第三十三話 大蛇の夫婦喧嘩
九月下旬。夏の名残が少なくなっていよいよ秋が始まりそうな朝のこと。
出勤してコーヒーを配り終えると課長に呼ばれた。
「依頼案件で他のやつが担当していたんだが、どうにも上手く纏まらなくてな。
女性の手が欲しいそうだ。行ってくれるか」
「はい。どんな内容ですか?」
瑞希が尋ねると
「夫婦喧嘩だ」
課長が額を揉みながら答えた。
「はい?」
瑞希は思わず訊き返した。
迎えに来た海の運転で現場へ向かう。
「ごめんね。
僕が担当していたんだけど、奥さんの気持ちに寄り添ってあげられる、君の助けがちょっと欲しかったんだ」
瑞希は首を振った。
「詳しい内容はお客様本人から直接お話ししたいらしいんだ。
今回のお客様は大蛇だよ。平気かい?」
「はい。全然平気です」
瑞希のおばあちゃんはよく毒蛇を素手で捕まえていた。だから見慣れている。
「す、すごいね。
なんていうか君のおばあちゃんのイメージが少し変わったよ」
そのことを瑞希が話すと海は少し引いたようだ。
「シュバって目にも止まらぬ速さで捕まえてました」
「つ、捕まえた蛇はどうしていたの?」
海が訊くと
「お酒に漬けてハミ酒にしてました」
瑞希はさらっと答えた。
「……それ、今回のお客様の前では絶対言わないでね」
「もちろんです!」
瑞希にだってそれくらいの心得はある。
瑞希はふんすと鼻を鳴らした。
現場は山奥の大きな神社らしい。名前は巳水神社。涼しさを感じる木陰の参道を歩きながら瑞希は背伸びした。
「なんだか気持ちのいいところですね」
「今回のお客様は神様の一種だからね。お清めされてるんだよ」
「お清め?」
瑞希は首を傾げた。
「この土地の悪い気を払うんだよ」
瑞希は以前雅が浄化師について話していたことを思い出した。
「ここはちょっと特殊な地でね。詳しい話はお客様から聴こう」
神社の階段を上り切ると端正な顔つきの狩衣姿の男性が立っていた。
「お待ちしていた。私は巳水。どうぞよろしく頼む」
巳水はそう言って瑞希達を社務所に案内した。
「少々姿を戻してもいいだろうか。この姿は窮屈でな」
瑞希達は頷いた。
すると巳水の首がググッと天井近くまで伸びた。体の太さが人の三倍程になる。狩衣は溶けるように消えた。
瑞希の目の前に真っ白な体に赤い目の大蛇が現れた。
「よく来てくれた」
巳水は数段低くなった声で瑞希を歓迎した。
「ネクストドアネイバース、サポート課。魚住瑞希と申します。よろしくお願いします」
瑞希は名刺を差し出した。
巳水は尻尾で名刺を受け取った。
「お話をお伺いしてもいいですか?」
瑞希が問うと巳水は頷いた。
「私はこの地の神だ。この地は少々特殊でな。清浄な空気を持つ傍ら、時に邪鬼というものが出るのだ」
「邪鬼?」
瑞希は首を傾げた。
「そうだ。悪い気をはらみ、人に取り憑けば病を、地に取り憑けば瘴気を呼ぶ小鬼だ」
「怖いですね……」
瑞希が呟くと巳水はまた頷いた。
「私達はこの地に湧くそれらを定期的に祓うのだ」
「達ってことは……」
巳水はまた一つ頷くと優しい顔つきになった。
「我が妻だ」
「奥様にも邪鬼を祓う力があるんですか?」
瑞希が問うと巳水は悲しげな顔つきになった。
「ある。我が妻には共に生きる証として私の力を渡しているから。
だが私は心配でならぬのだ。
我が妻は一度邪鬼に傷を負わされた。危うく命を落とすところだった。
私は妻を亡くすのが怖い。それで妻から邪鬼を祓う力だけを無くそうとした」
瑞希はその先が読めた気がした。
「それがバレて我が妻は激昂した。
初めて私に怒鳴り、激怒して、実家に帰ってしまったのだ。
今回お願いしたいのは妻の説得。
なんとか邪鬼を祓う力を返してここに戻って来てもらえないか、のな」
巳水は悲しげに瑞希を見つめた。
神社から離れた住宅街の一軒家の前に瑞希達は立った。
インターフォンを押す。
ピンポーンという音の後しばらくして、
『はい。どちら様ですか』
堅い女性の声がした。
「こんにちは!私はネクストドアネイバースの……」
『お帰りください』
