや」


 雅は瑞希の唇を塞いだ。瑞希が雅の肩を叩く。雅は構わずキスを続けた。


「みや、んむ!」


「みやび」


「んむ!る」


 離れる度に瑞希が何かを言おうとするが、雅は瑞希の後ろ頭を抱え込んで構わず何度も口付けした。唇で覆って下唇を舐める。そのまま頬を舐めて耳を食んだ。


「きゃぅっ!み、雅!雅!」


 雅が更に耳を責めようとすると、瑞希がひっくり返った声を出してバンバン肩を叩いた。


「流衣が!流衣が見てます!!!」


 瞬間、雅の時が止まった。

 流衣は片手で上品に口を隠してガン見していた。


「い、いつから……」


 雅の時が動き出し、狼狽えた。


「最初から!!最初からずっといましたよ!!もうっ!!!」


 瑞希は恥ずかしさで涙目になりながら雅を責めた。

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