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後編

「どうぞ、こちらのお部屋になります」

「どうも」

 怜は桃木鎮矢(ももきしずや)と名乗った女性と部屋に入った。彼女の申し出と懇願に押し切られて宿の人間と交渉し、何とか二人宿泊の許可を得た。じろじろと探るような目で見られたのは仕方ない。

 外で引っ掛けた女性を持ち帰ったとでも思われているのだろう。

 古びた鄙の趣ある部屋に置かれたお茶を淹れるセットに、早速、鎮矢は手を伸ばしている。家事に慣れた女性のようだ。

 部屋に入って二人共、コートを脱いでクローゼットの中のハンガーに掛けると、それだけで互いの距離が少し縮まった気がするから不思議だ。

 コートは現代の鎧兜なのかもしれない。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 差し出された緑茶を飲み、漆黒の卓上に置かれていた葛菓子を食べる。

 そう言えば吉水神社の近くに吉野葛を扱う老舗があった。

 怜はお茶を飲みながらさりげなく部屋の内部を見渡した。


 広さはざっと八畳。

 床の間には臥千上人のような隠者を描いた水墨画と、獅子が跳ねる意匠の青銅香炉がある。畳は黄ばんでいるが気になる程ではない。

 障子を開けた短い廊下の窓にはカーテンがかかっている。開ければ闇に沈む吉野の山々が見渡せるだろう。

 星はきっと、東京よりはるかに近い。

 片面に桜、片面に紅葉が描かれた衝立が置いてあるのを見て怜は安心した。

 夜、寝る時には鎮矢との布団の境に置くことが出来る。


 それにしても大胆な女性だ、と湯呑みを両手に持つ鎮矢を見る。

 邪心抱く男ではないと、余程、見込まれたのだろうか。

 怜は自分が聖人君子に見られがちであることと実際にはそうでもないことの両方を知っていた。

 その為に無防備な鎮矢が他人事ながら心配になった。

 卵色の、五分袖のモヘアニットに白と黒のジャガードパンツを組み合わせた鎮矢は所謂、和風美人の典型だった。胸元に揺れるガーネットのような赤い石の連なるネックレスが、白拍子の赤い袴を怜に連想させた。


 鎮矢の声は色を含みながら落ち着き、空気に馴染むように響く。

 歌唱の心得があるのかもしれない。


「無理を聴いていただき、本当にありがとうございました、江藤さん。改めまして、桃木鎮矢と申します。東京の大学に通う四年生です」

 正座してお辞儀する所作も舞い終えたあとのように流麗だ。

 何より彼女の台詞に怜は驚かされた。

「―――――大学四年…、二十一歳?」

「いえ、二十二です。誕生日は過ぎたので」

「失礼しました。大人びていらっしゃるので、俺より年上かと」

「え、」

「俺も大学四年です。東京在住。卒論に追われる身で、旅に出てしまいました」

「道祖神の招きに遭われましたか」

 鎮矢の楽しそうな言葉に、怜はぴんと来た。

 松尾芭蕉『奥の細道』からの引用だ。見た目の印象通り、聡明な女性のようだ。

「はい。そぞろ神に憑かれて」

 怜もまた、『奥の細道』からの引用で答えた。鎮矢の目が嬉しそうに光る。

「私こそ、江藤さんは年上だと思ってました。落ち着いてるから」

「昼間、お逢いした時には、俺を見て驚いてらっしゃいましたね」

「ごめんなさい。仕草がとても綺麗だったから。物を食べる時はその人の本性が現れる、と昔、母に教わりまして。江藤さんみたいに食事される男性、初めて見たものですから」

 無意識だった怜は瞬きした。

「桃木さんこそ、日舞か何か習われてませんか?」

 鎮矢が目を丸くした。そうすると臈たけた容貌が愛らしくなる。

「よくお判りですね。大学では能楽部のサークルに入ってるんです。民俗学を専攻していて、吉野には卒論の取材で参りました」

「俺とは違って正道ですね」

 怜の軽口に鎮矢も笑った。

 楽の音のような笑い声だ。


 その後、二人は交代で風呂に行き、山菜と脂の乗った牛肉の鍋を主とした夕食に舌鼓を打った。

 怜の食べる行儀を褒めた鎮矢も、躾の賜物か品のある箸使いだった。


 女性が食べ物を咀嚼する為に動かす唇に、艶めかしさを覚えるのは初めての経験で、怜は些か後ろめたい気持ちをポーカーフェイスの中に隠した。食事に性的な要素を見出すなど、どうかしている。しかも清らかな山中の宿で、凛とした女性を前にして。


 怜も鎮矢も、食前酒の他、酒は口にしなかった。そこは大人の分別だ。


 食事が済んでからどちらともなく、窓際の椅子に差向いで座り、カーテンを僅かばかり開けて星月夜を眺めた。洩れ来る山の冷気は容赦ないが、その容赦ない澄み切った空気こそが、美しく散らばる星々を目にすることを可能にしているのだ。