とブチッとインターフォンの音が途切れた。海が肩を竦めた。
「僕が最初に少し話してからずっとこうなんだ」
「どうやってお話ししたんですか?」
瑞希は訊いた。
「どうって……巳水さんがとても心配しているということと、戻ってきて欲しいって言ってることと、祓う力を無くして一緒にいたがってることを伝えて、と……。
奥さんの心は戻りたいのに戻れない。そんな感じなんだけど……」
海は指折り数えた。瑞希は奥さんの事情が読めた気がした。
「分かりました。海さんはちょっと車で待っててください」
「うん。分かった。よろしくね」
そう言って海は車へ帰っていった。
瑞希は深呼吸するともう一度インターフォンを押した。
『はい』
「私!魚住瑞希って言います!」
『お帰りください』
ブチッとインターフォンが切れた。
瑞希は更にもう一度押す。
『なんですか?お帰りください』
女性の声に苛立ちが覗いた。インターフォンが切れる。
瑞希はめげずに更に押した。
『いい加減にしてくださ……!!!』
「私!お話しに来ました!説得では無く!!!」
瑞希は女性の声を遮って
「巳水さんの奥さんですよね?私はあなたを説得しに来たんじゃないんです!!」
と捲し立てた。女性はインターフォンを切らずに聞いている。
「巳水さんの依頼は確かにあなたの説得でしたが、私はそれはおかしいと思うんです。
少しでいいのでお話しできませんか?」
『……少々お待ちください』
女性は少し間を置いて応えた。
ガチャリと鍵が開く音がして、ドアが開いた。
そこに立っていたのは綺麗な女性だった。目元に大きな傷跡がある。
「どうぞ」
女性は瑞希を中へ誘った。
「お待たせしました」
そう言って女性は瑞希にコーヒーとミルク、シュガースティックを出した。
瑞希はコーヒーにミルクとシュガースティックを一本入れるといただいた。
「お話しってなんですか」
女性の表情と声はまだ堅い。
「巳水さんの奥さんで合ってますか?」
瑞希が問うと女性改め奥さんは頷いた。
「あのですね。端的に言うと巳水さんを一緒に説得しませんか?」
奥さんは目を見開いた。
「どう言う意味ですか?」
「今回、奥さんが怒ってらっしゃるのって巳水さんが勝手に力を剥奪しようとしたからだけじゃないですよね?
もしかしなくても奥さんは巳水さんと一緒に戦いたいんじゃないんですか?」
瑞希の言葉に奥さんは更に目を見開いた。
「と、言うのもですね。
実は私も以前同じような経験をしたんです。
サポート課へ移動して来た時、戦いの場に立つ私を心配する余り、恋人が何日もほとんど口を聞いてくれなくなりました」
コーヒーカップに目を落とす。
「それまで私が守られる存在だったと言うのも大きいんですが、守る力を、戦う術を手に入れて、それを見てもらって一緒に戦いたいと伝えたんです。お互い守り合いたいって。
そして分かってもらえました」
瑞希はカップの縁をなぞった。
「その時恋人が言ってたことなんですけど、「これは俺の問題だ」って。「頭を過るんだ。お前が傷つく姿が」って言ってたんです。
巳水さんは奥さんが傷つく姿を見てしまった。
そして奥さんを大切に思うあまりに、亡くすことが怖くて、戦いから遠ざけることによって守ろうとしている。
それって巳水さんの問題じゃないですか。
奥さんのお気持ちはどうなんでしょうか?」
瑞希は目を上げた。
「わ、私は……はい。これまでずっとずっと一緒に戦ってきたんです。
一度の怪我で力を剥奪して戦線を下ろそうなんてあんまりじゃないですか?」
奥さんは唇を震わせた。
「そうですよね。
一緒に積み上げてきたものがあるんですもの。それを取り上げられるなんて辛いですよね」
「そうなんです!私だってまだ戦える。
一緒に戦いたいのです!」
瑞希の相槌に奥さんは勢いづいた。
「一緒に戦うことは奥さんにとって、もっと特別な意味もあるんじゃないです?」
「そうです!私にとって、あの人の力を受けて一緒に戦うことには意味があるんです!!
それを聞きもせずに寝ている間に取り上げようとするなんて!!!
