入団試験4
いつもは固く閉まった巨大な鉄格子の門は解放され、様々な人が行き交っている。その間をするすると抜けたニイナの心境は、穏やかではない。いつもなら煩わしさを感じる人ごみさえ、今のニイナには取るに足らないことであった。そんなニイナとは裏腹に、取り囲む周囲は浮足立っている。ゼルアの核ともいえるシュトラウス自警団本部、その中は、団員だけでなく一般人までもが行き来する所謂お祭り騒ぎであった。
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」
本部の入り口から鉄格子の門を貫く一本の大通りには、屋台がずらっと並んでいる。
今日は、シュトラウス自警団の入団試験である。ルナの中でも大きなイベントであるこの試験は、街に程よい活気と娯楽を与えている。
―――くそ。ニイナは、受験者一覧に載る幼馴染の名を捉え、心の中で悪態をついた。
幼馴染の晴れ舞台、出来れば見に行きたかった。イベントの主催であるシュトラウス自警団の団員が、このイベントを楽しむなんてことができるはずもなく、団員のほとんどは非番をもらえず会場の警護を任される。毎年、軍ごとに数人非番を与えられるが、不幸なことに、ニイナは今年その権利を得ることが出来なかった。
「―――ニイナ、」
不意に声をかけられ、反射的に振り向いた。
「父さん?」
そこには父、クレオの姿。今日はシュトラウス自警団入団試験の日、クレオは今回の試験の監視官(試験官の不正がないかを監視する役、シュトラウス幹部の者が任命される)であった。当然、レインが試験に参加することも知っている。
自分の子どものように可愛がってきたレインが、"うち"に入ろうと試験に出るのだ。嬉しいに違いない。
「なに、父さん」
「お前、レインが試験に参加すること、知ってたのか」
「まあ、そりゃ」
クレオの眉間の皺が、いつにも増して濃くなった。クレオの微かな間に、ニイナは違和感を覚える。
嬉しい、という感情とは、また、違う種類。
「お前なら、止めると思ってたんだがな」
声をつけるならば「あちゃー」「やっちまったな」というような(もちろん、厳格な父はそんなことを言わないが)落胆にも似た呆れ顔であった。その真意がわからず、ニイナも同様に眉をひそめた。
いつもと違うクレオの回りくどい言い方が、妙にひっかかる。「なんのこと」と若干食い気味に訊き返すと、クレオは小さく息を漏らした。
「今回の試験官がカラナフなのは知っているな?」
「うん」
「今回の試験、下手すると死人が出るぞ」
*
入団試験は大切な行事であるため、行わないというのは大問題である。そうして急遽取り繕われるように開催された今回の試験は、"単なる"鬼ごっこ。一見ふざけたかのような(否、大分ふざけている)試験内容が公開されるやいなや、大方のシュトラウス自警団員は一瞬にして察した―――ああ、カラナフ元帥が"また"何かをやらかしたのだ、と。カラナフがこういった催しに、"正式な"参加をすることなど、そうそうないのだ。
「でも、よく考えましたよね。試験官が会場にいなくともできる試験。しかも、カラナフ元帥がいかにも"ノってきそう"な内容じゃないですか」
感嘆の声をあげるリニー・プラットは、ヘイゼルに同意を求めた。隣に座ってゆったりと辺りを見回すヘイゼルは、視線を向けただけでリニーの言葉に応えることはなかった。ヘイゼルの視線はそのまま、リニーと逆側の右前方に声をかけた。
「マシロ」
「げ」
「げ、とはなんだ。お前、久しぶりに会ったというのに、しっかりとした挨拶もできないのかね」
穏やかに、極めて静かに続けたヘイゼルはため息をついた。
「お前は…またそんな無駄遣いをして」
マシロの隣の席に置かれた大量の買い物袋、表の出店から買った物であろう。
「無駄遣いじゃねェよ。ちゃんと五倍ぐらいで売る」
「悪徳業者みたいなことをせず、適正価格で売りなさい」
開き直った様子のマシロに、ヘイゼルは心底呆れたようで、もう何も言うことはなかった。
シュトラウス自警団闘技場は、ざわめきで満ち溢れていた。観客席は既に満席、通路にも人だかりであった。今回は、元帥の推薦を受けた二人と、更に滅多にこういった催しに参加しないカラナフ元帥の試験ということで、良い見世物になると群がった者も多い。
「はあ!?なんだよ!」
闘技場内には、中央の巨大なモニターと、その半分程の大きさのモニターが二台ずつ、大きなモニターの左右に設置されている。
それらには、試験内容変更のお知らせが映されていた。
試験会場の範囲が、闘技場だけに限らず本部内全体に広げる、とのこと。
この日のために、闘技場のチケットを取っていた者たちは大損だったに違いない。観客席は不満で溢れかえった。
今回の試験は鬼ごっこ、カラナフに触れた者が合格とする。範囲はシュトラウス本部全体、よって闘技場での直接の観戦は不可能なのだ。