 和風美人の鎮矢には浴衣が絵に描いたように馴染んでいて、上から丹前を羽織っていても艶然としたものがある。

 流れる黒髪にいつの間にか絡ませていた自分の視線に気付いた怜は、さりげなく目を夜空に戻した。

 ずっと外の景色に見入っていたようだった鎮矢が、唇を楚々と動かした。


(あめ)の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」


「柿本人麻呂ですね」


 鎮矢が怜に眼差しを遣る。『奥の細道』を引用した会話で、双方、相手の教養を認めていた。

「ええ、万葉集。好きな歌です」

「現代にも通用するポエムだ」

「時々、宝箱に入れた宝石を取り出して見るみたいに、色んな歌を思い出しては詠むんです。ちょっとした贅沢」

 鎮矢の台詞にも、はにかむような笑顔にも、怜は好感を持った。

 今時、こんな女性がいるものなのかと。

 稀有な人だ。

 相部屋になって、こうも心楽しい発見をするとは思わなかった。

 美吉野の姫神の采配であれば、姫神に感謝だ。


 そう思っていたところに、鎮矢からの凝視を感じた。

「…何か?」

 尋ねると、鎮矢はぱ、と目を逸らす。

「――――お綺麗だな、と、ごめんなさい」

「え?」

「お昼間に見惚れたのは、綺麗な顔立ちの江藤さんが、お顔立ちそのままの綺麗な仕草をしてらしたからというのもあったんです。男性相手に、失礼ですよね」

「いえ、」

 とりあえず否定したが、顔を褒められることが苦手な怜は複雑な気分になった。

 それを敏感に察したのか、鎮矢が慌てたように話題を変えた。

「私の卒論のテーマ、赤い刀なんです」

「赤い刀?」

 怜もそれに乗る。

「ええ。赤い刀身の大太刀。この地で鍛錬された、澄んだ朱色の美しい刀だったそうです」

「―――――ひょっとして、出雲の御師が持っていた?」

「ご存じなんですか?江藤さん、知らないことが無いみたい、」

 鎮矢が本気で驚いているので、怜も可笑しくなった。

「偶然ですよ。乱世の剣客を列記した史料に、丹生と言う大太刀を持った男のことが載っていて。俺は彼が、その丹生をここ、吉野で手に入れたと聴いて来たんです」

「そうだったんですか。それにしたって、」

 すごい偶然、と鎮矢は続けて何度も瞬きした。睫の庇は長過ぎず控え目な並びで、大きくカールしていなくても美しい在り様を怜は知る。

「じゃあ、小野桐峰のその後もご存じですか?」

「豊後に向かったんですよね。呪われた茶器を辿り」

「ええ、『鬼室(おにむろ)』…。同じ朱でも丹生とは正反対の、不吉に淀んだ血の色が、人心を惑わすと言う……」

「『鬼室』…」

 鎮矢が柳眉をひそめて告げた名を、怜は復唱した。

 臥千上人から聴いた時にも思ったが、実に禍々しい名だ。

 臥千上人もまた、今の彼女と似た表情をしていた。

 世を澄んだまなこで捉える心の持ち主には、とりわけ忌避と反発の念を呼び起こさせるものなのだろう。

「そもそもは、室町幕府第六代将軍・足利義教(あしかがよしのり)の所持であった茶器が、流浪の末に堺の会合衆の手に渡り、そこから博多商人を介して大友義鎮(おおともよししげ)…、大友宗麟が獲得した油滴天目茶碗です。けれどこの影には不可解な陣僧の存在がありまして……」

「陣僧?」

 悪御所と名高い足利義教の所有物であった点からして既に不吉だ。

 陣僧とは敵陣へ使いとして赴いたり、首実検や首供養を取り仕切ったりと多面を以て戦地で働いた僧侶と解釈されている。講和交渉といった政治的役割も負えば、宗教者としての本分も遺憾無く発揮したらしい。

「宗麟が『鬼室』を手に入れたのと時期を同じくして、大友家家中に現れた、出自も年齢も不詳の僧侶です」

 ここで怜は疑問を感じる。

「…身元も確かでない僧を、易々と迎え入れたのですか?」

 大友家は戦国乱世の大名家の例に違わず、父子関係の破綻や重臣の謀反が顕著で、山口の大内氏や南九州の島津氏など外敵への備えも常時、怠れなかった。当然、間諜への警戒も厳しかった筈なのだ。