あんまりじゃないですか!?」
瑞希の問いに奥さんは大きく頷いた。
「なら、それを巳水さんに伝えましょう。
お互いに落ち着いて、一緒にお話ししましょう。
奥さんにとって大事なことを巳水さんに伝えるんです!」
瑞希はカップを置くとテーブルに身を乗り出して、奥さんの手を取った。
「まず私の方から、巳水さんにお話を聞いてもらえるようにお伝えします。
一緒にお話しをしに行きましょう」
奥さんは頷いた。
翌日。奥さんを連れて瑞希達は神社へ向かった。巳水には昨日話してある。
巳水は奥さんが一時的にでも帰って来てくれるだけでとても嬉しそうだった。話を聴くことも快諾した。
参道を通って階段を登ると大蛇の姿の巳水が待っていた。
奥さんが鳥居を潜った瞬間、尻尾で掬い上げ、背に乗せて頬擦りをした。
「もう、戻ってきてもらえないかと思った……」
奥さんの目も潤む。
「大事なお話があって戻って来ました」
奥さんは巳水と視線を合わせた。
「私が傷つく姿を見て、それを心配するあなたの気持ちはよく分かります。
私もあなたを失うのが怖いですから……」
そっと巳水の頬に手を当てる。
「でも、私にとってあなたと共に祓うと言う行為はそれ以上の意味があるんです。夫婦でずっと共に戦ってきた。
あなたと共に築いてきた大切な絆の証なんです。
あなたの力であなたと共に、あなたが大好きなこの地を守れる。
それは私の誇りであり、これ以上ない程の幸せなんです。
それを取り上げないで……。
私もあなたの大好きなこの地を一緒に守りたい」
奥さんは巳水に口付けした。
「いつも一緒に、お互い守り合う。
そんな戦い方ではダメでしょうか?」
巳水は尻尾で奥さんの頬を優しく撫でた。
「よく分かったよ。
君の気持ちも考えず、取り上げようとして悪かった。本当にすまない。
私の独りよがりだった」
ちろりと長い舌で奥さんの首を舐める。
「私は君を失うのが怖い。
だけどそれは私の問題で、君に押し付けるべきものじゃなかった。
君は戦いたいんだね?」
巳水は奥さんの目を覗き込んだ。
「はい。あなたとこれからも共に戦いたいです」
奥さんは頷いた。
「分かった。一緒に戦おう。
いつも一緒に。お互い守り合って」
奥さんと巳水は熱い口付けを交わした。
瑞希と海は目を逸らして木から覗く空を見ていた。
巳水と奥さんに夫婦仲良く、並んで見送られた後、瑞希と海は車で帰路に着いた。
「昨日、奥さんとずいぶん話し込んでたみたいだけど他にどんな話をしたの?」
そう、昨日あの後奥さんとは何時間も話し込んでしまい、海は待ちくたびれて車の中で溶けていたホドだったのだ。
海の言葉に瑞希は少し赤くなった。
「奥さんと巳水さんの思い出や馴れ初めを聞いたりしてました。恋バナと言うやつです」
瑞希の答えを聞いて海は微笑んだ。
「馴れ初め、かぁ……僕にもそんな時代があったなぁ……」
海は初めて自身の配偶者のことを口にした。
「海さんの……奥さんのことを聴いてもいいですか?」
瑞希が恐る恐る訊くと
「うん。いいよ」
海は快諾した。
「僕と彼女はね、イングランド、イギリスの街中で出会ったんだ」
海は静かに語り出した。
「僕はその頃、歌で旅するミュージシャンになることを夢見て、弾き語りしながら世界を旅していたんだ」
海は前を見つめながら続ける。
「僕が日本に帰る前に立ち寄った、イギリスのとある街で弾き語りしていた時。
足を止めて聴いてくれていたひとの中に彼女がいた。
観客は沢山居たのに、不思議と彼女が目に入ったんだ。
彼女は僕が引き終えると目一杯拍手してくれた。
僕達が出会ったあの日の君みたいにね」
海はくすりと笑った。
「しばらく僕はその街で弾き語りした。
彼女は僕が場所を変えても、毎回その場に現れて、必ず一番最後まで残って聴いていたんだ。
それである日僕は彼女に向けた歌を歌った」
瑞希は海の美しい歌声を思い出しながら話を聴いていた。
「僕の歌に彼女は最初気づいていなかった。だけど、次第に彼女へ向けた歌だって気付いて、歌い終わった僕にようやく話しかけてくれたんだ」
海の目は優しい。
「「今までの人生の中で一番心に響く歌だった」ってね。「あなたの歌声は世界の財産だわ」なんて言ってたな」
