入団試験1
二発の煙弾が打ち上げられた。二匹の龍のごとく立ち上った煙は、猛々しく空へと駆ける。
太陽が真上に差し掛かった頃、本部前の大通りは、お祭り騒ぎとなっていた。何百人もの人が通りに並ぶ出店や展示を楽しんでいた。一方、お祭り騒ぎの傍らで、試験見学者の間では、ある話題で持ち切りだった。
「いやー、それにしても、異例の二人は何者なのかね」
初老の男が掲示板の前で首を傾げる。隣にいた若い男も難しげな表情を浮かべつつ、手に持っていたチョコバナナを口に頬張る。商人たちが設置している出店で買ってきたのだろう。いつの間に。
「噂によると、一人はルワーフでも有名な落ちこぼれらしいですよ。ヘイゼルさん」
「ほう、どちらかね」
「サラ殿の推薦をもらった子です」
ヘイゼルと呼ばれた初老の男は背筋を伸ばした。身分の良さが動作に表れ、一つ一つに落ち着きが払われている。正装をそっと正したヘイゼルは、チョコバナナを頬張る若い男、リニー・プラットに目を向けた。
「"あれ"は人当たりは良いが、気難しい奴だ。他人のために自分の評価を下げるとは思えない。何か、あるのだろうな、このレインという少年に」
「ファミリーネームがないのも妙ですね。正式な申告にフルネームでなくて許されたのでしょうか?」
「それも含めて、だな。何かあるのだろう」
ヘイゼルは、目尻の皺を濃くしながら目を細めた。
「コア・ナクアという少年は?」
「その子、最近までは目立った生徒ではなかったらしいですよ。特に秀でているわけでも、逆に問題児だったわけでもなかったんだとか」
「ナクア、か。はて、どこかで聞いたような」
ヘイゼルは、チョコバナナを熱心に食べるリニーを置いて、本部の入り口へと向かった。慌ててそのあとを追うリニーは、口の周りにチョコがついている。汚い。お調子者で愛嬌のあるところがリニーの良いところだが、あまりにもずぼらなのはリニーの悪いところでもある。
ヘイゼルはため息を漏らしつつ、追いつかないように足早に目的地へと向かった。
出店の客寄せをするする抜け、本部の大きな通りを歩く。目指すは闘技場、今回の試験会場である。毎年試験を見に来ているが、例年に比べて客が多いのは、多分、噂の二人のせいなのだろう。
「今回の試験官には、カラナフがいるそうじゃないか。楽しみだな」
「え、ちょっと、待ってください!」
「はてさて、何人残るのやら」
「ちょ、」
*
「おい見ろよ、あいつ…、」
着替えを持つ指が震えていた。恐怖、緊張、周囲から向けられる軽蔑や嫉妬の目、ごちゃごちゃと混ぜ返された控え室の隅で、ひたすら呼吸をひそめた。ぴり、と空気が張りつめ、皆も同様に緊張しているのがわかる。でも、まずい。
周囲の他の受験者は、そうそうに仲間を作り始めている。この試験、シュトラウス自警団アレス軍元帥のカラナフ・ユロウが試験官ということで、試験の攻略といえば一つしかない。仲間を作ることである。少しでも味方の人数を増やして、後半まで体力を温存、最後勝ち切ることが、生き残る唯一の道である。
それはわかっている、だが。
レインに向けられる視線は、とても友好関係を築けそうなものではない。元帥の推薦をもらう、というのは"そういうこと"なのである。
実際どうなのかはわからないが、他の受験者は、推薦を受けたレインを"試験前から優位に立っている"と受け取るのである。推薦を受けるだけで、試験官はその受験者を"そのように"見る、はずだからだ。それがどの程度試験に傾くか、わからない。あるいは、優位なんてないのかもしれない。推薦はあくまで"受験資格を与えられた"にすぎないのだから。そうであるなら、この状況、敵だらけのこの状況で、不利なのはレインと―――元帥の推薦を受けたもう一人の、コア・ナクアだけなのだ。
「お腹、痛くなってきた…」
知り合いが誰もいないこの状況で、周りからとんでもない精神攻撃を受け、それでも図太く気にしないでいられるほど、レインの精神は強くなかった。
「大丈夫ぅ?」
ふと、俯いた頭上で声をかけられた。間延びした声、心配している言葉のはずだが、口調からは一切心配の感情が込められていない。レインは何も答えられなかった。また絡まれるんだろうか。今絡まれたら、もう、辞退して帰ってしまおうか。
そこまで思い至ったところで、声の主がしゃがみこんで俯いたレインの顔を見上げた。
「あら、案外普通の顔じゃないの」
丸く大きな瞳が、ちろりとレインの顔を見る。ツインテールの彼女は髪型の割に活発な印象はなく、どちらかというと悪女のような危ない雰囲気を纏っていた。
「セイラちゃん!そいつには近づかないほうがいいよ」
「そうだ!セイラちゃんの印象も悪くなるぞ」
「そんな奴ほっといてあっち行こうぜ!」
セイラ、と呼ばれた少女の、取り巻きと思しき男子数名が口々に騒いでいる。確かに、取り巻きを作るだけあって、セイラは整った顔立ちだった。きらきらと光る宝石のような瞳と、ほんのり紅い頬。可愛らしいと思わせる反面、少し太めの眉が大人びた雰囲気を作っている。
セイラはふっくらとしたたらこ唇を控えめに舐めると、ふっと笑みを零した。
「お腹、痛いの?」
「…うん」