 鎮矢が、怜の疑問も無理からぬ、という顔で頷いた。

 滑る黒髪が映える女性だ。

「家中の反対の声を宗麟が押し切ったようです。時期は永禄二(1559)年以降としか判らないのですが――――――」

「小野桐峰が豊後へ向かったのが天正六(1578)年とありました。丁度、宗麟がキリシタンの洗礼を受け、また、耳川の戦いで大敗した年と重なりますよね」

 鎮矢がまた小さく顎を引く。

「桐峰の持つ丹生は不思議な刀で、色は朱ながら明鏡止水が如く輝き、彼が丹生を振るえば邪が震え去る、などとも言われていました。そう言えば、」

 思い出したように鎮矢が切れ長の双眸を揺らした。

「桐峰が豊後に至る道中で、従者を一人連れた歩き巫女と知り合ったらしくて…、彼女の名前が、『初震姫(はつふりひめ)』じゃなかったかしら」

「歩き巫女?」

 その存在は、怜が読んだ史料には記載がなかった。

「ええ。確か。私は研究の主眼を桐峰の大太刀に置いていますので、はっきりとは憶えてなくて」

 鎮矢がやや恥じ入るように言ったが、意識が研究対象に集中されるのはごく自然で無理もないと怜は思う。

「それが普通です。しかし、御師と歩き巫女ですか」

 歩き巫女は全国を行脚して託宣や祈祷を請け負う。芸に通じ、中には色を売る者もいた。

 特定の社に属しない点で御師とは異なる。

「流浪の民同士ですよね。諸国の事情にも通じている」

「スパイと疑われそうな二人だ」

「疑惑をはねのけるだけのものを持ってたってことでしょうか」

「武芸と…、人間交渉術かな?」

「ですね」


 ふ、と怜が口元を緩めた。


「怖いお顔なさってますよ、桃木さん」

「え、あら、ごめんなさい。研究のこと考えるとすぐマジになっちゃうんです。引きますよね」

 鎮矢が苦々しく笑って目を伏せる。

「真剣であればこそ、ですよ。引きません」

「………」

「夜更かしし過ぎると明日が辛くなります。そろそろ寝ましょう」

「――――――はい」


 桜の側を鎮矢の寝床に向けて衝立を二組の布団の間に置いて、怜は入口近くに横になった。密着して敷かれていた布団と布団の距離を出来る限り開ける。

 床の間の端に置かれた暖色の間接照明だけが今は光源となり、部屋には柔和な闇が訪れた。

 夕食の間は他の部屋から洩れ聞こえた声や物音も今はしない。


 その静けさをそっと破ったのは鎮矢の声だった。


「…江藤さん。起きてます?」

「はい」


 まだ意識の冴えていた怜は仰臥して天井板の木目を、闇を透かして見ていた。


「真剣って良いと思いますか。本当に」

「俺は思います」

 探るような声に声を返す。

 鎮矢の声には怯える子供のような心許無さがあった。声だけを聴いていると、彼女の大人びた容貌が一種の仮面のような役割を演じていたように思えて来る。

「…重くないですか?」

「人によっては、そう感じるかも」

「下手に慰めないんですね」

「俺も真剣な問いには真剣に答えたいほうなので」

「珍しいですよ、そういう男性」

「否定しませんけど、俺の兄なんかも同じ感覚の持ち主です」

「そう……似てるのね」


 時に闇は光より声の響きを伝え合う。

 窓辺で話していた時より、怜も鎮矢も素顔だった。表情を観察されないことの安堵が、人を無防備にさせる。


「重いって言われたことありますよ。私、吉野を歩いてて考えちゃいました。源義経って、静御前の為を想って別れたんじゃなくて、彼女の真剣さが重くて逃げたんじゃないかしらって」

「そんな見方もありますか」

「だって、一途とかひたむきって、言葉は綺麗だし好かれるけど、実のところ男性って、もっとふわふわした女性を好みません?」

「友人にはそういう女性をタイプと公言するのもいますが…」

「合コンとかで探すんでしょ」

「みたいですね。長続きしてないけど」

「マジョリティの世界」


 引きつった笑いを含んだ声に、怜は初めて衝立のほうを向いた。

 季節に外れた紅葉の絵柄が闇に浮かんでいる。


「桃木さん」

「ごめんなさい、おやすみなさい」


 唐突に扉を閉ざされた気がした。薄闇の柔和が硬度を増した。

 弱音を吐露した女性はそれを恥じて玉石に戻った。

 触ればきっと冷たい。


(――――――そのままだったら?)


