第三十話 バックカーディナル(上)
駅から雅と共に歩いてネクストドアネイバースに出勤する。
雅の隣を歩いていた瑞希はくるりと振り向いた。
「どうした」
雅が訊いた。
「何だか最近、ふとした拍子に視線を感じるような気がして……」
「なに」
雅が色めき立った。
雅は瑞希の肩を抱いて引き寄せると、すん、と空中の匂いを嗅いだ。瑞希はちょっとドキドキした。
「変わった匂いは、ない。
だが、しばらく一人で出るな」
「で、でも、気の所為かもしれませんし……」
雅はサングラス越しに瑞希を見つめた。眉が下がっている。
「もしも、があってからでは遅い」
「でも、雅は今日当番でしょう?」
雅は今日は夜当番だ。
「又吉に送らせろ」
雅は瑞希の背を押して歩き出した。
「そんな、悪いです」
瑞希は気が引けた。
「いい。気にするな。車が恐ければ電車で送らせろ」
「でも……」
ネクストドアネイバースの自動ドアを潜った所で雅は立ち止まり、瑞希の両肩に手を置いた。
「頼む。そうしてくれ。
お前に何かあったら俺は耐えられない」
雅のあまりにも真剣な表情に瑞希は頷いた。
昼頃に又吉宛に電話がかかって来た。
「えっ!?ほんとっすか?いやー申し訳ない!
はい。はい!わかったっす!」
又吉は電話を終えると瑞希の元へやって来た。
「瑞希さん、今日送ってくって話だったっすけど、ちょっとできなくなっちゃったっす!
おいら、すぐ帰らないと。ごめんなさい!」
「何かあったんですか?」
瑞希が訊くと又吉は眉を下げた。
「妹の美圭がっすね……交通事故に遭っちゃったみたいなんっすよね。
すぐ病院に行かないとっす」
「大変!すぐ!行ってあげてください!」
瑞希は顔を青くした。
「いやー命に別状はないみたいっすけど……。
んな訳で申し訳ないっす!」
「気にしないで下さい。妹さん……お大事に」
瑞希がそう言うと又吉はにこりとして課長のデスクへ向かっていった。
又吉を見送って振り向くと雅がすぐ側に立っていた。
「明……」
と明に目を向ける。
「俺も今日夜番だよ。課長もな」
雅はキョロキョロと辺りを見回した。
今日は日曜日。出勤者が少ない。
「雅、私、今日は霊水と水の瓶を両手に持って歩きます。
いざと言う時には躊躇いません。後でエリカさんに処理してもらいます!」
雅はそれでも心配そうに眉を下げた。
「俺が今日休……」
「ませないぞ。仕事に支障を来すならこっちにも考えがあるぞ」
と又吉と話を終えた課長が言った。雅の眉は下がり切った。
「雅、本当に気の所為かもしれませんし、大丈夫です。
心配しないで下さい」
瑞希の言葉に雅はしおしおとデスクに戻った。
夕方、瑞希は両手に瓶を持って万全の戦闘態勢で帰り道を歩いていた。
油断なく辺りを見回しながら帰る。今は視線を感じない。
と、背後からぽん、と肩に手を置かれた。
「ちょっとお嬢さんこっち向いてくれる?」
瑞希は思わず振り向いた。若い男が携帯端末を構えてこちらを見ていた。
端末のカメラと目が合う。シャッター音が聞こえた。