《―――というわけで、シンセア軍イゼル班と、アレス軍ニワ班の協力により、闘技場ではモニターでの観戦となりますう。解説は私、アレス軍の下っ端の下っ端をしております、オルガ・ハルです。よろしくお願いしますねー》
闘技場モニターの下、司会席に座る少年、オルガはマイクを手に、小気味よく自己紹介をした。しかし、その紹介が歓迎されることはなく、観客のブーイングが投げかけられる。
オルガは何故か嬉しそうに表情を緩めると、マイクを持った手と逆の手を頭上で大きく振った。
《ありがとう、ありがとう。皆さんの声援を糧に、頑張ってまいります》
「誰も応援してねえよ!」
「変更とかふざけんな」
「今すぐここで試験しろ!ばかやろー!」
観客の罵声が全く耳に入らないオルガは、頭上のモニターを見上げた。
《やや、そろそろですかね》
無機質に試験変更を告げていたモニターが、ふっと明るくなった。巨大なモニター全体に映るのは、どこかの屋根の上で眠る男の姿。
「…?」
観客席が静まる。司会のオルガも静まる。
これは、今、何の状況なのだ。全員が総じて状況把握に努めた。
男は柔らかな風に頬を撫でられ、これ以上ないくらいにリラックスしていた。いつも首に巻き付けていたふわふわの毛皮を枕代わりに、日向ぼっこをしている。男が悠々と休息を楽しむくすんだシルバーの屋根には、妙に見覚えがある。勘付ている者がちらほらと出てきているらしい。ぽつり、ぽつりと声を上げる者が現れた。
「…あれ、ここの上じゃねえか?」
そう、男は今、闘技場の屋根の上で寝ているのだ。状況を察したシュトラウスの団員が顔に手を当てる。ああ、やはり。と言ったように項垂れた。カラナフ・ユロウが、まともな試験なんぞ行うはずもないのである。今、まさに"エスケープ"をしている最中なのであった。
一般客は気付いていない。彼らは、これもなんらかの演出なのだと思っているのだろう。
「てかあいつ誰だ?」
「…あれ、カラナフ・ユロウだよ!」
「うわ、俺初めて見た」
「私も…」
「いや、なんで寝てんの?」
ざわめきの中に笑い声も含まれているのは、気のせいではない。血生臭い試験を見に来た観客が、いきなりすやすやと眠る青年の姿を見せられては、拍子も抜けるものだ。
《おーっと、あれはニワ班のモニター!あれは、かの有名な!アレス軍元帥のカラナフ・ユロウ!と、ここは、もしや、この闘技場の屋根の上!さっすがアレス軍ニワ班モニター係、元帥の行動は予想範囲内と言ったところだろうかーッ!?》
オルガは興奮気味に声を上げた。
オルガの言葉に、「いや、」と団員達が心の中で首を横に振る。元帥の行動が、我ら"一般団員"に予想できるはずもない。心中お察しする。きっと、ルナ内のあらゆる場所を探し尽くし、もう見つからないと諦めかけて会場に戻ってきたそのとき、嘲るように会場の真上を陣取っていたのだろう。恐らくは、"灯台下暗し"というわけではなく、当然会場の屋根の上も捜索したはずだ。しかし彼にとっては、そういった追跡を躱すことは取るに足らないことであった。
彼は、化け物並の察知能力を携えている。彼は戦闘以外の面倒事には極力関わらない性格である。こういったイベントも然り。
彼はきっと、なるべく追跡者の精神的ダメージを与えるような逃走をあえてしていたのである。自分がその追跡者でなくてよかった―――会場にいた団員たちは心の中で一斉に手を合わせた。
カラナフ・ユロウ―――公の場に姿を現さず、周囲にその獰猛な性格と圧倒的な実力から"殺戮兵器"と呼ばれ、実力を恐れた周囲があることないこと噂に乗せ、噂に尾ひれがつきまくったシュトラウスの伝説ともいえる人物。
しかし、その穏やかな表情からは、とても"殺戮兵器"と呼ばれる人物とは思えない。
それどころか、
《こ、これは、どういうことだ!?あの、"殺戮兵器"と呼ばれたあのお方の寝顔が、あろうことか、か、可愛いなん―――、》
オルガがそう言いかけた瞬間だった。
微かに。モニターを凝視しなければわからないほど、微かに。
カラナフの右目が、薄ら開き、モニターを見た―――と、同時に真っ暗になった。モニターが消えたのである。観客たちは首を傾げた。何が起こったのだろう、と。
闘技場の観客席の脇でモニターを見ていたマシロは、咥えていた煙草を落とした。
「…どうした?」
「何が起こったんだ?」
状況を理解していない一般客をよそに、観客に混じる実力者たちの顔は引きつっていた。その者たちのほとんどは今日非番であったシュトラウス自警団の団員だろう。
実況をしながらモニターを見ていたオルガ・ハルもまた、その顔は青ざめて尋常ではない怯えようであった。観客の罵声を聞いても、顔色一つ変えなかった、オルガでさえ。
「―――モニター係、蹴散らされたな」
シュトラウス自警団の団服を身に纏った一人が、乾いた笑いと共に呟く。