 鎮矢が玉石に戻らなければ、自分は衝立を超えたのだろうか。


 赤い紅葉の向こうに咲く桜。




 翌朝は鎮矢も怜も素知らぬ顔をして朝食を食べた。

「桃木さん。食べ切れないんですか?」

 彼女の皿に残る大きな出し巻き卵を見る。一口齧られた形跡しかない。

 あっさり薄口の出汁が効いて食べやすかった。これに限らず、奈良で出される食べ物は怜の口に合う。

「昨日の夜、食べ過ぎて。まだあんまりお腹が空いてないんです」

 確かに宿の夕食は、女性が食べるには多い量だった。相手が真白であれば残した物を平らげてやっても良いのだが、逢ったばかりの女性に食べましょうかと申し出る訳にもいかない。怜は同意するように頷くにとどめた。そして彼自身はご飯をお代わりした。鎮矢が感心するように怜を見る。

「江藤さん、よくお食べになりますね」

「美味しいし。男ですから」

 朝食は夕食に比べてぐっと質素だったが、ほうれん草の胡麻和えも漬物もたっぷり盛られていたし、赤味噌のわかめと豆腐の味噌汁もちょっとからかったがご飯が進んだ。


「今日はどうされます?もう帰られるんですか?」

 朝食を終え、昨日は互いに切り出さなかったことを鎮矢が訊いた。

「桃木さんは」

「私は吉野水分神社に行こうかと思います」

「俺もそのつもりでした。出来るならここに、もう一泊します。桃木さんは東京に戻られますか?」

「いえ、今日も泊まりになるでしょう。他の宿を当たってみます」

「じゃあ、途中までは御一緒に」

「はい。あ、私、考え始めたらまっしぐらなんで、社殿の前で突っ立ってたりしたら置いて行ってください」

「行きませんよ」

 怜は笑ってしまった。



 その後、鎮矢は吉野山中の旅館に電話しまくっていたが、いずれも色よい返事は貰えなかったようだ。

「こちらに泊まられたらいかがですか」

 携帯を睨むように視線を落とした鎮矢に怜は手を差し伸べるように言ってみる。他の宿を、と鎮矢が言った先刻の言葉は、怜の胸を寂しくさせた。

「―――――ご迷惑でしょう」

「いいえ」

 言葉少なに否定した怜を、鎮矢が見つめ返した。

 硯で溶いたような澄んだ目だった。


 吉野水分神社は天水分命(あめのみくまりのみこと)を祭神とする、上千本に位置する社だ。

 白い積雪の中、大きな朱の鳥居が厳かに立つ。

「足元、滑らないように気を付けて」

「はい」

 雪が多勢に踏み締められ固くなると、つるりと滑りやすくなる。

 怜はスタイリッシュな鎮矢のロングブーツを懸念したが、彼女は危なげない足取りで石段を登る。ヒールが低い為もあるだろうが、足運びが頼もしいのは、能楽を嗜んでもいるからかもしれない。

「道路がまだ凍結してなくて良かったですね」

「ほんと」

 答える鎮矢の美声にも余裕がある。

 ただ、舞う黒髪は様にはなるが、本人には邪魔そうだった。


 二層作りの立派な楼門をくぐると右手に本殿がある。

 境内の面積はかなり広い。


(檜皮葺かな…)


 奈良には檜皮葺座衆――――檜皮葺を生業とする職人たちの組合もあったらしい。


 ぽかんと開けた境内真ん中の空間に立つと、平安貴族の邸に迷い込んだような気持ちになる。

 春日造、流造と異なる造りを横に繋げた本殿は、変わったものだと聴く。

 雲間から出た陽が眩しく雪を反射する。

 鎮矢が頬に手を遣っている。

「どうかしましたか?」

「いえ、日焼け止め、塗ってないから心配で。一応ファンデーションは、UVカットなんですけど…って、男性に言うことじゃないですね」

 台詞の途中で照れた鎮矢が首を振る。

「ここ、皮膚の守護神もいませんでしたっけ」

「柴神社?あれ、子供に限るみたいですよ」

「そっか。桃木さん、何でも知ってますね」

「江藤さんに言われたくないなあ」

 鎮矢が可笑しそうに笑った。それから雪を被った正殿の破風のあたりを眺める。

「これだけ由緒と雰囲気あるお社なのに、正確な創建年代は解ってないんですよね」

「飛鳥時代にはもうあったようですね」

「そう。秀吉がここに参拝して、秀頼を授かって、『子授け』ブームの火付け役になったんじゃないですか?」

「かも。ビッグネームは色んな流行りを生みますからね。それで経済が活性化する効果も古来から否定出来ない」

「刀鍛冶の夫婦も、きっと必死だったのね…」

 鎮矢が破風を見上げていた目を伏せ、少し細くした。

 鍛冶師にも一座を組む者たちはいた。丹生を鍛えた男も、或いは座に属していたかもしれない。

「丹生の?」

「うん。特に当時の女の人には、すごくプレッシャーがあったんじゃないかな。子供を産まなければ離縁されるのも珍しくなかったんだもの。赤ちゃん、出来たんだったら良いけど」