途端、瑞希の視点が変化した。さっきまで周囲にいた人々はぼやけて固まり、動かない。前面に四角く切り取られたガラス張りのような窓が現れ、そこから外の景色と男の顔が見えた。
「つーかまえた」
デニムのキャップから猫目が覗いた。男は目を細めた。瑞希はガラス窓に駆け寄り、叩いて叫んだ。
「出して!!!」
瑞希の周囲のぼやけた人々はマネキンのように動かず、反応しない。
男が移動したのか、外の景色が動く。男は瑞希を見つめてニヤニヤした。
瑞希は瓶の栓を開けて水を操った。鋭い矢に変えてガラス窓へ放つ。矢はガラス窓に突き刺さったかのように見えたが、分解されてただの水に戻る。
「おー幻想的だな。人魚らしいぜ」
男はガラス窓を指でなぞりながらそう言った。
瑞希は目を見開いた。
どうして人魚だと言うことを知っているのか。
外の景色はビルの隙間の路地のようだった。
「お前はもう、逃げられない。諦めな」
そう言って男は瑞希の入った窓を掲げた。
何かを操作するように窓をなぞった。シャッター音が聞こえる。
次の瞬間辺りの景色が変化した。
男が瑞希の前に男が降り立った。辺りの景色は先程男が撮ったであろう路地に変わっていた。両脇に高い路地が聳え立つ。ガラス窓は消えている。
「お前だろ?逃げ出した人魚って」
男が瑞希に話しかけた。瑞希は黙ったまま男と対峙した。
「んなこえー顔すんなよ。美人が怒ると迫力あるってほんとだったんだな」
「あなたは何者ですか?」
瑞希は何とか男から情報を引き出そうと質問した。
「ん?あー。
どうせヤク漬けで何も分かんなくなるし教えといてやるか。
俺達はバックカーディナル。
超能力者による超能力者の超能力者ための秘密結社ってやつだよ。
お前の伯父な。あれ結構面倒くさかったんだよな。あんなん押し付けられて良い迷惑だっつーの。
元くらい取んなきゃな」
と言って瑞希をジロジロ見た。
瑞希は今聞いた言葉を反芻した。
バックカーディナル。超能力者の組織。伯父の言っていた魔女と繋がりのある秘密の会社に間違いない。
だから瑞希が人魚であることを知っていたのだ。
顔まで知っているとなればもう平穏に暮らすことは出来ない。
瑞希は唇を噛み締めた。
「お前はあれだろ。
魚住瑞希。十六……いや、もう十七歳か。
誕生日は三月九日。
そして血の濃い人魚。
毎日どっかに行って帰ってたみてぇだけど行き先と帰りが分からんだったんだよな。
どこに行ってたんだ?」
男はニヤリと笑った。
「超能力者のためのって何をするんですか」
瑞希は答えず水の矢を構えながら訊いた。
「ああ、俺達はな、同胞が隠れ住まなきゃならんこの世界に嫌気が差してんだよ。
だから金髪碧眼の美女に協力してた。自分は魔女だって言ってたな。
んだけどな、お前を逃したって連絡があったっきりその魔女と連絡が取れねぇんだよ。
お前、なんか知ってんじゃねぇか?」
男は手元で携帯端末を操作しながら答えて質問してきた。
何らかの連絡手段を持っていたとして、でも現在は魔女と連絡が取れていない。
魔女達全体と繋がっている訳ではないのか?
