第三十一話 バックカーディナル(下)
「こっら!あっばれんなって!!」
猫目の男に抱えられて瑞希は猛然と抵抗した。
「離して!!!」
男は暴れる瑞希を何とか画面内に収めようと四苦八苦していた。
「いい加減に!しろ!!」
男は瑞希の頬を強く殴りつけた。意識が飛びそうになり、瑞希の動きが止まる。その隙をついて男はシャッターを切った。
瞬間、視界が白く染まり、寂れたビルの前に出た。
「こっから先が結界」
「誰……!!!」
男が言い切る前に瑞希は叫ぼうとして手で口を塞がれた。男は歩みを止めず歩いていく。
瑞希は男の手に噛みついた。
「いってぇ……!!!」
ブンッと微かに音がした。
「誰か!!!助けて!!!」
「もう結界内だよ」
瑞希が叫ぶが男はもう口を塞ごうともしなかった。噛まれた手を痛そうに振る。
男はビルの中に進んだ。瑞希は暴れ続けた。
ビルの中は表の様子と違い、人で賑わっていた。
「おう、帰ったか」
「ああ、やっとな」
「遅かったな」
「言うなよ。こっちも大変だったんだぜ」
猫目の男は通りがかりに次々と親しげに挨拶していく。
「支部長がお待ちかねだぞ」
「ああ、分かってるって」
男は暴れる瑞希を抱えたまま階段を上がっていった。
「あなた達のことは覚えたわ!!絶対!!絶対許さない!!!」
瑞希は喚いた。
「へーへー。言ってろ」
猫目の男は碌に取り合わずに三階の部屋へ入った。
「遅かったな」
真ん中に白髪まじりの髪をオールバックにした男がソファーに座っていた。大きく綺麗な事務所のような部屋だ。
「そう言っても大変だったんすよ。まず見つける所からでしょ?後、写真でも送ったでしょう?
四六時中真っ黒な男がくっ付いてて……」
「余計なことは喋らなかっただろうな」
オールバックの男は片眉を吊り上げた。
「いやだな支部長。俺を信」
「全部聞いたわ!!あなた達のことも!目的も!!この人の能力も!!!」
猫目の男が言い切る前に瑞希は叫んだ。この男が酷く怒られればいいと思って。
猫目の男は瑞希をすごい形相で睨んだ。
オールバックの男は両眉を吊り上げた。
「……後でお仕置きだな。
これが人魚か。活きがいいな」
瑞希はオールバックの男の前のテーブルに放り出された。テーブルの縁に思い切り脚がぶつかる。
痛い。
そのまま押さえつけられた。
「先ずは検証だな。海水を……」
「待った!コイツは水を操る。先に薬をやった方がいい」
オールバックの男が言いかけて猫目の男がストップをかけた。
「そうか……おい、持ってこい」
オールバックの男は部屋にいた別の男に指示した。
瑞希は死に物狂いで抵抗した。
水さえあれば……!!!
何人か押さえる手が加わり、髪が掴まれ、頭と背中、脚を完全に押さえ込まれる。首筋の髪が掻き上げられた。
近くに水さえあれば……!!!
首筋に針が当たった。ちくりとした痛みと共に皮膚の内側に侵入する。瑞希は歯を食いしばった。
水さえあったら……!!!