「刀鍛冶は、それもあって子を望んだんだろうか…」

「どうかしら。だとしたら夫婦愛のロマンだけど、現実の男性にそこまで求めるのはリアルじゃない気がする」

「手厳しいな」

 怜が朗らかに言うと、鎮矢は困ったように微笑んだ。

「そうね。でも江藤さんは、リアルじゃない理想を要求されそう。涼しい顔で生きてるように、女性に勘違いされて大変なんじゃないですか?」

「――――――はい。俺は普通の、一杯一杯に生きてる男だけど。なぜか高嶺に見られる」

「自分は普通だと思ってる?」

「普通の男ですよ」

 鎮矢は怜の顔を覗き込むように見ていたが、怜が彼女を正視するとそれを避けるように口を噤んだ。

 どちらからともなく、歩き出す。さくり、さく、と雪と土が鳴る。

「楼門とか、社殿は重要文化財なんですよね。維持が大変だわ、これだけの規模だと」

「重文だと必ず国から手厚く保護されるとも限りませんしね」

「玉依姫命の像、観たかったな」

 本殿の右殿を見た鎮矢が言う。

「大層な美人らしいですね。国宝でご神体だから、一般人には中々拝めるものじゃないでしょう」

 鎮矢が拗ねた子供のような表情になり、右殿前に生える楠の古木に手をついた。

「つまらないわ。……この樹、温かい。こういうごわついた感じ、好き」

 鎮矢の見せる様々な表情を、怜は好ましく感じた。

 もっとたくさんの声を聴きたい。

「桐峰は耳川の戦いのあと、出雲に帰ったようですが。詳しい経緯はご存じですか?」

 そう尋ねると鎮矢の顔が翳りを帯びた。

「余り。上層部が判断を誤った戦争の悲しさと呼べるような話しか。彼の豊後における滞在先の主で、軍師、陰陽師でもあった武将の角隈石宗(つのくませきそう)は耳川の戦いに異を唱えたのですが、結局、反対の声は容れられず、石宗も戦死しました。それは石宗と友情も育んでいた桐峰には辛いことでした。桐峰は全ての元凶を『鬼室』と考えて、大敗により意志薄弱となった宗麟に強く望み、『鬼室』を引き取ったと。私が知るのはそのくらいです……」

 そう言えば臥千上人も丹生のその後については触れなかった。

 まだこの日本のどこかに眠っている可能性もあるのだろうか。所在が明確であれば真っ先に鎮矢はそこに向かう筈だ。博物館なり資料館なり――――――。

 しかし怜は探究心より鎮矢の憂い顔のほうに重きを置いた。絵にはなるが笑ってくれているほうが良い。

「角隈石宗。ルイス・フロイスの『日本史』にあった名前だ」

「ええ。敵にも味方にも惜しまれる、よく出来た人だったみたいです。文武ももちろんだけど、人間性のカリスマって言うのかしら」

 風が吹いて鎮矢が身を震わせた。

「…戻りましょうか。道路沿いの店とか覗きませんか?」

 毛布でその肩をくるむように、怜は温和な声で提案する。

「はい」

 鎮矢は怜の言葉に素直に首肯した。


 吉野雛で有名な『太田桜花堂』に入ると、鎮矢は一転して無邪気な顔を見せた。

「可愛い。見て、江藤さん。法螺貝もある!」

「金峯山寺が修験道の聖地ですからね」

「吉野和紙も素敵。…お雛様、買っちゃおうかしら。帰りが面倒かな?」

 考え込む様子はいかにも女性だ。

「和紙なら俺も買いましたよ、妹にと思って」

「江藤さんがお兄さん?羨ましい」

 感想を言ってまた、吉野雛に目を戻して思案している。

「俺、隣の店にいますね」

「あ、はい」

 お雛様と睨めっこしたまま答える鎮矢を見て、成る程、まっしぐらだ、と怜は笑いを噛んだ。


 何軒か土産物屋を回ってから、怜と鎮矢は『西沢屋』に入り、「静御膳」を注文した。

「吉野雛、買ったんですね」

「買っちゃいました。小さいほう。江藤さんは?」

「俺も収穫はありました」

「何を買われたんですか?」

「内緒です」

「あら」

 鎮矢が軽く睨んでみせた。

「桃木さんが丹生を卒論テーマにしたのは、それなりの史料があってのことですよね」

「内緒。って、言おうかしら」

「宿に帰ったら何を買ったか教えるので、苛めないでください」

「うーん。良いわ。約束ですよ?」

「はい」

 やがて山菜鍋にニジマスの甘露煮、炊き合わせ、とろろ汁が運ばれて来た。

「少し前、福岡の大宰府政庁跡で、木簡が見つかったでしょう」

「ああ、ニュースでもやってましたね」

「最初はそちらをテーマに考えてたんです」

 山菜鍋をつつきながら鎮矢が怜に顔を向けて語る。

「それが目当てで訪れた、博多で開催された研究者のパーティーで、まず小野桐峰の話を聴いたんです。相手の方が、大分出身の、神社の息子さんで」

「面白い話をしてくれた、と」

 研究者肌の鎮矢の気を惹く為であろうことは、容易に察しがついた。

「はい。それで私、お願いして彼の神社の縁起絵巻を見せてもらったんです。そこには耳川の戦い前後の小野桐峰と、その大太刀・丹生が描かれていました。達者な筆で、史料として十分な価値と量を備えていることはすぐに判りました。撮影許可を頂いて、桐峰と丹生に関するトピックだけ写して帰ったんです」