瑞希は黙って男の言葉から思考を進めた。
「魔女とはどうやって繋がったんですか?」
瑞希は質問を重ねた。
「ああ?んなもん知るかよ。
大方こっちが発信してたテレパシーにでも引っかかったんだろ。
なんかあっちからコンタクト取ってきたらしいし。
こっちとの連絡もテレパシーで取ってたからな。んでも繋がる時と繋がらん時があるとかないとか……」
男は端末を操作しながら答えた。
本当に瑞希を舐め切っているのか、嘘なのかと疑いたくなる程ベラベラと喋る。
助かるけど。
「なあ、もうお喋りはいいか?」
男の言葉に瑞希は構えた。
「ちっ。ダウンロードに時間がかかんな。
まあいいか。
お前さぁ、一つもこっちの質問には答えねぇのな。
まぁそっちの方は薬でベロンベロンにして吐かせるから問題ねぇんだけど。
大人しく掴まれよ、と、なっ!」
男が端末の画面を指で滑らせると、辺りの景色が先程のぼやけた人々に戻った。
瑞希は男に向けて放った矢を慌てて引き戻した。
男の周囲の人々だけ姿がハッキリとして動いていた。
瑞希は霊水を撒いて水を纏い、宙へ飛んだ。男に狙いを定めて矢を放つ。
男は端末を見たまままるで矢の位置が分かっていたかのように歩いて避けた。
瑞希は瓶から水を追加で出して男を矢で包囲した。と、男が端末の画面を操作して景色が切り替わった。
美しい夕日を背景に男の周りを背の高いススキが取り囲んでいる。
瑞希は僅かに初動を遅らせたが構わず矢を放った。男が端末をまた操作すると水の矢が歪んで逸れた。その隙間に男が歩いていく。
瑞希の矢はススキの表面に突き刺さりもせずに砕けて水に戻る。
一体何の能力なんだろう。
瑞希は焦った。
男が端末を操作すると男の周りにイラストのような矢が現れた。瑞希に向けて発射される。
いかにも殺傷能力の低そうな得体の知れない矢を瑞希は宙を舞って躱した。
その瞬間、景色がまた切り替わり、瑞希は目の前に現れた大木の枝に思い切り頭をぶつけた。
ぐわん。と意識が一瞬遠くなり、視界と頭が酷く揺れた。瑞希は水の制御を思わず失った。
地面に激突する。
「うっ」
体がばらばらになりそうな衝撃で瑞希の息が一瞬止まった。
いつの間にか側に立っていた男が瑞希から瓶とカバンを取り上げた。
「大方栓をしたら消えるんじゃねぇ?」
と言って瓶の栓を閉めた。辺りに落ちていた水が消える。
「やっぱりな」
男は笑って今度は自分が下げていたカバンからガムテープを取り出すと、動けない瑞希の両腕を後ろに回してぐるぐると巻きつけた。足にも巻く。
「ちょっと味見するくらい許されるよな」
そう言って男は瑞希を引き起こして顎を掴んでこじ開け、食らいつくように口で口を塞いだ。
瑞希は驚き、振り払おうとした。脳震盪のせいか、まだ碌に力が入らない。
超能力者の膂力で掴まれた顎から頬にかけて鋭い痛みが走る。
男は瑞希の口の中に舌を侵入させた。喉の奥を塞ぐようにして口の中を舐める。瑞希は必死に抵抗した。しかし男の力は強く、びくともしない。
喉の奥まで塞がれて、息ができない。苦しい。
男は一度顔を引くとギラギラとした目で瑞希を見つめ、再び口に食らいついた。舌で口の中をかき回される。瑞希はゾッとした。ただひたすらに気持ち悪かった。
男はもう一度顔を離すと、ぺろりと自分の唇を舐めた。手の力が微かに緩む。三度瑞希の口を犯そうとした。男の舌が侵入してきたその時、瑞希は自分の頬の肉を噛み切るのも構わず男の舌を思い切り噛んだ。
「んぐっ!いってえ!!!」
男は慌てて舌を引っ込めて瑞希を離した。瑞希が地面に崩れ落ちる。瑞希は頬の内側から溢れ出た血と男の唾液を吐き出した。
「ひー痛えー。思いっきり噛みやがって……。
まあ、でも上等だったぜ」
男は地面に血の混じった唾液を地面に吐くと瑞希を見下ろしながらニヤニヤした。瑞希は男を睨み返した。
「さて、ダウンロードが終わるまでもう少しお喋りしてやってもいいぜ」
と瑞希の上に腰を下ろした。瑞希は男の体重に押し潰されそうになった。
ようやく目の前に飛んでいた星が収まってきて瑞希は苦し気に呻いた。
「あれ?思ったより弱っちいな。
しゃーねーな」
男はそう言うと瑞希から退いた。
「あ、……なたは……なんの……能力……」
こうなってしまっては瑞希に出来ることといえば、もうこのお喋りな男から情報を引き出すくらいだった。
「俺か?