瑞希は必死に部屋へ視線を巡らせた。首に薬液が注入されていく感覚が分かった。
瑞希の瞳から光が消える。強張っていた体からくたりと力が抜けた。
瑞希がテーブルから引き起こされた。支えられて何とか座れる状態だ。
「名前は」
オールバックの男が短く訊いた。
「魚住……瑞希……」
半分目を閉じた瑞希が答えた。
「効いてるようだな。
どうやって逃げ出した?」
「助け……られ……て」
「誰にだ」
瑞希は突然答えなくなった。
「誰に助けられたんだ。答えろ」
「言え……ない……」
男達が顔を見合わせた。
「何故だ」
「魔法……に……縛られて……るから」
男達が騒ついた。
「まあいい。次だ。どこに住んでいる」
「郊外……の……一軒家……」
オールバックの男は面倒くさそうに顔を顰めた。
「ちっ。薬をやると具体的に答えなくなるから面倒だな。
郊外の何区だ」
「〇〇区……」
オールバックの男は更に幾つか質問を重ねていった。
「なぁ、もうよくないっすか?」
猫目の男が瑞希の体に目を走らせながらソワソワして言った。
「まあ待て。ヤルのは後だ。それにお前はお預けだ」
猫目の男がショックを受けたような顔をした。
「そりゃないっすよ!このためだけに頑張ったのに!」
「そのお喋りな口を何とかしてから言え。
先に検証に入るぞ。服を脱がせろ。水槽も持ってこい」
オールバックの男が指示すると何人かが部屋を出た。別の男達が二人がかりで瑞希を支え、ナイフで服を切り裂いた。
瑞希の白い肢体が露わになった。何人かが唾を飲む。
間も無く、人が座って入れるくらいの水槽が運ばれて来た。
瑞希が抱えられて水槽に入れられる。その上から海水をかけられた。
髪がサアっと透き通るような水色に変わり、脚が薄青緑色の鱗に覆われた尻尾に、足先がひらりと長い半透明な尾鰭に変わった。
殴られた頬の腫れがみるみる引いていく。
男達から感嘆の声が上がった。
「なるほどな。素晴らしい」
オールバックの男がニヤリと口の端を歪めた。
「確か、塩を流せば人の姿に戻るんだったな。
誰か、連れてって流してこい。まだ手は出すなよ。貴重な人魚だ。丁重に扱え」
オールバックの男が指示を飛ばし、瑞希が水槽から抱え上げられようとしたその時。
瑞希の瞳に光が戻った。
「拙い……!!!」
いち早く異変を察知した猫目の男が携帯端末を構えた。が、シャッターを切る前にその手を端末ごと何かが撃ち抜いた。胸に穴の空いた猫目の男が倒れる。
瑞希の周りに無数の細い水の矢が浮かび、目に見えぬ速度で発射された。
水の矢に撃ち抜かれて何人も倒れ、壁に、窓ガラスに穴が空く。オールバックの男を含む、ほんの僅かな数人が奇跡的に避けた。
それと同時に窓ガラスが大きな音を立てて割れ、外から巨大な黒い何かが飛び込んできた。雅だ。
雅は部屋に残った男達を蹂躙して回った。雅の背から誰かが飛び降りた。
「くっ!!」
オールバックの男は携帯端末を手に取ると、雅へと向けた。銃を取り出す。が、端末と銃が爆発した。
雅の背から降りた明が手を翳していた。
「能力者か!!!」
オールバックの男も手を翳す。ドオンッと激しい音が響いて激しい振動が広がった。
と、男の姿が掻き消えた。明の背後に現れる。雅が食らい付こうとしたがまた消えた。
今度は瑞希の近くに現れた。腕を掴もうとして肩まで水の矢が貫通した。
男の傷から血が溢れ出す。瑞希はそれを操って男を絡め取った。
辺りに流れていた血液を操ってオールバックの男を包囲して発射した。
男が間一髪で掻き消えた。雅が人の姿へ戻って叫んだ。
「外に出た!」
明が素早く外へ飛ぶ。雅も瑞希を抱えると外へ飛び出した。
次の瞬間、ビルがグラグラッと大きく揺れ、崩れた。
雅は空中で瑞希を片腕に抱き、オールバックの男に向けて銃を構えて、撃った。
オールバックの男は駆けて弾を交わした。明の力がその脚を捉えてへし折る。オールバックの男は地面を転がった。男の腕から流れた血が瑞希によって矢となり、男の腹を撃ち抜いた。
明の能力がついに男を捕らえ、宙に浮かして締め付ける。しかし男の姿がまた掻き消えた。
一行の背後に現れる。