 ニジマスの甘露煮を咀嚼してから、怜が尋ねる。

「神社の息子さんとはその後――――――?」

「何度かお招きくださったんですが、そう頻繁に出向ける土地でもありませんし、私にも執筆がありますから」

 鎮矢の天秤は片方に大きく学問の重りを載せて不動なようだ。

 豊後の男、振られけり、と怜は思った。

「江藤さんこそ、丹生誕生と小野桐峰の話をよくご存じでしたね。やはり史料で?」

「――――はい」

 実際は臥千上人から話を聴いてこそ詳細を知れたのだが、それをありのまま伝えることは憚られた。



 夕刻までそぞろ歩いて時を過ごし、二人は宿に戻った。

 二羽の孔雀の鷹揚とした態度に出迎えられる。人馴れしているのか、檻の近くを通っても身じろぎもしない。

「孔雀は悪食って言いますよね」

 鎮矢が彼らの様子を見て言う。

「ああ、それが仏教の孔雀明王に繋がってるんでしたっけ」

「そうそう、毒蛇も食べちゃうってとこから」

「鎮護国家でも重んじられた存在ですね」

「江藤さんとは正反対ですよね」

 怜は軽く噴き出した。

「確かに俺は重んじられてない」

「いえ、そういう意味じゃなくて!悪食には見えないってことです」

「どうだろう。毒蛇を食べたいとは思わないけど」


 宿のフロントで鍵を受け取り、部屋に戻った二人は昨日よりもずっと打ち解けていた。

 居心地の良い親しさが空気を解して緩める。

「風呂、お先にどうぞ」

「はい、頂いてきます」

 鎮矢は昨日も手にしていたビニール製のバッグに浴衣やタオルなどを入れると、部屋を出た。バッグには鋏や足踏みミシン、糸巻などのイラストが描かれていて、いかにも女性らしい持ち物だった。彼女がボストンバッグを開ける時は、怜はさりげなく視線を窓の外に向けていた。

 自分は余分に替えの下着などを持って来ていたが、鎮矢はどうしたのかと気にならないではなかったが、詮索するも野暮というものだろうとその思考は早々に打ち切った。

 鎮矢が風呂上りの女性特有の芳香を漂わせて戻ると、今度は怜が風呂に向かった。

 洗い立ての真っ黒な髪の毛を浴衣地にまとわりつかせた鎮矢の風情は匂やかで、上村松園の描く美人画を彷彿させた。


 男湯には怜の他、誰もいなかった。

 蛍光イエローの牧歌的な洗面器の整然とした並びに出迎えられ、怜は髪と身体を洗った。

 ガラス戸の向こうの眺望は抜群で、低い生垣の向こうに白雪を戴いた山々を見はるかすことが出来る。空高くを移行する影は何の鳥だろうか。

 湯に浸かっていると肉体の疲労が溶け出るのが判る。


 ここ最近、頭に溜まっていた澱のような疲れが吉野に来て霧散して行くのを怜は感じていた。

 自覚していたよりも卒論に根を詰めていたらしい。

 鎮矢との出逢いも、知らず硬直していた怜の感覚を和らげるに大きかった。

 あの古風な雅を感じさせる女性の隣で、今宵もまた眠るのだ。


 得難い一睡になるだろう。


〝何と言う明確な理由もなく、ただ放っておけなかったのではないかな〟


 臥千上人が予想して語った桐峰の胸中は、人が人と関わる動機の根幹の、ごく自然で基本的なものだったように思う。

 請われなくても手を伸べずにいられない時が人にはある。



「それで、江藤さんは何を買われたんですか?」

 夕食を終えて、膳を下げた仲居がてきぱきと布団を敷く間、窓際の椅子に昨晩と同じように差向いで座っていたところ、鎮矢が訊いて来た。若い仲居が好奇と観察の目でこちらを窺う気配を感じながら怜は答える。

「憶えてましたか」

「記憶力は良いほうです」

「あとで」

 そう言って怜はちらりと仲居を横目で見た。その視線を追った鎮矢は、心得た、と言うように頷いた。

「はい」



 仲居が退室してから、怜は腰を上げてバッグから紙袋を取り出した。

 簡素な包装のそれを鎮矢の手に渡す。

「どうぞ」

「え、開けても良いんですか?」

「大丈夫です、どうぞ」

 セロハンテープを慎重に剥がし、鎮矢の指が掴んだのはバレッタだった。

 長方形の木が湾曲した飾り気ないデザインだが、色はひどく美しかった。

 深くて濃い茜色。

 陽が眠る日没の刹那のような。

「木を染料で染めた物だそうです」

「茜?」

「かな?」

「妹さんに?」

「いえ、桃木さんに」

 バレッタに見入っていた鎮矢が打たれたように顔を上げた。

「どうして」

「学術情報のお礼、でしょうか。お蔭で楽しい道行になりましたし」

「…ご迷惑かけたのに」

「いいえ」

「…………ありがとうございます」

 鎮矢の長い指が茜色を撫でた。

 壊れ物を扱うような仕草だ。


(壊したかな)