赤信号で止まって海はギターケースに目を走らせた。
このアコースティックギターはその時のものなのだろうか。
「そこから僕達の交際がスタートした。
僕が日本に帰るときも、彼女は着いて来てくれた。
両親にも紹介して、僕の家で一緒に過ごした。僕は十八になって母に人魚の掟を教わった。彼女には秘密にしていた。
だけどある日突然僕の能力が発現した。髪の色が変わって脚に鱗が生えた僕の姿を彼女に見られてしまったんだ。
彼女は狼狽える僕を他所に明るい声で笑った。
「どんな姿であろうとあなたはあなたであることには変わりないじゃない!」って。
僕はその場で彼女にプロポーズした。彼女は二つ返事で快諾してくれたよ」
信号が青に変わって車を発信させて海は嬉しそうに微笑んだ。
「それから間も無く、僕は両親を亡くした。親戚もいない僕は途方にくれた。
彼女は落ち込む僕を支えてくれた。黙ってずっと寄り添って。
僕は彼女に救われて気力を取り戻した」
瑞希は両親を一度に亡くした海の気持ちを慮った。
「それからしばらく僕達は日本中を旅して回った。楽しかった。
彼女はいつも明るい声で笑っていた。心もいつでも楽しそうだった。どんな小さなことも楽しんでいた。
その途中、僕はネクストドアネイバースのことを知って相談しに行ったんだ。
歳を取ることのない僕がどうやって人限界に溶け込めばいいのかを聞きに。
そこでちょっとしたトラブルに巻き込まれた。
そして僕は自分の家系能力の強さについて気付いた。
それで僕はネクストドアネイバースに就職することに決めた。せっかくなら自分の能力を活かしたくてね。
僕と彼女は幸せに暮らしてた」
そこで海の顔が陰った。
「ある日のことだった。僕は彼女と海辺を歩いてて突如振った雨に当たって姿を変えた。
人が他に誰もいないと思っていたけど、魔女がそれを見ていた」
また赤信号で止まって海の目が哀しげに伏せられた。
「最悪の事態だった。
僕は彼女を守りながら戦った。彼女にネクストドアネイバースに応援を要請してもらったけど、到着には時間がかかった。
そして僕は魔女の魔法を受けて倒れた」
再び信号が青に変わり車が発進する。
「魔女は嬉しそうに動けない僕を捕まえた。彼女のことは眼中になかった。
そのままだったら、僕が連れ去られるだけで済んだ。
だけど当然、彼女は魔女の前に立ちはだかった」
前を見つめる海の瞳に光は無い。
「忘れもしない。忘れられもしない……!
魔女は僕の目の前で、いとも容易く彼女を切り刻んだ……!!!」
いつも穏やかな海が声を荒げた。
「その直後、応援が到着して魔女は討伐された。
魔法が解けて僕は直ぐ彼女に血を飲ませた。だけどその時にはもう、彼女は事切れていた。
間に合わなかった……」
海の声からは深い悲しみがひしひしと伝わってきた。
「もう少し僕が強ければ。もう少し、彼女が飛び出すのが遅ければ。もう少し……応援が早く来ていれば……。
僕の頭はそれでいっぱいになった。
そして僕はネクストドアネイバースを黙って出た」
瑞希は言葉を失くした。
「それから僕は彼女の思い出を辿って日本中を旅した。
少し音痴な彼女と一緒に歌った日を思い出しながら。
その内、彼女が明るい声で笑いながら言ってたことを思い出したんだ。
「あなたが歌で戦うのがかっこいい!」って」
海の目に光が戻って優しい顔になった。
「それから間も無く、立ち寄った川で水の精霊が寄って来て言ったんだ。
僕以来の人魚が見つかって、ネクストドアネイバースに入ったって。
そうして僕は彼女と暮らした家に、ネクストドアネイバースに帰ることに決めたんだ」
海は瑞希を見つめた。
「ここに帰ってきて、皆んなと過ごしたり、彼女と暮らした家で過ごす内に、僕の心は落ち着いた。
魔女は許さない。だけど復讐に囚われることはしない。
彼女がそれを望んで無いだろうからね」
そっと微笑む。
「知ってるかい?人魚は一途なんだ。
だから君が雅とずっと一緒にいられるように僕は願ってるよ、さあ帰ろう」
いつの間にか車はネクストドアネイバースに帰り着いていた。
海はドアを開けて外へ出た。瑞希も外に出る。
二人は顔を見合わせてにっこりした。