と、その時、ガゴオンッッ!!!という音と共にビルの瓦礫が跳ね上がった。
男の目が思わずといった様子でそちらを向いた。その刹那男の体が硬直し、みるみる灰色へ色を変えた。
石化して地に落ちかけた男を明が能力で受け止め、下ろした。続けて瑞希を抱えた雅も地面に降ろす。
跳ね上がった瓦礫を乗り越えて叶芽が隆を連れて現れた。
瓦礫を跳ね上げたのは隆だったのかもしれない。
隆は『漢!!!』と書かれたTシャツに半パン姿だ。
「雅、明、でかしました。
おそらく彼は敵の幹部クラスでしょう」
叶芽は厳しい顔でツカツカと近寄ってきた。雅は瑞希を地面に下ろし、自分のベストを脱いで着せかけた。また抱き上げる。
そこで瑞希は自分の格好に気がつき、顔を真っ赤にした。
「瑞希、よく無事でした。怖い思いをしましたね」
叶芽は慰るような目を瑞希に向けた。
「ーーー」
何か言葉を返そうとして自分が人魚の姿であることを思い出した。
明がベリベリと瑞希の腕のガムテープを能力で剥がした。丸めてオールバックの男に投げつける。ガムテープは男の頭にくっ付いた。
瑞希は目で明に礼を言い、自由になった手で雅のベストを掻き合わせて胸を隠した。
「こいつめちゃくちゃな能力者じゃねえか」
明が忌々しげに言った。
「恐らくコピー能力か何かだったんじゃないでしょうかね。そういう能力があると聞いたことがあります」
隆がメガネをクイっと上げながら返した。
やっぱり漢Tシャツが気になる。スーツを着こなすいつもの隆の姿からは想像もつかないTシャツだからだろうか。
「エリカが入れないところを見るとこの結界には何か条件がありそうですね」
瑞希は叶芽の肩を突ついて注意を引いた。
「なになに……能力者の組織……はーん。
なるほどありがとうございます。
条件は能力者にくっ付いて入ることかもしれませんね」
叶芽は瑞希の口の動きで言葉を聞き取ると解析した。
「隆、エリカを連れてきてください。捜索するにしろ片付けるにしろ結界を張らなければ……危ないっ!」
叶芽の言葉の直前に一行は散った。
瑞希達が一瞬前までいた場所に巨大な槌が振り下ろされた。中心に取り残されていたオールバックの男が砕け散った。
雅が銃を向けて撃った。槌を持った赤毛の男は高く跳躍して躱すと電柱の上に降り立った。
隣に細身の女が現れる。
「何だあ。久しぶりにこっちの顔見に来たら妙なことになってるべ」
赤毛の男が口を開いた。
叶芽がメガネを外した。
「情報を持って帰るのが先決」
女は男に触れると掻き消えた。
「雅」
叶芽が短く呼んだが、雅は瑞希をギュッと抱き締めたまま動かない。
「雅。彼らを追いなさい」
叶芽の口調は厳しい。瑞希を抱く雅の手が震えた。
瑞希は雅を見上げた。大きな金色の瞳と目が合った。
雅は眉を下げて瑞希を心底心配そうに見下ろしている。だがその目の奥には怒りが燃えていた。
瑞希はその頬にそっと手を当てた。「行ってください」と口の形で伝える。
「だが……お前が何をされ……」
雅は口ごもってますます瑞希を強く抱き締めた。瑞希は雅が何を心配しているのか思い当たった。
「大丈夫。何もされてません」
瑞希は口の形で伝えた。
「でも……」
雅の目はまだ心配そうだ。瑞希は首を振った。強い目で雅を見つめる。雅も瑞希を見つめ返した。
しばらくしてようやく雅はゆっくりと頷き、瑞希を叶芽に預けた。
狼に変身して赤毛の男達がいた電柱に跳び乗り、匂いを嗅いで遠吠えする。
雅は姿が霞むほどの速さで走り去った。
「隆、エリカを。急いで応援を要請します。
その後、明と二人でエリカの護衛を」
そう言って叶芽は瑞希を下ろしてカバンから蝋燭を取り出し、灯して瑞希に持たせた。再び瑞希を抱え上げて歩き出す。
「能力者の組織……ここは本拠地ではないのでしょう」
叶芽の言葉に瑞希は目を見張った。
「恐らく支部か何かだったはずです。
残りの石化させた無事な構成員から話を聞き出すしかありませんね」
瑞希はオールバックの男が支部長と呼ばれていたことを思い出した。
「瑞希、怖い思いをした所申し訳ありませんが、あなたからも話を聞かなければなりません」