一瞬の出来事であった。
《すっ》
オルガは震える唇で必死に声を出す。
《すす、すみません。可愛いとか言ってすみませんでした!》
一見モニターの不具合だが、どうやらモニター係をしていたアレス軍の者が、カラナフ・ユロウによってモニター係続行不可の状況に陥ったようだ。まるで、モニターを通して実況のオルガの声を聞いていたような、絶妙のタイミングで。"なんらかの事情"によってモニター係を降りなければならない哀れなモニター係がどうなったかは、想像したくもない。
「この試験が終わるころには、全滅してそうですねえ」
何が、とは言わなかった。ただリニーそう言って合掌、「南無南無…」と手を擦り合わせた。
*
「ご、ごえんなはい許ひてくだはい!」
闘技場のくすんだシルバーの屋根の上には、人影が二つ。一人は必死に助けを乞い、半泣き状態。一人はそんな男の頬を大きな右手で鷲掴みにしている。鷲掴みにした手に力を籠めると、男―――カラナフ・ユロウは首を傾げた。
「誰だ?」
きょとん、とした表情で、目を何度か瞬かせた。その瞳は、ぼんやりとしている。カラナフ・ユロウという男は、無意識下でこそ最大の力を発揮する。とくに睡眠時は、全く隙がない。野性的な防衛本能なのか、ただ昼寝を邪魔されたくないだけか、近づく者はおろか、彼自身に向けられる意識をも根こそぎ察知するのである。
―――ば、化け物かよ。と、本試験におけるモニター係、アレス軍ニワ班所属のデュアン・ウィンドルは、自らの上司に畏敬の念を込めて、心の中で吐き捨てた。
「げ、げんふい、いはいえす(げ、元帥、痛いです)」
そうしている間にも段々と手が顔の骨を圧迫しているようで、心なしか軋んでいる。このままでは本当に破壊されてしまう。命の危険を察したデュアンは、必死に暴れた。
「…あ?」
突然、ユロウの手が開く。尋常ではない力で圧迫していた手から解放され、デュアンは咄嗟に座り込んだ。「砕けるかと思った…」と、デュアンは独りでに呟き、顔を摩る。
「なんか、今、遠くで、可愛いと言われた気がしたが、気のせいか」
「き!?気のせいですよ!?」
「そうか」
寝ぼけているようで、うつらうつらしているユロウだが、油断してはいけない。いなくならない内に、用件だけでも伝えておかなければならない。デュアンはぐっと立ち上がると、ユロウ元帥の前にずいっと乗り出た。
「私はアレス軍ニワ班所属のデュアン・ウィンドルと申します本日行われる試験の説明をさせていただきます本日の試験では―――」
「なあ」
なるべく早く、簡潔に。というデュアンの心遣いはあっさりと切り捨てられた。言葉を切られ、息を呑んだデュアンは一歩後退した。
ユロウは、先程の穏やかな顔から一変して、見開いた眼をこちらに向けていた。ちりちりと、ユロウの異質な琥珀色の瞳に、火花が散っているようだった。この気配は、やばい。とデュアンは一瞬にして感じ取った。息苦しさを感じ、息を吸おうとする。しかしまるで何かが肺につっかえているかのように、呼吸ができない。逃げたくとも、足が震えて少しでも動かすと崩れ落ちてしまいそうだった。
「今俺、昼寝してたんだけど。その話、面白いの?」
俺の、大事な、昼寝の時間より、面白いのか。という問いだった。鋭い視線は、まるでデュアンの身体を何本も串刺しにしているように射貫いている。デュアンは、漏れそうになる泣き言を必死に押し込んだ。カラナフ・ユロウはつまらない者には容赦がない。彼が戦闘態勢に入っている今、"つまらない"回答をしてはならないのである。回答を間違うな。もう何年も、この戦闘狂の下で務めている。恐れてはならない、退いてはならない。そういった者たちを―――この人は、一層嫌うのだから。
「今年の試験は参加すべきです。なにせ、フィロード軍元帥の推薦を受けた者と、シンセア軍元帥の推薦を受けた者が参加しているのですから」
「…」
「ルールは鬼ごっこ、となっております。受験者が鬼、貴方が逃げる役です。受験者は任意のチームを作っており、貴方に触れることができれば、その受験者とそのチームメイトは合格となります」
「…」
「受験者には、"殺すつもりで"と言ってあります。もちろん貴方から殺しに行くことはできません―――しかし、」
「…」
「今年は、絶対面白いですよ」
ユロウは黙っていた。逸らしたくなる視線を、食らいつくようにユロウに縛りつけた。琥珀色の瞳が、未だに爛々とこちらを射ぬいている。デュアンは全身という全身から汗が流れるのを感じていた。そのくせ身体は氷のように冷たい。自警団の任務より、よほどこちらの方が恐ろしい。震える拳を、強く握った。
ユロウはゆっくりと、先程まで寝ていた位置に歩み寄ると、置きっぱなしになっていた毛皮を拾い上げた。「詳しく聞かせろ」と続け、毛皮を首に巻き付けたユロウに、デュアンはまるで糸が切れたかのように膝から崩れ落ちたのだった。