 男女の均衡ほど危ういものはない。

 だが怜は、艶やかな黒髪が茜に束ねられる光景を夢想する自分を抑えなかった。

 押し付けがましい行為と取られかねないだろうし、これで鎮矢に警戒されるのであれば仕方ないと思った。


 月の明るい晩だったが、昨日と同様に、間接照明だけは点けて二人は床に就いた。

 人口の光源を理性のよすがとしたのは二人共にだったかもしれない。怜の横には今夜も衝立がある。


 『鬼室』は人心を惑乱させる茶器だったと言うが、その存在を知り周辺を調べる者にも邪心を催させることはあるのだろうか。しかし邪と形容するには、怜が鎮矢に抱く感情は澄明であるように自身には思えた。

 誇り高い舞姫を、ただ尊び愛でるように、眺めるだけで心楽しい。

 だから衝立の向こうから鎮矢に言われたことには斬りつけられた心地がした。

「あなたに逢いたくなかった」

 怜は息を呑んだ。

「………なぜ」

 紅葉柄の向こうに問いかける。

「逢いたくなかった」

 鎮矢は頑是ない子供のように繰り返した。

「俺は逢えて良かったと思ってる」

「江藤さんみたいな人が、軽々しくそんなこと言っちゃダメです」

「解らない」

「惹きつけるだけ惹きつけて―――――――。あとは離れるだけなのに」

「俺は義経じゃないし、あなたは静御前じゃない」

「解ってる。江藤さんは誠実な人です。解ってるけど、」


 雫を受けて、乱れる波紋を聴いた気がした怜は、衝立を押し退けていた。

 鎮矢は黒髪を枕の上に流し置いて両手を口元に添え、怜を見上げた。

「…桃木さん」

「…あなたが、…どうして、…あなたが、あんな物くれるから」

「すみません」

「高嶺の癖に」

「違います」

「私に触らないで。残酷な人」

「指一本、触れません」

「残酷な人」

「あなたもだ」

「………触らないで」

 怜は片手を畳につき、被さるようにして鎮矢の吐息を塞いだ。



「茜さす」は「君」にかかる枕詞だ。



 翌朝、宿を出た二人はケーブルカー乗り場までゆっくり歩いていた。

 怜は自分のバッグに加えて鎮矢のボストンバッグを持っている。

 宿泊予定が無かった割に大きな荷物だ、と怜は内心で苦笑していた。ちょっと動くだけなのに女性が大所帯になるのは、昔からの不思議だ。

 ロープウェイの吉野山駅が近くなって、怜が足を止めた。

「江藤さん?」

「すみません、桃木さん。俺、忘れ物をしたみたいで。先に駅に行っていてください」

「え?大丈夫?」

「はい、すぐに追いつきます」

 鎮矢を置いて怜は道を引き返した。


 人気の無い狭隘な一本の山道で、怜は鎮矢の物と合わせて雪を避けた草の上に荷物を置いた。

 目の前には一人の男が狼狽えて怜を見ている。


「大分の方ですか?」

 男が目を見開く。

「なぜ―――――」

「桃木さんを追ってここまで?」

 相手の問いには答えず、怜は畳みかけた。桃木、という名に男が反応する。

 体格は良いが育ちも良さそうな顔がみるみる赤くなる。

「彼女。彼女が、いつまで経っても来てくれないから」

 その声調には憤りが混じり、怜相手に言わずにはいられないようだった。

「こんなところまで追って来たと」

 尾行の気配に怜は早くから気付いていた。

 人が何かの、誰かの跡を辿る理由も千差万別だ。

「あんた、何なんだ。いきなり横からしゃしゃり出て来て」

 湿って攻撃的な嫉妬の眼差しを受けても怜は顔色一つ変えなかった。

「桃木さんの交際相手です」

「…嘘だ、彼女は、今までそんな素振りは一度も見せなかった」

「俺たちをつけていたのなら、同じ旅館に泊まるのも見ましたよね。そういうことです」

 男が青ざめ、唇をわななかせる。

「俺の女なのに」

「莫迦を言うな」

 ぴしゃりと怜ははねつける。

「お前こそ出鱈目を言うな!!」

 予測より速い拳だったが、怜は難無くかわした。勢い余った男がつんのめる。

「重心を自在に保つことが武術向上の必須要素だ」

「うるさいっ」

 掴みかかって来た男の右腕を掴み、左手でその右肩を軽くとん、と押す。

 男の身体がくるりと半回転して地面に俯せになった。怜は彼の右肩と右腕を軽く固定しているだけだが、男は身動き出来ない。