俺の能力は写真。
カメラに捉えたものを閉じ込めることも出来るし、自撮りして移動することも出来る。ダウンロードに時間がかかるけどな。
俺だけが写真の中を自由に動ける。写真に撮った背景は基本動かないからな。
写真に写ったもんは全て見える。少し先の未来もな。
編集、加工、切り替え。なんでもござれだ。
さっきのお前の矢を歪めたのも、画像を歪めりゃそうなるし、こっちの矢はスタンプだ。
でも殺傷能力は抜群」
そう言うことか……。
「に……ん魚を求め……るのは……」
「ん?ああ、そりゃ金儲けだよ」
男は瑞希を見下ろしてニヤリとした。
「俺らも能力者養ってかなきゃなんねぇんでね。
見せ物にするもよし、血、肉を売りつけるもよし、心臓……は死んじまうから無しだな。
後は……知ってるか?人魚の鱗は恋薬になるって信じられてんだぜ。
そりゃもう金の成る木だ」
初耳だ。
「まあ、でもウチで捕まえた人魚はお前が初めてだからな。先ずは増やす」
「増……やす?」
瑞希が訊くと男は笑みを深くした。
「そうだ。
お前は血が濃い人魚だ。魔女が言ってた。
子々孫々完全な人魚になるタイプだってな。
だから犯して子を孕ませる。そうして増えた人魚で見た目がいいのをオークションにかけてもいいな」
瑞希は耳を疑った。とてもじゃないが人の所業とは思えなかった。
「そこんとこのプランもお前が来てから詰める予定だったんだが、魔女とも連絡とれねぇしどうすっかね……」
男は前を向いて頬杖をついた。
「だ、誰が」
そんなことするか。
瑞希は頭に血が昇るのが分かった。男を睨みつける。
「お前がしたかろうが、したくなかろうが、そうなるんだよ。
安心しろよ。薬でなんにも分かんなくなるし、大人しくしてりゃ快・感らしいぜ」
男は口を吊り上げた。
少し時を戻して。雅の元へ電話が掛かってきた。相手は流衣だ。
『瑞希さんがまだ帰ってきません。そちらにいらっしゃいますか?
今から帰ります。と連絡が来てからちょっと遅いような気がして……』
雅は椅子をひっくり返して立ち上がった。
「おい、みや……」
明の声を振り切ってサポート課を飛び出す。瑞希の匂いを辿って駆け抜けた。流衣の電話を切って瑞希にかける。
「頼む。出てくれ……!」
『おかけになった電話番号は現在、電源が切れているか、電波の届かない……』
「くそっ!!!」
雅は素早く暗証番号を打ち込むとネクストドアネイバースを飛び出した。
どっと流れ込んでくる様々な匂いの中から瞬時に瑞希の匂いを嗅ぎ当てる。道ゆく人目も気にせずに猛スピードで匂いを辿って走った。
瑞希の匂いは何もない路地で途切れていた。人目が無いのを確認して狼の姿に変身した。
電子機器と男と瑞希の匂いが微かにする。追えそうだ。
雅は人の姿に戻ると電話をかけた。
「叶芽。瑞希が攫われた」
『魔女ですか』
叶芽が瞬時に問う。
「男と電子機器の匂いがする。魔女じゃない」
『この間言ってた別勢力ですか……。場所は?』
叶芽のヒールの音が電話の向こうから響いてきた。
会社にいたのか。都合がいい。
「街中の路地だ」
『エリカに捜索させましょう。子会社を通って現場へ赴きます。
雅、あなたも帰ってきなさい』
「いやだ。直ぐ追う」
雅は断った。叶芽に連絡したのは応援の要請がしたかっただけだ。
『雅、落ち着いてよく考えなさい。
あなたが走っていくよりも子会社を通った方がはるかに早く着きます。
エリカの追跡術で必ず瑞希は見つかります。一緒に来てください』
「……分かった」
叶芽の言葉に雅は少し考えて頷いた。