情けない。試験前にお腹が痛くなってしまうなんて。レインが顔をしかめると、セイラはレインの頬に手を添えた。周囲で取り巻きたちが騒ぐ。レインに向けた罵倒も混じるが、痛みと恥ずかしさで耳に入っては来なかった。。
「痛いの痛いの、とんでけー」
手を添える場所、間違ってるのでは。そう思いつつも、腹に手を添えられたら添えられたで微妙な気持ちになるため、レインは言葉をぐっと飲みこんだ。すっと痛みが消える。治癒、いいや、多分これは、感覚操作系だろう。闇属性魔法の使い手、ということだ。
セイラは頬に添えていた手を下ろし、後ろを振り返る。
「痛いの痛いの、あいつに、飛んでけ」
セイラはその手を、取り巻きの一人に向けた。途端に、その男がお腹を手で押さえて、苦しげに唸った。なんのつもりだ、と他の取り巻きたちがセイラを問い質した。セイラは不愉快そうに眉をひそめ、鼻を鳴らした。
「うっさいのよ、セイラちゃん、セイラちゃんって。あんたら媚びるしか能がないの?ああ、さっき、あんたら私を護ってくれるって言ってたわよね?不意打ちとは言え、こんな基本魔法を防げない奴に護ってもらわなくても結構よ」
「な、なんだと」
「言わせておけば!」
「―――やめないか」
凛とした声に、男たちは反射的に口を閉ざした。
男たちの間を割って入ったのは、やけに身長の高い青年であった。眉目秀麗、を形にしたような青年に、男たちは圧倒された。が、男たちもまた同様に、ルナ最強の自警団への入団を希望する猛者であった。見た目に圧倒されようとも、ここで引き下がるわけにもいかない。
「なんだよてめェは!関係ねえだろ」と食って掛かった男たちに、青年は呆れたようにため息をついた。
「試験の前に喧嘩とは、無粋な奴らだね。相手、してあげてもいいんだけど―――いいのか?」
「何が!」
「受験、できなくなるぞ」
その瞬間だった。吸い込んだ空気が冷たくて、思わずむせる。なんだ、と瞬きをした瞬間、男たちの足元に氷が連なった。足元から腰まで、突如氷に覆われた男たちは、逃げることもできずにただただ狼狽える。腰からじわじわと心臓まで勢力を伸ばす氷。
「た、助けて!」
寒さに震えた唇で、青年に助けを乞う。青年は毅然とした態度のまま、男たちを見下ろした。
「何故?」
「なぜって、」
「知ってるか。ここでの乱闘は、基本的に許可されているらしい。団員同士の喧嘩が絶えないからだ。喧嘩は許すが、何があっても自己責任、というのがここの教えでね」
青年は腰を折って男の顔に視線を合わせた。
「喧嘩の最中、思わぬ事故で"死んでしまっても"仕方がないとされている。さ、どうしようか?選んで。ここで氷のオブジェになるか、それとも、騒ぎを収めて、誠実に、試験を受けるか」
*
「なんだ、終わったのか。ちぇっ…つまんな」
何やら面白そうな騒ぎになりそうだと、わくわくしながら見てみれば。身長の高いのっぽが、ツインテール女と男たちの間に入って仲裁してしまったではないか。あっさり引き下がる男たちに、内心がっかりした。せっかくその騒ぎの渦中に、"あの落ちこぼれ"もいたというのに。
もしかしたら、そいつがどんな実力者なのかわかるのではないかと、期待もしたのだけれど。
口を尖らせた幼い少年は、くるりと踵を返した。そろそろ試験が始まる。
なんだか今回はやけに、気になる人材が多い。大注目はやはり、元帥の推薦をもらったレインと、コア・ナクア。だが、会場に来てみれば、それだけではない。なかなかどうして、面白そうだ。
「カラナフ元帥の試験だから、気を引き締めなきゃいけないんだろうけど、うーん、やっぱ、遊んじゃおっかなぁ」
少年、リュエン・アリオは、無邪気に笑うと、人に紛れて消えていった。
*
「あ、ありがとう」
自分を助けてくれたのだろうか。いや、そうでなくとも、結果的に腹痛は消えた。どんな目的で騒ぎを起こしたのかはわからないが、感謝しなければならないのは同じである。
セイラ・サウレは艶やかな笑みを浮かべると、しどろもどろになっているレインの顎をくいっと掬う。
「まあまあね。よく見れば、なかなか可愛いかも」
なんのことだ。レインは目を丸くする。セイラはレインの顎に添える手を離すと、今度は傍らでこちらの様子を眺めていた青年の方を見上げた。
「貴方も、ありがとう。強いのね」
「俺は、正しいことをしたまでだ。あのまま放っておけば俺だけじゃなく、他の皆にも迷惑がかかる」
端正な顔だ。鋭い瞳には強くまっすぐな光が宿っている。青年は端正な見た目だけでなく、その所作にも誠実さを感じる。まるで、騎士のようだ。背筋の伸びたその青年の綺麗な立ち振る舞いに、かっこいいな、とレインは見惚れた。
「貴方、名前は?」
セイラは青年に尋ねた。青年は切れ目を少し見開くと、「ユーリだ」と答えた。
「ユーリね。私はセイラ・サウレ。こっちはレイン」
なんで君が僕の名前を知ってるんだ。そう思ったが、その言葉はすんでのところで抑えた。
近づいてきたときには既に名前を知っていたのかもしれない。セイラの取り巻きの男たちでさえ、レインのことは知っていた様子だったのだから。ユーリはレインの顔をちらりと眺めると、大して驚いた様子も、軽蔑する様子もなく、ただ一言「よろしくな」とだけ言った。