「護身術の初歩だ。正確な角度に肩から圧を加えると少しの力でも相手の動きを封じられる。彼女にも教えておくよ」

「………放せ、…っ」

 怜は目を細めて自らの愛刀を呼んだ。

「虎封」

 黒漆太刀の神器が現れると瞬息で鞘を払い、男の顔の真横に刃を突き立てた。鋭い切っ先は大きな音も立てず土中に吸い込まれる。真剣の刀身を間近で拝んだことなど生まれて初めてだろう、男が驚愕と恐怖に表情を醜く歪めた。

「ひ、………ひいっ」

 静かに光る刃の声が怜の口から放たれた。

「桃木さんのことを忘れるんだ。そうしたら俺もあなたを忘れる」

「犯罪、犯罪だぞお前っ。警察に訴えてやる!」

「どうぞ、ご自由に?」

 怜は口の端に笑みを引っ掛けた。

 略式結界の張られた空間内の出来事を目撃する者はいない。



 鎮矢は心細そうな表情で怜を待っていた。

「忘れ物、見つかりました?」

「はい、もう大丈夫だと思います」

「良かった」

 愁眉を開いた鎮矢の顔が、怜の心を温めた。

「ええ。…これで俺も、安心出来ます」


 ケーブルカーが吉野千本口駅に至るまでは僅か三分。

「もうすぐ下界ね…」

 名残惜しそうに呟いた鎮矢は首に巻いていたストールを外した。

 長い黒髪は茜色のバレッタに纏められている。

「桃木さん?冷えますよ」

「これ、江藤さんに差し上げます」

「え?」

 怜は差し出された純白のストールと鎮矢の顔を見た。

「バレッタのお礼に。考えたけど、これくらいしかなくて」

「カシミアでしょう。釣り合いませんよ」

「いえ、シルクウール。良かった、江藤さんでも知らないことがあるのね」

「どっちにしろ高価でしょう」

 無邪気に笑う鎮矢に、怜は困惑気味に言った。鎮矢は退かず、穏やかに言を重ねた。

「貰ってください。他にないから」

「解りました。じゃあ、俺のマフラーと交換してください。女性の気に入るか解らないけど」

 そう返して怜は青と白のストライプのマフラーを首から外し、鎮矢の白い首に緩く巻いた。

「良いの?」

「うん」

 嬉しそうに顔を和ませた鎮矢も怜の首にストールをふわりと掛けてくれた。

 布地に残る体温と芳香に、怜は昨夜のことを思い出した。二人は今朝、宿を出る前に連絡先を交換していた。シルクウールの滑らかな手触りを確かめるように撫でながら、怜は鎮矢に申し出た。

「春になったら、また吉野で逢ってくれませんか」

「桜の頃?」

「うん。人が多いだろうけど…。嫌なら、」

「嫌じゃない」

 すぐに鎮矢が楽の音のような声で返す。

 二人同時に笑み交わした。


 ケーブルカーから出ると、冷たいが新鮮な空気が肺に飛び込んだ。

 再会を約束して別れてからも、怜は鎮矢の長い髪が揺れる後ろ姿をずっと追っていた。

 ぬばたまの中、茜色が火のように灯っている。

 いつしか天から雪が舞い降りていた。

 怜は天女の羽衣のようなストールをしっかり巻き直し、自分も鎮矢とは別の方向に歩き出した。

 雪片が桜のひとひらに変わる頃、稀有な女性とまた出逢えるだろう。

 小野桐峰と彼の愛刀を辿り吉野まで来て、蘇りの霊峰で怜も新しい息吹を吹き込まれたように感じていた。


 吉野山 やがていでじと 思ふ身を

 花散りなばと 人や待つらむ


 吉野に桜狩に行くと出かけ、そのまま帰らなかったら真白たちを心配させるだろうか。

 鎮矢の額にくちづけ、赤い花を咲かせて深山に籠ったりしたなら。

 その昔、女性の化粧法の一つとされた花鈿(かでん)のように、彼女を彩りたい。

 嘗て抱いたことのない熱が、怜の心にも灯っていた。剥き出しになって、剥き出しの鎮矢にのめり込んでいる。


(俺が)

 

 こんな出逢いなど想像してもいなかった。

 けれど鎮矢は脆さを抱えて尚強い。


(きっと次に逢う時は、もっと見違えているだろう。俺が何をするでもなく、自分の気高さを育てて)


 哀しい舞姫から時を遡り、威風ある飛鳥の皇女のように。


 時は巡る。前にも後ろにも。

 生ある限り、縦横無尽の可能性を人は持っている。

 白雪が降り止む様子はまだない。





挿絵(By みてみん)





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