瑞希はコクコクと頷いた。
叶芽は車に着くと、瑞希をタオルで包んで優しく微笑んだ。
「バックカーディナル……裏の枢機卿……。超能力者だけの組織、超脳力者のための世界の解放……ですか。
なかなかどうして頭の痛くなる敵が現れましたね。
今回あなたがいたのは東北。あなたの伯父が居た工場地帯の近くでした」
ネクストドアネイバースの一階の相談室にて、叶芽がこめかみを押さえた。
「手慣れているところを見ると、どうやら人魚以外の隣人も、見世物にしたり、売りつけたりして利用していたようですね」
塩を流して人間に戻った瑞希から全ての話を聞いて叶芽はこめかみを揉んだ。
「超能力者は……隣人ではないんですか……?」
叶芽に淹れてもらったホットミルクのマグカップを両手に持って瑞希は呟くように訊いた。甘いホットミルクは瑞希を落ち着かせてくれた。
ネクストドアネイバースの超能力者は皆んな仲間だ。隣人の中の一つの種族として存在している。
だがバックカーディナルの者達は隣人に対して微塵もその意識を見せなかった。
叶芽は唸った。
「超能力者はある意味特殊な隣人です。
他の隣人と違い、こちらの世界で、人間から進化した隣人と言いますか……」
瑞希は以前明からルーツが違うという話を聞いたことを思い出した。
「違うけど同じ人外。我々ネクストドアネイバースにとっては超能力者はかけがえのない仲間です。
しかしバックカーディナルではそういう考えではないのでしょう」
瑞希はマグカップに目を落とした。
「あなたの伯父は恐らく催眠の魔女と協力関係のあったバックカーディナルに先を通してあなたを売りつけたのでしょう。
だから情報が流されていた。これについては対策が取れます」
「対策?もう自由に外に出られないんじゃないかって思っていたんですけど……」
瑞希が目を上げると、叶芽は頷いた。
「悪意ある者からはあなたでありながらあなたと認識されない。印象を曖昧にするアイテムがあります。我々には普通にあなたに見えます。
あなたを最初に保護した時からチューニングしていました。本来なら出来上がるまでにあなたを外に……いえ、言い訳ですね。
遅くなってしまい申し訳ございません」
叶芽が頭を下げたので瑞希は恐縮した。
「か、叶芽さん、謝らないでください!
私の方から仕事に早く就きたいと言って無理を通してもらったんです。
それに今回も私が迂闊で……」
「あなたに責はありません。
あなたを無駄に傷つけた。誠に申し訳ございまませんでした」
叶芽は頭を下げ続けた。
「叶芽さん……顔を上げてください。
今回のこと、結果として、何ともなく済んだんです。気にしていません」
瑞希がそう言うと叶芽は顔を上げた。
「そう言っていただけると救われます。
しかしそれにしても危ない所でした。
バックカーディナルが人魚に慣れていなくてよかった……。
あと、雅がこの場に居なくて助かりました。
今回の全貌を聞いていたら大変なことになっていたでしょうから」
叶芽は少しいつもの調子を取り戻して言った。
「何故、私は薬を打たれたのに意思を取り戻せたんでしょうか?」
瑞希が訊くと叶芽はメガネの位置を直した。
「恐らく薬で与えられた脳のダメージを、人魚の特性で修復できたからでしょう。
人魚化しなければあなたはあのままだったと言うことでもあります」
叶芽は苦虫を噛み潰したような顔をした。
瑞希もゾッとしない話だった。
「今回の一件、どこからどこまで見られていたのか……。
しかしあちらの顔を見たことは大きい。
一筋縄ではいかないでしょうが、本社の情報部には見たものの特徴を聞いて、ほぼそのままの顔に描き出せる能力者がいます。
協力を仰ぎましょう」
叶芽は膝の上で手を組んだ。
「後は雅の結果待ちです。
本拠地までとはいかなくても何かしらの情報を持ち帰ってくれるはず。
あなたはアイテムができるまでご不便をおかけしますが今しばらく寮でお過ごしなさい」
瑞希はコクリと頷いた。
お読み下さりありがとうございます。
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